┈┈┈┈┈┈┈┈
"五条洸"
呪術高専東京校襲撃から4時間後――
┈┈┈┈┈┈┈┈
ベッドに横たわる悟。
つい先程目を覚ましたばかりの彼の顔色は幽霊のように真っ青だ。
そして悟を取り囲むように見下ろす家入、夜蛾、七海。
いつも以上に3人の表情は険しいものだった。
「――で、その傷は誰にやられた。」
「…………」
「悟。」
「……僕の口から言わずとも……ッ……もう分かってるんでしょ……ッ……痛……」
家入の反転術式で傷口は塞いだものの未だに痛みは残っているらしい。こんなに弱った悟を見るのはいつぶりだろうか?というより、学生時代から攻撃をまともに喰らわないような人物が重症を負うなど前代未聞だった。
半ば呆れたようにため息を漏らす家入は傍らの椅子に腰掛け、悟に向けて再び反転術式を施す。
「五条。あと少しでも助けが遅れてたら間違いなく死んでたよ。」
「硝子の言う通りだ。」
「七海に感謝しなよ?たまたま任務帰りでお前の微細な呪力を感じ取ったんだ――」
家入と夜蛾の視線が七海へと向けられる。彼は表情ひとつ変えず、ただただ横たわる悟を見据えていた。
そして七海はその時の光景を脳裏に浮かべ、思い出す。
「驚きましたよ。妙な気配がすると思ったら血塗れの五条さんが倒れていたのですから。」
妙な砂埃が鼻を掠めた。
そして微かに聞こえるのは建物が崩れた後の音。今までに感じたことの無い不気味な呪具の気配。僅かに感じる悟の呪力。
そしてこの10年。
片時も忘れたことの無い"彼女の気配"――
「七海曰く"洸"の気配があったって……そうだよね?」
「はい。元々彼女の呪力察知は不可能。ですが僅かに感じたんです。」
"五条洸が此処に居た"
ハッキリとした物的証拠は残っていない。だが間違いなかった。
「忌庫番は無傷。だが未だに目を覚ましていない。恐らくは10年前……洸が去った時の七海と同じ現象だ。」
忌庫を守っている"忌庫番"
侵入者に殺害はされなかったものの未だに気を失っていた。それは10年前、立ち去る洸を止めようとした七海と同じ状況。
簡単に痕跡も残さず、残穢さえも残さず。
完璧な襲撃だった。
「…それで五条の傷だけど。ギリギリ急所は外されてた。あと数ミリズレてたら太い血管と心臓貫かれてたって感じかな?」
家入は悟の胸元の傷に指を滑らせる。
血が滲む包帯は生々しく、それを見るだけでも怪我の大きさが痛いほど理解出来た。
「だけど呪具でやられてる分、いくらお前であっても、反転術式を使っても傷の治りは遅い。あと1週間は安静にしてなよ?私も暫くはお前につきっきりだ。」
「……はぁ……分かってるよ。」
家入の言葉に天井を仰いで嘆息する悟。両目を覆うように両腕を顔に乗せ、気の抜けるような息を漏らし続ける。
まさか、自分がここまで追い込まれるなんて。
……妹には九分九厘勝ち目は無いと分かっていたが、やはり心に突き刺さるものがあった。
10年経っても変わらない美しい妹。
同じ白銀の髪、睫毛、矯正された顔。
――そしてあの"緋眼"
やはり拳と拳をぶつけ合っても妹の本心は分からないままだった。
"ごめんなさい"と哀し気な声色で呟いたあの時も、向けられた憎しみに満ちたあの瞳も。
七海の名前を出した時の大きな動揺を見せたあの表情さえも理由が分からない。
――いつまで経っても……妹が理解できないもどかしさが嫌な程に胸に突き刺さっていた。
「――で。洸と何があった?」
「…………」
「深夜に西側の区画で大暴れしたせいで建造物は全滅。もしお前が"茈"を使ってたら高専は吹き飛んでただろう。」
「使うつもりはありませんでしたよ。さすがに。」
「………悟……」
「ただの"兄妹喧嘩"ですよ。……昔からよく見てたでしょ?学長――」
悟は相変わらず目元を覆っていた。表情は分からない。彼の心情は全く誰しも予想すら出来なかった。
「盗られたのはリストと呪具2つ。そんな対した被害じゃないでしょ。……ま、忌庫に入られたのは驚きましたけど。」
リストはともかく、特級呪具を奪われたのは正直厄介だ。悟にとってはそこまで大した事はない、と言えるがほかは違う。使い手によってはとんでもない凶器へと成り上がる。洸が使用した妖刀も、彼女が振るえば"あの五条悟"をも重傷に追い込む事が出来るものだ。
かつて"伏黒甚爾"に急襲された時と同じ、彼も悟を相手に呪具を使用し、一度殺しているのだから――
そんな五条洸が犯した罪を、上が黙っているわけがなかった。
「――つい先程、上から通達が来た。」
「………通達?…」
「ああ。"五条洸"について。――見つけ次第"即処刑"の指示だ。今までは"拘束"という名の猶予があったが、昨晩の件でさらに上が焦り始めている。」
「…………」
「乙骨憂太。そして五条洸。……いいか?悟。お前は秘匿案件を2件も抱え込んでるイレギュラーだ。」
総監部からの通達は避けて通ることは出来ない。それは五条家当主の悟であっても。寧ろ乙骨の件も洸の件も半ば無理やり捩じ伏せているようなものだ。
これ以上、悟の思うがままに動くことも難しくなるのは事実。
「下手をすればお前も"即"処刑対象になり兼ねん。」
「大丈夫ですよ。」
「…………悟。」
「"夜蛾学長"……これ以上、僕はあなたも傷つけたくありません。」
「ッ……」
「心配しないでくださいよ。……その件に関しては……僕が何とかしますから。」
悟の台詞に悔しさに耐えるように唇を噛む夜蛾。苦しむ恩師の姿はこれ以上見たくなかった。
教え子達の死や離反。
悟は誰よりも責任を感じていたのだった。
「……では、私は五条さんの穴埋めを。1年の体術指導ですよね?」
「悪い……七海。」
「別に構いません。」
踵を返し、3人に背を向け扉のドアノブに手を伸ばす七海。
首筋の太い、骨組みのがっちりした背中は真っ直ぐと伸びいつも以上に力強さを感じた。
悟は胸を押えながら、家入に支えられながらゆっくりとベッドから起き上がるとそんな彼をじっと見据えた。
「……七海…ッ…洸は――」
「彼女は私が止めます。」
「…………」
「"その為に戻ってきたのですから"。」
発した本人も驚く程に冷静な声色だった。
いつもの威厳と落ち着きのある低い声。その奥底に隠れている本心を表に出すこと無く、彼は立ち去る。
「((…洸さんは。必ず私が――))」
ゴーグルに隠れた瞳は咎めるような、厳しいものだった。
┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈
現れたそれは春の真っ最中
えも言えぬまま輝いていた
どんな言葉もどんな手振りも
足りやしないみたいだ
その日から僕の胸には嵐が
住み着いたまま離れないんだ
人の声を借りた "緋い眼"の落雷だ
揺れながら踊るその髪の"白"が
他のどれより嫋やかでした
すっと消えそうな
真っ白い肌によく似合ってました
あなたにはこの世界の彩りが
どう見えるのか知りたくて
今 頬に手を伸ばした
壊れそうでただ怖かった
米津玄師――"春雷"
┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈
2006年 4月中旬――
┈┈┈┈┈┈┈
「全然分かんないよ……」
机に並ぶ課題の数々。
灰原は目の前の数式に試験を落とすや否、絶望に塗れた表情で頭を抱え込む。
「"灰原君"、さっき私が教えた通り、ここの数式に代入して……」
「そう。それで次はこちらの……」
灰原の対面側に椅子を移動させ丁寧に指を指しながら"教鞭をとる"のは洸と七海。悩む素振りさえ見せない2人の余裕のある同期の様子に灰原は深いため息を漏らした。
「……はぁ〜………なんで2人ともそんなに頭いいの?」
「なんでって……人並みに勉強はしてきましたし…一応。」
「灰原は難しく考えすぎです。」
「勉強も運動もできて、呪術師としての素質も兼ね揃えてるなんて………俺はとんでもない同期を持ってしまったみたいだね…」
「「…………」」
頭を抱え込み机に突っ伏す始末。
そんな彼を無表情で見下ろす"完璧な同期2人組"。
ただただ才能があるだけじゃなく、文武両道だなんて聞いてない!なんて灰原は心の中で密かに叫んでいた。
しかしそれを決して"ひけらかさない"2人。まだ出会って間も無いのだが、灰原はそんな2人を心底尊敬していた。
…まだ入学して日も浅く、お互いのことをそこまで理解していない3人。
何となく気まずい空気が漂っていたその時、その空気を遮る救世主が現れた。
「――灰原。そろそろ行くよ?」
開いていた教室の出入り口からひょっこりと姿を現したのは1学年上の先輩"夏油傑"だった。
「あ!夏油さん!」
「お疲れ様です。」
「夏油先輩、お疲れ様です。」
ガタッ!と大きな音を立て、まるで待ちわびて居たかと言わんばかりの反応を見せる灰原。僅かに会釈をする七海、そしてその隣で緊張気味に"先輩"と呼ぶ洸――
「や。皆で勉強会?いいね。」
「はい!頼りになる同期生が居て、俺は嬉しいです!」
「はははっ!楽しそうです何よりだよ。――で、申し訳ないけど灰原を借りてくよ?洸ちゃん、七海。」
「「はい。」」
夏油の穏やかな笑顔と温厚な口調はホッと洸の心を和らげる。まだ慣れない学校生活で唯一"夏油先輩"に救われていた。
「それじゃ!俺今から任務だから!」
"課題!また任務から帰ってきたら手伝ってね!"なんて陽気な笑顔を浮かべ教室から走り去っていく灰原。
嵐が去ったかのような沈黙が訪れると、2人は心の中でぽとりと呟く。
「((任務に乗じて逃げたね。絶対。))」
「((大体、貴方がどんな人な分かってきましたよ、灰原…。))」
静まりかえる教室。残された2人。
洸は体勢を変えることなく、チラッと横目で七海の様子を確認した。
「((――七海建人…"君"。))」
目が覚めるほどの明るい金髪。年相応には見えない落ち着いた口調と性格。気づけば眉間に皺を寄せ、いつも何を考えているのかあまり理解できない。
「((…灰原君とは違うタイプで取っ付き難いっていうか。……少し苦手なんだよね。))」
七海のような異性と関わったことのない洸。
兄はともかく、禪院家の男たちも…違う。威厳のある父親と似ている気がするがなんせ相手は同い歳の同期生だ。
友達さえいた事のない洸にとって"七海建人"という人物は難しい人だった。会話も上手く続かない。何となくある距離感と壁。天真爛漫な灰原が間にいるのと、2人っきりで居るのは全く違う空間だ。
「((こういう時どうすればいいの?…とりあえずここで一旦お開きにするのが安牌…))」
洸が机上に開いていたノートに手を伸ばしたその時。隣の彼は沈黙をさくように口を開く。
「残りの課題、一緒に終わらせましょうか。」
「……え?」
予想外すぎる言葉にビクっと体を揺らす洸。緊張しきった彼女の声は抜けきった返答だ。
「元は灰原が言い出したことですが……ここで寮に戻る時間も勿体ないですし。」
「……えっと……」
「それに良い機会です。こうして2人っきりになるのも初めてですし…同期生になって日も浅いので雑談も兼ねて――どうです?」
交わる瞳。
切れ長の細い瞳は微かに冷たさも感じてしまう。
洸はゴクリと息を飲み、ノートに伸ばした手を戻すと小さく頷いた。
「ぁ……はい。」
┈┈┈
┈┈┈
――数時間後
┈┈┈
「――で!私が悟兄に言ってやったの!!」
「確かにそれは五条さんが悪いですね。」
「そうでしょ!?七海君もそう思うよね!?だからそれで――――」
窓の外の風景が次第に蒼ざめた空気の中へ没してゆく。
4月といえど暮れた空気は冷たく、山の中という事もあるのか影が広がっていく速度も心做しか早い。
"それ"に気が付かないほど2人は2人だけの今の空間に没頭していたのだった。
「……って……何か薄暗い気が……」
「もうこんな時間なんですね。少し喋りすぎましたか……」
教室の壁掛け時計に視線を向ける2人。そろそろ夕食の時間も迫っていた。
「何か……"ごめんなさい"、七海君。」
「はい?」
「課題も中途半端だし、……一方的に私が喋りすぎたと思って――」
さっきの陽気な彼女は何処へやら。
まるで人が変わったかのように表情を曇らせると"ごめんなさい"と頭を下げる。
やはり御三家出身という事もあるのだろうか。とにかく人付き合いが下手すぎる。距離感や雰囲気、元々纏っていた"御三家特有の空気感"。
同世代の友人が居ないという事は彼女の兄から密かに聞いていたのだが――彼女の様子を見て納得がいく。
元々は明るく、溌剌としていて天真爛漫な少女。
謝る必要も無いのになぜ謝る?
「何故、貴女が謝るんです?」
七海の問いかけにバツが悪そうに視線を逸らす洸。右手で左腕を掴むと気まずそうに口を開いた。
「……七海君の時間、奪っちゃったし。」
「…………」
「そもそも、まだ日も浅いのに色んなこと喋りすぎたよね?距離感も上手く掴めなくて……申し訳なくて……」
「…………」
上手く言葉が見つからなさすぎて、ただただ場を乗り切るような謝罪の言葉しか出てこなくなる。
本当に異性との付き合い方が分からないのだ。
どれくらいの距離感が適切なのか?
どのようにして会話をすれば良いのか?
同期、友人、仲間――そんな単語が脳裏に浮かぶ度に上手く言葉が伝えられなくなってしまう。
「…えっと…七海君、本当にごめ――」
「その"七海君"って呼び方、やめません?」
半ば呆れた様な声だった。
"やめません?"なんて言われ、彼は机に肘を立て不服そうにこちらを見据えていた。
その反面、洸は膝の上に両手を置き、強くスカートを握り締める。
まさか自分がここまで緊張してしまうなんて…滑稽だった。
「――"七海"で良いですよ。」
「えっ……そんな呼び捨てなんて……」
「貴女と私は"同期"です。それなりの距離感も必要ですが、貴女は"変な距離"を置きすぎなんですよ。」
「………」
「それに"雑談"を持ちかけたのは私です。何も謝ることは無いです。」
「……でも……課題……」
「課題なんて建前ですよ。灰原はともかく、貴女と私ならこの課題は直ぐに終わらせられます。」
「…え……っと……」
真っ直ぐとした七海の言葉たちに何も言い返せなかった。
真剣そのものの彼の表情と声色。
それは微かに柔い色を付け、続けて言葉を放った。
「私は…貴女と2人っきりで話したかったんですよ。」
「………へ…?」
「これから苦楽を共にする仲間です。同期です。あなたも呪術師である以上この関係性に慣れてもらわないと。」
洸は隣の彼を見あげた。
その時の彼の微細な優しさを感じる表情は初めて目にした。
「独りでは…何も出来ませんよ?"洸さん"。」
「…………っ……」
"言葉にするのも 形にするのも
そのどれもが覚束なくって
ただ目を見つめた"
「……ふふ……」
「……?」
"すると貴女はふっと優しく笑ったんだ"
「うん。……"七海"……。」
"嗄れた心も さざめく秘密も
気がつけば粉々になって
刹那の間に 痛みに似た恋が体を走ったんだ"
┈┈┈┈
どうか騙しておくれ 「愛」と笑っておくれ
いつか消える日まで そのままでいて
どうか騙しておくれ 「愛」と笑っておくれ
いつか消える日まで そのままでいて
┈┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
2017年 10月――
――教団本部
┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「嬉しいなぁ。いつぶりかな?全員集合は――」
太陽が天頂を通過した穏やかな午後。
袈裟姿の夏油、そして隣を歩く艶やかな女性の姿が教団の長い廊下にあった。
「そうだ!久しぶりに皆で写真を撮ろう。…一眼どこだっけ?」
「こちらに。」
一眼レフカメラを得意気に手に取る女性――
夏油一派幹部"菅田真奈美"
夏油の秘書的なポストを担う人物。
ニコニコと和やかな空気をまとう2人。
すると背後からバタバタと忙しない足音が近づくと、2人はピタリとその場に立ち止まった。
「夏油!!夏油を出せ!!!!」
金切り声に近い凄まじい怒号。
目に角を立て、憎悪に満ちた表情で迫り来る男の姿。
「――夏油!貴様ァ!!」
ガラの悪いスーツに小太りの男は夏油を見つけるなり容赦なく迫る。
しかし夏油と菅田は顔色ひとつ変えること無く、男をじっと見据えていた。
「これはこれは"金森さん"。そんなに慌ててどうされました?」
「とぼけるな!早く儂の呪いを祓え!!お前にいくら払ったと思っている!!」
明らかに顔色が悪い金森という男。
金森の周りには呪霊が複数憑いており、そのせいなのかかなり体調が悪そうだった。息苦しさ、気分の悪さ、頭痛に目眩…ありとあらゆる不快感が男を襲う。
「…いくら?」
「ざっと一億とんで500万ですね。しかしここ半年間の寄付はありません。」
「……あーあ。"もう限界かな"。」
菅田の言葉にため息混じりの笑顔を浮かべる夏油。2人は金森を哀れみの瞳で見下ろした。
「なっ…何を言って……ぅ…ぐ…」
呪いに憑かれ、その場に膝を着く男。
既に限界が近づいていた。すぐに祓わなければ命は無いだろう。
しかしそんな状態の男を前に。夏油は冷ややかな視線を向けたまま語り始めた。
「金森さん?よく聞いてください。…"猿"にはね、それぞれ役割があります――」
ニッコリと笑みをこぼし、指を立てながら役割を口にする。
「金を集める"猿"と呪を集める"猿"…金森さん、貴方は前者だ。」
「んっ…ぐぅぅ……!!」
「――お金が無いなら用済みです。」
慣れた手つきで呪霊を操作する夏油。
刹那、金森に憑いていた呪霊が暴走し始める。
体を蝕み、死へと誘う――
「うっ!!ぐぁああああああ!!!!!――」
悲鳴が廊下に轟く。
涙に涎、鼻からは真っ赤な血液が垂れ始める。
「穢らわしい。本当に同じ人間ですか?」
「だから言っているだろう?
猿の命が消えかけたその時――
「…ん?」
夏油の表情が一瞬揺れる。
「…大丈夫ですか?金森さん。」
悲鳴の中に混ざるのは柔い声。
冷静な、穏やかな、艶のある"彼女の音色"。
そして金森を襲っていた呪霊は跡形もなく消えていく――
「ゲホッゲホッ……貴様、は…確か…」
夏油と菅田の背後から現れる女性の姿。
白い彼女――
「五条………"五条洸"です。」
いつものラフな服装の洸がにこやかな笑みを浮かべながら現れた。
夏油と菅田の間を抜け、目の前で倒れこむ金森に手を差し伸べる。
「……はぁ……はぁ……」
「少し過呼吸気味ですね?…ほら、ゆっくり深呼吸してください。」
「……...はぁ…助かった……」
金森の背中に手を伸ばし、優しく摩る。
「「………」」
夏油は口元に弧を描いたまま。
菅田は不満そうに眉を顰める。
「ね?金森さんが最近購入した"あの"株。品薄高でかなり好調ですよね?」
「あっ…あぁ……」
「まだまだ金森さんには頑張ってもらわないと――ね?"夏油"」
しゃがみ込んだまま、洸は背後へと視線を向けると赤い瞳を光らせた。
ニッコリと喜色を含んだ緋眼は何も物を言わせないと言わんばかりの強力なもの。
その姿は微かに兄の悟の面影を感じさせる。
「はははっ。…うん、そうだね?洸。」
「…夏油様……」
「いいんだよ、真奈美さん。」
洸はショルダーバックからハンカチを取り出すと金森へと手渡す。ふらふらと恐れるようにその場から逃げる金森の背を見送ると、そのまま2人へと向き直った。
「や、洸。」
「………」
「お疲れ様です。おふたりとも。」
呑気に手を挙げ、いつも通りの様子の夏油。洸は僅かに笑みを浮かべたままだった。
「…今日は幹部が集まる日よ?もうみんな集まってる。…貴女が遅刻するなんて許されないわよ?洸。」
「ごめんなさい真奈美さん。猿集め頑張ってたんですよ?一応…」
菅田は洸を嫌っていた。
"何をしても許される"、夏油との関係性を羨むかのような視線を時たま向けていた。
勿論それは洸も理解の上だった。
「あ!今日は美々子と菜々子の保護者会だったよね?代わりに出てくれたんだろう?」
「うん。そういうこと。…遅くなったことは謝ります。」
「構わないさ。"洸だからね"。」
"じゃあ行こうか?"と先を歩く夏油。
少し距離を置き、その後ろを歩く洸と菅田。
すると不機嫌そうな菅田が洸にボソリと言葉を呟く。
「…洸。貴女、何考えてるの?」
「何って?」
「………」
「別に何も。いつも通りですよ?真奈美さん。」
苦りきった顔。
ニコニコと何食わぬ顔で隣を歩く洸が気に食わなかった。
何を考えているのか分からない彼女の横顔。陶器のように美しい肌に、サラサラと靡く白い髪。高い身長、女性らしい肉体――彼女しか持っていない赤い瞳。
夏油さえも圧倒する"その力"が惚れ惚れするほどに憎い――
「あっ!洸姉!」
「来ないかと思って心配してたんだよ?」
会議室へたどり着くや否。洸を囲む双子の姉妹。
美々子、菜々子――2人も美しく成長を遂げていた。
「そんなわけないでしょ?一応"幹部"なんだし。――」
集う幹部たち。
仲間――――"家族"
夏油は家族を前に、意気揚々と声を上げた。
「時が来たよ――"家族たち"」
「――猿の時代に幕を下ろし、呪術師の楽園を築こう。」
"ついに来た"
何年もまち続けたこの時を。
「まずは手始めに呪術界の"要"、
――"呪術高専を落とす"。」
赤い瞳が揺れる。
形容できない妙な感覚、感情――
「…………ッ…」
穏やかな表情が、一瞬仮面をかぶったようにこわばった。