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――渋谷駅 B4F 男子トイレ内
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破壊された男子トイレ内。
あちらこちらからは水道管が破裂し、水が湖のように貯まっていた。
辺りに散らばるガラスの破片に"血痕"。
つい先程まで激しい戦闘があったらしい。
そしてそれに大敗した青年が床に転がっていたのだった。
「……美々子。そっち持って。」
「うん。」
そこに現れたのは学生服姿の少女ふたり。"美々子と菜々子"。二人は気を失っている青年――"虎杖悠仁"の体を外の通路へと運び出した。
壁に虎杖を預けると二人はゴクリと息を飲む。本当に意識を失っているのか再確認するために菜々子は顔を覗き込んでは心音をして確認した。
死んではいない、息はある。
「……ねえ、菜々子。」
「何?」
ゴソゴソと懐から何かを取り出した菜々子。それを横目に弱々しい声で美々子が口を開いた。
「やっぱり……ッ……やっぱり姉様を待った方がいいのかも。」
「…………」
「姉様なら"あの男"を倒してくれるはず。」
「…………」
「ね……菜々――」
美々子か菜々子の腕を掴んだその時。菜々子は鋭い目付きで美々子を見据えた。それは覚悟に満ち満ちた色をしていた。
「今やるしかないんだよ美々子!」
「……っ……」
「私達がやるしかないんだ!」
声を荒くして叫ぶ。切羽詰まったようなその様子は菜々子らしくない、と。美々子は何かを言いたげにするも口元をすぼませ再び俯いた。
「ごっ……ごめん、美々子……」
「……ううん。……私こそ……ごめん。今更――」
美々子の様子に哀しい表情を浮かべる菜々子。これから行う自分の行為に対して本当に間違っていないのか?と自負する。
握られた"指"――"宿儺の指"
震える手でそれを再び握りしめると菜々子は小さく息を吐く。
「私はね……これ以上洸姉を困らせたくないの。」
「……」
「洸姉も必死で私たちを救ってくれたんだ。夏油様との間で何があったのか正直分かんないけど………洸姉は家族なんだ。」
何故、洸が自分たちから離れたのかは分からない。"夏油を裏切った"と傍から見ればそう考えるのか普通だ。
しかし美々子と菜々子は違った。
きっと洸も洸なりに考えがあっての事。実際 百鬼夜行で命を救われたのだ。
洸は自分の身を危険に晒しても家族は守ったのだ。
「"あの男"を殺すのは洸姉じゃなくていい。」
忌々しい呪い――偽物の夏油。
「洸姉にそんなことさせたくない!もう姉様の手を汚したくない!」
「……菜々子。もし"コレ"が暴走したら」
「その時は"指の在処"を盾にすればいい。さすがにそれを使えば勝手なことはしないよ。」
「……うん。」
菜々子は指を握り直し、気を失った虎杖の口元へと近づける。美々子は合わせるように虎杖の顎と口元を掴み"それ"を含ませた。
「……お願い、出てきて……
――"宿儺様"。」
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"現れたな――小娘"
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渋谷事変―一閃―
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――渋谷の街は更に混乱に包まれていた。
容赦なく一般人に襲いかかる呪い達。
そして術師たちに襲いかかる特級呪霊――
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――井の頭線 渋谷駅前アベニュー口
"明日の神話"壁画前――
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井の頭線へと続く広い連絡通路。
複数本の大きな柱には亀裂が入り、先程までの戦闘がどれだけ激しいものかを物語っていた。
しかし"景色が一変した"。
先程まで美しい南の島の砂浜が広がっていたのだ。
それは人が海を畏怖する感情から生まれた特級呪霊"陀艮"の領域だった。
同じく特級呪霊の"花御"の死を思い出した後に激昂。捕食した人間を吐き出した後に脱皮し、呪胎から成体へと変態を遂げたのだった。
一級術師の七海でさえもその力に圧倒された。"HPが果てしないという感触"と形容される程の圧倒的な体力を誇り、真希と直毘人の三人ががりの攻撃を受けても全くと言っていいほどダメージを受けていなかった。
しかし窮地は一変した。
領域内に侵入した伏黒。そして現れた"謎の男"。
その男のお陰で四人は生き長らえたと言っても過言ではなかった。
「領域が……!つーか"あのタコ"を一人で――」
真希の声が通路に響く。消滅した領域に同じく唖然とする術師たち。"真希、直毘人、七海、伏黒"……
そして"謎の男"の存在。
男は先端が研がれた游雲を片手にその場に立ち尽くす。全く先が読めない人物の存在に息を呑む一同。
筋肉質で大柄な身体。
呪力を全く感じない不気味な様子。
薄ら笑いを浮かべ"口元の傷"が形を変えた。
「はぁっ!はっ、はっ……!」
そんな中、伏黒は苦しそうに呼吸を乱していた。陀艮の領域内で呪力を振り絞り、乱入者はあったものの間違いなく彼がいなければ皆死んでいた。
「((伏黒君が来てくれなければ間違いなく全滅していた。……だがまだ問題は残っている――))」
七海は心配そうに眉を顰め傍らで息を荒らげる伏黒を見据えた。そしてその瞳は謎の男へと向けられる。
「((――彼は味方なのか……?))」
男はゆっくりと足を踏み出した。
向かう先は何処……"本能のまま戦い続ける殺戮人魚の如く"――
"その牙は常に強者へと"――
「…………」
刹那、男はピタリと立ち止まる。
その視線は洸が居るであろう方向へと向けられていた。
微かに感じる強く濃い呪力。
それは五条悟と瓜二つの力――今は五条洸の呪力。
男が狙うは――
「ぐっ……!!」
その様子を直ぐに察知した伏黒は迷うことなく手印を構え、その場で呪力を全集中させ大きな力を纏う。
「伏黒君。何を……」
「七海さん。近くで洸先生の気配があります。この状況下で先生をフリーにできればほぼ勝ちです。」
手印は"脱兎"。
一か八かで男の気を逸らす。
「((この男が敵か味方か……其れはまだハッキリ分からない。だが洸先生の邪魔はさせない!……となれば俺がこの男を引きつける――))」
脳内で状況を即座に判断し行動を起こす伏黒。"この男を引き付け洸から気を逸らす。その間に七海達も動くことが出来れば状況は好転する――"
……しかしその僅かな間。何故か自身の体が吹き飛ばされ、通路の窓ガラスを派手に割りながら外へと押し出されたのだった。
「……は……?」
目にも見えぬスピード。
何が起こったのか理解が追いつかないほどの刹那。
「恵!!」
「伏黒君!」
真希と七海の声が轟く。
そしてその場にいた直毘人のみが"謎の男"の姿に覚えがあったのだ。
「((……"甚爾"?))」
間違いない。
アレは間違いなく……"禪院"――
「……逝ったか、陀艮。」
「「「!?」」」
三人の背後から聞きなれない声が聞こえた。
反射的に声の主へと視線を向けるとそこにはちりじりに消滅していく陀艮の欠片を手にし、臨終の床に立ち会うような敬虔な表情を浮かべる呪霊の姿があった。
「((おいおいおいおい……次から次へと冗談だろう?))」
――狼狽と苦痛に歪む直毘人
「((陀艮という呪霊より格段に強い!))」
――圧倒的な力の差に眉を顰める七海
「(("火山頭の呪霊"…確か悟と洸も相手にしてたって))」
――額から冷や汗を滑らせる真希
呪術師三人を相手に"漏瑚"は変わらず余裕を見せる。消えていく仲間の塵を強く握りしめ決意の目を向けた。
「後は任せろ。人間などに依らずとも我々の魂は廻る。」
手元から消え去る仲間の塵。
「――百年後の荒野でまた会おう。」
漏瑚の単眼が鋭く光る。
向けられるは三人の術師――
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「チッ……」
「…………」
投げ出された伏黒。
それを追う謎の男。
「((いつの間にか外に出されていた!?速いなんてもんじゃない……何なんだコイツは!?))」
呪力も何も情報がない。
有るのは特級呪霊をほぼ素手で殴り殺したヤバい奴だということ。
そしてその黒い瞳には常に強者が映っていた。
「((…でも丁度いい。理由は分からんが標的は俺に絞られた。とにかく今は足止めすればいい。何がなんでも洸先生の所には行かせない!))」
伏黒は渋谷スクランブル交差点のど真ん中で再び手印を構える。相手は怯むことなくただただ真っ直ぐとこちらに向かってくる。
「……フゥー…………ハァ……」
「…………」
手印は再び脱兎の形に。
伏黒は深く深呼吸すると脳裏に洸の姿を浮かべた。
「((洸先生はきっと虎杖のところへ向かう。……あわよくば二人揃って戻ってくれば……))」
今は耐えればいい。
多少体を無理させようが関係ない。
死ぬ気で動け、死ぬ気で祓え。
「――っ"脱兎"!!」
喉が崩壊しそうなほどの大声を張り上げた。
そして同時に謎の男も動き出す――
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"俺も強くなる 直ぐに追い越してやる"
"アンタら兄妹を……いつか超えてやる"
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――時は遡ること 8月末
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蝉の鳴き声にそろそろ疲れてくる頃。茹だるような暑さに体力を奪われる残暑の厳しい頃……
「……なんて顔してるの、恵。」
「…………」
洸の教員室に現れたのは伏黒恵。しかし教員室はとんでもない暑さだった。多分、伏黒が無表情で嫌そうな顔をしている原因はソレだろうか。昨日からエアコンは壊れ、窓からは温い風が吹き抜けるのみ。
「……ズルズルズルズル……」
「昼食中にすいません。」
「ズルズルズルズル」
「洸せん…」
「ズルズルズルズルズルズル」
半袖短パンというラフなトレーニングウェア姿に洸は嫌な予感を察知した。冷麺を啜るスピードをさらに早め、それを誤魔化そうと視線を逸らす。
「洸先生。体術指導つけてください。」
「……へ?」
「なんですか。その間抜けな顔は。」
「…………」
ごくんと麺を飲み込み、手にしていた昼食の麺をテーブルへと戻す。目が覚めるほどの奇抜な真っ赤なパッケージに伏黒は気がつくとギョッとした表情で椅子に腰かける洸を見下ろした。
「また変なもの食ってますね。」
「変なものとは失敬な!"超激辛!冷やし坦々麺!数量限定特別バージョン"!」
「そんなヤバそうなの、アナタしか食べませんよ。」
「んー」
「もしかして机に置かれてる残りの二つも食べるんですか。」
「あと一つは私の晩御飯用に。もう一つは建人にあげようかなって…………恵、もしかして欲しい?」
「要りません。」
明らかに口に含んだだけで吐きそうな真っ赤な色だ。相も変わらず刺激物を軽々と口にできるものだと……悟の超絶甘党と洸の超絶辛党。味覚真逆兄妹の食事は理解できない。
「…それで。相手して貰えますか?」
「ズルズルズルッ……んぐ…………何で?」
「アナタの兄貴が体術指導すっぽかしたんです。」
「……"日下部さ…"」
「日下部先生は急遽任務で出払ってます。」
「"ゆう…"」
「虎杖と釘崎は未だ任務から戻ってきてません。なので一年だけで自主練も無理です。」
「…………」
「先輩達には"洸に頼め"と言われました。」
逃げ場は無いらしい。
担任を受け持つ二年の生徒に関しては教員というものを舐めているのだろうか?まあ仕方ない。元々二年の生徒たちはどちらかというと友人という関係性の方が近いかもしれない。関わり方も何もかも――
「……成程。恵は手は尽くしたワケだ。」
「はい。」
「ていうか私は最終手段だったの?悟兄がすっぽかして別の人に交渉しに行くなんて。」
「洸先生にお願いする前提ですよ。洸先生は前もって順を追っていかないと絶対断りましたよね。今みたいに"日下部先生に頼め"とか。」
「………………」
意図は読まれ、しまいにはあらゆる手を尽くした"可愛い生徒"を見放す訳にはいかない。しかも元い実兄が放置した問題だ。妹の自分がその尻拭いするのは仕方の無いことだろう。
「仕方ない!ちょっと待ってもらえる?残り食べ終わったら直ぐにグラウンド行くから。」
「ありがとうございます。」
「……本当に食べてかない?」
「だから要りませんって。」
言葉の言い回しや態度はやはり兄の悟そのものだ。のらりくらりと適当な雰囲気。
だが生徒思いで根は優しい。そんな洸に対し、何だかんだ伏黒は尊敬していたのだった。
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グラウンドに照りつける熱波。
日差しはさらに強まり、その場にたっているだけでも汗が垂れ落ちる。
「はぁ……はぁ…!…っ……く」
「右!」
「なっ!!!」
止まることない洸の攻撃。
柔軟な体を最大限に活かした動きはあの真希をも圧倒する力。悟でさえも学生時代にワンパンされたと聞いてはいたがそれ以上の動き。
幾度となく手合わせはしてきたが何度もノックダウンされ悔しい思いをしてきた伏黒。
さすがに自分も負けっぱなしは許せない。必死に洸の動きを目で追い、僅かな隙さえも必死に捉えていく。
洸の右脚が振り下ろされたその時、伏黒は一瞬の隙を見過ごさなかった。
「((……今なら取れる!!))」
攻撃を避け洸の背後に回りこみ、そのまま全身を使って体を抑え込む――瞬時に脳内でイメージするとその通りに伏黒は行動を起こした。
「ッ……!!」
「おっ、わっ!?」
無下限は解いている。
伏黒の予想だにしない行動に油断した洸は彼の動くままに体をねじ伏せられてしまった。
仰向けで地面に押さえつけられる体。見上げた先には荒く息を吐く伏黒の苦しそうな顔。しかしどこか"やってやった"と言わんばかりの悦びを感じる表情を浮かべていたのだった。
「……はぁっ……ハハッ…!…一本取りましたよ!」
「…………やるね。恵。」
まるで幼子のように喜ぶ彼の様子。それを目の前に洸はおかしくてたまらない。いつもはクールで大人しい彼が頬を緩ませ、僅かに声を跳ねらせた。きっと彼のこの姿を目にしたものは自分以外いないかもしれない。……いや、悟もあるかもしれないが。
「あーあ。参った参った。降参。」
「はぁっ…………次は呪具の扱いも含めて指導を……」
「焦らない焦らない。……ていうか凄い汗。」
「ッ!!!!」
"ほら、拭きなよ?"と洸の服の袖が伏黒の首元に近づく。そういえばずっと押し倒したような体勢のままだ。ぽたぽたと滴る汗が洸の顔の傍に滴り落ちる。悟に良く似た綺麗な彼女の顔が近いことに今更気づくと慌てて身を離す。
「……ッ……てかすいません。手貸してください。」
差し出される手に洸は自身の手を伸ばした。そのまま伏黒に引き上げられると彼を見上げる。
「調子に乗りすぎました。怪我してませんか?先生。」
「……ちょっと脚やっちゃったかも。」
「え、マジですか。」
「マジ。」
「どっちの脚ですか?左……」
無意識に伏黒はその場に屈むと洸の左脚に触れる。スカートから覗く白い脚には見たところ傷一つない。
……ていうか。この人"反転術式"使えるよな?
「ウソ」
「は」
「隙あり!!」
「はぁ!?」
屈んだ体勢のままの伏黒の首元に自身の腕を巻き付ける洸。そしてそのまま押し倒せば完全に"形勢逆転"。呆気に取られた伏黒は口をぽかんと開けたまま洸に組み敷かれるような形に。
「真希も憂太も棘もそうだったけど油断しすぎ。」
「洸先生の意地が悪いだけだろ!」
「気を抜くキミが悪いね。まだ終わりだなんて言ってないし。」
「〜〜〜!!((マジで兄妹揃ってムカつく……!))」
ニヤッと意地の悪い笑みを零す相手に既視感があった。悟も同じような意地の悪い行動をよく起こすがここまで酷くないだろう。確かに二年の先輩ズにも"洸との鍛錬は体力とフラストレーションも溜まる"なんて注意されたものだ。
確かに今自分はフラストレーションがめちゃくちゃ溜まってきていた。しかしそれと同時に伏黒は別の感情が湧き上がってきていた。
赤い瞳に見下ろされ、結い上げられた白銀の髪の毛はサラサラと風に靡く。真夏なのに雪化粧を感じさせる真っ白な肌。自信を抑え込む彼女の体の重み……
「ふふ。てなワケで私の勝ち。暑いしそろそろ休憩しよう!」
「っ!まだいけます!休憩は必要ないです。」
「ダメだよ。左足首派手に捻挫してるでしょ?それに小一時間動きっぱなし。」
"ホラ、立てる?"と伏黒から体を離し手を伸ばす洸。多分何言っても聞き入れないだろうし、これ以上洸に挑戦しようとしても再び倒されてしまうだろう。それにジクジクと左足首が痛む。無様な自分の状態を考えれば素直に従うのが正解だろう。
「((マジでこの人何なんだよ。呼吸一つ乱れてもない。……しかもあの馬鹿力……あの体の何処から……))」
余裕そうに前を歩く洸。
鼻歌を歌いながらスキップする姿にジト目を向ける伏黒。腹立たしい程にノーダメージすぎる相手に敵う気がしなかった。
グラウンド傍の大木の下に向かう二人。木陰になっているその場所は風通しも良く休憩するにはもってこいの場所だった。
「そこ座って?左足治してあげるよ。」
「……はい。」
幹に寄りかかり指示通り腰を下ろす。すると洸は目の前でしゃがみこむと反転術式を使い伏黒の脚を治癒していく。
打って変わって真剣な表情。赤い瞳は集中し、一点をじっと見据える。
「……痛み、引いてきた?」
「大丈夫です。……ありがとうございます。」
「ん。よかったよかった。」
まるで幼子をあやすような優しい笑顔だった。
――気に食わない。未だ自分を子供扱いされている気がして正直腹が立つ。"なんて"、例えそれを口にすれば洸は悟のように面白がるように笑うだろう。
本当に……腹が立つ。
「ね、恵。」
「はい。」
「本気の出し方知らないでしょ?」
「……は?」
「だから、本気の出し方。」
「……はぁ!?」
聞き覚えのある台詞に思わず声を上げてしまう伏黒。
「"やってないんじゃなくてできてない。例えばこの前の"……」
「マジでやめてください。アナタの兄貴にも同じこと言われたばっかりなんですよ。」
「そ?なら別にそれ以上話す必要は無いね?」
つい先日、悟に言われた言葉そのままだった。この兄妹が口裏合わせてわざわざそれを話すとも思えない。とすればたまたまなのだろう。
それにしても血というものは恐ろしいものだ。
――"恵、本気でやれ、もっと欲張れ。"
ふと脳裏に悟の声が響く。
経験に支えられた言葉の重み――それは伏黒の胸に深く刻まれたのだった。
「……んーーーー」
「なっ……なんですか、いきなり。」
「…………」
「近いんですって。たまに距離感バグるのやめてくれませんか?」
考え込むように俯く伏黒の顔を不思議そうに覗き込む洸。何となくその表情に既視感があった洸は悩ましげに声を上げたのだった、
「…………"似てる"」
「は?」
「ううん。こっちの話。」
「((本当に……この人はいつも何考えてんだ。五条先生より分かりにくいような気がする。))」
コロコロと表情も変われば話す内容も気まぐれに変化する洸。それに日々付き合わされ慣れてきてはいるものの"近すぎる距離感"は心臓に悪い。
「…………」
打って変わって顔を逸らす伏黒を前に洸は"あの男"の姿を思い出す。何年も前、禪院家から逃げ出した洸を救ってくれた口元に傷のある男。最近よく思うことがある。不意に見せる伏黒の表情があの男にとても似ていると。
……禪院家、
ぜんいん……、禪院……
謎の男、禪院、伏黒――
洸の脳内でワードが揃ったその時、何かを思い出したのかパッと目を見開き慌ただしく声を上げる。
「あ!そうだ。」
「……今度は何ですか。」
「恵に言っておかないといけない事があったんだ。」
「俺に?何です?」
"またこの人は……慌ただしい"――伏黒は胸中で呟く。
洸は右手人差し指を顔の前でピンと立て、真っ直ぐと伏黒を見つめた。
「この前さ、真希の実家に帰った時に……"禪院家当主の直毘人さんに言われ"…」
「ヒッカルーーーン!!ふ、し、ぐ、ろーー!!」
「任務から戻りました〜!」
刹那、二人の間を割くような大きな声。聞き慣れた騒がしい声はグラウンド中に響き渡りふたつのシルエットがこちらへと近づいてくる。
手を大きく振り、とんでもないスピードで駆ける虎杖。伏黒と洸の距離感にニヤつきながら近づく釘崎だった。
「悠二!野薔薇!お帰り!」
「((……マジでコイツらタイミング悪……))」
そのふたりに応えるように洸は手を挙げ、にこやかに彼らに笑みを向ける。それとは対照的に"話を遮りやがって"と不満そうな伏黒。
「……また今度話すね。恵。」
「?はい。」
"禪院家当主"が絡んでいるであろう内容。
そしてそれは虎杖と釘崎を前にこの場では話せないことらしい。
気になって仕方ないがここは洸がまた口にするまで問うのはやめておこう。何となくそれを口にしようとした時の洸の表情が変に生真面目なものだった。
内密に、と。そう言わんばかりの――
「えぇ〜?なになにぃ?コソコソ話ですかぁ?」
「ん?ヒカルンと伏黒が何か」
「うるせぇぞオマエら。」
「コワイ顔〜。伏黒ったら洸先生の事になるとすーぐに怒るんだから。」
「悪ぃ悪ぃ!ヒカルンとなんか話してたんだろ?邪魔して悪……」
「もういい。それ以上喋るな。」
「「酷!!!」」
賑やかな時間が訪れる。
可愛い生徒を前に洸は木陰の隙間から空を見上げた。
何もかも吸い込んでしまいそうな青空。照りつける夏の日差し。蝉の鳴き声。
そしてそれを横目で見据える伏黒の漆黒の瞳。
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"禪院じゃねぇのか
――よかったな"
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――2018年 10月31日 22:30
渋谷駅構内――
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壁や床が所々派手に破損した渋谷駅構内。
つい先程までこの場所で大きな戦闘があったのだろうか。
近くのトイレからは水道管が破損したのか微かに水音が鼓膜を叩く。
……しかし、今はそんなことを考えている余裕など"三人"には無かった。
制服姿の青年を前に深々とひれ伏す双子の姉妹。
そしてその横では単眼の特級呪霊が同じく頭を垂れていた。
三人は"青年姿の男"を前に身体を震わせ、恐怖に満ちていた。
「――私たちはもう一本の指の在処を知っています。……"そいつ"を殺してくれればそれをお教えします。」
姉妹のひとりが真っ直ぐとした声で懇願する。
「だから……どうか――」
「"面を上げろ"」
少女の声を遮るように発せられた男の声。
喜怒哀楽が掴めない、低い平らな声は余計に恐怖を与える。
「「……ッ……」」
双子の姉妹は男の指示通りゆっくりと顔を上げる。"自分たちの願いを聞き入れてくれる"……なんて甘い事を考えながら。
姉妹の瞳に映るのはニヤリと怪しげに笑う男の顔。
その顔には特長的な模様が浮かび上っており余計に気味悪さを感じる。
刹那――――
「――ッ!!!」
男から放たれた目に見えぬ速さの打撃音が轟き、姉妹たちが居たはずの背後の壁に大きな傷が入る。
―――それよりも"彼女の方が早かった"。
「え……!」
先程まであの男の前で座り込んでいたはずの姉妹。
「っ……"姉様"……」
黒髪の少女は自分を抱える"姉様"を見上げた。
「――ほう。…まさか貴様に此処で再会できるとは。」
不気味に、嬉しそうに笑みを零す男。
その視線の先には姉妹を抱え、こちらを見据える"白銀"の女が映る。
「"五条洸"」
その名を呼ぶ男の声が、微かに興奮に揺れていた。再会を悦ぶかのように歓喜に満ち溢れる。
「洸姉!」
「姉様!!」
体に抱きつく双子の姉妹。
洸はそれに応えるように自らも抱きしめ返す。
「美々、菜々……よかった。」
「ぅ……ッ……洸……姉」
「"やっと会えた……"……ねえさま……ッ」
涙する可愛い妹達。
"あの日以来"の再会だからこそ、様々な感情が渦巻いていた。
「……ごめんね。2人とも。」
親のように"あの男"と守りきった双子の姉妹。
美々子と菜々子。
「((………この呪力……まさか本当なのか!?))」
未だに男の前で片膝をつき、跪く火山頭の呪霊"漏瑚"。
五条洸の登場に驚いている反面、彼女の呪力の気配に驚きを隠せないのか単眼を大きく見開いていた。
「……そうか。"そういう事か"。」
漏瑚の前で立ち尽くしていた"男"は再び歩き出す。
本来ならば、自分に指図する美々子と菜々子を真っ二つにしていたはずなのに突如として現れた五条洸に妨害されてしまった。
……しかし、今はそれよりも"愉しい"。
「((眼の色。それにこの呪力――))」
姉妹との再会を悦ぶ洸を見据える。
「……成程、…貴様の"カラクリ"が分かったぞ。」
数メートルに縮まる互いの距離。
洸はこちらへと歩き続ける男を警戒し、即座に立ち上がれば姉妹に視線を落とした。
「美々、菜々。直ぐに逃げて。」
「でも…姉様は?」
「そうだよッ……私と美々子は洸姉と一緒に!」
「今は逃げて。地上に行けば高専の関係者も居るはず。直ぐに保護してもらって――」
焦りと哀しみの顔を向ける2人。
しかし洸はそれを無視し、2人の背を押すと"早く逃げろ"と促した。
「「ッ……」」
後ろ髪引かれる思いで姉妹は駆け出す。
離れていくふたつの足音。洸は安堵したように小さく息を吐くと目の前へと迫る男をただただ見据える。
……見た目の元は"兄の受け持つ可愛い生徒"。
だが今は違う。呪いの王が目の前に居る――
「頭が高い。今直ぐにひれ伏せ。」
「………」
「聞こえないのか?ん?貴様があの姉妹の代わりに真っ二つに成るのか?」
男の大きな手が洸の顎を強引に掴んだ。
しかし女は怯まない。
"茈の瞳が王を睨む"
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