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「……洸。」
いつもより優しい抱擁。
耳元では艶のある男の声が鼓膜を撫でる。
「……そばに居てくれないかい。」
「…………」
「お願いだ。……洸。」
切実な男の声。
「ごめん、……本当に……勝手でごめんなさい。」
潤んだ彼女の声。
「私は……私の選択は……」
「……ッ……洸……」
┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈
――2017年 12月31日 大晦日
午前5時30分――
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┈┈┈┈┈┈
「っ……」
突如大きく揺れた車体。
その反動で浅い夢から目覚める洸。
「すみません、道がかなり急で……大丈夫ですか?」
「……ごめん……こっちもちょっとウトウトしちゃって。」
「構いません。寧ろ休んでください。」
対向車が来てもすれ違うスペースが無いような山道を通る一台の黒い車両。ガタガタと居心地悪く揺れ続け、運転手も心做しか焦りのような様子を見せる。
「今報告書仕上げちゃうね。ボールペン持ってる?」
「急がずとも年明けでも問題ありません。」
「でも早い方が"伊地知"が楽でしょ?」
「私のことは気にしなくて良いです。洸さんの都合に合わせてで問題ありません。」
「…………」
洸の言葉に対し淡々と冷静に返答するスーツ姿の運転手。
呪術高専東京校 補助監督――"伊地知潔高"
高専の卒業生であり、悟・夏油・家入は二年先輩。洸とは一学年先輩に当たる。
学生時代と変わらず細身で頬が痩けており実年齢よりも上に見える。変わったと言えば髪型だろうか?学生時代は短髪だったが今はセンター分けになっていた。
「……ねぇ伊地知。怖くないの?」
「何がです?」
「私の事。」
「今更そんなことを?怖くありません。」
「1度は呪詛師認定された元離反者なのに?」
「はい。でも何も恐ろしいとは思いません。」
ハンドルを握りしめ、細い山道を的確な運転で下っていく伊地知。洸は後部座席からそんな彼の姿を見据え、さらに問いかける。
「他の補助監督。みんな私に付き添うのが怖いんでしょ?だからこの前も今回も、全部送迎は伊地知が対応してくれてる。」
高専に補助監督は何人も居る。
しかしこの数日間、洸に寄り付くものは伊地知を除き誰一人として現れなかった。
しかし任務同行に補助監督は必須。送迎だけではなく緊急事態に臨機応変に対応することも不可欠であり、術師が滞りなく任務を果たすために必要な存在なのだ。
ただでさえ今の洸は任務任務の繰り返し。腹が立つほど積まれた任務の山をこなさなければならない。
そんな中、唯一彼女と同行を選んだのは伊地知だった。
「私が希望したんです。洸さんの任務に付き添うことを。」
「え?伊地知が?」
「はい。任務だけではなく何か必要であれば車を出すのでいつでも連絡ください。勿論五条さんの許可が無いと無理な話ではありますが。」
初耳だった。
上が伊地知を無理やり指定したと思い込んでいた洸は目を丸くし運転席をじっと見つめ続ける。オマケに都合よく必要な時は"呼べ"とまで……
まさか、
「……ここ数日間、既に無茶苦茶な任務ばかり入れられてるし今日なんて気づいたらもう朝になってる。」
「任務内容も重かったですし。それは仕方がないかと。」
「普通嫌でしょ?辛くない?私と行動するってことは必然的に上の人達に都合よく振り回されることになるよ?」
「お気になさらず。私は任務地への送迎、そして帳を下ろすのみ。後は、無事に洸さんが帰ってくるのを待つだけです。」
相変わらず昔から変わらない淡々とした口調だった。
ふと過去の彼の面影が脳裏に浮かび上がる。
「相も変わらず……伊地知らしいね。本当に。」
「洸さんも何も昔と変わっていないじゃないですか。」
「そう?」
「はい。」
「それはいい意味で?」
「勿論です。」
┈┈┈┈┈
┈┈┈
"伊地知?ほーら!一緒に任務だよ?大丈夫大丈夫!2人なら最強!背中は任せたよ?"
――どんな任務でも困難な事でも、貴女の言葉で前へ進むことが出来た。
"また
――自分の腕を引く貴女の優しい掌。天真爛漫に微笑む貴女。
"怪我してもいつでも治してあげる。いつでも頼ってよ……伊地知。"
――やはり五条さんの"妹"なのだと。時たま見せる真剣な声色。そして美しい瞳……色が違えど同じ光を放っていた。
兄妹揃って歪んだ性格だなんて言われていたが"私はそうとは思わなかった。"
一見、軽薄そうに見えるも心の奥底で煮え滾る何かをいつも抱えているような。
ニコニコと微笑む裏にあるドス黒い濁ったモノも。その反面、他者を暖かく包み込むような、巫女のような神秘的な存在感をも感じさせるような――
『……貴女のためなら。私は身を粉にしても構わない。』
┈┈┈┈┈
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「――人柄も何もかも。私は昔から洸さんの事を尊敬してます。」
「…………」
ハンドルを握る手に無意識に力が篭っていた。洸はそれを察すると僅かに視線を逸らし、窓の外の山道に視線を向ける。
……自分は離反した身なのに、1度は裏切った存在であるのに――複雑だった。
「まあ……とにかく今は横になるなり休んでください。まだ高専まで時間が掛かります。よかったら助手席の膝掛けを使ってください。」
「あ、ありがと。」
「任務の時間から考えて昨日も殆ど眠っていないのでは?無理し過ぎは禁物です。」
「それは伊地知も同じだよ。」
「私は大丈夫です。」
山道を下り終わると古びた信号機が現れる。
赤く点灯する信号の指示通り車はピタリと停止する。
そしてルームミラー越しに2人の視線が交わった。
「ありがとう、伊地知。」
「……いえ。礼には及びません。」
微かに緩む2人の頬。
それはかつての先輩後輩の姿そのものだった。
懐かしさやもどかしさ、様々な感情が2人の胸中に現れると車内は穏やかな雰囲気に――――
刹那、洸の上着のポケットで振動するスマートフォン。そして通話を知らせる音が車内に響き渡った。
「…………"最悪"。」
画面に映る人物の名前に酷く表情を歪ませる洸。こんな朝早くに一体何の用だ?嫌な予感しかしない。
「……?どうかされましたか?」
洸の声色に何かを感じとった伊地知。その表情は"昔から変わらない"、五条悟が絡んだ時の表情だった。
「……あの人から電話…………」
"五条悟"
洸は運転席からこちらをのぞき込む伊地知に画面を向けると大きく肩を落とした。伊地知はそれを目の前に"早く出た方が良いのでは?"と呟くと嫌そうに洸は応答する事に。
「……はい"五条"…………
――――はぁあああぁぁ!?」
車内の空気をびりびり震わすほどの雷声が鳴り響く。
聞きなれない素っ頓狂な洸の様子。伊地知は再びハンドルを握り直すと微かに笑みを零していたのだった。
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――午前7時
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眠い――
眠い、とにかく眠い。
眠い、眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い――
「――おっまた〜!」
必死に眠気と戦っていたその時。呑気な男の声が鼓膜を叩くと何故か苛立たしさが無性に湧き立つ。
運転席に乗り込む男――兄の五条悟は洸のそんな気さえ完全に無視するように眩しい満面の笑みを浮かばせていたのだった。
「はい!洸はブラックコーヒーだよね?」
「…ありがとう。」
助手席に座る洸。左隣から差し出されたホットコーヒーを受け取り、疲れた視線をそれに落とした。
「((ほんとに……この人は人の気も知らずに……))」
早朝に来た悟からの電話連絡。
"任務おつ〜!高専に戻ったら即着替えて駐車場に集合。来なかったら死刑――"
……なんて、突然過ぎる指示に呆気に取られた洸。
一先ずシャワーだけ浴び、持ち合わせていたスウェットと季節外れのTシャツを纏うと高専内にある関係者専用の駐車場に向かった。
一際目立つ左ハンドルの高級車。大型の四駆は駐車場内でも圧倒的存在感を放っており"どれだけ目立ちたいんだこの人は"なんて胸中で呟く。
車両の傍らでは嬉しそうにニヤニヤと笑みを浮かべる私服姿の悟が待っていた――
「ほら。適当に色々買ったから食べなよ。どうせ朝メシ食べてないでしょ?」
「そりゃ明け方まで任務だったし。終わったと思えば直後に悟兄から電話が来たんですけど。」
「……もしかして怒ってる?」
「………………」
怒ってるとか、怒ってないとか、そういう問題じゃないでしょ?デリカシーっていうものが微塵もないのかこの人は?
「別に怒ってないです。」
いくらでも文句を言ってやりたいところだが今の洸にはそんな気力さえ残っていなかった。
連日の任務。休みもなければ睡眠時間さえ削られ、正直かなり辛い。しかしこんなところで弱音を吐くことも出来ない。年末ということもあり高専内にはそこまで多くの人は居ないが未だに居心地は悪いし、唯一砕けた話が出来る家入や七海は任務の関係で京都に派遣されているし……洸のストレスは溜まっていく一方。
――そのせいもあるのか
浅い睡眠時には夏油が必ず現れる。
"あの時のことを咎められているかのように、あの時のシーンが何度も回想のように現れる"
「…………」
「って……疲れてんよね?ごめん。」
「……まあ……大した任務でもなかったから。大丈夫。」
虚ろな赤い瞳。
それを見据える青。
もちろん悟も妹の事を全くわかっていない訳では無い。連日の任務も疲れも、洸のフラストレーションは全て理解していた。
「それじゃ出発ね?目的地まで時間は全然あるし、軽く胃に何か入れて寝てなよ。」
「……うん。」
"何処に行くの?"と聞く気力もない洸に悟は流石に空気を読むとそれ以上口にすることは無かった。手渡したコンビニ袋に触れることもなければコーヒーに口をつけたのも1度きり。
そして直ぐ。間もなく洸は心地よさそうな寝息を立てると再び夢の中へと落ちていく。
高専の車両とは打って変わって兄の高級車の揺れは心地良い。そして微かに聴こえる音楽のリズムが無性に眠気を誘ったのだった。
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車窓から見える、移り変わる景色。
煌びやかな東京の街、そして郊外……自然豊かな山々。
「…………」
"目的地"に辿り着いた2人。
車から降りた洸は冷気を強く吸い込むと全身の力を抜くように大きく息を吐く。
ひんやりとした山の静寂。冷え冷えと身肌に迫る空気。希薄で澄んだ冬の光が洸を照らす。
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「洸はこの部屋使ってね?着替えとか揃えてるし、なんでも好きに使ってよ。」
案内されたのは綺麗に整えられた和室。長い廊下の傍らには広い庭も広がっており、縁側で飲む温かい茶はさぞ美味――なんて考えている場合では無い。
「今更ですがココはどこ?」
「え?僕のお家〜〜♪」
いいや、"コレ"が家?
五条の実家ならともかく、単身で住むには有り得ない規模の家だ。というより"御屋敷"という言葉がピッタリだ。
「家?どこぞの老舗旅館か御屋敷でしょ。嘘だ。」
「あのねぇ〜?一応僕稼いでるしさ?まさか高専内の教員専用の宿舎に住んでるとでも思う?」
「実家に住んでたのかと。」
「ムリムリムリムリ!絶対ヤダよ。あんな堅苦しいところに居座るわけないでしょー?」
「……当主様が何言ってるんだか。」
「そりゃあ僕が当主だけど?あの家には前の当主様が居るし?任せとけばいいでしょ?その辺は。」
確かに自分もあの実家に居座るのはゴメンだ。だからといって現当主がそんな様子で良いの?――と言わんばかりの視線を向けるも悟はニヤニヤと相変わらず笑うのみ。
悟の私生活はほぼ把握していなかったし、交友関係や実家との折り合いも現に知らない。悟の身勝手極まりないワンマンプレイで五条家が成り立っている事くらいは把握しているがそれ以外は皆無だった。
「とりあえず。年末年始ここで過ごしなよ?」
「"とりあえず"って……明日の午後から任務入ってるんだけど?」
「それなら大丈夫。断っておいたよ?」
「……こ、……コトワル?」
「そ。」
刹那、洸の脳裏に浮かぶのは伊地知の困惑顔。冷や汗をハンカチで拭い、悟の勝手な連絡に必死に対処する場面が目に浮かぶ。
「……伊地知。……てかそんなのダメに決まってるでしょ?何のための呪術師――」
「だから大丈夫だっての!僕がちゃーーんと説明したからさ?代わりの術師も見つけたしイけるって〜。」
年明けに高専に行くのが更に苦しくなってきた。多分大丈夫だとは思うが、勝手に自分が任務を放棄したとは思われたくない。
「大晦日と元旦に1人なんて寂しいでしょ?」
「…別に。」
「ンだよ〜強がり〜。」
「………痛い………」
グイグイと悟の肘が洸の頭を突く。呑気な声に行動に、余計にストレスが溜まりそうで心配だ。
いっその事、高専で1人で過ごして任務に明け暮れている方が――――
「…………」
「……ん?どーした?」
真っ直ぐと和室を見据える洸。
背負っていたリュックのショルダーストラップを無意識に強く握り締め、僅かに視線が泳ぐ。
「((……確かに……"あまり考えないようにしてた"けど――))」
今までは……"みんな"で過ごしていた。
夏油も美々子も菜々子も居た。年々家族は増えて賑やかだった。炬燵に集まってご飯食べて、年末の定番番組見ながら年越して。……皆で初詣に出掛けたこともあったっけ?おみくじ引いて一喜一憂して……屋台に寄って――
満面の笑みを浮かべた美々子と菜々子に手を引かれ。傍では夏油も穏やかに微笑んでいた。
一緒にはしゃいでいると真奈美さんに鼻で笑われるし、ラルゥにも"落ち着きなさい"なんて言われちゃうし……他にも、家族の顔が脳裏に何度も浮かび上がる。
「((……みんな元気かな。))」
巻いていた"歪な赤いマフラー"に顔を埋めた。思い出せば思い出すほど謎の感傷に襲われてしまう。
――自らそれを棄てたのに……私はなんて勝手なんだ。自分勝手なのは"私"じゃないか。
「――そこの箪笥に着替えとか色々用意してるし。布団も敷いてやるから気が済むまで寝てな?他にも一通り…………」
簡単に部屋の説明をし始める悟。何となく曇りがかった洸の様子にはあえて触れることなく、淡々と喋るだけ。
洸に用意された部屋は綺麗に整えられているだけでは無かった。数日間分の服や下着類、ご丁寧にスキンケア用品まで。まさかこの家に女性が住んでいるのでは?と疑うほどに揃えられていたのだった。
「……本当に揃ってる。ていうかこんなに服要らないよ?適当でよかったのに。」
「褪せたTシャツにデニム数本。おまけに下着も適当だし?部屋着もよれっよれのスウェット、正に"干物女"だな。」
「…ッ……余計なお世話です!」
確かに高専に戻ってからはほぼほぼ私物は回収されてるし(ほんの一部のものは悟の権力によって戻っては来たが)、服も下着もまともに用意していなかった。これはこれで助かるのだが実の兄にあれやこれを見られているのはやはり気分のいいものでは無い。寧ろ最悪だ。
「また高専のお前の部屋に持っていくから。とりあえず着るものもまともに無かったんだし丁度いいでしょ?」
「……ありがとう、ございます。」
「因みに!洸の仕事着は僕がカスタムして発注かけてるから〜!楽しみにしといてね?」
「((……嫌な予感……))」
……まあ気が利くのは確かだった。ていうか私はこの人に命を救われたと言っても過言では無い。素直に感謝をするのは礼儀でもあるし、大人しく従っておこう。
「ほら!どいたどいた〜。お兄様が特別にふっかふかの布団を敷いてやろう!」
「さすがにそこまでしなくて大丈夫だよ。後は私が……」
「いーから。お前は何もしなくてイイよ。」
「…………」
襖から軽々と取り出される布団一式。五条家当主……実の兄にやらせる事では無いのは百も承知なのだが。
「兄ちゃんが勝手にやってんだ。妹のお前は素直に従えっての。」
「……」
「返事ー。」
「ハイ。」
「ん。宜しい。」
優しいような皮肉なような独特の微笑み。
静かに、立ったまま兄を見据える妹は未だにその笑顔に応えられなかった。
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――午後13時20分
┈┈┈
「………………」
温もりのある日差しが差し込む午後。それは枯れかけた庭の芝生をねぎらうように照らしていた。
中庭の落葉したイチョウの枝の間からは淡い冬の陽ざしが漏れ、居間から見える景観は情緒漂う美しいものだった。
悟は悦んでいた。
声にも表情にもあからさまな感情を見せることは無いが、心の奥底では実の妹の
たまに見せる洸の曇った表情はそう簡単に払拭される事は無いだろう。というより今後もそれは間違いなく付き纏う。離反し、夏油と行動を共にし、以前は自分に刃を向けたこともある事実。
それでも良かった。悟にとって洸はかけがえの無い繋がりそのものなのだから。
……例えそれが"他の意味"であっても――
「………悟兄…」
その時、居間の障子が開かれると洸が顔を覗かせた。その表情はどこか恥ずかしそうで、よく見ると僅かに寝癖もついている。
悟は居間に設置された掘り炬燵に入ったまま、またもや嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「おはよ洸。よく眠れた?」
「うん。……お陰様で。」
「なら良かった。ホラ、廊下寒いでしょー?部屋入んなよ。」
おいでと手招きをすると洸は素直にそれを聞きいれ部屋に足を踏み入れた。屋敷の外観にそぐわずこの家の居間はどこか庶民的。掘り炬燵に液晶テレビ。何処ぞの一般家庭そのものの雰囲気。洸はその景観に不思議と安堵の息を漏らした。
「((……よく眠れた……久しぶりに……。))」
全くもって初見の場所にも関わらずぐっすり眠ることが出来た。しかも夢も見なければ寝入った瞬間さえ記憶にない。起きて時間を確認して慌てて飛び起きたのだった。
「さすがに腹減ったでしょ?」
「……かなり。」
「ん。オーケーオーケー。ちょっと待ってなさい。」
「……?」
悟は炬燵から出ると居間と廊下の境界である障子に手をかける。洸はそれを不思議そうに見つめていると、突如大きく息を吸った悟はとんでもないほどの音量で何者かの名前を叫んだのだった。
「"めっっっぐみー〜〜"!!!」
「……め、……めぐみ……?」
"誰?"と言わんばかりの表情。
……確かに僅かに感じる悟以外の呪力。五条家の関係者が家政婦的要員で来ているのかとも考えたが、よくよく考えてみるとそれはおかしい。
もしかして彼女?メグミって女の子の名前だよね?――なんて憶測が広がっていくのみ……
「……そんなに大声出さなくても聞こえますよ。」
悟が声を上げたその数秒後。気怠い青年らしき声が洸の耳に飛び込んだ。
開かれた障子の先に佇むのは無愛想な表情をしたツンツン頭の青年。手には洗濯カゴ、エプロンを纏ったその姿は正に家政婦なのだが多分違う。
「…………((この子は誰……?))」
「………、どーも。」
洸の姿を確認した青年は特に驚いた様子を見せることも無く、洗濯カゴを抱えたまま小さく会釈をした。普通ならここで洸の存在に驚くだろう。しかし青年は眉ひとつ動かすことなく冷静だった。
「この子、僕の可愛い隠し子♪」
「ストレートに嘘つくのやめてください。」
「でもそんなもんでしょ?」
「………はぁ……」
のらりくらりと希薄な悟の発言に呆れ顔の青年。そんな2人の様子を見る限り、きっとこの子も悟に日々振り回されているのがハッキリとわかった。
「……はじめまして。"伏黒恵"です。」
「五条洸です。こちらこそ、はじめま――」
洸が真っ直ぐと正面から伏黒を見つめたその時、まるでフラッシュバックのように過去の出来事が浮かんだ。
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┈┈┈┈
"万が一、次会った時は……間違いなくお前を狩り殺す。――――"五条洸"――
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「……どうかしましたか?」
「どったのー?洸?」
伏黒を見つめたまま完全停止する洸。そんな彼女の顔を2人はのぞき込むようにしていた。
「……ぁ……」
口元の傷、黒い短髪、大柄な身体。
冷めた視線の最奥に、全てを見据えるような恐ろしいものを持っていた"あの男"。
禪院家の男たちの"ような"特有の不気味な雰囲気を醸し出していた――
「(("あの人"に似てる気がする……。))」
洸は知らなかった。
あの男が禪院甚爾だということも。そもそも既に実兄によって殺されていることも知らない。
あの男には深く関わるべきではないと無意識に危険信号を洸自身が放っていたのだった。
だから深く探らなかった。誰にも言わなかった。
全てを知っているのは悟だけだった。
「――ううん。なんでも無いよ?ごめんね。」
首を振り、微笑みを見せる洸。心配そうに見つめられるとこちらも心配させまいと必死に振る舞う。
その隣ではなにか引っ掛かりを覚えたような悟が僅かに口を尖らせていた。……まあ、別に良いかと悟は呟くと再び空気を切り替えるように口を開いた。
「恵にはお姉さんがいるんだけどね?ちょーっと今直ぐに会わせることはできなくてさ。また今度紹介するね。」
「別にわざわざ紹介しなくてもいいですよ。津美紀は寝たき……」
「恵は昨日からウチに来てるんだ。何かあったらいつでも頼って?」
「人の話を……」
伏黒の言葉にいちいち全て重ねるように悟が言葉を覆い込む。普通ならもっとキレてもいいのだが伏黒は呆れたように眉を顰ませるのみ。どうやらこの二人の関係性はそんなに浅いものでは無さそうだ。それなりの信頼関係を感じる。
「((彼について情報が少なすぎてよく分からないんだけど。……まあいいか。何れ分かるだろうし。))」
別に心配することでも無い。あの兄が他人を家に上げてるのだから悪い子では無いのは事実だろう。
「あ!それはともかく!僕達は丁度さっき昼ごはん食べちゃったからさ?洸も食べなよ?恵のご飯美味いから!マジで!」
「そんな大したものじゃないです。ハードル上げないでください。……因みに洸さん、どれくらい食べられそうですか?」
「普通にお腹すいてるし結構食べれるかも。ていうか、私が準備するから大丈……」
部屋から出ようとする洸を静止する伏黒。笑顔も何も見せず、ただただ真っ直ぐとした落ち着いた瞳で洸を見ると頑なに動こうとしなかった。
「座っててください。何もしなくて良いんで。」
「あ、ハイ。」
「この部屋に持ってくるんで、ゆっくりしてて下さい」
「……ハイ。」
可否をも言わせる隙も見せないあの空気感。しかも今更ながら、多分めちゃくちゃ若い。の癖にあのしっかりした青年は本当に何者だ。
"それじゃ、ちょっと待っててください。洗濯はその後にやります。"と言葉を残し踵を返す伏黒。悟は満足そうに笑顔を零すと部屋の障子を閉め、再び炬燵へと戻った。
洸も兄に着いていくように炬燵の対面側に腰を下ろす。
「ね?いいでしょ〜恵。」
「実は本当の隠し子?」
「んなわけないでしょー?……ちょっと訳ありでね?」
「…………」
「恵が"見える側"って事くらいは分かるよね?」
「それは明白に。呪力感じるし。」
炬燵に置かれた橙色の熟した蜜柑を手に取る悟。そして伏黒について言葉を続けた。
「恵の両親は既に死んじゃってて義理の姉の母親も蒸発。そんで色々あって僕が後見人になったんだ。」
「……もしかして、金銭的援助やら面倒見る事を交換条件にして呪術師目指せって言ったとか。」
「さっすが〜!鋭い!勘がいいね?その通り!」
「でも何で悟兄が後見人なの?五条家に関係してる子とか?親戚?私はあの子の事知らないし……」
何となく性格の悪い兄が考えそうなことは当たっていた。あの従順そうな彼の雰囲気からして明らかに兄がそれなりに縛り的なもので契約しているのは明らかだった。"金は出すから言うことを聞け"というような。"言うこと聞いてれば生かすけど、逆らったら死刑"……なんて自分と同じような状態……
変わらず性格はクソだ、と胸中で呟く洸。目の前の兄は呑気に蜜柑を口に放るともぐもぐと咀嚼する。
しばらく続く沈黙。
洸の問に対して"え?無視?"なんて口から飛び出しそうになった瞬間。再び悟は口を開く。
「……恵はね、禪院家の血を引いてるんだよ。」
「……っ?あの子が?」
意外過ぎる回答だった。
なぜ禪院の子供が此処に?
というより、洸自身も禪院とはそれなりの関わりがあるが故に大体の人間は把握していた。
だがあの子に関しては何も知らないし、見たことも無かった。
「そう。まぁ色々あってね〜?相伝の術式も受け継いでるし。才能ある術師ってので上から目ェつけられてんの。」
「…………」
「お前と同じで恵は禪院に売られる予定だった。」
「………なるほどね。理解。悟兄が放っておかない理由が分かったよ。」
洸は頭の中でパズルを組み立てるように彼について整理していく。様々なピースがハマっていくと大体の大まかな話の内容が理解出来た。
「相伝の術式持ちだし。お前も知ってる通り
「……結局は私利私欲の為…最低じゃん。」
「何とでも言いなよ?」
しかし伏黒と悟が知り合った経緯は不明だ。現に彼は禪院の名ではなく"フシグロ"と口にしているし――それを話そうとしないのには理由が有るのだろう。悟が話さないのであればそれ以上何も聞くつもりは無い。必要があれば全てを知る時が必然的に訪れるだろう。
「んで、恵は来年の春から高専に入学!しかも洸と同じで異例の2級スタート!」
「完全に上のお墨付きだね?」
「そそ。洸みたいにさ?即1級に上がって欲しいんだよね〜恵も。」
「それならそれ相応の覚悟も必要だし、努力も必要だよ。あの子にその素質があるかは私にはわからないけど……死に物狂いで鍛えないと……」
2級スタートは異例だろう。洸も当時はかなりの苦労を強いられた。いきなりの任務も生死をさ迷ったし、自身の弱さに絶望したことも少なからずあった。
だから鍛えた、兄を超えてやろうという一心で。強くなりたい、誰かを守りたいと――
大好きな同期達の背中を必死に追いかけた青春――
「頼むよ〜洸・セ・ン・セ?」
悟の表情が水に濡れたように生き生きと輝く。
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数分後。盆に乗せられ部屋に運ばれてきた昼食。
悟は少し買い物に行くとかで外に出て行ったせいでこの屋敷(?)に居るのは洸と伏黒のみ。正直、初対面で距離感も難しい。それはそれで困るのだがあのうるさい兄が居ないのもそれはそれで良い。
「……美味しいこのお味噌汁……」
数分後。盆に乗せられ部屋に運ばれてきた昼食。
白米、味噌汁、卵焼きにきんぴらごぼう。出来たての鮭の塩焼きも程よい塩加減で美味。昼食というより朝食っぽいのだが今の洸の胃にはちょうど良い献立だった。
「卵焼きもふわふわ!もしかしてお醤油入れてくれてる?」
「はい。甘いのが苦手って聞いたんで。砂糖とかは一切使ってません。」
「……お気遣いありがとうございます。」
ひと口ひと口食材を口に入れる度に歓喜の声を上げる洸の姿に伏黒は半ば驚いていた。それに、育ちの良さを感じる所作や佇まい。悟と同じく食べ方は文句なしの綺麗さ。やはり"いいところの人"だというのが直ぐにわかった。
「……本当に……あの人の妹……」
「ん?」
「…あ、すみません。急に……」
そして"あの五条悟の妹"だと。
「別に構わないよ?」
「……目……は?」
「あぁー…これ?あの人みたいに何か特殊な能力があるわけじゃないし、ただ赤いだけ。」
「…………」
対面側に座る伏黒。
黒い眼は洸の赤をじっと吸い込まれるように見つめる。
しかしこの青年は恐ろしくないのだろうか?悟との距離感的にある程度話は聞いているはずだろう。
「――君。私の話、ある程度聞いてるでしょ?」
「はい。凡そは。」
「…………((案外ドライというか……冷静だし肝が据わってる……って感じ))」
「あの人の妹さんですし。特異な方だと思ってます。」
「特異?」
「はい。なので別に何かあったとしても驚かないです。"あの人の妹"なら余計に。」
五条悟の妹だから別になんとも思わない。そんなことくらいいくらあってもおかしくない……と言わんばかりの反応だった。寧ろ普通だった方が恐ろしいと。確かにそう思われても不思議と納得出来る。
「……伏黒……恵君。」
「恵でいいですよ。あの人の妹さんなら尚更。」
「なら私も"あの人の妹さん"じゃなくて名前で呼んで欲しいな。洸で。」
「……洸さん。」
「うん。そうしよう。」
「…分かりました。」
……無愛想、では決して無い。初対面の異性を相手に難無く会話ができるのはそんな簡単では無い。
淡々と落ち着きはあるが対人関係はきちんと取り持つタイプ。どんな事態に襲われてもうろたえず、冷静に判断できるような青年だと洸は恵を分析した。
「――"意外でした"。」
「ん?」
「失礼ですが、もっと軽薄で適当な人だと思ってました。あの人みたいに。」
「いや…当たってると思うよ。腹違いと言えど血は血だし。」
「そんな感じはしないです。"今のところは"。」
洸も伏黒を分析したように彼もまた洸を分析しているのだろう。相手の挙動や言葉を逃がすことなく全てを視ては様子を伺っていた。
そんな青年相手に洸は昼食を口に運んでいく。再び訪れる沈黙に特に違和感を抱くことも無く、自然な雰囲気が流れていた。しかし伏黒の視線は洸をじっと捉えたままだ。
伏黒は気になっていたことがあった。
「洸さんは何で呪術師になったんですか。」
「何で、って?」
「五条家の長女。寧ろ外に出る方が危険だと……ずっと安全な場所で過ごした方が得じゃないんですか?」
伏黒の言う通りだ。
わざわざ五条家の長女が呪術師になる必要は無い。当主が自分ならまだしも、六眼を持つ最強の実兄が居るのだから妹の自分はさっさと娶られて平和に日々を過ごせば良い。
しかし、洸はその道を選択していない。
「まあ……自分の意思ってよりもあの人が強引に連れ出したことが始まりなんだけどね。」
「…………」
「それに呪術師を選ばなかったら私は今頃禪院家に嫁いでただろうし。それはそれで嫌だったし……消去法?あとは運?」
禪院家を抜け出したのも自分の意思だった。多分"あの時"、真希と真依の母親の手を借りなければ抜け出すことも出来なかっただろう。そしてあの謎の男も――全て運が繋いだ事だった。
「……じゃあもう1つ。"何で戻ってきたんですか"。」
「へぇ。グイグイ来るんだね、意外と。」
「知りたいんです。」
伏黒の声色がほんの少しだけ鋭いものへと変化した。何不自由なく、護られてきた存在の五条家の長女にしては波乱万丈過ぎる。しかもそれは自分が選んだ道でもあり、兄の悟に半ば操作されているようにも伏黒は感じ取っていた。
この兄妹はある意味"イかれてそう"だと内心思っていた。
「実兄の親友と離反して。そして今度はそれを裏切って戻ってきた。今は従順に兄に従って、貴女はこの道を選んだ。」
「うん。」
「それに、人が多数死ぬであろう場面で貴女は自分の意思で人を救ったとも聞いてます。」
「あぁ……
「何がしたいんですか?貴女は。」
伏黒の話を聞く限り、恐らく悟は殆ど全て話しているのだろう。何から何まで相変わらずベラベラと……しかも先程会ったばかりの青年に問い詰められているような状況じゃないか?
だが伏黒の問いかけに洸も僅かに困ったように眉を顰ませた。核心を突くような"お前は何がしたいんだ?"という疑問に言葉選びに困り果てる。
「最初は単純に人間が排出する"呪い"に嫌気がさしてた。大切な人も亡くして世界の色全てが真っ黒になった。……違う道に進んだら、もしかしたら違う希望があるかもしれないって思ってた。」
「だけど……結局私は道を逸れて放浪してただけ。結果色んな人を傷つけた。その過去は変えられないし、変えたいとも思わない。」
「……だけど命をかけて私を救ってくれる人が居るって事、信じて待ってくれていた人が居た。私はそれを蔑ろにしたくないって思ったの。」
「…………」
「私に出来ることは具体的にはハッキリは分からない。だけど……平等に人を助けたい。私が救われたように、救いを求めてる人に手を差し伸べたいの。」
物軟らかながら、どんどん人の心の中に入り込もうとするような赤い瞳。それは不自然なくらいに澄んでいて、向こう側の世界が透けて見えそうなほどに美しい。
「…そう……ですか。…」
伏黒はゴクリと息を飲んだ。……既視感……、ああ、そうだ。兄の悟の青と同じだ。人の心を掴んで離さない、不自然な程に光を纏った瞳――
微かに感じる"揺るがない人間性"。
裏切りという言葉の裏に隠され続けていた本心。決して折れることのなかった本心が、彼女にしか分からない本音が。未だに胸の奥に隠されているようだった。
「……あとは……そう。悟兄……」
そして弱々しく、消えそうな声で呟かれた言葉。
「私には……"やるべき事があるの"。」
「……?」
真剣な瞳の表情は変わらないまま。洸の口角が妖しげに持ち上がる。
その顔は兄と同じく、人の心を冷え冷えとさせる嘲笑だった。
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――"2018年"1月1日。
夜明け前――
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夜でも朝でもなく、夢の続きではないが確かな現実とも思えない、夜明けの白っぽい薄明の感覚に満ちた光景。重い波の音が暗闇に染った世界の先から微かに聞こえる。静かで神秘的な空間、独特な潮の香り――
朝日も未だ顔を覗かせていない冬の空気は突き刺すように冷え冷えとしており、浜辺という事もあるのか体感温度はいつにも増して異常に低く感じた。
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「さぁっっっっむ!!」
「今更何言ってるんですか。そもそも初日の出見るって張り切って言い出したのは五条さんですよ。」
「……恵。玉犬出して?暖かいし。」
「絶対嫌です。アンタは玉犬を何だと思ってるんですか――」
風が強く吹き荒れる浜辺を歩く3人。
完全防備した恵とその隣を歩く悟の声が辺りに響き渡っていた。
「…………寒い寒い寒いッ!もう無理!」
そしてその2人の背後で寒さに震える洸の姿。グルグルと赤いマフラーを巻き付け、分厚いダウンを纏っているものの冷たい風は容赦なく吹き荒れ、3人に襲いかかった。
「ちょっと待った洸!風避けになって!僕の前に立って!」
「はぁ!?ちょっと待って!ふざけないでよ!普通逆!」
「恵!やっぱり玉犬!くっついたら暖かいでしょ!」
「だから嫌です。」
伏黒の目の前で繰り広げられるのはくだらない兄妹の戯れ。風を防ごうと無理やり洸の体を掴み、自身の目の前に引き摺る悟。それに対し無限を発動させ、必死に抵抗する洸。勝負にならないその様子に伏黒は気怠そうにポケットに手を突っ込んだままその場に立ち尽くしたのだった。
「……無下限って寒さ対策は出来ないんですか。」
「「そこまで都合良くない(よ)。」」
「…………((やっぱり兄妹……))」
ピッタリと息のあった2人の台詞。やはり2人は間違いなく兄妹だ。
悟曰く、妹の洸に殺されかけた過去もあるとの事だがそれを一切感じさせない距離感。それに、洸と初対面の頃はそんなに似てないだなんて考えたが前言撤回しよう。
「よーし!こうなったら3人でくっつくよ!ほら恵!」
「嫌です。2人で仲良くやってください。」
「ちょっと!離してってば!!」
終わらない兄妹喧嘩。
しかしその時、3人の瞳に柔らかな橙色の光が差し込む。
空は徐々に赤みを帯び、明るみ始めたのだった。
「――うんうん。今年も始まったね〜。」
「…………綺麗。」
「……」
静まり返る3人。
地平線から覗く太陽の輪郭はいつにも増して美しく見えていた。
夜の闇は暗く濃く沖の方に更に追いつめられて、東の空には黎明の新しい光が雲を破り始める。
「……2人とも。今年も宜しくね。」
伏黒と洸の間に立つ悟。彼は気が抜けるような生真面目な声で呟き、サングラスに覆われた碧眼は真っ直ぐと太陽を見つめていた。
「……宜しく。」
「はい。宜しくお願いします。」
清々しい光だった。
全ての闇を打ち払い、まるで心まで浄化されるような気分。
3人はその美しい輝きに目を奪われていた。同時に、柔らかな波の音がとにかく心地よかった。
――幸せな、時間――
「……じゃ、初日の出も無事拝めたんで帰りましょう。」
「うん。帰ろう。早く戻ろう。」
……それを呆気なく打ち破るような2人の台詞。
「え?待って待って?なんで家に帰る前提なの?」
「「……はい?」」
寒さから逃げるように浜辺を歩く洸と伏黒。2人は浜辺に足を取られながら歩きにくそうにするも決して足を止めることは無かった。
「帰って寝ます。」
「私も寝る。」
「ぇぇえ!?元旦に!?普通このまま初詣に行くでしょ!?御守り買っておみくじ引いて、帰りは初売り行って美味いもん食って――」
洸と伏黒からしてみれば半ば迷惑な話だ。夜な夜なテレビ番組を見ながら3人でダラダラと年を越し、なんらくだらない会話を交わしつつ、夜更かしをしていた。
初日の出を見に行こう!だなんて言われた時には本当に炬燵からこのまま出まいと思っていたがやはり悟には逆らえなかった。
……だからこそ今は……帰って眠りたい。
「一人で行ってください。」
「うん。恵の言う通り。」
「ちょっ!待ちなさい君たち!!」
悟の静止を無視する2人。
停められた車まで歩きながら談笑する。
「恵。起きたら録画したガキ使見直そうよ。」
「はい。俺ももう1回見直したいんで。起きたら居間に集合しましょう。」
「かーーっ!冷たいねー2人ともさー……」
悟は2人の背中を目で追うと嬉しそうに微笑む。
「((――新しい朝が降る……。
……どうか、彼らに振り続けて――))」
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――劇場版"0"編 【完】
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出来れば世界を僕は塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっと それもあるよな
俳優や映画スターには成れない
それどころか君の前でさえも上手に笑えない
そんな僕に術はないよな
嗚呼…
何を間違った?
それさえもわからないんだ
ローリング ローリング
初めから持ってないのに胸が痛んだ
僕らはきっとこの先も
心絡まってローリング ローリング
凍てつく地面を転がるように走り出した
理由もないのに何だか悲しい
泣けやしないから余計に救いがない
そんな夜を温めるように歌うんだ
岩は転がって僕たちを
何処かに連れて行くように
固い地面を分けて命が芽生えた
あの丘を越えたその先は
光り輝いたように
君の孤独も全て暴き出す朝だ
赤い小さな車は君を乗せて
遠く向こうの角を曲がって
此処からは見えなくなった
何をなくした?
それさえもわからないんだ
ローリング ローリング
初めから持ってないのに胸が痛んだ
僕らはきっとこの先も
心絡まってローリング ローリング
凍てつく世界を転がるように走り出した
――ASIAN KUNG-FU GENERATION(後藤正文)
"転がる岩、君に朝が降る"
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――"……どうか気をつけて。"洸ちゃん"。"
優しく微笑む夏油に
つられるように洸も笑みをこぼした。
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原作者の芥見先生曰く、五条先生のイメージ曲がアジカンの"未だ見ぬ明日に"なのでアジカン繋がりで、、
悟→アジカンバージョンの転がる岩
洸→結束バンドバージョンの転がる岩
ご興味がある方はぜひ両方とも聴いてみてください。
転がる岩、君に朝が降る――の歌詞解釈がこの時の五条兄妹にバッチリハマったのと新たな年を迎えて心新たに進むふたりの姿が見えたらなぁ……なんて。、!
"転がるように進んで希望を見つけていけ"という意味含めです。