五条兄妹   作:鈴夢

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※※Warning※※


呪術廻戦 236話〜
冒頭に若干のネタバレを思わせる描写が有り。

避けたい方は大きく下スクロールしてください。
※※以降、本誌ネタバレ無し※※と記載あります。




呪いの王と緋眼の娘

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018年12月24日――

――新宿

 

 

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モニターを凝視する術師達。

そこに映された現実に全員が肝を潰したような表情を浮かべていた。

 

 

 

「――ッ!」

 

 

刹那、洸の瞳が美しい茈色に染まる。

その状況を直ぐに察した乙骨は座り込む洸に駆け寄った。

 

 

 

「洸先生!」

 

 

その場にいた術師達の視線が全て洸へと向けられる。それは期待を含んだ瞳と……別の感情を含めた瞳も有った。

 

 

 

「――お願い、力を貸して。」

 

 

洸は乙骨の手に自身の手を伸ばし、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

「私を五条悟(あの人)の所へ。……時間稼ぎをお願い。」

「待て洸。今更五条の所へ行ってどうする?狙うは宿儺――」

 

日下部も同じく洸の元へと歩み寄った。すると茈の瞳は真っ直ぐと男を見上げ、微かに口角を持ち上げる。

 

 

 

「鹿紫雲と秤が前線に向かってくれた今がチャンスなの。……"私がやるべき事はひとつだけ"。」

 

 

 

モニターに映し出されている"屍"。

洸はそれに視線を移すと、じっと見据えたまま眉を顰める。

 

 

 

「……ヒカルン……まさか…」

 

 

 

虎杖の言葉に何かを察した術師達。

その中でも家入は一際険しい表情を浮かべていた。

 

 

 

「皆……お願い――」

 

 

妙に落ち着きと威厳を感じさせる細い声が小さく響いたのだった。

 

 

 

 

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※※以降、本誌ネタバレ無し※※

 

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2018年7月上旬――

 

 

 

 

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「……ん?……此処は―――」

 

 

 

……地獄?死んだ?私。

パッと見死後の世界。屍らしきものや骨、血を思わせるような赤い水場……新手のアトラクションか?いや、そんな呑気なことを考えている場合では無さそうだ。おそらくこの場所は――

 

 

 

「……俺の生得領域だ。」

 

 

 

 

刹那、どこからか声が響く。

洸は辺りをくまなく見渡すと背後に並ぶ無数の骨の山の頂点に坐す"宿儺"の姿を見つけたのだった。

 

自分を見下ろす宿儺の姿。今は虎杖に受肉しているせいか見た目は殆ど虎杖と変わらない。顔に浮き出た模様と逆立った髪の毛、来ている衣服が和服――それくらいの違いだろう。

 

 

 

 

 

 

「へぇ。まさか呪いの王直々に生得領域に招待してもらえるなんて。」

 

 

術式の根幹を成す"生得領域"

人間が生まれながらに持つ、言わば心の中を具現化し た"心象風景"とも言うべき空間を"生得領域"という。

 

 

 

「………ふむ…」

「そんなにじっと見つめないでよ、なんか怖い。」

「…いやはや、やはり"瓜二つ"というのはこういう事を言うんだろうな。」

「瓜二つ?そんなに兄と似てないと思いますけど。」

「誰が貴様の兄と瓜二つと言った。」

「じゃあ……誰?」

 

 

言っている意味が全く分からない。瓜二つと口にするならば血縁者である悟を指すのだと思うのだが。他に誰かいるのか?

 

 

「"緋眼の五条家の娘"」

「……」

 

 

宿儺は脚を組みかえると気怠そうに呟く。

それは明らかに"洸"を指す。

 

 

「生意気な口調に憎いほどに矯正された顔。俺を相手に怖気ずく様子もなく噛み付いてくる……なによりも"その眼"――」

「……っ……」

 

 

刹那、洸の体がふわりと宙に浮かぶ。一瞬の隙を突かれ、その体は宿儺の腕の中にあった。

 

互いの表情は見えない。宿儺に抱擁されているような体勢で身動きさえ取れなかった。

 

 

「"俺はそれを喰らった事が有る"。」

 

 

鼓膜に響く低い声。

そして未だに理解できない宿儺の言葉。

 

 

 

 

「暇つぶしに少し昔の話をしよう。……"小娘"。」

 

 

 

 

 

 

 

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"鬼の子、忌み子"と罵倒され―――

幼子の頃から石を投げられ、時には刃を向けられたこともあった。

 

誰も近寄ることも無い。

目の前に現れるのは何奴も此奴も俺の首を狙う呪術師ばかり。

 

皆、俺を恐れた。

夜になると邪悪な気を纏った鬼が現れ、容赦なく女子供を攫い、慈悲なく喰い尽くす。

 

 

―――"両面宿儺"

それが俺のもうひとつの名だった。

 

 

 

 

 

 

 

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いつの間にか屋敷の庭の桜の木は深緑に満ち溢れていた。耳につくのは山々に住む虫や鳥の鳴き声――

 

 

 

そんな中、暑さを緩和させようと風通しの良い縁側に腰掛ける宿儺。そして男の膝元に座り、色褪せた団扇でパタパタと扇ぐ少女の姿があった。

 

 

「――ね。宿儺。」

 

少女は男を見上げ問いかける。

 

 

「ん?なんだ。」

「いつになったら私の名前を呼んでくれるの?」

「名前?小娘で十分だろう。」

「小娘じゃない!私の名前は……」

 

出会ってふた月ほど。未だに宿儺が自分の名を呼んでくれない事に少女は不貞腐れ眉を顰めた。

 

するとその時、遠くからバタバタと忙しない足音が2人ものとへと近づく。

 

 

 

 

 

「小娘ぇぇぇぇえ!!貴様ぁぁぁぁぁ!」

「――あ!"裏梅"だ!」

 

 

この屋敷に住む宿儺、そして従者であろう裏梅。(尚、性別は分からない。)

少女は此処に現れるようになってそれなりに2人と関係を築いている様子だ。好かれているかは別の話だが……

 

 

 

「また勝手に屋敷に侵入したな!?今度こそは許…」

「えー!"宿儺"は来ていいって。」

「貴様ッ!"様"を付けろ!様を!!それに人の話は最後まで聞け!あと軽々と宿儺様に寄るな!頭が高い!」

 

宿儺の着物の襟を掴み、意地悪そうに笑みを零す少女。それを面白くないと心の奥で思っていた裏梅は少女を引き剥がすように何度も着物の袖を引っ張りあげる。

 

いつもの光景に半ば飽き飽きとしていた宿儺は小さくため息を漏らすと裏梅をじっと見据える。

 

 

「まあそう気を揉むな裏梅。」

 

「いえ!宿儺様を愚弄する者はこの裏梅が成敗致します!」

「ねぇ裏梅!今日も一緒に遊んでくれる?」

「たわけ!!貴様なんぞバラバラに切り刻ん…」

「あとね!"八つ時"はお煎餅が食べたいの!甘くないやつ!」

「だから人の話を聞かんか!小娘!」

 

 

2人の石の礫のような議論が、犬の喧嘩のような愉快な活気を呈する。この状況にほぼ毎日のように巻き込まれている宿儺は一切表情を変えることなく、ただただ静かにそれを見守っているのみ。

 

幼い小娘がパタパタと自身の周りを駆け回る。それを容赦なく追いかけ回す裏梅も……おそらく満更では無いのだろう。心做しか物静かな裏梅の様子が最近変化しているのだから、それはそれで悪くない。実に愉快だ。

 

 

 

 

 

――"嗚呼……今日も平和だ"

 

 

 

「……((何奴も此奴も煩いが……良かろう…))」

 

 

 

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突如現れた白髪緋眼の娘。

"五条"の姓を口にしていたが"呪力を全く感じない"。

 

この時代、五条という名を知らない者は居ないはずだ。現に宿儺の耳にもそれは届いていた。青い瞳――"六眼"を持つ最強の術師が居るとか。

 

五条は五条でも"あの五条"では無いだろう。呪力もなく、こんな山奥の屋敷にほぼ毎日現れる程暇なのだから。寧ろ、普通の人間ならこの山奥に入ることを恐れ誰も近づかない。人喰いの宿儺が住んでいるのだから。

 

 

余程の物好きか、本当に阿呆なのか――

 

ただ引っ掛かる事がひとつ。

初めて会った時、この娘は"初めて外に出た"と口にした。8つ、9つ辺りの歳。冗談だとは思うが有り得ない。この小娘が適当な嘘をついているのだろう。

 

 

 

……まあ良い。

顔も悪くない。匂いも、肉付きも。真っ白な陶器のような肌に牙を向ける想像をしただけで満たされそうになる。

 

きっと年月が経てばもっと美味になるだろう。

 

それまで…………少し気晴らしにでも"愉しもうじゃないか"。

 

 

 

 

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ガサガサと中庭の低木を掻き分ける音。

そしてひょっこりと顔をのぞかせる小娘の姿。

 

 

 

 

「――こんにちは!」

 

 

 

毎度毎度、天真爛漫な笑みを浮かべ現れる。そしてその度に必ず抱擁してくる小さな体。自分よりも遥かに背丈もガタイもある男に恐れさえ感じないらしい。天晴れだ。

 

 

「相も変わらず無作法な小娘だな?」

「だって門遠いんだもん。こっちが近道!」

 

力強く抱擁を済ませたあとはいつも通り宿儺の傍に腰を下ろす娘。その頬は嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。

 

 

「貴様、当然のように傍に座るな!宿儺様に軽々と…」

「構わん、裏梅。」

「しかし…」

「俺が良いと言っているんだ。」

「……御意に……」

 

 

其れに振り回される裏梅を抑えるのは宿儺の仕事。しかし様子を見る限り慣れたらしい。

 

 

 

「あ!手洗ってくるね!台盤所かります。」

「小娘!昼餉に手を出したら許さんからな!」

「そんな事しないよ!」

「過去にその過ちを犯したから言っているんだ!」

「もー!裏梅怒ってばっかり!」

「貴様が怒らせてるんだろう!」

 

 

"べーーっ!"と裏梅を相手に舌を出し挑発する娘。相変わらず忙しない足音を立てながらも台盤所へと消えていく。シンと静まり返る縁側。同時に裏梅は盛大なため息を漏らした。

 

 

「全く、あの娘。」

「そう邪険にしてやるな。」

「飽きもせず殆ど毎日のように……宿儺様もお忙しいのを分かっているのかあの娘は。」

 

 

よく飽きもせず訪れるものだ。呪いの王が住むこの場所に何度も何度も……理解に苦しむ。そしてそれに答える宿儺に対しても疑問しか浮かばない。

 

……さっさとあんな小娘、喰ってしまえばいいものの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふん。」

 

「……宿儺様?……」

 

 

 

裏梅は目を疑った。

"あの宿儺様"が――笑っている。

間違いなく宿儺の頬には満足そうな笑いの皺がニンマリと刻まれていたのだった。

 

 

「あの娘は……なかなか面白い。」

 

 

静かな慰めるような秋の日光が樹木の間に差し込む。その陽の光が宿儺の顔を照らし、いつにも増して眩しく朗らかに見えた。

 

 

 

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「――裏梅のおにぎりが食べたい。」

「貴様…私をなんだと」

 

「裏梅。作ってやれ。」

「ッ……宿儺様の仰せで無ければ貴様の首を切っておったぞ!」

「はちみつの梅干しは甘いから普通の梅干しにしてね?」

「〜〜ッ!!!!((このクソ小娘ッ!))」

 

 

わざとらしく大きな足音を響かせながら台盤所に向かう裏梅の背中をよく2人で笑ったものだ。

 

 

「ふふふっ!」

「……ふん……」

 

 

 

無邪気に笑う娘の顔。ひっつき虫のように離れない娘の小さな体。

 

気づけば其れに心奪われていたのかもしれない。

 

 

 

 

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落葉したイチョウの枝の間から、淡い冬の陽ざしが漏れるこの季節。気分の良い涼しい風が2人を包み込む。

 

 

 

 

 

 

 

「――ねぇ、何を読んでるの?」

「お前のような学の乏しい小娘には理解出来ん書物だ。」

「失礼ね。見せてみなさい?」

 

屋敷に来て早々、いつもの定位置に座ると娘は宿儺から書物を取る。パラパラと中身を捲り、それが何かと直ぐに言い当てた。

 

 

 

「…和歌集?」

「ん?読めるのか?」

「勿論。私は書物を読む事が大好きなんです。家では1日に何冊も。……意外と宿儺って夢想家?和歌集を読むなんて。」

「煩い。」

 

呪いの王が和歌集を嗜むなんて面白すぎる。微かに恥ずかしそうに顔を背ける宿儺を横目に、娘はクスクスと可笑しそうに笑い、たまたま開かれていた頁の和歌を読み上げる。

 

 

「――"思いつつ 寝ればや人の見えつらむ……夢と知りせば さめざらましを"……」

「意味は何だ?分かるのだろう?」

「馬鹿にしないでよね?分かるよこれくらい。」

 

娘はわざとらしく咳払いをし、しっかりと和歌集を持ち直すと和歌の訳を落ち着いた口調で放つ。

 

 

「"恋しい方を思いながら寝たから、夢にあの方が現れたのだろうか?夢だとわかっていたら、そのまま目覚めなかったのに"……でしょうか。」

「ほう。少しは学が有るようだな。」

「煩い。」

 

"ふん!"と頬を膨らませ、口を尖らせる。そして書を宿儺へ返すとそのまま宿儺の膝元に寝転ぶ。

酒の入ったお猪口を優雅に運ぶ様子を下から見上げる娘。呪いの王、呪詛師と言えど明らかに貴族だと言う事が分かる。人を喰らう恐ろしい呪いだがひとつひとつの所作や言動は"うつくしい"。

 

そんな宿儺をじっと見据えたまま、娘は不意に言葉を漏らす。

 

 

「……そういえば昨夜の夢は宿儺と裏梅が出てきたの。」

「ほう。」

「楽しい夢だった。……とても……。」

 

昨夜の夢が脳裏に思い浮かぶ。

ハッキリとは思い出せないが幸せなものだった。

 

 

「この和歌と同じように、目覚めなくても良いかもしれない……なんて思って……」

「何を言っているんだ。小娘が。」

「……うるさいなぁ……もう……」

 

 

夢とうつつの間をぼんやりとさ迷っているかのように声が蕩けていく。手にしていた書物を傍らにそっと置くと、娘はゆっくりと意識を手放していく。

 

 

「……ん?」

「……すーー……」

「眠ったのか。忙しい奴だな……」

 

 

こんな無防備な姿を晒したまま眠るなんて命知らずにも程がある。自分が人を喰うという事を知っているのであればこんな行動は普通起こさないだろう。

 

自分の膝の上で気持ちよさそうに眠る娘。首も、腹も、着物の裾から覗く脚も全てが華奢だ。噛み付けばひとたまりもないだろう。

 

 

 

「――裏梅。」

「ハッ!」

「敷布でも何でも構わん。娘に何か掛けてやってくれ。少し冷いからな。」

「御意に。……全くこの娘は手が掛かる。」

 

 

昼と言えど初冬に差し掛かるこの時期は寒さを感じる。裏梅は敷布を取りに屋敷の中へ。宿儺は膝元で眠る娘を見下ろし、小さな顔に自身の大きな掌をあてがった。

 

 

 

「((……今更だがこの娘……一体何者だ。))」

 

 

白銀の髪を優しく撫でる。

 

 

「((書を読むことも理解することも出来る。字の読み書きも問題ないだろう。それに、纏う着物も申し分ない。))」

 

 

この時代、字の読み書きが出来る者は稀だ。それは年齢が低いほどに珍しい。ただの町娘では無い事が分かる。

 

 

「((少し調べてみるか――))」

 

 

自分の脅威になる事は無いだろう。以前はさほど調べる程の興味も湧かなかった。

 

しかし……今はこの娘が気掛かりだった。

 

 

 

 

 

 

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月が頭上で美しく輝く。

静寂に包まれる屋敷。昼間の騒がしさが嘘のようだった。

 

気分の良い夜。お猪口を片手に満月を見上げ酒を嗜んで居るのだが……"物足りない"。

独り、だからなのか?いいや、そんなはずは無い。……そんなはずは――

 

 

 

"……音が無いことが、こんなにもつまらんとは。"

 

忙しない娘の足音は勿論聞こえない。しかし何故か脳裏で響く娘の足音。ぼんやりとうつつを抜かしていると聞こえないはずの娘の音が不思議と聞こえてくるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「宿儺様。」

「……ん。」

「あの娘に関しての情報を取り纏めました。」

「ご苦労。」

 

綺麗にまとめられた書。

中には裏梅が調べあげた"あの娘"の情報が収められていたのだった。

 

宿儺はそれを受け取り、娘の情報に目を通す。

 

 

「……ほう。やはり"あの五条家"の人間か?」

「左様で。」

 

 

「"五条"という姓は偽りかと思ったが……全く呪力を感じんからな。あの家の人間ならそれなりの呪力を持っているのが当然だと思うが。」

「……宿儺様。少し心当たりが。」

「何だ?」

 

宿儺の背後で跪いたまま、裏梅は過去の出来事を語り始める。

 

 

「以前、宿儺様が外出中の時の事。台盤所であの娘が鍋ごと味噌汁をひっくり返したのですが……」

 

 

かなり前のことだ。

台盤所で昼餉を作っていた時、裏梅の目を盗んで鍋に触れた娘。重い鍋を扱えるはずもなく、娘は派手にひっくり返した。

 

 

「咄嗟のことで私も直ぐに反応出来ず……あの娘は両腕に酷い火傷を負ったのです。」

「…火傷?そんなものは見当たらなかったが?」

 

 

娘の体には傷ひとつ見受けられない。着物の袖から覗く細い腕も、真っ白で一切の汚れもなく陶器のようだった。火傷跡など何も無かったはずだ。

 

 

「――"反転術式"です。自身で治癒する姿をこの目で確認しております。」

「何?」

「…その時だけ微かに呪力を感じました。」

 

「…………訳が分からんな。」

 

しかも、当の本人はあっけらかんとしていたとか。血相を変えて心配する裏梅を他所に"私治せるから!"なんて意気揚々としていたらしい。それが他者を治す事が出来る稀な能力だと言うことを知っているのか否か……何も分からない。

 

 

「もっと早く伝えればよかったのですが……何せ私も驚いたもので。今回の調査を終えたら伝えようと思った次第で御座います。申し訳ございませんでした。」

「……いいや。構わん。」

 

宿儺は傍らに書物を投げ出すと再びお猪口を口に運ぶ。その表情から宿儺の心情を読み取ることは出来ない。

 

「((他者を治す反転術式、緋眼……五条家。))」

 

自分の内に、ぷつぷつと疑問の泡が湧き上がっていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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―――季節は何度も巡った。

あの娘と共に、目まぐるしい速さで―――

 

 

 

 

――春が訪れ、桜散り。

深緑が山を覆い、晩夏過ぎ。

黄金の稲穂が揺れる秋。

希薄な冬の陽の光、冷たい凩が吹き上がる――

 

 

 

時間が蛇腹のように、深いひだをつくって幾重にもたたみこまれていた。

 

 

 

 

 

 

 

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庭の桜の木は満開だ。

見慣れた平凡な庭の風景が、桜の花に彩られて豪勢な春色を演出する。

 

 

そして――年々美しく成長していく娘の姿が隣に在る。

 

 

 

 

 

「――小娘、いくつになった?」

「16。」

「…恐ろしい程に時が経つのは早いな。」

「宿儺は変わらず"オジサン"だもんね。」

「歳を重ねても減らず口は変わらんな。」

 

 

「……ね。宿儺はいくつなの?」

「言わん。」

「ケチ。」

「なんとでも言え小娘。」

 

 

プクッと頬を膨らませ、口を尖らせる幼い表情。何年経っても変わらない娘の健気な癖。それを目の前にすると無意識に頬が緩んでしまう。

 

生意気な言葉を吐く薄桜色の唇、俺を見上げる緋色の光。ゆらゆらと揺れる白銀の髪。躊躇することなく呪いに触れる、女らしい柔い手――

 

俺も弱ったものだな。

こんな小娘に、情が湧くなど……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――私、宿儺と裏梅と出会えてよかった。」

 

 

刹那、雫がぽとりと落ちるように娘は呟いた。やけに弱々しい声色で、庭の桜の木を見据えながら。

 

 

 

「2人のことが大好きよ。」

「…気味が悪いな。急にどうした。」

「…………」

「うん?」

 

娘と視線は合わない。

暫くすると桜の木を見据えたまま、とある和歌を口にする。

 

 

 

「……"うらうらに照れる春日(はるひ)雲雀(ひばり)あがり 心悲しもひとりし思へば"……」

 

 

春の陽気に誘われて、花は咲き誇り鳥は歌い出す。心躍る楽しい季節――だが、私の心は浮かない。気持ちよさそうに春の空を飛ぶ雲雀は、私の憂鬱など知るはずもない。

 

"私はいつだって孤独だ"

 

こんなにものどかな景色を目の前に、ひとり物思いに沈んでいる。こんなにもうららかな春の日を、ひとり悲しみに暮れて過ごしている――

 

 

 

「……」

「この景色を見る度にこの和歌を思い出すの。」

「…孤独、か。」

「宿儺は孤独を感じる事はある?」

「知らん。」

 

 

孤独など、遠の昔から味わっている事だ。

今更――

 

 

 

「貴方は強い。だからこそ……故に孤独……」

「"愛を知らぬ"とでも言いたいのだろう?」

「はい。」

「即答か。虚しいな。」

 

娘は右隣に座る宿儺の手に自身の手を伸ばした。4本の腕、そこから生える4つの掌。左腕から伸びる2つの大きな宿儺の掌を娘の華奢な掌で優しく覆う。

 

 

「……これが愛……なのでしょうか。」

「…………」

「暖かいんです。とても。」

「…………」

「"ここ"が、ぽかぽかとするんです。」

 

"ここ"と指す場所。それは心の臓が鼓動する左胸辺り。

 

「貴方は感じない?"ここ"が暖かいの。」

「…………」

「貴方と裏梅から愛を教わりました――」

 

 

宿儺と裏梅。2人がどんな人物かは分かっていた。2人とも呪力を持っているし、下手をすれば簡単に殺されることも分かっていた。……でも、それでも良かった。

 

 

 

「私は家族との関係も希薄です。とくに兄上とは……関係性も酷く、会話も記憶にないほどです。父母も私には興味もなくて。故に、此処で過ごす方が本当に幸せです。」

 

 

僅かに娘の掌に力が篭もる。哀しさなのか虚しさなのか、はたまた苛立ちなのかは分からない。宿儺はそんな娘の表情を見ようと左隣へと視線を落とした。

 

 

 

 

 

 

「強すぎるが故の孤独。それを抱えた貴方に……私は愛を分かち合う事ができるのでしょうか。」

「……ッ…」

「宿儺――」

 

 

交わる瞳と瞳。

美しく光る緋と呪い。相対する2人が初めて繋がった瞬間かもしれない。

 

まるで電流が体に落ちるような感覚。清く温かな愛情。

 

決してこれは恋愛感情というものでも無い。長い年月が築き上げた真の愛情というものかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

"既に――俺は愛を貰っていた"

 

 

お前の存在が、長く共に過ごしたからか。無垢なその笑みが、暖かい掌が孤独も何もかもを拭い去る。

 

 

 

 

 

 

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蒸し暑さが一挙に霧散するような豪快な雨が降り続けていた梅雨の時期。

 

ここ数日雨ばかり降っている。朝も夜もなく空は灰色に暗く沈んで、一日中部屋の明かりを消すことができない。雨の音は耳鳴りのように絶え間なく、頭の奥で響いている。本当に夏が近付いているのだろうかと、不安になるくらい冷たい雨だった。

 

すり硝子のような半透明な梅雨時の光線、ジメッとした気分の悪い空気。

 

全てが不快だ。

気分も何もかも、興が冷める程に。

 

 

 

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「……裏梅」

「何でしょう?」

 

しとしとと雨が降り続ける午後。

いつもの縁側で書物を片手に寝転ぶ宿儺。その傍らで夕餉の材料でもあるサヤインゲンを剥く裏梅の姿があった。

 

 

「今日も小娘の姿は無しか?」

「そのようで。――最近、姿を見ておりませんね。」

「………………」

「"この前の大喧嘩"がかなり効いたのでは?またのらりくらりと現れるでしょう。」

「……そうだな。」

 

 

半月ほど前に宿儺と娘は仲違いを起こした。それがキッカケになったのだろう、娘は全く屋敷に現れなくなった。ついに愛想をつかれたか?それに年頃の娘、五条家の長女と言うならば縁談があってもおかしくない。流石に家のものにも咎められ、外出も許されなくなったのかもしれない。

 

寧ろ好都合ともとれる。互いに距離が近すぎた。呪いは呪いらしく、人肉を喰らいながら静かに山奥で過ごせばいい。あの娘は純新無垢で美しい。何色にも染まらず、本人次第で幸福な道へ進むことも……可能性は無限なのだから。

 

呪いと共に過ごしたところで……幸せになど――

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ん」

 

 

刹那、宿儺と裏梅は互いに動きを止める。表情は険しく殺気さえも感じる。

 

 

 

「宿儺様。恐らくは侵入者です。そこまで近くは無いですが複数の呪力を感じます。」

「この山に侵入者など久方ぶりだな。命知らずの人間が……一体何用だ。」

 

宿儺は怠そうに体を起こす。弛んだ着物を簡単に直し、直ぐに屋敷の門へと歩き向かう。

 

 

「出るぞ」

「ハッ!」

 

 

2人は侵入者を見つけるべく、屋敷から出るとひたすらに山を下って行くのだった。

 

 

 

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┈┈┈

 

 

 

 

 

雨が続いていたせいか山々はいつも以上に霧が立ち込み、地面もぬかるむ。明らかにただの人間が侵入するには条件が悪すぎる。

 

 

 

「……気配はまだ先だな。」

「山もこの状況ですから。ただの人間が初見で侵入するにはかなり困難かと。」

 

ただでさえ急斜面も多い。獣も多く存在するこの山に安易に立ち入るものは"あの娘"くらいだろう。下手をすれば野生の熊の餌食。生き延びれたとしても宿儺に喰われるのがオチだ。

 

 

「……?」

 

 

その時、裏梅はなにかに気づいたのか足を止める。その後ろを歩いていた宿儺も同じく足を止めると、裏梅は目を細め警戒を見せた。

 

 

 

「……宿儺様、何か居ます。下がって――」

「ッ!」

 

裏梅が止めるも宿儺はその場から駆け出した。薄い霧の中に倒れる人影――宿儺はそれに近寄ると、直ぐにしゃがみこむ。

 

 

 

 

「……おい……"小娘"。」

「…………」

 

 

木の根元あたりに眠るように転がっているのは間違いなく娘だった。しかし応答は無い。様子も変だ。

 

 

 

 

「全く……小娘。こんな山中で眠るなど熊にでも襲われたらどうするのだ。宿儺様、娘は私が――」

 

 

横たわる娘の体に触れる裏梅。

しかしやけに冷たい。雨に濡れたせいか体温が酷く下がっているのだろうか。起きる気配も無い。

 

 

「ッ!宿儺様!」

「……何だ、コレは。」

 

 

よく見ると娘の両手首には真っ赤な痕が。片方の手首には呪力を封じる黒い縄が巻きついていた。

 

両脚の腱が切られているのか足袋は真っ赤に染っており、はだけた着物の裾からは傷だらけの生足が露になる。

 

 

「この状態でここまで登ってきたとはな。」

 

 

常人には無理な話だ。

呪力も封じられているせいで傷を治す反転術式も使えないはず。自身の傷を癒すことも出来ず、この状態でここまで登って来たのはほぼ奇跡だろう。

 

 

「……息は有ります。ですが意識は既に有りません。失血が酷い。」

「他に外傷は?」

「致命傷らしき傷はどこにもありません。ただま新しい傷跡が少し……そして足首の切り傷。手首の痕のみかと。」

「……」

「他者の呪力の残穢も疎か。娘以外の痕跡は何も残っていないです。」

 

ただ、分かることはひとつだけあった。

"娘は捕縛されていた"ということだ。

 

手首の傷も特殊な呪具も、そして足首の傷もどう見ても自らが行ったことでは無い。自傷行為などをするような娘でも無い。

 

 

 

 

――一体、何故娘は…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……宿儺様?」

「来るぞ。」

 

 

刹那、何かを察知した宿儺は瞬時に裏梅を抱き上げると大木へ登り身を隠す。太い枝部分に乗り移った2人は上から状況を確認するのだった。

 

 

 

――こちらへと近づく大勢の足音と呪力。最初に察知した侵入者とやらはこの人間達だと理解する。全員が同じ装束を纏い、長物の武具や刀を手にしていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「血痕の跡を辿れ!近いぞ!!」

 

 

 

「――っ!見つけました!!」

「直ぐに捕らえろ!連れて行け!」

 

 

男たちの声が山林に轟く。

乱雑に草木を掻き分ける姿はまるで獣だ。

 

 

 

「……あれは?」

「おそらく五条家の人間たちだろう。奴らの装束に家紋がある。」

「状況から考えて、娘を追ってきたのでしょうか。」

「だろうな。奴らが手にしている呪具に血痕が有る。あれは小娘のものだ。」

 

 

娘の体に有った傷。奴らの刀傷に違いない。

 

 

 

 

 

 

 

「まだ息はあるな?」

「はい。まだ大丈夫です。」

「眼は?色はどうなっている?」

「……まだ"赤"だ。」

「早く連れて行かねば……」

「……‪‪✕‬‪‪✕‬様の為に……一刻も――」

 

 

男たちは娘の体に触れ、息があるかを確認する。そして何故か"目の色"を用心深く確認している様子だった。

 

異様な光景。

そもそも同じ五条家の人間、娘は真っ当な血を引く娘のはずなのだ。にしては扱いが雑すぎる。そもそもなぜ娘は逃げたのか。仲間である男たちは娘を捕縛し、なぜ傷を付けたのか。

 

 

「彼奴ら何のつもり………

 

 

 

 

 

 

 

 

――っ!宿儺様!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隣に居たはずの宿儺の姿が消えたと同時。――肉が裂ける音と独特な血の臭いが裏梅の鼻をつく。

 

 

 

 

「ッ……!!…」

 

 

倒れる男。頭部の上半分が斬撃によって真っ二つに割れ、ドロドロとした鮮血と共に地面に落ちる。

 

 

「ヒッ!!」

「ッ!?」

「敵襲か!?まさか"禪院"!?」

「あ……頭が……ぁあっ、ぁあああああ!!」

 

 

突然の出来事に素っ頓狂な声を上げるもの、全身を震わせ必死に周辺を警戒する者――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――この娘は……俺のものだ。」

 

「「!?」」

 

 

霧の中から現れる大きな影。心の臓がひっくり返るような、まるで体を抉られるような感覚に堕ちるほどの低音。

 

腕が4本、奇妙な面構え、歪な体の模様――そして男の腕の中には娘の姿があった。

 

 

 

 

「りょ……両面宿儺!」

「クッ……こいつの縄張りだったか!?」

「何とかしろ!"‪✕‬‪‪✕‬様"に引き渡す前に、食い尽くされたら元も子もないぞ!!」

 

 

宿儺を取り囲むように四方八方に立ち塞がる男たち。無数の刀身を向けられてもなお、宿儺は余裕の立ち振る舞いを見せていた。

 

 

「ほう。この娘を喰らうと何かしら都合が悪くなるらしいな。」

 

「すっ……宿儺!!○○様をこちらへ引き渡せ!代わりの女と子供を用意する!」

「何人必要だ!」

 

刀身を向けたまま、男たちは震える声で宿儺に交渉する。"その娘の代わりにいくらでも女子供を差し出す……"

 

どうやらこの娘が居なくなると宿儺の言う通り、都合がかなり悪いらしい。血相を変えた男たちの姿を見ればそれは明白だった。

 

 

「……貴様ら、俺にそのような物言いをするとはいい度胸だ――」

 

 

宿儺の右腕のひとつがゆっくりと持ち上がる。術式を再び展開しようとしているのだろう。

 

……取り囲む男たちの胴体を真っ二つに刻んでやろう。肉が無惨に割ける音は悪くない。肉は不味そうだが腹の足しには成るだろう。

 

 

 

 

「……す……く、な……」

「……?」

 

 

斬撃を繰り出そうとした瞬間、胸元で娘が自らの名を呼んだ。失血で体温は更に奪われている。凍えるように身体を震わせ、娘は必死に口を開き続けた。

 

 

 

 

 

「……"わたし、を……ッ……たべて"。」

「…………」

「おねがい、……」

 

 

懇願する娘。

瞳は哀しそうに揺れ、呪いの王をじっと見上げた。

 

そんな娘を見下ろす宿儺。冷えきった真っ白な頬に触れ、ほんの一瞬だけ眉を顰める。

 

 

 

「……"今度は……容赦せんぞ"」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ぁ……が……ッ」

 

 

 

 

 

 

宿儺は娘の白い首に勢いよく噛み付く。柔く甘い肉に宿儺の鋭い牙が突き刺さると娘は妙な気分に襲われた。

 

肉を抉られる痛み。それは娘にとって快楽だった。

 

 

 

 

 

 

「しまった!!喰われるぞ!」

「宿儺を直ぐに殺せェ!!」

 

 

目の前で行われる行為に対し、男たちは慌てた様子で止めにかかろうと襲いかかる。いくつもの刀身が宿儺に向かって飛び交う。

 

しかしそれは届かない。

 

 

 

 

どんよりとした生暖かい空気に冷気が混ざる。それは息を吸うだけで肺が焼けてしまいそうな程、更に冷たく変化していく。

 

 

 

 

「気安く宿儺様に近づくでない!三下ども!」

 

 

 

 

裏梅は2人を庇うように現れ、自身の術式"氷凝呪法 (ひこりじゅほう)"を展開した。

 

口から冷気を吐き出し、絶対零度の氷で辺り一面を氷づけにする術"霜凪"。攻撃範囲が非常に広く、男たちを1人残らず氷漬けにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「……宿儺様!」

「……」

「直ぐに娘を……」

「構わん。」

「しかし……」

 

裏梅はそれ以上何も発す事無く、娘を横抱きにしたまましゃがみこむ宿儺を静かに見据える。

 

 

……これ以上、娘に対して何もできることは無い。

 

 

 

 

 

「…………小娘が……」

 

 

 

だらりと力の抜けた華奢な体。体温を失った体は硬直し始め、まるで人形のようだった。しかし、首から滴り落ちる温かい血液だけが"この娘が人間だ"という事を示す。首の太い血管部分に大きな噛み跡。肉が抉れ、常人ほ凝視できない程の状態だ。

 

 

 

 

「……瞳の色が……」

「…………」

「赤から……茈に――」

 

瞳孔の開ききった眼球の色が変化していく。グラデーションがかかっていくような美しい変化。……そして瞳の色が行き着く先――

 

 

 

 

 

 

「――"漆黒"。」

 

 

光を失い、塗りつぶしたような漆黒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"娘は死んだ"

まるで全ての因果から解き放たれたように、最期は漆黒に染まったのだった。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

――時は半月前

 

 

 

┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

「――今度、私の兄上と禪院家の当主様が御前試合をするの。」

 

珍しく平坦な声で娘は不意にそれを口にした。顔は見えない。娘は宿儺に背を向けたまま、腕の中にすっぽりと納まっていた。

 

 

「つまらんな。皇族の前で戦って何が良い?所詮見世物だ。本気で殺り合うからこそ闘い事は面白い。」

「…………」

 

「ん?なんだ。」

 

 

ただの会話。しかし娘の様子が変だ。

背中から伝わる焦燥感。宿儺の言葉に何も返すことなく沈黙する娘に妙な予感を察知する。

 

 

「宿儺。"私を食べて"。」

「……急に何だ。」

 

「……ずっと……私を食べようとしていたでしょ?」

「…………」

「食べていいよ?宿儺――」

 

 

娘はこちらへと振り返る。

その表情は想像以上に穏やかなもので、笑みを零すほどだった。

 

 

 

 

「貴方に喰い殺されるなら本望。」

「………ほう。」

 

「……宿儺…おねがッ……ぃッ!?」

 

 

 

 

刹那、4本の腕と手が娘の体を抑え込む。

長い白銀の髪の毛は床に投げ出され、まるで花のように咲き誇っているように見える。

 

 

 

 

 

「ッ……ぁ……ぐ……ぅ」

 

 

首に僅かに感じる鈍痛。控えめな宿儺の牙が首筋に突き刺さる。

 

 

 

「はぁ……あ……ッ……」

 

 

ビリビリと体に電流が走るような感覚。甘噛みなのか痛みは無い。宿儺の吐息と舌の艶かしい感覚が首を這う度に体全身が大きく脈打った。

 

 

 

「す……く……、な」

 

 

"じゅるっ"と唾を飲み込むような音。

ゴクリと血を飲み込んだ宿儺は蕩けるような表情を浮かべ、娘を押し倒したまま耳元で囁いた。

 

 

「"喰われる"というのはこういう事だぞ。……良いのか?」

「……良い…………」

「……ッ……!」

「宿儺になら……食べられていい。」

 

 

 

娘のその言葉を待っていたはずだ。

いつか食ってやると、その為にこの娘をここまで生かした。

 

だが……何故かは分からない。

心の奥底で必死に抗う自分が居た。

"何故そんなことを口にするのだ?"と娘に口にしてしまいそうな程に葛藤する。

 

 

 

 

「…ハァ……馬鹿な娘だ。」

「待って……ゲホッ……宿儺―――」

「興が冷めた。去ね。」

 

雑に体を離し、宿儺はその場から逃げるように立ち去る。足音が離れていく度に娘は慌てた様子で声を上げるも宿儺は立ち止まりもせず、振り向くこともなかった。

 

 

 

「そんな……待っ」

「聞こえぬのか?去ねと。」

 

 

はだけた着物の襟を強くつかみ、娘はその場で立ち止まる。こんなにも突き放すような冷たい台詞は初めてだった。

 

 

 

「今日は宿儺様の言う通り立ち去れ。」

「……裏梅……」

「あの状態の宿儺様には近寄らない方が身のためだ。」

「…………」

「どうした?らしくないな小娘。」

 

裏梅は娘の首元に手を添えると反転術式を使い首の傷を癒した。赤い鮮血は微かに襟を汚すもさほど気にならない。その程度の喰われ方だった。きっと宿儺は本気にしていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ね、裏梅。」

「何だ。」

「これを貴方に託していい?――」

 

 

 

 

娘が裏梅に手渡した文。

薄い紙切れ一枚には和歌が書き込まれていた。

 

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

 

 

"あらざらむ この世のほかの思ひ出に

いまひとたびの 逢ふこともがな"

――和泉式部

 

 

 

私はまもなく死んでしまうでしょう。しなし、あの世への思い出として、せめてもう一度貴方にお逢いできるならば――

 

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

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"強すぎるが故に……孤独を抱えた貴方を、私は愛しています。"

 

 

 

 

 

 

「私、宿儺のことが好きだよ。」

 

 

 

「貴方は優しい。不器用だけど……優しい"人"。」

 

 

 

 

「……だいすき。」

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

 

 

五条家の隠された事実。

それは現代にも生きているのか。

 

 

 

――結局のところ、あの小娘の術式もカラクリも何も理解する事は出来なかった。

 

 

ただ、間違いなく血縁者と何かしらの縛りが存在する。そしてそれは六眼と関係が有る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――小娘。貴様はそれが何か……分かっているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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┈┈┈

 

 

 

――2018年 7月上旬

 

 

 

┈┈┈

 

 

 

 

 

 

「――おーい、ヒカルン?」

「ッ!?」

 

バネに弾かれるように体を起こす洸。

目の前には虎杖。そして手元で眠っているのはグローブを身につけた可愛らしい呪骸。

 

…ああ、そうだった。

悠仁の為の特訓――兄が用意した"映画鑑賞"。

ぼんやりとスプラッター映画を見ていたら眠ってしまい……

 

 

 

 

あれ?

 

 

私――なにか夢を見てた気がする。

 

 

 

 

 

 

「……どしたん?」

「え……宿儺…じゃない……悠仁?」

「んー?俺だけど……寝ぼけてんね?」

 

ソファに横並びに座る2人。

虎杖は洸の顔をのぞき込むと心配そうに眉を下げる。

 

 

「って、俺も記憶飛んだんだ。気づいたら寝ちゃったみたいでさ?」

「……私も……変な夢見た……」

「夢?」

「うん……すごく長い夢――」

 

 

 

不思議そうに互いを見つめ合う虎杖と洸。

 

 

するとその時、虎杖が掴んでいたクマの見た目をした呪骸が突如アッパーを見せたのだった。

 

そしてそれは虎杖の顎に命中するととてつもない叫びを上げる。

 

 

「いってぇぇぇぇえええええ!ンだよ!こんにゃろ!!」

「あ、そっか。呪骸……しっかり気を持たないとまた殴られるよ?悠仁」

「ゆっくり映画みさせろよ!」

 

 

呪力を一定に保ち、それを呪骸に流しこむ至ってシンプルな訓練。

 

 

 

 

まさかこんな時に妙な夢を見たと悩まされるなんて……

 

 

 

「((ただの夢……か――))」

 

 

 

断片的に、微かにみえる気がした。

しかし何も思い出せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

虎杖の眼下の瞳が洸を静かに見据えていた。

 

 

 

その瞳の色は微かに哀しいものに感じるものだった。

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

宿儺の過去、捏造だらけですが書いてて楽しかったです。

慈愛に満ちた感じ。……好きですよね…こんな感じの宿儺!

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