五条兄妹   作:鈴夢

44 / 52
救済―弐―

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『学長、硝子先輩――』

 

 

 

"洸先生の声がする……先生の……匂い……"

 

 

誰かに抱えられている感覚と甘い匂いが鼻を掠めた気がした。

 

 

 

 

『宿儺が――…"悠仁"……――』

 

 

 

"……今どうなってる……渋谷は……皆は……"

 

 

洸の他に慌ただしい音が聞こえた。

どこかに寝かされ、誰かが自身の体に触れている。そして温かい感覚が体に染み渡ると"反転術式"の気配を感じた。

 

 

 

『恵をお願いします。』

 

 

 

"……待って……行かないで……くれ――"

 

 

離れていく呪力。

間違いなく"五条悟"らしきもの。

……だが、違う。少し……違う――

 

 

 

「……ひかる、……せん、せ……」

 

 

 

窮地から間一髪で救い出された伏黒。

微かに声を漏らすと再び意識を手放したのだった。

 

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈

 

 

 

 

渋谷事変 ―救済(弍)―

 

 

 

┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

――23:11

首都高速3号渋谷線――

 

 

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

洸は止まらない。

負傷者をはじめ夜蛾と家入が待機する料金所を離れ、人気のない首都高速道路を駆け抜けていく。

 

この小一時間で予想外のことが起き続けていた。本来であれば更なる負傷者たちの救出や生徒たちの安否確認。そして"偽夏油"を探し出し、悟が封印された獄門疆を何としてでも奪還しなければならない。

 

美々子と菜々子のその後の安否も、未だ消息が分からない日下部班に釘崎。

そして――七海の安否さえも分かっていない。

 

 

「((……今の宿儺は何をするか分からない。これ以上被害を出さないためにも……もう一度接触を計るべき?))」

 

 

徐々にこの体には慣れてきた。呪力も安定し、なんとか"眼"も順応し始める。直ぐに何かで目を覆いたいほど苦しいものを感じるが今はそんなことを言っている場合ではなさそうだ。

 

「((次は野薔薇。そう遠くないはず。...日下部さんとパンダ、棘はきっと大丈夫。…………建人もきっと――))」

 

 

刹那、北方向から異常なほどに大きな呪力と破壊音が耳に飛び込んだ。地盤は大きく揺れ、洸は思わず高速道路のど真ん中で立ち止まった。

 

 

「ッ!!」

 

瞳に映る光景。それは現実世界ではありえないような光景だった。距離的にはかなり離れており常人では目視が難しいだろうが洸は違う。

 

 

「街が…ッ…」

 

 

建物は破壊され車両が宙を舞う。

その中で争うは宿儺と摩虎羅。

 

 

「((……待って……あの規模じゃ……もしかすると避難できてない人が――))」

 

"あの"範囲内に狗巻が居ることは分かっていた。万が一巻き込まれていたら……他にも逃げ切ることが出来なかった非術師や補助監督たちが残っていたら……

 

洸の表情が瞬時に青ざめる。

 

 

 

「マズイ!直ぐに――」

 

 

体全身に呪力を込め、再び駆け抜けようとしたその時。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――"洸"」

 

 

艶めかしい女の声がハッキリの自身の名前を呼んだ。僅かに怒りを含んでいるような、呆れているようなその声色。洸はその声の持ち主に直ぐに反応を示す。

 

 

 

「……"真奈美さん"」

「やっと会えたわね。洸。」

 

"コツ……コツ"と規則よく鳴るヒールの音。洸は真っ直ぐとその場に立ち止まったまま菅田の姿をハッキリと捉える。

 

呪詛師集団"夏油一派"のひとり。

かつての仲間でもあり、苦楽を共にした仲でもあった。

 

しかし決して仲が良かったという訳では無い。どちらかと言えば一方的に洸が菅田に目の敵にされ嫌われているのは分かっていた。

夏油を愛していた菅田。それもそのはずだ、彼女は夏油に一目惚れし、呪詛師という道を選び彼に陶酔していた。

 

 

"だからこそ自分を嫌っていたことは誰よりも理解していた。"

 

 

「美々と菜々。ラルゥ達の呪力も最初から感じてた。この事態に加担してますよね。」

「だったら何?私たちは呪詛師よ。」

「…………」

「そういえばあなたも……"元"呪詛師だったわね。」

 

上品に口元に手を添え、わざとらしくクスクスと笑みを向ける菅田。対して洸は表情を変えないまま静かに彼女を見据えるのみ。

 

しかし菅田の体に傷があることに直ぐに気がついた。よく見ると服も汚れ、何かしらの一戦を交えたのかもしれない。

 

 

「怪我、してるよ。」

「そんな事どうだっていいわ。」

「どうでもよくない。血も出てますよ。」

「……うるさいのよ……クソガキ……。」

 

あっけらかんとした洸の言動に苛立ちを見せ始める。涼しそうにこちらを見据える茈の瞳。まるで"あなたなんて眼中に無い、戦うつもりもない"なんて言われているようで怒りが込み上げていた。

 

 

「それで私を足止めするつもりですか。」

「ええそうよ。あとは……」

 

 

菅田の右手人差し指が洸の背後へと指される。

 

 

「"その先の料金所に用があるの。"」

 

 

狙いは家入の反転術式。

バレるのが早い。まさかここまで呪詛師が攻め込んできているとは予想外だ。

それにここに居る呪詛師は"菅田だけではない"。

 

 

 

 

「……祢木さんも居るんですね。」

 

かつての仲間のひとり。彼……改め"祢木利久"。悟られないように身を隠している様子だが彼の呪力もハッキリと感じ、視えていた。

 

「隠れても無駄です。ハッキリと視えてますよ。」

「…………」

 

洸がそう口にすると無言のまま祢木も姿を現す。菅田の隣に現れると落ち着いた表情でこちらを静かに見つめた。

 

 

「この先には行かせません。」

「反転術式を扱う術師がいるわよね?」

「"誰に指示されてるんです。"」

「今からその拠点を破壊させてもらうわ。」

「聞いてるの。"誰に"指示されてるんです?」

 

全く聞く耳を持たない菅田。

"誰に"というワードに力がこもる洸。

 

洸もそんな彼女に対し徐々に感情を露わにしていく。

 

偽夏油と呪霊と手を組んでいる呪詛師達。菅田も馬鹿では無い。あの夏油が偽物であることは分かっているはずだ。彼に陶酔しているからといって偽物につくのは話が違うだろう。

 

よりによって美々子と菜々子まで……

洸の怒りの矛先は安定しない。だがここまで従順に支持に従う菅田に呆れさえ感じる。

 

 

 

「……菅田、やはり今は引…」

「祢木。」

「相手は洸だ。勝ち目は無い。」

「煩い。黙ってて。」

「…………」

 

まともに会話ができない。祢木は小さくため息を漏らし菅田の様子を伺う。

 

 

 

「真奈美さん。あれは夏油じゃないよ。」

「…………」

「偽物。分かってますよね。」

「…………」

「あの夏油は偽物――」

 

"ニセモノ"

"ゲトウ"

洸の口から放たれるワードについにしびれを切らした菅田は容赦なく洸に詰め寄った。

 

鋭く響くヒールの音。怒りにまみれた菅田の瞳は殺気に満ち、洸の服の襟を容赦なく掴む。

 

「全部…ッ…あなたのせいよ!」

「…………」

「あなたが……!…夏油様を裏切ったりしなければこんな事にはなってない!」

「…まな」

「私たちを助けたつもり!?」

「真奈美さ」

「裏切り者!!」

「ッ……」

 

菅田の悲痛な声が轟いたと同時に洸に突きつけられるナイフの刃。しかしそれは洸に貫通することもなければいとも簡単に無限によって弾き返される。

 

圧倒的な力の差を感じさせられると両者はなんとも言えない苦しい表情を見せた。眉を寄せ、哀しそうに表情を曇らせる洸。悔しそうに唇を噛み締め、ぶつけようの無い怒りを未だにむき出しにする菅田。

 

このままでは埒が明かない。

これ以上足止めを食らう訳にはいかないのだ。

 

 

 

「お願い。真奈美さんを傷つけたくない。」

「煩い!」

「……お願い……」

 

懇願する洸の声。

哀しそうに表情を歪める洸を見上げたその時、ほんの一瞬だけ菅田の心が揺さぶられた気がした。

 

"あの人(夏油)"の哀しむ表情が……何故か洸と被って見えてしまう。

 

 

「ッ……祢木!」

「……っ……たく」

 

菅田は合図を出す。

同時に仕方ないと言わんばかりに動きを見せる祢木。

 

洸の動きを止めている今、ひとり向かうは料金所――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ガハッ!!!!!」

 

しかしその道は容易に絶たれる。

容赦なく洸の力によって祢木の体が地面に叩きつけられ道路に大きなヒビを作った。

 

圧倒的差。力とスピード――どれもこれも決して彼女に適う者はいない。

 

 

「ッ!」

 

すると菅田が再び駆け出す。

洸の体が離れた今、動けるのは自分だと。

 

しかし祢木と同じく簡単に洸という壁を越せる訳がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……"おふたりとも"」

 

洸から放たれる重く強い呪力。

 

「「ッ!?」」

 

体の力が、全身の血の気が"サァッ"と抜けるような恐ろしい感覚。

 

 

「"それ以上進むというならば容赦なく止めます。"」

 

 

どす黒い闇を含んだような低い声。

その声を耳にしたのは初めてのことだ。

"洸は本気でキレると誰よりも恐ろしいよ"と夏油が過去に口にしていたのを覚えていた。

 

 

「ぁ……あ……」

「真奈美さん。」

 

ガクガクと足が震えた。

自分を見下ろす茈が恐ろしくて堪らない。

 

……だがしかし……やるしかないじゃないか!

 

 

「こンの…!裏切り者ォォォオ!!」

 

 

制止できない程の怒りに駆られ、菅田の刃が再び洸へと向けられる。

そして洸もまた、右手を刀の鞘に乗せると抜刀の姿勢に入る。

 

 

"やるしかないのか"

 

刀身を抜こうと構えていた筈が瞬時に体勢が変わる。そのまま"拵"ごと引き抜くと手際よく菅田の首に衝撃が加わった。相手を傷つけない方法だ、今はこれが唯一出来ることだろう。

 

 

「あ……」

 

菅田は衝撃に僅かに声を漏らすとその場に倒れ込む。意識を失っているだけ、外傷は何一つつけていない。こうするしか方法はなかっただろう。

 

 

 

「……祢木さん。」

「…………」

「ごめんなさい。」

 

力なく倒れた菅田を横抱きにすると祢木へと体を受け渡す。彼は何ひとつ動揺を見せない。こうなると分かっていたのだろう。

 

 

「例え料金所に辿り着いたとしてもおふたりでは対処できませんよ。待機してるのは反転術式を扱える術師だけじゃない。東京校学長が居ます。言い方は悪いですが歯が立たないでしょう。」

「……分かってる。」

 

例え洸を倒したとしても迎え撃つのは夜蛾正道と複数の呪骸だ。適うはずなどない。普通に考えたら誰でもわかる事だった。

 

 

「美々と菜々は私が追います。祢木さん達はできるだけこの場所から離れてください。……ラルゥと連絡手段があるなら彼にもそう伝えてください。」

「…………ああ。」

 

祢木は菅田を抱き上げたまま小さく頷く。

完全に戦意喪失した相手を確認した洸は拵を再び元に戻し、渋谷方面に再び足を踏み出す。

 

見慣れたはずの背中。

しかし今は大きく洸との境遇は違う。

呪術師と呪詛師。あっち側とこっち側。敵と味方。

 

大切な家族――

 

 

 

「…洸。」

「なんです?」

 

祢木の弱々しい声。

洸は応えるように立ち止まると彼に視線を向けた。

 

そして相変わらず渋谷方面では大きな戦闘が繰り広げられており、この場の静寂と大きなコントラストを感じる。

 

 

「"戻ってきてくれ。"」

「…………」

「今直ぐにとは言わない。……頼む。」

「…………」

「夏油様を失った今、俺たち呪詛師には……お前の力が必要なんだ。」

「…………」

「……お前という存在が……俺達には必要なんだ。」

 

たどたどしい声だった。

いつもは鋭い目つきをしている男だが……今は雰囲気が違う。

 

慈しむような哀しみに暮れるような、弱々しいものだった。

 

 

「何を言ってるんですか?」

「……?」

 

"は?"と呆気に取られる両者の顔。

そんなコメディな雰囲気にほんの一瞬穏やかな時間が流れた。

 

「立場が変わっても、離れていても私たちは"家族"です。」

「ッ……」

「だから私は"呪術師(こちら側)"になろうとも祢木さん達を倒そうだなんて思ってません。寧ろ今は同じ敵を追う仲間とも見なしてます。」

 

微かに口元に見えた笑み。

それは人の心を落ち着かせる妙なものだった。

 

 

「話は戻りますが…おふたりの予想通りこの先の料金所に反転術式を扱える術師が居ます。今私は反転術式を扱うことができません。おふたりの傷を治すことが出来ないんです。」

「…何を」

「きっと助けてくれます。戦う気は無いと。そして私の名前を出してください。おふたりはもう戦線離脱するべきです。」

「……だが」

「ラルゥも美々も菜々も生きてます。三人は私に任せてください。」

 

洸は風が吹くように笑った。"心配いらない"と安堵させる不思議な微笑み。

祢木は既視感があった。

 

かつて呪詛師として、夏油一派として行動を共にしていた時。どんなときも仲間を見捨てず、静かに仲間たちを見守るような微笑み。

 

一年前の百鬼夜行――あの時自分たちを救ってくれたのは間違いなく洸だ。

 

リーダーである夏油と何があったのかは誰も分からない。がしかし、ふたりは自分たち家族を守ってくれた。

洸の力がなければ家族諸共呪術師の圧倒的力の差によって全滅していただろう。

 

その事実は何があっても変わらない。

 

 

「……それでは……あとは頼みます。」

「洸!!!」

 

 

刹那、洸はこの場から消え去る。

力強い風が吹き荒れると祢木は反射的に強く瞼を閉じ、菅田を抱き抱える腕の力を強める。

 

 

「…………ッ……仕方ない……か」

 

祢木の脚は料金所の方面へと向けられたのだった。

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈

┈┈┈

 

 

 

――23:14

渋谷道玄坂 109前――

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

宿儺の呪力はあっという間に消え去り、洸が感じていたのは虎杖の気配――

 

 

 

「……なに……これ……」

 

 

宿儺の伏魔御廚子により一面焼け野原と化した渋谷の街。人の姿もなければ全て塵となって消え去っていた。

 

微かに臭う人間の臭い。

恐らくこの場所で何人もの人間が犠牲となってしまった。

 

「……くっ…………宿儺……ッ!」

 

あえて自分と伏黒を逃がした宿儺。

目的は何かは未だ不明。ただ間違いなく自分がこの場所に残っていたとしたら……ここまでの惨状になっていなかったかもしれない。

 

残酷な呪いの行動に吐き気さえ感じる。

 

 

乗っ取られていた虎杖は今どんな気分だろうか。乗っ取られていた時に自我が無かったとしてもその時の記憶は残っていると聞いていた。

 

彼がその残酷な光景を脳裏に焼き付けた時――きっとそれは……

 

 

 

 

「((悠仁の気配はそう遠くは無い。先に急ぐは悠仁との合流……その先にいる建人……野薔薇は帳の外に気配があるし後にしても充分間に合う……!))」

 

 

走れ……自分の足で駆け抜けろ。

 

 

最強"五条悟"が居ない今。この場を収めることが出来るのは妹でもあり能力を引き継いでいる自分だ。

 

 

狼狽えるな。戸惑うな。震えるな。

成すべきを成せ。仲間を守れ――

 

 

"私は何者だ"

 

 

 

 

 

『……洸。』

 

洸が踵を返した瞬間。耳元で悟の声が聞こえた気がした。

 

「ッ……」

 

背後に気配を感じる。

 

 

 

 

『お前ならできる。』

「……」

『信じろ。自分を信じろ。』

 

両肩に感じる手の重み。

その大きな手の感覚は優しいもので力強さを感じる。

 

 

『お前は……皆の光だ。』

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈

 

 

"洸"

 

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

――23:15

渋谷駅構内(B2F)――

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

革靴の音が規則正しく床を鳴らす。

 

 

「…………」

 

 

呪霊の塵に覆われ、静まりかえる駅構内にその足音だけが響いていた。

 

辺りに散らばる呪霊の死骸。

人間の変わり果てた死体。

時たま血液らしき液体を足で踏むと嫌な音が耳に飛び込む。

 

しかし男はそんな異様な光景に立ち止まることなく、ただたださ迷い続けていた。

 

 

「フ――…」

 

重苦しい息を吐いた。

それは強い疲労さえ感じるほど抜けきった溜息。

 

 

 

――"熱い。痛い。重い。"

 

体の半分は完全に焼け、片目も機能していないことは既に気づいていた。ゆらゆらと揺れ動く体に生気は感じられず"普段の彼からは想像しがたい様子"だった。

 

 

「…マレーシア…、そうだな…マレーシア……

 

クアンタンがいい。」

 

 

薄暗い渋谷の地下。

自分以外の人影は無い。それもそのはずだ。

渋谷は今 壊滅状態。

 

 

 

 

「((……なんでもない海辺に家を建てよう。買うだけ買って 手をつけていない本が山程ある。1ページずつ…今までの時間を取り戻すようにめくるんだ。))」

 

立っているのも辛いのに、何故か体は勝手に動く。不思議な感覚だった。地下を歩いているはずなのに美しい砂浜が目の前に広がっていた。

 

地平線、青い空、照りつける陽の光、潮の香り、鳥達の鳴き声、清々しい風……

 

 

 

そして、愛おしい彼女が待っている。

 

 

 

 

 

 

 

"建人!"

 

 

 

その景色の中、手を振るう彼女の姿が視線の先に見えた。

 

白髪を風に靡かせ、淡いオレンジのワンピースの裾を押えながら嬉しそうに笑顔を零す。健気に、無邪気に、昔から変わらない幼さを感じるその笑顔はまるで天使のようだった。

 

その笑みを見るだけですべての苦難がどうでもよく感じてしまうほど、それほどに彼女の存在は"光"そのものなのだから。

 

 

 

「…洸…さん…?」

 

 

 

思わず立ち止まり、彼女の名前を呼ぶ。

 

そんな自分に向けて、彼女は笑顔を浮かべたまま手を振り続ける。

 

……ああ、愛おしい。

彼女さえいれば……どうなっても構わない。

 

 

"早く!建人!"

 

 

服から覗く白い手足、触れると溶けてしまいそうな程に美しい彼女。

 

そしてあの赤い瞳。燃えるような、人の心を鷲掴みにするあの瞳――

 

 

 

「((……そうだ。これが終わったら彼女と一緒になろう。五条さんなら…きっと許してくれる…。))」

 

 

自分も口元に笑みを浮かべ、彼女に近づく。砂浜の柔らかな感覚を足に纏わせながら、一歩一歩突き進む。

 

 

「((海辺の家で一緒に過ごそう。彼女も手付かずの本が沢山あるはずだ。二人でゆっくり……。))」

 

 

微笑む彼女に手を伸ばす。

 

……あと少しで……貴女の手を――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ッ……!」

 

 

 

"だが彼女の姿は無い"

 

 

「ぁ……………」

 

 

現実に引き戻されるような妙な感覚に吸い込まれ、幻覚と幻聴に襲われていた事に気づく。

 

 

 

「((違う…私は幻覚を……。今 伏黒君を助けに……真希さん… 直毘人さんは?二人はどうなった…?))」

 

 

七海は珍しく混乱していた。

我に返った反動で負傷した体が再びジクジクと痛み出す。

 

 

 

 

 

 

――"疲れた 疲れたな"

"そう 疲れたんだ"

"もう 充分やったさ"――

 

 

 

七海はピタリと立ち止まる。

そして瞼を閉じ、妙な感覚を背に感じたその時……

 

 

 

 

「……"いたんですか。"」

 

背後の人物に問いかける。

 

「"いたよ?ずっとね。"」

 

顔に縫い傷の有る呪いが応えた。

 

 

「ふふ……ちょっとお話するかい?君には何度か付き合ってもらったし。」

 

呪いの手が七海の背中に添えられていた。

もう遅い。この呪いの能力を七海は誰よりも理解していたのだから。

 

 

 

――これが……現実だ。

 

 

 

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈

 

 

 

┈┈┈┈┈

 

 

 

 

┈┈┈┈┈

 

 

 

 

――2018年9月下旬

七海建人 自宅にて――

 

 

 

┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

「"風邪をひきますよ。"」

 

 

肩にかけられたのは男性物のスウェットパーカー。ふわりと七海の匂いに纏われると同時に夜風で冷えた体が温まっていく。

 

「大袈裟だよ。私は子供?」

「はい。子供です。」

「…………」

「兄妹揃って子供です。」

「…………」

 

冗談で口走ったつもりなのに"はい、あなたは子供ですよ"と即答された気がしてムッと頬を膨らませる洸。というより兄と同じだと言われたことに関しても腹が立つ。

 

「ほら、早く部屋に戻ってください。」

「イヤ」

 

七海の自宅、高層マンション。広いバルコニーの椅子に腰掛け夜のネオンを見下ろすのがお気に入りだった。

 

「三十手前の女性がこんな夜更けに下着姿でバルコニーに出るなど……」

「年齢まで言う必要ないでしょ。それにここまで高層だったら見えません〜。」

「向かいのマンションの住人ならハッキリと目視できると思いますよ。あなたの痴態を。」

「〜〜〜っ!」

 

何を言っても倍で返されてしまう。

多分私は一生口喧嘩では彼に勝てないだろう。

 

「あーもう!うるさい!」

「近所迷惑ですからお静かに。」

「ほんっとうに意地悪!

……建人こそ!さっきまで……あ、"あんな声"出てたくせに!」

 

「あなたより声は抑えていましたが?しかも外ではなく寝室の話です。」

「違いますー。絶対に建人の方が"よがって"――」

 

余裕そうな声色と口調で呑気に言葉を放つ洸。

 

しかしその時、洸の口元に七海の大きな掌が背後から覆い被さると突然の接触に大きく肩を震わせた。

 

 

「そうですか。」

「んッ!」

「余程自信があるようで。」

「んんっ、ん!」

「ならここで再び試してみましょうか。

――"我慢比べ"。」

 

鼓膜から脳天にかけて犯されるような艶めかしい低音に洸はたまらなく体を震わせる。

きっとこの男はそれを分かった上でわざとやっている。随分と嫌な男になったものだ。

 

「ん〜〜!……ぷはっ……!」

 

洸は思いっきり体を拗じると強引に口元の手を引き剥がす。

 

そして大きな声で言い放った。

 

 

「〜〜変態っ!!!!!!」

「"勝負あり"ですね。」

「!!」

 

意地悪そうな笑みを浮かべこちらを見下ろす七海はまるで悪魔だ。というかどちらか子供なのか?こんなことをしてくるなんて大人げないとしか思えない。

 

だがこれ以上反論するのはやめておこう。本当にこれ以上なにか口出しすれば多分この男は本当に"あんなこと"を仕掛けてくるかもしれないのだから。

 

 

「……白湯を入れてきます。何を言ってもここに居座る様子ですから。とにかく体を温めてください。」

「…………」

「それに今夜はいつもより夜風が気持ちいい。私も隣の椅子に座っても?」

「ドウゾ。」

「ありがとうございます。……では少々お待ちを。」

 

自分は冷静を装いながらも悶々と様々な感情を巡らせているというのに七海は顔色ひとつ変えず余裕の笑みを向けている。

 

「っ……〜〜〜!!」

 

洸は椅子の上で三角座りをすると膝を抱え顔を隠し、声にならない悲鳴を上げるのだった。

 

 

 

 

 

「――ひとつ、聞いてもいいですか。」

「何?」

 

あれから数分後。七海は白湯を入れたマグカップをふたつ手にしバルコニーへと戻ってきた。

横並びに並んだ椅子。ふたりは夜空を見上げ会話を交える。

 

「洸さんと夏油さんのお仲間について。」

「……呪詛師達のこと?」

「言い換えればそういう事です。」

「それが……どうかしたの?」

 

洸の脳裏に家族たちの顔が浮かぶ。

そして七海も同じく彼らの姿が脳裏に浮かんだ。

 

東京校に宣戦布告だと現れたあの日の事。

夏油、洸、制服をまとった少女ふたり。ニップレスを付けた男――

 

 

「百鬼夜行のあの日。あなたは禪院直哉を介して"柄"の協力を得て仲間を逃がしました。」

「…ん。そうだね。」

「あなたは単独で京都に。たった一人で現れた。」

「…………」

「なぜ彼らを救ったのですか。あれから姿すら現していません。」

 

 

夏油が興した宗教は健在。

そこを呼び水に未だ活動をしている事は分かっている。

 

そして以前、七海が目を通した洸についての報告書。そこには全財産の差し押さえなどありとあらゆる情報が載っていた。

 

しかし跡形もなく、まるで洸は百鬼夜行での結果を最初から知っていたかのように準備をしていた。

財産は全て放棄され、銀行口座は既にゼロだった。恐らく早い段階で第三者に手渡していたか隠しているのか。当時の住居に残されていたのはほんの少しの私物のみ。

 

自己犠牲が過ぎるだろうと七海は呆れるほどだった。

 

しかしそれほどに洸は"仲間たち"を想っていた事は明白だった。

 

自身のリスクを負ってでも禪院直哉に救いを求め"柄"を動かし。全てを失ってでも仲間を救った。

 

果たして夏油はそれを知っていたのか。

洸は本当に死を覚悟した上でひとり京都に繰り出したのか。

 

未だ理解できないことが多かった。

 

 

「なんで助けたか…………んー……」

 

 

夜風が洸の白髪を揺らした。

長い髪の毛の隙間から覗く彼女の横顔はシリアスな面持ちで美しい。七海は思わずゴクリと息を飲んだ。

 

 

 

 

「――"家族"だからだよ。」

「……家族?」

「うん。家族。」

 

ハッキリとした言葉なのに何故か掠れて聞こえた。

 

「家族って助け合うものでしょ?」

「…………」

「ただそれだけ。……うん。それだけだよ。」

 

 

"家族"

しかし七海は疑問を浮かべていた。

 

彼女の過去を知る限り"家族"というものに一番疎いのは洸本人。それに彼女は一度"家族"である実兄を半殺しにしている。

 

「……私にとって……彼らは大切な家族なの。」

「…………」

 

白湯に口をつけ小さく息を漏らした。

その瞳はどこか悲しげで虚ろで。"家族"という存在を心の底から欲しているような気もした。

 

全てが曖昧だ。

言葉も瞳も表情も、なにもかも。

 

五条洸という人間は知的で常識もある。だが何か大きなものが"欠落"していると昔から感じていた七海。それが一体何なのか具体的には分からない。喩えられないのだ。

 

だからこそ七海は彼女を心の底から愛そうと決めていた。たとえ彼女に拒絶されたとしても、自分が死んで待ったとしても――

 

永遠に、私はあなたを愛すと決めている。

 

 

「「…………」」

 

宵の口特有の蒼く冷えた甘い空気に沈むふたり。特にそこから会話を広げることも無く、暫く沈黙が続いた。

 

そして先に動きだしたのは――

 

 

 

「ん……え、ちょっと!」

「……何です。」

 

七海の腕が洸へと伸び優しく引き寄せた。肩にかけられた大きなパーカーをすっぽりと被り、三角座りのまま引き寄せられた洸はあっという間に彼の腕の中に収まる。

 

洸が手に持っていたマグカップを七海は奪うと傍らのテーブルにゆっくりと置いたのだった。

 

「ちょ……近い……」

「何か問題でも?」

「"向かいのマンションの住人"に見られたらどうするの?」

「別に構いません。」

「っ……!」

「見せつけてやる迄です。」

 

洸の額に落ちるのは七海の唇。

優しい抱擁に優しい口付け。あえて唇にしないのは彼らしい。

 

 

「……擽ったいからやめてよ。」

「やめて欲しいなら無理やりにでも引き剥がしたらいいでしょう。あなたなら容易に可能ではないですか?」

「…………」

 

七海の言う通り引き剥がそうと体を仰け反らせようとするも容赦ない力に適いそうにない。余裕そうな彼の嗤いはやはり意地が悪い。

 

ここは大人しく彼に抱きしめていられよう。

暖かくて幸せだ。筋肉質な体も今は心地よいクッションのようだ。

 

 

「……あったかい。」

「ですね。」

 

ふたりはゆっくりと瞼を閉じた。

静寂で幸せなこの時間を噛み締めるように――

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈

┈┈┈

 

 

 

 

――彼女を置いて……私は死ぬのか

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 

真人の抜けた声が静かに響いた。

瞳はキョトンと見開かれ妙な感覚に眉を引き寄せる。

 

 

「((今確かに触れた"ハズ"。……何で?))」

 

 

触れたはずなのに"触れていない"。

理解が追いつかなかった。間違いなく真人は七海の背に触れ、術式を使った"ハズ"なのに。

 

 

真人は手を引っこめると自身に掌を向け首を傾げた。そしてそれと同時に体が宙に浮かび息苦しさが込み上げた。

 

 

「美々子!」

「うん!」

 

 

若い女の声がふたり、真人の耳に飛び込む。

そして首にまとわりつく縄に完全に"吊るされた"のだった。

 

「……っ!?」

 

突然の出来事に目を大きく見開く七海。

そしてひとりの少女に手を引かれると真人と距離を離すことが出来たのだった。

 

体にダメージは無い。

確かに真人に触れられた感覚があったのに――何故だ?

 

 

「……あなた達は」

「オジサン!離れて!」

 

金髪の少女――菜々子。

 

「…洸さんの」

「菜々子!今のうちに逃げるよ!」

 

黒髪の少女――美々子。

 

 

"彼女が口にしていた家族(かぞく)"

 

 

 

「よかった……私の術式が役に立った!」

「やったね菜々子。」

「美々子のフォローがあったからだよ。助かった。」

 

 

七海を守るように前に立つ双子の姉妹。

未だ状況が掴みきれていない七海は呆気に取られるばかりでその場に立ち尽くす。

 

「((……救われた……私は……このふたりに))」

 

幼くか弱い少女ふたり。

その背中を見据えていた時、ふと洸の言葉を思い出した。

 

"家族って……助け合うものでしょ?"

 

 

「((彼女が命を懸けて守った家族に――まさか自分が救われるとは。))」

 

 

連鎖する救済。

それは洸が想う家族の力があったからだ。

 

 

「……気をつけてください。来ますよ。」

「「!?」」

 

天井から吊るされた真人の姿。

ゆらゆらと不気味に揺れるその体が"吊るされただけで死ぬような体では無い"事くらい理解していた。

 

 

「……私が言うのもおかしな話ですがあなた達は逃げてください。今の私では……あなた達を守れる力はありません。」

 

既に瀕死に近い状態だ。

残された力で真人を祓うことさえ厳しい。増援がない限り体力を消耗して死ぬのは目に見えていた。

 

「はぁ!?何言ってんのオジサン!」

「菜々子。言い方。」

「私と美々子はオジサンを助けに来たの!」

「さっき助けてくれたお礼です。」

「だから!とにかく!何とか真人(アイツ)を私達で――」

 

 

 

 

 

 

 

「……"ヒヒッ"」

 

刹那、静まり返った空間に真人の不気味な嗤い声が響いた。

 

「へぇ〜、なかなかやるじゃん?」

 

"ぐにゃり"と首が変形し、容易に縄から抜け出す真人。その見た目はグロテスクで気味が悪い。姉妹はその不気味な光景に生唾を飲み込んだ。

 

「まさか君たちに裏切られるなんて……ひっどいなぁ〜〜!"ゲトウサマ"に嫌われちゃうよ〜??」

 

地面に足をつけ呑気に笑う真人。

美々子と菜々子はそれぞれの呪具を構え必死に平然を装った。

 

 

 

「((……なるほどね。"触れられなかった事"にされたのはあの金髪の女の術式の効果か何かかな。))」

 

真人の視線が菜々子の呪具(スマホ)に向けられた。術式効果は不明だ。しかし触れられなかったことにされたのはきっとあの呪具が原因だろう。姉妹とは今まで関わりがあったが彼女たちの術式について問い詰めたことは無かった。今更ながら"あんな雑魚姉妹でもやっぱり聞いておけばよかった〜"なんて胸中で呟く。

 

 

 

「君たち面白い術式を持ってるんだね?もっとちゃーーんと聞いておけばよかったよ♩」

 

「……美々子」

「……うん」

 

一歩一歩、のらりくらりとこちらとの距離を詰めていく真人。

 

 

「うーん……夏油にどうやって報告しようかな……」

 

「菜々子、もう一度術式を使って。」

「もう少し待って……まだ力が戻らない……」

 

スマートフォンを震える手でなんとか構える菜々子。美々子はそれを横目に額から冷や汗を流した。

 

 

 

「……"きーめた。"」

 

 

ピタリと立ち止まった真人は真っ直ぐと三人に人差し指を向ける。

 

 

 

「全員ズッタズタに引き裂いて!残酷にぶっ殺してあげるよ!!!!」

 

 

狂ったような奇声と歪んだ表情を剥き出しにするとその場から一気に駆け出す真人。目をこれでもかと言わんばかりに見開く姿は呪いそのもの。恐ろしく不気味で恐怖を抱かせる。

 

 

 

 

「……くっ……!」

 

七海は半ば意識を朦朧とさせながらも呪具を構える。しかし上手く力が入らず反応が鈍ってしまう。

 

 

「美々子危ない!」

「菜々子も!避けて!」

 

美々子が七海の腕を力強く引くと壁に叩きつけられるように吹き飛ぶふたりの体。七海は美々子を庇うように自身の腕の中で抱きとめるも全身に痛みが走り苦痛に顔を歪めた。

 

 

「っ……痛……」

「……大丈夫ですか?怪我は?」

「私は大丈夫……それより菜々――」

 

真人の攻撃の反動で壁や柱が破壊され砂煙が漂う。菜々子がいる方向に視線を向けるも姿がはっきりと見えない。

 

「菜々子!」

 

砂煙の先に向かって必死に名を呼ぶ美々子。しかし反応はなく不安の色が美々子の顔を染めていく。

 

 

不気味な程に静まり返る空間に嫌な予感しかしない。美々子は本能的にそれを感じるとその場から立ち上がり砂煙の先を見つめ続けた。

 

「……危険です……あなたは下がって……」

「…………あ……」

 

同じく立ち上がる七海。

美々子の肩に触れ、後ろに下がれと指示するも美々子は動かない。

 

そして何故か小さく震え始めていた。

 

 

「ぁ……あっ……ああ」

 

 

薄れていく砂煙。

その先に浮かび上がる影。

 

「なっ……なな……菜々子……ッ……」

「!?」

 

七海もはっきりとその光景を目にした。

 

 

 

 

 

 

 

「菜々子ォォォォオ!!!!!」

 

 

少女の悲痛な叫び。

そして同時に苦しそうに嘔吐く菜々子の声が聞こえた。

 

 

「は……ゲホッ……」

 

 

真人の変形した右腕が菜々子の体を貫通していたのだった。掲げられるように菜々子の体は持ち上げられ、メリメリと真人の腕は容赦なく奥深くまで突き刺さっていく。

 

 

「うーん♡いい眺めだね♡」

 

 

真人の顔にぽたぽたと滴り落ちる菜々子の血液。まるで玩具で遊ぶ子供のように無邪気な笑みだった。

 

 

「はぁっ……が…………ぅ……う……」

「痛い?痛いよねぇ……可哀想に……!」

「うぁぁああぁぁっ!!!!」

 

真人はわざと彼女をいたぶる。

さらに深く、苦痛を味わえと言わんばかりに腕をめり込ませていく。

 

 

 

「早く死んじゃいなよ?それとも大好きな"ゲトウサマ"に殺されたかった?」

「…………」

「ねー?お返事は?……もしかしてもうへばっちゃう?」

「ゔっ!?」

 

真人の遊びは終わらない。

菜々子の体から腕を引き抜くとそのまま地面に叩きつけた。

 

 

「そのムカつく顔から潰しちゃおっかな。」

「…………」

「俺さ、君のこと嫌いだったんだよね。夏油のそばに引っ付いてさ。生意気で口も悪くて……」

「…………」

「"誰かさんにそっくりだよ"」

 

真人の脳裏に浮かぶ"誰かさん"

それは彼女たちがかつて慕っていた"姉"の存在。

 

 

"五条洸"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほーら。直ぐに君の片割れも殺してあげるから♡」

「……」

 

虚ろになっていく瞳。

 

 

「菜々子!菜々子ぉぉぉぉ!!」

「……ッ……」

 

取り乱す菜々子を背後に隠し、七海は呪具を構える。既に呪力も体力も使い果たした自分は……きっと彼女を救うことは出来ない。

 

 

 

 

 

 

「じゃーね。」

「…………はは……」

 

真人が菜々子にトドメを刺そうと手を振りあげた瞬間。微かに菜々子が笑った気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おい。"クソツギハギ"」

 

 

 

その時、真人の耳元で怒りに満ち溢れた女の声が飛び込んだ。

 

 

 

「――え」

 

 

考える間もなく真人の体が容赦なく吹き飛ぶ。

とんでもない馬鹿力と恐ろしいスピード。

 

 

そして"五条悟"と同じ気配。

 

 

 

 

「"私の家族"に……何してくれたの?」

 

 

 

茈の瞳

不気味に光る妖刀

恐ろしいほど"キレた"様子の女

 

 

"五条洸"

 

 

 

 

 

「ははっ……来ちゃったかー。」

 

壁にめり込んだ真人の体。

体を動かすと壁は呆気なく崩れ落ち、衝撃で変形した胴体がまたもや不気味に再生する。

 

 

 

「……菜々ッ……」

 

洸はそれを気に留めることなく傍らで倒れる菜々子に駆け寄る。朦朧とする意識、乱れる呼吸、地面を染めていく真っ赤な血液に洸は焦りを見せていた。

 

 

「……ひ……かる、……ね」

「喋らないで。……大丈夫……大丈夫……」

「…………」

 

菜々子の頬を優しく撫でる。

徐々に冷たくなっていく肌はまるで陶器のようだった。

 

 

「かぞ、く……は…………助け……合う、の……」

「ッ……」

「……げと……さま、……いって、た」

「…………」

「…………ねえさ、まも、……たすけて、くれ、た」

 

 

洸の手を握り返す。

ふるふると震える手。

母娘のように慈しむように向け合う瞳。

 

 

 

「……"だいすき。"」

 

「――ツ!!!」

 

 

パタリと意識を手放す菜々子。

洸はハッと目を見開き、力を失った手のひらを強く握り返す。

 

 

 

 

 

 

「……え……?待って……」

 

菜々子が動かない。

 

 

「菜々……?」

 

呼びかけても反応は無い。

 

 

 

「……姉様……」

「……ッ……」

 

美々子と七海はその空気を悟り動けないままだった。ふつふつと乱れる洸の呪力が痛いほど突き刺さる。

 

 

 

 

 

「ヒヒヒっ……あっはははははははっっっ!!!」

「……」

「死んじゃったの〜!?よっわいなぁほんとに!」

「……」

 

菜々子の傍らで項垂れる洸の傍に真人が現れる。

 

 

「壊れちゃえ。」

「……」

「ほーら……"壊れろ"」

 

耳元で囁かれる悪魔の言葉。

 

 

 

「キミが救えなかった。それはキミが出来損ないだから!」

「……」

「五条悟の力を手にしても所詮使い切れない!」

「……」

「直ぐにそいつらも殺してあげるよ!キミは仲間の屍の上で何も出来ないまま絶望すればいいんだ!!」

 

 

 

 

 

真人の手が洸の髪の毛を乱雑に掴む。

解除された無限。その感覚に真人は大いに悦びを浮かばせた。

 

 

 

 

 

 

「"ユウは私が助ける"……って?」

「……」

「誰ひとり救えないくせに……無様だね!!ほんっとうに!!」

 

前回同様にワザと過去のセリフを使い回す真人。絶望的な台詞を次から次へと洸の耳元で囁く。

 

 

「((……これ以上洸さんをッ――))」

 

 

その時、七海は自身の呪具を真人目掛けて投げ込む。しかしそれは容易に弾き飛ばされ、代わりに真人が生成した無数の鋭く尖った破片が弾丸のように弾けた。

 

「ッぐ……!」

「キャッ!!」

 

体に打ち込まれた破片は七海の瀕死状態の体をさらに苦しめた。傍らでは美々子が怯えた様子で七海を按じる。

 

 

 

 

「……弱い、キミは弱いよ。」

「…………」

「七三術師も直ぐに死んじゃうよ。あの怪我ならそう長くはないだろうね?」

「…………」

「誰のせい?誰?」

「…………」

 

真人は顔の前に洸の顔を近づける。

虚ろな茈は今までに無いほど弱りきっていた。

 

内側から精神を壊していく。

それが真人の狙いだった。

 

 

「キミだよ五条洸……

――キミのせいで"みーーんな死ぬ"。」

 

 

 

「死ぬ。一人残らず死ぬんだよ。」

 

 

 

「みーーーーんな!!お前のせいで死ぬんだよ!五条洸!!!!」

 

 

真人の呪力か手に篭もる。

そしてそれは洸へと――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……"何してんだ……真人"……」

 

さらに現れるもうひとつの影。

それは真人の手を掴む。

 

 

「……へぇ……次から次へと面倒だね……本当に……」

 

 

危険を察知した真人は直ぐにその場から離れ、一気に距離を置く。

 

 

 

 

 

 

 

「……"洸先生"」

 

「ツ……」

 

目の前に現れたのは宿儺……ではなく

 

 

 

 

「悠二……」

 

 

怒りに満ちた虎杖悠仁だった。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。