運命を書き換えませんか。
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2018年 10月31日――
――東京メトロ ハチ公改札周辺
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「フ――…」
――熱い。痛い。重い。
「…マレーシア…、そうだな…マレーシア――」
ボロボロになった体はまるで屍のように爛れていた。しかし、男は真っ直ぐとただただ地下道を歩き進める。
「クアンタンがいい。」
薄暗い渋谷の地下。
自分以外の人影は無い。それもそのはずだ。
渋谷は今 壊滅状態――
「((……なんでもない海辺に家を建てよう。買うだけ買って 手をつけていない本が山程ある。1ページずつ…今までの時間を取り戻すようにめくるんだ。))」
立っているのも辛いのに、何故か体は勝手に動く。不思議な感覚だった。地下を歩いているはずなのに美しい砂浜が目の前に広がっていた。
地平線、青い空、照りつける陽の光、潮の香り、鳥達の鳴き声、清々しい風――
"――――建人!"
その景色の中、手を振るう彼女の姿が視線の先に見えた。
白髪を風に靡かせ、淡いオレンジのワンピースの裾を押えながら嬉しそうに笑顔を零す――
「…洸…さん…?」
思わず立ち止まり、彼女の名前を呼んだ。
そんな自分に向けて、彼女は笑顔を浮かべたまま手を振り続ける。
昔から変わらない小悪魔的で可愛らしい笑み。服から覗く手足は相変わらず白く、触れると溶けてしまいそうな程に奇麗だ。
そしてあの赤い瞳。燃えるような、人の心を鷲掴みにするあの瞳――
「((……そうだ。これが終わったら彼女と一緒になろう。五条さんなら…きっと許してくれる…。))」
自分も口元に笑みを浮かべ、彼女に近づく。砂浜の柔らかな感覚を足に纏わせながら、一歩一歩突き進む。
「((海辺の家で一緒に過ごそう。彼女も手付かずの本が沢山あるはずだ。二人でゆっくり……。))」
微笑む彼女に手を伸ばす。
……ああ、あと少しで……貴女の手を――
「――ッ……」
"だが彼女の姿は無い"
現実に引き戻されるような妙な感覚に吸い込まれ、幻覚と幻聴に襲われていた事に気づく。
「((違う…私は幻覚を……。今 伏黒君を助けに……真希さん… 直毘人さんは?二人はどうなった…?))」
七海は珍しく混乱していた。
体の上半身は焼き切れ、左頭部を負傷し直ぐにでも治療が必要な状態だった。
しかし彼は歩き続ける。
――"疲れた 疲れたな"
"そう 疲れたんだ"
"もう 充分やったさ"――
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――2018年 7月上旬
午後20時過ぎ 都内焼肉店――
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某人気焼肉店の個室に佇む3人。
20代前半の青年。そしてその向かいに座るのは白髪の女性と金髪の男性。
異質な組み合わせ。しかし、都合が合えば食事に出かける程の関係性の3人だった。
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「――んで……七海さんと洸さんって付き合ってるんスよね?」
突如、青年は突拍子もない言葉を目の前の2人に投げ掛ける。そんな彼の言葉に無表情の2人。"何て返答をすれば良いだろうか……"と脳裏で呟いた女性――五条洸。少し間を置いたその時、ユラユラとトングを揺らしながら漸く口を開いた。
「……"んで"って…なんで急遽にその話になるの?今まで全然違う話してたよね?」
「…同意見です。」
「え〜!だって気になるし!」
「ほらほらー"猪野"君。喋ってないでお皿お皿!お肉焼けたよ?」
「おっ!ありがとうございます!洸さん!」
嬉しそうに皿を差し出す青年。
呪術高専東京校 所属 2級術師――"猪野琢真"
黒いニット帽を被った青年。彼は術式の関係で戦闘時にはその帽子を深く被りマスクのようにするのが特徴だ。だからといって食事中の今被る必要は無いだろうが……なんて洸と七海はいつも思っていた。
「……にしても相変わらずいい食べっぷりだね?見てて気持ち良い。」
「へへっ。そりゃあ七海さんと洸さんと食べるご飯はいつにも増して最高ッスから!……あ!洸さん、ジョッキ空きましたね?――すみません!生1つ追加!」
「気が利くね〜」
個室からひょっこり身を乗り出し、通りかかった店員に追加の酒の注文をする猪野。そんな彼のコロコロと変わる表情に洸と七海は微かに笑みをこぼす。
"あの青年"の雰囲気を漂わせる猪野。
人懐っこくて天真爛漫、美味しそうにご飯を頬張る姿。洸と七海とは色んな面で対称的な"あの青年"。
そんな猪野をじっと見据える洸。そんな彼女の気持ちを悟り、静かに横目で観察する七海。どこか遠くを見つめるような、哀し気な麗しげな赤い瞳。
洸の瞳の最奥に潜み続ける"亡き青年"。それを察する七海の表情はどこか虚しさを感じていた。
「洸さん。あまり飲み過ぎないように。」
「大丈夫。ちゃんとセーブするから。」
「いつもそう言って手に負えなくなるのはどこの誰です。」
「へへ〜〜……私?」
「全く……」
自身に指を指し呑気に笑みをこぼす洸。以前、歌姫との会話の中でも垣間見えたが、どうやら洸は酒で羽目を外しやすいらしい。
兄の悟は下戸。それに対して妹の洸は下戸では無いが調子に乗って酒を飲みすぎて埒が明かなくなるタイプ。
ハナからそれを理解して飲まない悟より、洸の方がタチが悪かった。
「……で?さっきの話の続きですけど。2人は付き合って」
「ないない!私と建人が付き合うわけないでしょ?だって私だよ?ハズレすぎるでしょ?」
「え〜!ハズレなんかじゃないでしょ!?しかも何だかんだいっつも一緒じゃないスか〜」
「そりゃ同期だし?私友達居ないし?建人は優しいから付き合ってくれてるんだよ。」
"ね〜?"なんて頬を真っ赤にして七海の肩を容赦なく叩く洸。
「………………」
それに対し、静かに烏龍茶を口に運ぶ七海は何も答えなかった。
「あ!そーだ建人。忘れないうちにハイ、コレ。」
「……コレは?」
突如、思い出したかのように傍らのバッグから何かを取り出す。それはディスクが入った長方形のケース。何やら英語でタイトルらしきものが印字されていた。
「面白かった映画。めちゃくちゃ気に入ったんだ〜。建人にも見て欲しくて。……あ?猪野君も見る?次貸してあげるよ。」
とある理由で洸はある少年と映画三昧の一日を過していた。しかしそれを猪野に話すことはご法度。理由はさておき――
「洋画……ですか?」
「そうそう!ヒロインがコレまたムカつくんだけどね?最後派手に死ぬの!」
「これから観る人にネタバレしないで下さい。観る気が失せます。」
「面白そうっスね!観たいっス!次貸してください!」
盛大なネタバレを明かす洸。きっと兄の悟も同じことを言っているに違いない。血は争えない。実際悟も虎杖に向けて同じようなネタバレを口にしていた。
「それはそうと猪野君。最近調子はどうなんです?」
「絶好調ですよ?見ての通り!」
「この前準一級レベルの呪霊1人で祓ったんでしょ?補助監督達が騒いでたの聞いたんだ〜。しかも非術師を無傷で助けたとか。」
「いや〜、危なかったんスけど余裕でした!ていうかまさかその話知ってるなんて、なんか恥ずかしいッス……へへっ……」
ビールジョッキを飲み干し、どこか恥ずかしそうに後頭部を摩る猪野。自分の活躍がまさか目の前のふたりにも知られているのは意外でもあり、なんだか恥ずかしい。
そんな相手の様子に洸と七海は一瞬だけ視線を合わせ、再び彼へと視線を向ける。
「一級の推薦もそろそろじゃないかな?」
「猪野君なら直ぐに一級に上がれますよ。」
「……お2人にそんなこと言って貰えるなんて……俺嬉しいです!」
2人は彼の能力を素直に認めていた。術式もそうだが十分にその素質は有る。
「俺、絶対に七海さんと洸さんから推薦受けたいんです。……でもその為にも……まだ力をつけたくて…」
猪野は持っていたジョッキをテーブルへと置くと改まるように背筋を伸ばした。そんな急な空気の変化に心做しか洸と七海も真剣な眼差しを向け、言葉を続ける彼を見つめ続けた。
「――七海さん、洸さん。その為にも、俺頑張ります!」
呪術界においての階級制度。
昇級するには2名以上の1級術師から推薦を受けることが必須。そして現役の1級、または1級相当の術師と一緒にいくつか任務をこなす事が決められていた。
"適正あり"なら準1級へ昇級。
そして次に単独で1級任務に指名され、その結果によって1級術師になるかどうかが決まる。
長いプロセスを経てから、漸く1級術師に昇級する事が認められるのだった。
しかし猪野は推薦者に拘っていた。
"七海と洸の両名からの推薦でなければ意味が無い"と。
だが洸は理解が出来なかった。何故私に?と。
「((……純粋なのか…おバカさんなのか……建人はともかく、元離反者の私に拘るのかは不明だけど――))」
真剣な猪野の顔をじっと見据え、洸は微かに口元に笑みを零したのだった。
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「――猪野君。本当に送らなくて良いのですか?」
七海は一際落ち着いた口調で彼に問う。
「大丈夫ッス!て言うより、おふたりの邪魔したくないですし?」
店を出た3人は騒がしい街中へと再び繰り出した。もう遅い時間だと言うのに繁華街はさらに賑わいを見せ、人で溢れかえる。
「邪魔なんかじゃないよ〜〜、乗っていきなって〜」
グイグイと猪野の腕を引く洸。見慣れた光景だが"あの洸さん"が酒に酔う姿は滑稽だった。これを高専の補助監督が目にしたら驚くに違いない。多分。
「洸さん、めちゃくちゃ酔っ払ってますね。」
「猪野君が次からつぎへと彼女にアルコールを摂取させるからですよ。この後介抱する私の身にもなって下さい。」
「ま!七海サンだから大丈夫っしょ!」
「…はぁ……」
何を根拠に"大丈夫"だと思うのか。
"そう思われている"のも何だか腑に落ちない気もする。
"酔った異性を相手に、理性を吹っ飛ばして獣のように襲いかかる"――まさかそんなことはするはずが無いと。七海だからこそ絶対に有り得ないと。そこらの術師や補助監督にアンケートをとったとして、満場一致で"決してそんなことは起こさない"と思っているのだろう。
それはそれでどうかと思うが。
「んじゃ!ご馳走様でした!」
「じゃあね〜猪野君!気をつけて〜!」
猪野は青になった信号を確認すると、愉快に手を振りながら横断歩道を駆け抜けていく。
そして彼の姿が見えなくなるまで、洸は手を大きく振り続けたのだった。
そして残されたふたりの間に流れる静寂。そして猪野の姿が見えなくなった時、七海は漸く口を開いた。
「では私たちも帰りましょうか。」
「……2軒目」
「行きません。」
「へへ〜〜冗談だよ〜。運転よろしくお願いしまーーす。」
「はい。」
2人は離れた駐車場へ向かう為に踵を返す。
あっという間に夜が更けた繁華街。
先程述べたように街はまだまだ騒がしい。
見慣れた街なのに、夜になると通りを走る車のライトと店の灯りで、日中とはまた別の街のように見えた。
「…………」
洸はビルとビルの間の夜空を時たま見据えていた。生ぬるい風が吹き抜ける度に繁華街特有の臭いが微かに掠める。
酔いの回った脳内。特に何も考えることなく、ぼんやりと七海の隣を歩き続けた。
「……そういえば、"彼"はどうです?」
「ん?彼って?」
「例の彼ですよ。五条さんとつきっきりで見てるんでしょう。」
「ああー…悠仁ね?」
2人は視線を合わせることなく、ただただ真っ直ぐと歩みを進めながら会話を続けた。
「……なかなか良いと思うよ?最初は呪骸にボコボコにされてたけど――」
虎杖は一度"死んだ"。
しかし理由は不明だが"生き返った"。
家入が死体を解剖しようとしていたある時、ムクリと起き上がった時は思わず兄と笑ってしまう程だった。不気味でもあったし驚いたし、だけど単純に嬉しかった。
「……少年院での仮想怨霊の受胎出現。まさかそれが特級だったとか誰も予想できなかったよね。」
「人手不足を理由に一年を派遣する上もどうかと思います。」
「私も悟兄も別件で地方に派遣されてたし、その話も一切入らなかったし………不運が重なった最悪な案件だったよ。」
西東京市の英集少年院にて、特級仮想怨霊が出現。緊急だった事と、人員不足の為に一年の虎杖、伏黒、釘崎が派遣されたのだった。
あくまでも"生存者の確認と救出"。
決して"戦わない"という条件で現場に向かったが、事はそんな単純な話ではなかった。
伏黒曰く、少年院の中は既に広大な生得領域が展開されていたらしい。そうとなればかなり状況は変わってくる。少なくとも一年の三人が担える任務では無い。しかも受胎は完全変態し特級呪霊と化していた――
「恵も野薔薇も危なかった。話を聞いた時、私が先に現場に着いたんだけど……本当に危なかった。」
「…………」
「伊地知なんて責任感じちゃってずーっと謝ってくるし。別に悪くないのに。」
その任務地に一年を派遣するために動いたのは補助監督の伊地知だった。彼は酷く責任を感じており宥めるにも一苦労。まあ仕方ない。そう感じてしまうのは当たり前だろう。
「――あ、そうだ。そろそろ建人にも話が行くんじゃないかな?」
「どういう事です?」
「悠仁だよ。近々任務に行かせるみたいだし。」
「…………」
「私は1年と2年の指導と交流会の準備もあるし、あまり悠仁に付きっきりにはなれないし?」
「…………」
そんな虎杖に関して。実はかなり内密にしている事がある。
彼は生き返っているが"死んだことになっている"のだ。それは全て悟の策略でもある。この話を知っているのも一部の人間のみ。
悟、洸、家入、伊地知……そして七海。
学長の夜蛾でさえも知らないのだ。
だからこそ先程の猪野との食事の場で彼の名前を出す訳にはいかなかった。
さすがにアルコールで酔いまくっていた洸もそこだけはしっかりと口を噤んでいた。万が一、洸が情報を漏らせば……多分悟にめちゃくちゃ怒られる。マジ喧嘩だろう。
「……待ってください……まさか。」
「さすが察しが早いね〜。"建人と組ませる"つもりだよ?悟兄。」
「私と彼を組ませてどうするんです。宿儺という爆発物を抱えた彼に何をどうすれば。」
「私に聞かれても。……ま、直接言われると思うし、頑張って――」
トントンと隣を歩く七海の肩を叩いたその時、洸のスマートフォンが通知音を鳴らす。"なんだなんだ〜?"なんて呟きながらそれを取り出すと、洸の表情が嬉しそうな笑顔へと変化した。
「――あっ!憂太からメールだ!」
メールは海外派遣中の乙骨からのものだった。
内容はいつも通り。"お疲れ様です"から始まる文頭に最近の任務状況や何気ない会話。真希さんからのメールにいつも洸先生の事が書かれていて笑っちゃいます……なんて。
そんな頻度は多くないが律儀に連絡をしてくれる乙骨は何だかんだ可愛い。一昔前はかなり警戒されていたのに、短期間でそれなりの信頼関係を結べたのは奇跡だ。
「……ん?その画像は?」
ひょっこりと画面を覗き込む七海。スマホに表示されている乙骨からの添付画像だった。
「"ちょっと遅めの昼ごはん"だって。チャパティっていうらしいよ?美味しそう〜!」
"チャパティ"
別名、ロティ、ロトリと言われているアジアやアフリカ圏で愛されている料理。よく乙骨から写真が送られてくるのだがその度に羨ましそうに洸は眺めていたのだった。
「良いな〜、私も海外行ってみたいんだよね〜。」
「行ったことないんでしたっけ?」
「そりゃそうだよ?寧ろ今なんて簡単に行けないご身分になっちゃったし。自業自得なんだけどね。」
「いつか行けますよ。今は難しいかもしれませんが。」
「……うん。そうだね?」
「………」
微かに洸の声色が沈んだ気がした。楽しい食事の席に、アルコールで酔っ払いふわふわとした幸せな空気を纏っていた彼女の声や顔色が一瞬にして変化した気がした。傍から見ればそんな微細な変化に誰も気づかないだろう。
だが七海は分かっていた。きっと今彼女が考えているであろう事も、胸中で何を呟いているのかも分かっていた。
だがそれを口にしないのが七海だった。
「――ね、建人。」
「なんでしょう。」
「これから先、何したいとかあるの?」
「"何"とは?」
「このまま呪術師で居るのか、もしくはまた普通にサラリーマン生活を送るとか?」
「さあ、特に何も。」
「えー、そうなの?つまんない。」
「…強いて言うなら、能力値と給与が比例しない労働はしたくありません。」
「なら呪術師が適任じゃない?建人が会社勤めの時の状況はあまり知らないけど。」
"労働はクソ"
"呪術師はクソ"
七海がよく口にする台詞から鑑みて、本人が納得するような職に就けるとは到底思えない。
他人から聞いた話だとサラリーマン時代もかなり大変だったとか。日々激務に追われ、まともに休むことも出来ず絶望したとかしてないとか。
そんな彼が呪術師に戻った理由も――
――"私なのだから"。
彼の人生を少なからず振り回しているのは"洸自身"であるということも理解はしていた。だからこそ、七海の本音が気になってしまう。この先どうしたいのか?
「というより、…そういう貴女はどうなんです?」
車を停めているコインパーキングが2人の視界に入ったその時、七海はふと足を止め、少し遅れて立ち止まった洸に視線を向ける。
「…え、私?」
"なぜ私にその話を振るの?"と言わんばかりの疑問を浮かべた表情で背後へと振り返る。
「なんです?その顔は。まるで"聞かれるなんて思ってもいなかった"なんて顔で。」
「………」
「人に聞いておいて自分は何も無いんですか?」
――"既視感"。
あぁ、そうだ。
昔、家入に同じようなことを言われたことがあった。
自分だけ聞いておいて、お前は何も無いのか?なんて。
人には沢山問うくせに自分は聞かれるわけが無い、話すことがない、"未来なんて興味無い"と言わんばかりに自らの事を主張することはあまり無かった。
――どうせ自分の未来は決まっている。
分かっていた。だからこそ具体的なことは分からないし話せないのが事実なのだ。
「……うーん……。とりあえず死ぬまで呪術師はやるかな。それが条件で生かされてるわけだし。」
曖昧な答えだった。
というよりそれしかない。他に望むものがあったとしてもそれは口にできない。自分にそんな権利などないのだから。
「他にやりたいことは?」
「……やりたいこと………」
洸は腕を組み、わざとらしく首を傾げる。時たま考える素振りを見せるように"うーーん"と唸りながらふたりの間に暫く沈黙が流れる。
…何がしたい?
私はこの人生に何を求める?
願わくば――
「――正直、あんまり思い浮かばなくて。」
困ったように苦笑いを浮かべると再び洸は歩き出した。
誤魔化すように、悟られるぬように。
七海の車へと歩み寄ると助手席のドアに手をかけ、彼に背を向けたまま言葉を続ける。
「いっぱいやりたい事あるはずなのに、いざ聞かれると分からないんだよね〜、不思議と。」
抗えば死刑。
……いや、もしくは"別の意味"を持っているのか。
「私の人生は……運命は……"決まってるから"。」
車のドアに手を伸ばす。
不意に車窓に写った自分の姿を見た時、何かが見えた。洸は微かに肩を揺らす。
「っ……」
車窓に"兄"の姿が見えた気がした。映っているのは自分のはずなのに、ハッキリと兄が映っている。
あの青い瞳がこちらをじっと眺め、何を考えているのか分からない無表情な兄の姿が――
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"――洸"
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耳を掠める幻聴。
ほんの一瞬、街の騒がしい音が消え、兄が自分の名を呼ぶ音が聴こえ……
「運命なんて"書き換えればいいじゃないですか"。」
刹那、背後から七海の手が伸びる。
大きな手が洸の肩に触れ、サラリと長い白銀の髪の毛に指を通す。
「……何……建…」
「貴女の人生でしょう?」
「……ぇ」
「貴女が決めるんです。……貴女が変えるんです。」
髪の毛を撫でる手が再び肩に触れたその瞬間、今度は力強い抱擁に包まれた。背後から七海の大きな体が華奢な洸を包み込む。半ば身体が持っていかれるかのように後ろに倒れ込む洸は戸惑うように声を詰まらせた。
「ッ……」
「過去に罪を犯したとしても償えばいい。」
「…………」
「私も手伝います。」
「ちょ……何言って……」
背後から抱擁され、耳元では七海の艶のある低音が鼓膜を叩く。しかしその声は微かに潤っていた気がした。低い低音に混ざる微細な震え、いつもより弱い声色。
そんな彼の"胸の奥から振り絞るような弱々しい声"を聞いたのは初めてかもしれない。誰にも分からない、七海にしか分からない胸の奥底の本音。それを絞り出すかのような声と言葉だった。
「――洸さん。」
「建人……力、強」
七海の抱擁の強かに眉を顰めたその時――
「……付き合いませんか。」
「へ……ん?……」
突然の七海の発言に体を完全に固まらせる洸。自分の耳を疑う程だった。
「な……何が?」
「私たちが。」
「……ん?んん?ワタシタチガ?」
洸は思わず七海の腕を退け、彼と真正面から向かい合う。背後の車に背を預け、不思議そうに惑いを見せつつ背丈の高い七海を見上げていた。
「"付き合ってください"。洸さん。」
「……つ……ツキアウ?」
「はい。」
目をぱちくりと何度も瞬きをした。
……酔い?飲みすぎて幻覚でも見ているのか?
頬を抓っても夢では無いことは分かる。そして間違いなく七海は真剣な顔付きでこちらをじっと見下ろしているのだ。
…………いや、待て待て待て待て。
冷静に考えてみなさい洸。
"あの建人が女性を相手に交際を迫るのか?"
いや、交際じゃない。付き合う……付き合うって何だっけ?
違う違う違う!多分そういう意味じゃない。付き合うにも様々な意味があるじゃないか――
「えーっと……建人?実はお酒飲んだ?」
「飲んでませんよ。飲酒運転で捕まりたくないですから。」
「………ドッキリ?猪野君と面白がって仕掛けてるの?」
「違います。私はそんな幼稚なことはしません。貴女の兄とは違って。」
「…………じゃあ」
「話を逸らさないでください。…で、返事は?」
サングラスということもあり七海の瞳は見えない。でも多分めちゃくちゃ真剣だ。声色や雰囲気からして多分ふざけてない。この場面で兄のことを口にするということは多分本当に、本当に本当にふざけてない。
「ぁ……ああ〜〜……急に酔いが……」
「……ッ…((この人は…本当に……))」
洸は酒のせいか急に恥ずかしくなり七海に背を向けると、車に体を預けるようにもたれかかった。
たしかに酔ってはいるが完全に酔いは冷めてしまっている。七海の発言のせいで。
「洸さん。拗らせるのもいい加減にしてください。」
「べっ!べっ別に拗らせてなんてないし!」
「私が言っていること理解しているでしょう?何故誤魔化すんです。」
「誤魔化しては……別に……ない、けど……」
もじもじと手元を弄り再び七海へと向き直る。しかし今度は視線を合わせること後出来ない。若干視線を下に落とし、申し訳なさそうに洸は言葉を呟く。
「……だって…"私"だよ?」
「はい?」
「付き合うって…私と付き合うんだよ?」
「だから何なんです?」
全く動揺すら見せない七海の様子から鑑みて本気だ。そもそも軽薄でもなければ嘘なんてつくような人じゃない。人を惑わすようなことを適当に安易に口にしないのが七海だ。
「……嫌でしょ…普通…」
「何のことです?」
「…私だよ?私、」
「はい。貴女以外誰が居るんです。」
「……マジ?」
「はぁ……私が適当な嘘を言っているとでも?」
「いえ……」
七海は嘘なんて言わないですよね。分かってます。
洸は予想外の展開に混乱すると遂には言葉も出なくなる。
本当に、マジで、本気で……私と付き合う気なのか?
あの人の妹で、元離反者で、何かやらかせば即死刑になるような相手だよ?
しかも面倒な御三家出身。禪院ともズブズブの酷い関係性だ。どう考えても面倒でしかない。
それに……まだ私は……
"あの彼の面影を――"
「……と……とりあえず遅いし高専に……」
「今夜はうちに泊まってください。」
「うちって……建人の家……デスカ?」
「はい。明日お互い任務は入ってませんし、日曜日なので授業もありませんよね?それと単純に夜遅いので高専まで送り届けるのが億劫になりました。自己都合ですが。」
「でも悟兄に何も言ってないし…」
「既に五条さんには連絡しています。」
グイグイと迫られる挙句にスマートフォンの画面を向けられる洸。画面に映し出されていたのは"五条悟"と名前がついたトークルーム。
そしてそこには間違いなく"洸さんの外泊許可をお願いします。"と律儀に七海が送っている履歴が残されていた。
吹き出し下の既読の文字。そして同時刻に悟から返信が来ており"りょうか〜〜い"だなんて呑気な言葉と共にふざけたスタンプまで送られていた。
送信された時間を見ると数分前だ。七海に背を向けていた時だろう。なんせ洸は七海がスマートフォンを触っているのをこの数時間見ていない。
「……いっ…いつの間に」
「許可も得ています。問題ないでしょう。」
「えっ……と……」
「ほら、乗ってください。」
「ま、待って!」
車のロックを解除する七海。そしてそれを止めるかのように洸は彼の腕に手を伸ばした。
「あの……私……」
「もう"マテ"は出来ません。」
「でも………無理だよ。建人にこれ以上迷惑は掛けれない。」
色々と踏み込みすぎた。
同期でもあり親友、そして戦友。自分の命を救ってくれた恩人でもある七海。これ以上親密な関係にはなれない。何故ならばこれ以上踏み込めば"建人は不幸になってしまう"
――ていうか、そもそも自分が全て振り回しているのに何を言っているんだ私は。これ以上彼を困らせてはダメだ。これ以上、この関係以上のものに発展してしまえば余計にお互い苦しくなってしまう。
洸は七海との関係を一定に築いていくつもりだった。だから曖昧にした、だから誤魔化した、だから拗らせた。
「……"洸"。」
「ッ……」
刹那、七海の大きな手が洸を引き寄せる。
「……私は、貴女となら落ちてもいい。」
「建…」
「だから、貴女の全てをください。」
彼の顔が耳元に近づく。
そしてその唇が囁いた。
「――今夜。今直ぐ。」
落ち着いた口調なのに、奮い立つような声。
強い意志に裏打ちされた響き。
有無を言わさない語調。
「…………」
そんな七海を、洸の瞳が見上げる。
その赤は澄んだ眼差しで彼の心を覗き込むように――
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夜が沈む――
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柔い月の光に照らされた彼女の体。
それは艶やかで細く、何故か痛々しいと感じてしまう。
彼女が少し体を跳ねさせる度に月の光のあたる部分が微妙に移動し、体を染める影の形が変化する。細い首、鎖骨、臍の窪み、腰骨、脚の先まで――
薄闇の寝室に時たま赤い瞳がこちらを見上げ、涙を流す。甘い吐息に、押し殺したような光沢のある嬌声が響く。いつもは天真爛漫な幼さが残る笑顔を振りまく彼女。しかし今は赤い瞳が相手を捕えるように、噛み付くように吸い込んでいく。
――"嗚呼、奇麗だ"
まだ彼の面影を探し続ける彼女。
太陽のような、向日葵のような、例えようのない明るさを持つ彼の面影を。
もう彼は居ないというのに、彼女はこの世に存在しない彼を想い続けていた。
"分かっていた。嫌になるほど分かっていた。"
だが私は決してふたりを恨むことは無い。
ふたりが大切だから。心の底から愛しているのだから。
"彼女に全てを受け入れられなくてもいい。"
ただ私は彼女のそばに居たい。例えどんな闇が、地獄が在ろうとも。どんな苦難がこの先待っていようとも関係ない。彼女という存在がある限り、私は愛し続ける。
"――大丈夫です。貴女はひとりじゃない。"
過去に彼女に伝えた言葉。
"何も言わなくていい"……傍に居るだけでも救われるなら"
私は彼女に約束した。それを守るのが自分の役目だ。
自分の役目を果たせ
彼女を死ぬ気で守れ
"彼"との約束を
"彼"が成し遂げられなかった役目を
――"洸"を頼んだよ、"七海"……
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シーツの擦れる音、乱れた白髪。
朝の光が差し込み、部屋の床にほんの少しだけ歪んだ四角い図形が描かれていた。
「…………」
ゆっくりと上半身を起こし、寝ぼけた様子で室内を見回す洸。見慣れない景色に部屋の香り。ぼんやりと開ききらない瞼を右手で擦り、頭の中で状況をゆっくりと整理する。
「((……え……っと、……私は……昨日――))」
刹那、腰に響く甘い鈍痛。
「……〜〜〜〜〜ッ!!!!」
"やってしまった"
その時、寝室の扉からノック音が鳴ると"この家の主"が姿を現す。シンプルな長袖の白いTシャツに、下は黒いスウェットパンツを履く彼――
「……おはようござい」
「ヒぃッ!」
真っ白なシーツを思いっきり引っ張り、体全体から顔半分まで覆う洸。間抜けな声と滑稽な彼女の姿。そんな彼女に視線を向ける七海は微かに呆れたような笑を零した。
「…全く。なんなんです?その間抜けな声は。」
「……オ……オハヨウ…ゴザイマス……」
――下着は……履いている。上も下も大丈夫だ。すっぽりとヒップラインまで隠す大きな黒地のTシャツは彼の物だろう。しかし着た覚えは無い。多分知らぬ間に意識を飛ばした自分に着せつけてくれたに違いない。
「初夏といえどTシャツだけでは風邪をひきます。これも羽織ってください。」
「あ、ありがと……」
相変わらずベッドの上で座り込む洸。そんな彼女に近寄る七海。彼の大きなスウェットの羽織を受け取ると洸は素直に礼を述べるものの、小っ恥ずかしいのか視線を合わすことが出来ない。
「昨日着ていたものは洗濯しています。天気もいいですし直ぐに乾くでしょう。」
「あ、ありがとう、ゴザイマス。」
「先程下着も買っておきました。コンビニのもので悪いですが必要でしょう?それと洗顔料も。シャンプーも……詳しくは無いのですがそれもコンビニで――」
主婦も顔負けの七海の働き。
勿論お泊まりセット的なものを何一つ準備していない洸は有能すぎる彼の行動に感銘を――
「色々ありがと建人。……あとでレシート……――ヒィっ!!!」
再び洸の素っ頓狂な叫びが寝室に響いた。
ベッドに投げ出されていた洸のスマートフォンから通話を知らせる通知音が鳴り響いたのが理由だ。
今の時間は午前8時過ぎ。もしかして緊急の任務か?
「……あ……悟兄だ。ちょっと出るね?」
相手は"五条悟"。
嫌な予感もするが出ない訳にはいかない。実際過去にスルーして"死刑宣告メール(冗談)"が届いた事もある。それ以降絶対に悟の電話だけはどんな状況下でも出ることにしているのだから。
呪霊と戦っている最中だろうが、歌姫と酔っ払っている時だろうが、死にかけているときだろうが――
「……はい。もしもし?」
『おはよう。洸。』
「何?こんな朝早くに……もしかして緊急?」
『お察しがいいね。そうなんだ。』
口調もトーンも至って真面目。多分本当に緊急のやつだ。
『今七海ん家だよね?』
「うん。そうだよ?今丁度起きたところだし、直ぐに出られ……」
『で!で!?どうだった?』
先程の本気真面目モードはどこへやら。
悟の声が、まるで"下ネタに興奮する中学生男児"(失礼だが)のような雰囲気へと一変する。
「…………は?」
『だ〜か〜ら〜!緊急事態でしょ!?迫られた??告られた!?きっかけはどっちから!?七海ってどんな―――』
「はっ、はぁぁぁぁあああ!?」
本当にやめて欲しい。
ていうか実の妹にその話を投げるのはご法度だろう!?
「最っ悪!きんもっ!!!さよなら!!」
『はぁ!?キモイって何だよ!兄に向かって!キモ……』
容赦なく洸はスマートフォンの通話終了ボタンを押し込み、そのままベッドに投げ付ける。
「あーーーっ!もう!!」
「…………((そりゃそうでしょうね。))」
"五条さんからこのタイミングで電話が来るということはそういうことに違いない"なんて既に想定していた七海は無表情で冷静に彼女を見据えていた。
「((終わった…絶対弄られる!悟兄に会いたくない!あの人の事だし絶対皆に言いふらすに決まってる!最悪だ……もう顔向けできない……))」
ガクッと頭を垂らし、この世の終わりのように絶望する洸。
そう思うのも仕方のない事だ。だって兄は"そういう人"だ。最低最悪の性格の持ち主。このタイミングでそういう電話を妹相手に平気でできる人なのだから。
「……朝食の準備を。一先ずコーヒーを入れましょうか?ブラックですよね?」
「え……う……うん。」
「用意ができるまで貴女はゆっくり横になっていてください。もしくはシャワーでも。」
「えっいや、私も手伝っ………ぅッ…」
自分も働こうと腰を持ち上げたその時。甘い腰の鈍痛が一瞬だけ重い痛みに襲われた。腰と言うより腹部が痛い。胃とか腸とか、そういうところじゃなくて……
「……痛みます?」
「…少し…だけ。なんか痛い……。」
腹部を押え、顔を赤らめる洸。
なんとなくぼんやりと。昨晩の出来事を思い出すと恥ずかしくて仕方なくなってしまった。
「すみません。"加減"できず。」
「……加減……」
「悪しからず。私も男ですから。」
「〜〜〜っ!」
意地悪そうにニヤリと口角を持ち上げる七海に対し、洸は再び顔をシーツに埋め込んだ。
悟といえど七海といえど、どいつもこいつも男って奴は――本当にロクでもない。
「洸さん。今日の予定は?」
打って変わり、切り替えるように声色を変える七海。その時洸は体を起こすと漸く七海と視線を合わせるのだった。
「…特に何も。映画鑑賞か、読書でもしてようかなって思ってた。」
「奇遇ですね?せっかくですから一緒に過ごしましょう。」
七海は穏やかに微笑んでいた。いつものしっかりとした堅いイメージは無く、完全にオフモードの彼だ。
それは恐らく髪型のせいもあるのかもしれない。いつもはきっちりとまとめられている髪の毛が今は無造作にふわふわと揺れ、前髪も下ろされており、なんとなく優しいイメージが強まる。
「……ッ」
優しい七海の表情と昨夜の七海。それをつい脳内で比べてしまった洸はさらに体を火照らせた。
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「あ!この映画知ってる!主人公の男の人がね?途中で」
「いい加減ネタバレはやめてください。」
「ごめんごめん!そのつもりはないんだけど、つい――」
壁掛け時計の針は午後3時を指す。
テレビの前のソファに並んで腰かけ、映画鑑賞をする洸と七海。
朝食を摂り、ニュース番組を見ながら2人でコーヒーを飲み、他愛のない会話をしていると気がつけば昼前に。"得意の手作りご飯を振る舞います!"なんて意気込む洸。近所のスーパーに買い出しに向かい、宣言通りのランチ(和食)を振舞った洸。そんなこんなで笑顔を絶やすことなく2人は過ごしていた。
幸せな休日、空間、時間。
「…………」
「…………」
洸の容赦ない無自覚の映画ネタバレを浴びせられようが2人は静かに映画鑑賞をしていた。たまにストーリーに小言やツッコミを入れたり、温くなったコーヒーを口に運んだり――――七海の手がたまに洸の手を撫でたり。
とにかく心地良い。
「――ねぇ、建人。」
「はい?」
2人は画面を見据えたまま会話を始める。
「運命って……どうやって書き換えればいいのかな。」
「……そうですね。……自分の思うように動いてみるのが良いかと。口に出すことも良いと思います。」
「ははっ。……それ、簡単な事だって思ってるでしょ?」
気が抜けたような乾いた笑いを零す洸。つくづく思うがやはり"兄妹"。
不意に出る笑い方や動きが悟を思い出させる、なんて七海は密かに思っていた。
「運命を書き換えるには………沢山の壁も山もあるの。」
「…………」
「通れない扉もね。」
「……そうでしょうか?」
「建人が不思議に、疑問に思うのも分かるよ。」
画面に映る映画の登場人物たち。
困難に立ち向かう恋人同士の男女の姿が悲しげなシーンと共に再生されていた。
「だって私たちは……こうやって"壁"の内側に居れば"私と建人"で居られる。」
何も考えなくていい幸せな空間。云わばセーフティゾーンと言えば良いだろうか?誰にも邪魔されない、2人だけの空間。
「だけど、いざ壁の外に出て背けられない現実に直面した時……きっと建人は目を覚ますよ。」
洸を取り巻く"現実"。
それは全てが困難なものだ。
「"やっぱり無理だった"……なーんて?」
幼子のように声を跳ねさせ、左隣の七海に無邪気に笑みを零す。
しかし七海は画面に視線を向けたまま、それを真っ向に否定した。
「……無理じゃありません。」
「無理だよ。」
「無理じゃありません。」
「無理!!ぜえっったい無理!」
「無理じゃありません。」
「無理!」
「無理じゃありません。」
「だ!か!ら!……〜〜っあー!もう!頑固!」
「貴女こそ。」
収拾つかない2人の会話。声色も何もかも平坦で変わることなく冷静な七海。そんな頑固な相手に洸はクシャクシャと長い髪の毛を擦る。
「……口に出して言ってください。"貴女は私のものになる為に居る"と。……言ってください。」
画面に移る男女。
背を向け歩き出す女性を追う男性。
「私たちを引き離せるものは何も無いです。……強いて言うなら……
……"死"のみです。」
男性の手が女性の手を掴んだその時。同時に七海は"死"という現実的な言葉を吐いた。
相変わらず顔はこちらに向かない。画面をじっと見据える七海の真面目な横顔に、洸は小さくため息を漏らす。
「何言ってるんだか……建人は死なないでしょ〜?強いし。」
「いつ何が起こるか分かりません。"私も"死ぬ時は死にます。人間ですから。」
「…………」
私も、
「……私たちがどうなるかなんて誰にも言わせません。自分の人生ですから。運命なんて貴女が決めることで、私が決めることです。ですが死は避けられない。それが現実、それだけは覆すことは出来ません。」
「…………」
"だが、それ以外なら覆すことはできる。"
それは思いが強ければ強いほど。きっと変えられる。
「じゃ海外行きたい、海外旅行。ある程度落ち着いたら海外に連れてってよ。悟兄を説得してさ。」
真面目な話をしていたのに、まあそれが五条洸という人間なのだが。
口に出せば運命は変えられる。確かにそうは言ったが……
「……いきなり話が変わると思ったら…………良いですよ。」
「やったー!言質とったからね!……えっとね〜ご飯が美味しいところがいいでしょ?辛いものも食べたい!」
「はい。」
「あとなんだろ〜……旅費は抑えたいし、物価安いとこ?」
「私の稼ぎを舐めないでください。」
「え?完全に旅費も出してくれるの?」
「勿論です。」
七海の視線が洸へと降りた。彼女との話がめちゃくちゃすぎて映画に集中できない。諦めよう。
「……行くなら海が綺麗なところがいいかも。」
"とんっ"と洸の頭が七海の左肩に乗せられた。
「あんまり人もいなくて、静かで穏やかで……優しい海の匂いと波の音……」
沖縄での思い出。
青い海、青い空、潮風、暖かい空気――
「何もしないでゆっくり過ごすのもいいな。」
ゆっくりと瞼を閉じるとその光景が不思議と浮かび上がってきそうだ。
現実になってほしいと、洸は願う、
「……いいですね。そうしましょう。」
七海の右腕が洸を引き寄せた。
同じように瞼を閉じ、そっと、そっと――
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「……いたんですか。」
「いたよ?ずっとね。」
顔に縫い傷の有る呪いが喋る。七海に向けて。
「――ちょっとお話するかい?君には何度か付き合ってもらったし。」
これが現実だ――
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How do we rewrite the stars?
どうやって運命を書き換えるの?
Say you were made to be mine?
君は僕のものになるためにいるって言ってよ
Nothing can keep us apart
僕たちを引き離せるものは何もない
Cause you are the one I was meant to find
だって君は僕が見つけるべき人だったから
It's up to you
これはあなたが決めること
And it's up to me
そして僕が決めること
No one can say what we get to be
僕たちがどうなるかなんて誰も口出し出来ない
Why don't we rewrite the stars?
僕たちの運命を書き換えないか?
Changing the world to be ours
世界を僕たちのものに変えよう
――You know I want you
It's not a secret I try to hide
But I can't have you
We're bound to break and
My hands are tied――
――"Rewrite The Stars"
映画 グレイテストショーマンより。
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渋谷事変のあのシーン。
そして過去、そしてあのシーン。
七海と洸のテーマソングにも記載してます。グレイテストショーマンの"Rewrite The Stars"。
歌詞の一部をそのまま2人の会話に入れてみたり、色々捻ってみました。
最後の歌詞の日本語訳はあえて載せてません。
興味のある方は調べてみてください。。
泪。