五条兄妹   作:鈴夢

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執愛

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「――で?死んだん?」

 

 

 

 

 

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″五条兄妹″

――死滅回游編――

 

 

 

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「″真依ちゃん″」

 

穏やかな昼下がり。

由緒ある屋敷の廊下を金髪の青年が歩く。

青年の後ろを歩く女性。女性はシンプルな着物を慎ましく纏い 視線を僅かに伏せながら″3歩″後ろの距離を保ちながら歩き続ける。

 

そして青年の問に静かに答えた。

 

「今は当主の心配を。それに死にかけているのは真希です。」

「そうなん?ほなええわ。べっぴんさんやけど真希ちゃんはアカン。あれは男を立てられへん。3歩後ろ歩かれへん女は背中刺されて死んだらええ。」

 

2人は屋敷の内部へと更に足を進める。

 

「その点 真依ちゃんは立派やね。真希ちゃんとおんなじ顔、おんなじ乳。強がっとるけど自分が女やと心底理解しとる。」

「…………」

 

青年――名を禪院直哉。

その背後を歩く女性は禪院真希と禪院真依の実母であった。娘たちを酷く虐げられようとも決して口答えるすることなく、ただただ背後を着いていくだけだった。

 

 

直哉の足はとある部屋を前に止まる。

そして障子が開くと同じ血を引く2人の姿が既にあった。

 

「遅いぞ 何をしていた。実の父親が峠を彷徨ってる時に。」

「……」

 

禪院扇、禪院甚壱

 

「ごめんちゃい。でも別にええやろ?俺が来ても来やんでも。次の禪院家当主は俺なんやから。」

 

″禪院直哉″

峠を彷徨っている禪院家当主″禪院直毘人″の息子。

 

非常事態だというこの時、直哉は余裕そうに笑みを含む。

 

「俺の兄さん方は全員ポンコツやし。叔父、弟のあんたもパッとせん。その上 娘は論外。」

 

甚壱と扇は表情を変えず静かに直哉を見据える。

 

「甚壱くんはなー……顔がアカンわ。″甚爾(とうじ)くん″と逆やったらよかったのにな――」

 

 

 

 

 

 

刹那、狭い部屋が揺れる。

甚壱と扇の刃が直哉の喉元を狙ったのだった。

しかし今ここで殺す訳にはいかない。

 

 

「パパが峠を彷徨ってんねんで?堪忍しとってや。」

 

直哉は禪院家の次期当主となる人物。

2人は抗うこともできず ふつふつと湧き上がっていた怒りをぶつけることは出来なかった。

 

直哉は未だに余裕そうに嗤っていた。

2人を見下ろし あと少しで手に入るであろう禪院家の全てを掌握できる喜びに余裕を見せつける。

 

 

 

 

 

「″みなさんお揃いで″」

 

その時、部屋に続いて現れたのは小柄な老人。

3人の視線が一気にそちらへと向けられた。

 

「たった今″禪院家当主 禪院直毘人様がお亡くなりになりました″。御遺言状はこの古舘がお預かり致しております。御遺言状は直毘人様の御意志によって禪院扇様、禪院甚壱様、禪院直哉様――3名が揃われた時私がお伝えすることになっております。…相違なければ御遺言状を読み上げます。」

 

シリアスな空気が漂う。

3人は呼吸音さえ漏らすことなく遺言状の内容に耳を傾けた。

 

 

「ひとつ。禪院家27代目当主を禪院直哉とする。」

 

当然の取り決めだろう。

 

「ひとつ。高専器庫及び禪院家器庫に保管されている呪具を含めた全財産を直哉が相続し、禪院扇 禪院甚壱の何れかの承認を得た上で直哉が運用することとする。」

 

「……チッ、まあええか。」

 

父親らしい。自分に全てその権限を与えずある程度の縛りがあることに舌打ちを見せた。

 

 

 

 

 

 

 

「――ただし″何らかの理由で五条悟が死亡、若しくは意思能力を喪失した場合、伏黒甚爾との制約上を履行し伏黒恵を禪院家に迎え同人を禪院家当主とし全財産を譲るものとする。″」

 

直哉の表情が曇っていく。

遺言の内容に耳を疑う。しかし古舘が手にしている実父の遺言状は間違いなくそのように記されていた。

 

「は?……なんやて…」

「そして″五条悟の妹君である五条洸を――″」

 

古舘の視線は遺言状に落とされたまま。

声色も一切変わらず最後の一文を読み上げた。

 

 

 

「″伏黒恵の正式な婚約者として禪院家へ迎え入れる″」

 

 

 

 

 

 

 

「――ハァ?」

 

 

 

 

 

 

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過去――

――2018年9月下旬頃

 

 

 

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ほのかに香る秋の匂い。

 

山奥に佇む″禪院家″。

山々の美しい色彩に囲まれるこの場所。

 

やはり洸は好きにはなれなかった。

 

 

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「……」

 

縁側に腰掛ける洸。

中庭に落ちていた紅葉の葉を指で摘みくるくると弄ぶ。

 

ぼんやりと空を見あげていた時、

背後から現れた男に″コツン″と鞘で頭を軽く叩かれると洸は嫌そうに振り向いた。

 

 

「ほれ。お前が欲しがっとったヤツや。」

 

直哉は意地悪そうに笑う。

まさか洸が無限を解いている事に喜びを感じたことと″好きな女″が目の前にいることに興奮を隠せない様子だ。

 

 

「……これ草薙剣(くさなぎのつるぎ)じゃないけど?」

 

差し出された刀をじっと見据え口を尖らせる。

求めていたものと全く違うと分かると直哉から視線を外し再び手元の葉をくるくると回し始めた。

 

「チッ……やっぱ分かるんかい。」

「当たり前でしょ?」

「そもそも草薙剣は特急呪具のひとつや!お前″村正″持っとるやろ!我慢せえ!」

「″嘘つき″ !貸してくれるって言うからわざわざ来たのに。」

「うっさいわ!てか游雲もさっさと返せ!」

「あれはダメ!真希にあげたの!」

「〜〜っ!!アホか!!誰が又貸ししてええ言うたんやカス!!」

「……」

「無視か!?直哉様を無視するんか!?」

「あーーうるさい!帰る!」

「ちょっ!待て!茶くらい飲んで帰れや!」

「スカート引っ張んないでよ!変態!」

 

屋敷中に響く2人の喧嘩声。

それを耳にする禪院家の人間は不可思議な光景に恐怖さえ感じる。

 

昔は目の前の中庭で酷い目に合わされたものだ。

直哉に踏みつけられ大怪我を負った。雨の中放られ直哉に見下ろされ辱めも受けた。

 

五条家と禪院家の仲を取り持つために必死に我慢した。

目の前の男が憎くてにくくてたまらなかった。

 

――まさか。今はこんな関係になってしまうなんて。

 

 

「んで?最近調子はどうなん。」

「普通。」

「任務続きなんやて?高専も鬼やんな。」

「抗ったら死刑だから。」

「コワイコワイ……」

 

直哉に手渡された湯呑みを受け取り暖かい緑茶で喉を潤す。そっと口につけ手のひらで包み込むように湯呑みを囲むと洸はじっと茶柱を見つめていた。

 

そんな洸を横目で観察する直哉。

右隣に座る洸との距離は僅か5cmほど。しばらく見ない間に″また痩せたか″なんて胸中で呟く。

″死刑″という言葉は何度も洸の口から耳にしていたこと。むしろ百鬼夜行のような反逆行為を行った洸に対し執行猶予付きの大きな罰。もしかすると今日が一緒に過ごせる最後の日なのではないのかと思うほどに生きていることが不思議なのだ。

 

 

「なあ洸。」

「嫁がないよ?」

「まだ何も言ってへんやろ!」

 

右肩で洸の頭をこつんとど突く。″暴力反対″なんて言葉わ冗談交じりで呟く洸に直哉は小さく笑った。

 

「……お前。まじでこの先どうするつもりなん。」

「またその話?」

「ッ……」

 

洸の赤い瞳がようやく直哉をとらえる。

万華鏡のような、きらきらと光り輝く美しい赤色。悟の六眼も目にしたことがあるがそれと同様にうつくしい。

 

「前も言ったでしょ?私は五条家の長女であって全ての権限は当主五条悟に有る。選択権なんて無い。元離反者で上層部に逆らえば死刑。」

「それは分かっとる!お前はどうしたいんか聞いとるんや。」

「……とくになにも。」

「ほんっまに欲も何もないやつやな。」

「なんとでも言いなよ。」

 

洸は困ったように笑った。

欲も何も無い。傍から見ればそう捉えられるだろう。

だが自分に選択肢はないのだ。全ては″兄″が決めること。

 

僅かな笑いのブレに気づく直哉。

すると視線を紅葉する中庭の大木に視線を移す。

 

「……この前聞き逃したこと。聞いてもええか。」

「ん?どうぞ。」

 

前回、洸が屋敷を訪れた時に聞けなかった事。

 

「お前の術式と赫眼(かくがん)と″六眼(りくがん)を持つ五条悟との関係″」

 

 

直哉の観察と好奇心と、信じる気持ちと、疑ってみる精密さの入りまじった表情。

 

「俺は知っとる。お前の目の色が変わる瞬間を見たことがある。」

 

洸の表情には驚きと困惑が半分ずつ内在していた。

 

「…………」

「あの時の妙な呪力。俺は忘れたことはない。」

 

直哉は僅かに手元を震わせた。

核心にたどり着く前の鋭い瞳が洸を射抜く。

 

 

「お前の秘密。五条家の秘密。……″赫眼を持つ者の運命――″」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「″洸さん、ご無沙汰しております″!」

「……え?蘭太君?」

「はい。禪院蘭太です!」

 

刹那、少し離れた場所から元気な青年の声が轟いたと思えば袴姿の″禪院蘭太″の鋭い姿があった。

 

そして同時に直哉の存在に気づくと″しまった″という顔つきをした。洸を目にした時、直哉が死角となっており見えなかったのだ。

 

「ッ……申し訳ありません。失礼しま」

「やっと会えた!その節はありがとう。私の家族を救ってくれて。」

「い、いえ!お力になれたのであれば光栄です……」

 

洸は蘭太に駆け寄った。

蘭太は洸に握手をもとめられたのだが縁側に腰をかけたまま鋭く睨みつける直哉を前に酷く動揺する。

 

蘭太は禪院家の精鋭によって構成される″炳″所属の呪術師。百鬼夜行にて東京側に居た美々子や菜々子達を救ってくれた過去がある。

 

そして洸が青年期に禪院家で過ごしていた期間。直哉から酷い扱いを受けていた時のことも目にしているし、五条家と禪院家が不仲なことももちろん知っていた。

――直哉が洸を好いていることも。

 

「……クソボケ……」

 

肝心な時に再び遮られたことに怒りを見せる直哉。

 

 

「消えろ、蘭太。」

「ちょっと直哉。」

 

気づいた時には背後に直哉の姿があった。

蘭太の手を握る洸の手を無理やり掴み 引き離す。

 

「あ、あの……」

「去ね。蘭太。」

「……申し訳ございません。失礼いたします。」

 

深々と頭を下げ直ぐに姿を消す蘭太。

そして洸は背後に立つ直哉へと向き直ると強く胸を押し込む。

 

「本当にあんたのそういうところ嫌い。」

「なんとでも言えや。」

「ちょっと……退けてよ。」

 

ここで殴れば少し面倒だ。

今の直哉は何をするか分からない。額に浮き出た血管の筋は見慣れている姿だった。

 

洸は無理に抵抗しないでいたがそれが仇となる。

壁に追いやられると顔の左横に直哉の大きな腕が通過した。いわゆる″壁ドン″というものだろう。

 

 

「人たらし。」

「人でなし。」

 

直哉は洸を人たらしと嘲笑う。

洸も負けじと人でなしと睨みあげた。

 

「俺はお前が元離反者であろうが、″六眼持ちの兄″と縛りがあろうがちゃんと愛したるで?」

「あんた。過去に私に何したか覚えてないの?」

「殴ったり蹴ったり、無理やり飯食わしたり、首絞めたこともあったなあ。……あとは″犯″」

「本当に最低人間だよ。あんたは。」

 

直哉の頬を思いっきり掴むとそのまま押し返す。壁側から体は解放され、再び座っていた縁側へと戻る。

 

「俺が当主になった暁には絶対お前を嫁にする。」

 

直哉も再び隣へ座り直す。

そして置かれていた紅葉の葉を指先で優しく摘むと視線を落とした。

 

 

「これは贖罪や。」

 

らしくない台詞。彼から贖罪なんて言葉が出るなんて。もしかしたら今日が地球滅亡の日なのかもしれない。

 

「らしくないね、ドブカス直哉くんなのに。」

「俺は洸のためなら恥も捨てる。」

「人でなしのくせに。」

 

洸が嘲笑った瞬間、直哉の手が洸の手を優しく掴む。

そんな握られ方をしたのは初めてだと言うくらい優しい強さだった。

 

「好きやで。洸。」

 

燃えるような瞳だった。

一途な愛情を感じる直哉の瞳に洸は深くため息を漏らした。

 

 

「……馬ッ鹿じゃないの?」

 

 

 

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ああ、そうや

俺はバカや

 

手に入らん女をずっと追いかけて

殴って

傷つけて

犯して

 

消えたお前をまた見つけて

 

都合よく使われる哀れな男や

 

 

 

 

――こんな俺を

愛してくれなんて

 

 

 

 

 

 

 

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「……クソッ……」

 

 

 

父親が死んだ。

遺言状の内容通りになれば俺は禪院家の当主にも慣れず、好きな女も他の男に持っていかれる。

 

 

 

 

 

「……やっぱアカンわ。玉無しやあの2人。よう知らんガキが当主になっても俺よりはマシやと何もせん気や。」

 

イライラとした面持ちで屋敷内を再び歩く。

 

「知らんガキが当主になる代わりに洸が嫁ぐ。あのクソジジイ…実の息子より洸を信用しとんのがよお分かったわ。」

 

直毘人は洸を何度も禪院家に誘った。

しかしそれは叶うことなく年月は経ち続けた。

 

だが今回は違うようだ。洸と何か契約を交わし、それを叶えた代わりに洸は禪院家に嫁ぐことを承諾したらしい。

 

「恵くんは今どこで何してるん?」

「詳しくは……だだ虎杖悠仁捜索の任にあたっているとのことで」

「…イタドリ……あー、洸が言うとったやつか。」

「はい。例の宿儺の器です。」

 

先日の渋谷事変。

東京……いいや 日本全体が混乱に陥っている今日。

 

「じゃあ上の人に伝えとき。禪院直哉が宿儺の器殺したるって。恵くんは宿儺の器のとこおるんやろ?2人まとめて殺したる。」

「……」

「今の東京は魔境や。人がいつどう死んでも関係あらへん。殺してしまえば後のことはどうにでもなる。」

 

屋敷の玄関口に辿り着くと慣れた様子で直哉は腰掛ける。直ぐに真希の母が跪くと手際良く直哉に草履を履かせていく。

 

「で、洸はどこにおるんや。」

「五条洸の情報は僅かです。負傷した後、高専関係者が匿っていたと。ですがその後、虎杖悠仁と同様に姿を消したと。」

「……ほん。なるほどな。」

 

″パチン″と草履の紐が切れる音。それを合図に直哉はゆっくりと立ち上がり玄関の扉に手をかける。

 

「洸は俺が見つける。そんで禪院家(うち)で匿えばええ。」

「しかし五条洸は″裏切者″と呪術界において永久追放される身。遺言状を報告しなければなりません。」

「……」

「一先ずは伏黒恵を見つけた後。順を追って行動しなければ上層部次第で即死罪も―――…ッ!!」

 

玄関の棚に置かれていた盆栽が音を立てて吹き飛ぶ。

直哉の凄まじい力が母親の首に掴み掛ったのだ。

 

 

「うっさいわ。次同じこと言うたらぶっ殺すで。」

「ッ……申し訳、ござい…ません……ングッ!!」

 

「″アンタが洸を逃がした″こと、一生許さへんからな。」

 

狂気に満ちた瞳が牙のように突き刺さり女は恐怖した。過去に自分が起こした過ちをここまで悔やんだことは無いだろう。

 

 

「洸は誰にも渡さん。何がなんでも。禪院家当主はオレや!」

 

 

執拗に絡む重い愛情。

最早愛と言うべきなのか、狂愛と言うべきか――

 

 

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出来損ないの愛でも許して

 

 

未完成な私を認めて

 

 

 

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死滅回遊―執愛―

 

 

 

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夜と朝の境目、東京はひと息ついたように静まり返っていた。いつもなら絶え間なく流れる車の音も、人の話し声も、すべてが薄い霧の向こうへ溶けてしまったかのように消滅していた。

アスファルトはまだ夜の冷たさを残し、街灯の光をぼんやりと映し返している。

 

「建人」

「はい。洸さん。」

 

夜明けが訪れる時。

高層ビルの頂点に2人の姿があった。

 

――空は深い藍から淡い灰色へと移ろい始めてあく。東の端がほんのりと白んでいた。まるで誰にも気づかれぬまま、波乱に満ち溢れた一日が静かに準備を整えているようだった。

 

 

「勝負。」

「…結果はもう分かっているでしょう。」

「ふふ。」

 

ふたりは笑顔を見せる。

 

そして刹那、夜明けの光がビルの輪郭を淡く縁取り始めた瞬間、二つの影が屋上から躊躇なく飛び出した。

重力に身を預けるように、一気に、真っ逆さまに降下していく。風を切る音だけが耳元で唸り、紫の瞳はほんの一瞬空を仰ぐ。

 

洸は静かに降下していく。無駄な力を使わず まるで最初から空を飛ぶような姿勢で落ちていく。

七海は獣のような鋭さをまとい、口元にわずかな笑みを浮かべていた。恐怖ではなく、これから始まる戦いへの高揚がそこにあった。

 

 

ふたりの眼下の路上――朝霧の中に黒い群れが蠢いている。呪霊たちは気配を察したのか歪んだ咆哮をあげ、鋭い目を空へと向けた。ひび割れたアスファルトの上で、影が膨れ上がるようにうごめく。

 

二人は視線を交わさない。

言葉もない。

それだけで十分だった。

 

 

 

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「……かなり片付けたよね?」

「はい。非術師も何名か見つけられましたし。彼らが無事逃げ仰せていれば良いですが。」

 

″魔境″

あの日から東京は一変してしまった。

 

かつて人で溢れていた街は、今や別の生き物の呼吸で満ちていた。

横断歩道には足跡の代わりに、引きずられた爪痕と乾いた血の跡が残り、アスファルトはもはや″道″ではなく、狩場の一部になっていた。

 

ビルの窓ガラスは内側から割られたまま、口を開けた骸骨のように街を見下ろしている。

看板は傾き、ネオンは半分だけ生き残り、意味のない光を瞬かせていた。その下を歩くのは人間ではなく、歪な影を引きずる呪霊たちだった。

 

彼らは街に溶け込むように存在している。

コンビニの入口に巣を作り、地下鉄の階段に身を潜め、ビルの屋上からは長い触手を垂らす。まるで最初からこの街の住民だったかのように、自然に、傲慢に、居座っていた。

 

空気は変わった。

人の声や笑いの代わりに、低く濁った唸り声が流れ、金属が軋む音や骨が砕ける乾いた響きが、風に乗って運ばれてくる。東京はもはや″都市″ではなく″巨大な巣穴″のようだった。

 

それでも、街の形は残っている。

駅も、道路も、ビルも、確かにそこにある。

だがそれらは人のためのものではなくなった。

 

文明の皮を被ったまま、内側だけが別の世界に書き換えられてしまったかのように。

ここはかつての東京であり、同時に呪霊たちの王国と成り下がる。

 

 

「……ん?」

 

離れた先で建物が倒壊する音が聞こえた。

洸はその方向へ視線を向けるとつられるように七海も視線を移動させる。

 

「あっちは悠仁と脹相かな。」

「合流しますか?」

「うん。そろそろ行こうか。」

 

 

 

――11月8日

渋谷事変発生から一週間以上が経過。

 

 

洸は重傷を負い数日間意識を手放していた。

そして五条悟の封印――このタイミングで上層部は洸を潰しにかかる可能性が高い。

 

それを察した七海は洸と共に逃げるように仲間たちの元を去った。

 

 

 

 

 

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――都内

東銀座陸橋 付近にて――

 

 

 

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「悠仁、脹相」

「お疲れ様です。」

 

呪力の気配を追い 合流する4人。

トンネルの手前でお互い視線を合わせると僅かな安堵がうまれた。

 

「っす」

「そっちもあらかた片付いたか?」

 

「はい。凡そ。」

「それでさすがに疲れちゃったから。そろそろ休憩したくて。」

 

ここ数日間、ゆっくりとまともに眠ることも食事を取ることも疎かにしていた。そうならざる負えない状況なのだ。

 

五条悟の力をそのまま継いだ洸。しかし体力が削がれている分順応が遅れていた。渋谷事変の序盤、あの時の力が最大とするならば今は5割程の力しか保てない。

 

幸いにも仲間たちの死は防ぐことが出来た。唯一死亡者を出したとすれば禪院直毘人。負傷者は出してしまったが事なきを得たのだった。

 

「……ッ……」

「洸さん。」

 

時たま脳内であの男の嫌な声が再生される。

重い鈍痛が頭から全身に広がる。目元に残った傷跡が妙に疼く。

 

 

――″五条家の汚点″

 

頭の奥、思考の裏側にへばりつくようにして、ぬるりと響く。低くて、粘ついて、やけに親しげな調子が余計に不快だった。

 

――″君は五条悟には成れない″

 

彼女は目を伏せ、奥歯を強く噛みしめる。

耳を塞いでも消えない。これは音ではなく侵入してくる呪言のようだ。

 

 

すぐ背後にあの男が立っている気がしてしまう。呪いの言葉たちは無限に再生される。

 

――″頑張ってるつもりなんだろうけどさ″

――″周りは誰も君を見てない。気づいてない。興味もない″

 

声は責めるでもなく、怒鳴るでもなく、

ただ″事実”を教えてやる″という顔で語りかけてくるのが最悪だった。

 

――″休んだら終わりだよ″

――″立ち上がれなかったら、君はただの残骸になる″

 

指先がわずかに震える。

それでも彼女は、心の奥で小さく、確かに抵抗する。

 

「……うるさい」

 

声に出す必要はなかった。

それでも言葉にした瞬間、男の声は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、間を置いた。

 

――″ああ、まだ喋れるんだ″

――″なら大丈夫だね。まだ壊れてない″

 

 

″本番はこれからだよ。五条洸――″

 

まるで壊れるのを楽しみにしているかのように。

その声音は、彼女の疲労よりも怪物よりもずっと陰湿で、ずっとしつこく、頭の中に居座り続けていた。

 

 

 

「目を瞑ってください。今は休みましょう。」

 

七海は上着のポケットから黒い布を取り出した。伸縮性のあるそれはかつて悟が使用していたものにとても似ている目隠しだった。

 

 

「つーかヒカルン。ほんとに先生とそっくりだな。目元隠すと余計に。」

「ふふ、そう?」

「髪も短いし。」

「短いと楽だね。結構サッパリしたかも。」

 

虎杖は洸を按じながらも時たま普段と変わらない砕けた会話を良くしてくれる。それが今は安らぎだった。

 

「((僅かな呪力の揺れを感じる。やはり未だ洸さんの肉体に五条さんの力が適応できていない。))」

 

笑顔の中に隠された疲労。

七海は見逃さない。

 

「((疲労困憊といったところでしょう。))」

 

一歩踏み出すたびに視界が揺れ光が滲んで伸びる。それでも洸は歩みを止めなかった。止まった瞬間、すべてが崩れてしまう気がしているのかもしれない。

 

「少しでも眠ったほうがいいです。」

「うん。そうだね。」

 

そのとき、そっと腕に触れる温もりがあった。

強く掴むでもなく、引き止めるでもない。ただ、そこにあると伝えるような洸の静かな手。

 

「ありがとう、建人。」

 

低く、落ち着いた声だった。

それだけで、胸の奥に張りつめていた七海の何かが、ひび割れる音がした。

 

苦難、そして再び苦難が訪れる。

彼女が心安らげる時はいつ訪れるのだろうか。

 

七海も苦しくてたまらなかった。

 

「ヒカルン……俺が」

「待て悠仁。」

「え?」

「″こういうこと″はお前より七海建人に任せた方がいい。」

 

虎杖が洸をおぶってやろうと手を出すもそれを脹相が止めに入る。七海と洸の関係を知っているからだろう。あえて何もするなと虎杖に警告したのだった。

 

 

「ごめんね。悠仁も脹相も。」

「謝ることは無い。」

「まだ本調子じゃないのに……むしろ謝るのは俺の方だ。」

 

言葉が、胸に静かに染みていく。

この時彼女は初めて肩の力を抜いた。

倒れそうな身体を、誰かの温もりが確かに支えている。

それだけで今立っていられる気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「″″ひかる″″」

 

 

 

「「「「!?」」」」

 

 

刹那、柔い京都弁訛りの声が4人の鼓膜を叩く。

 

 

 

「あれ?恵くんはおらんやん。俺が一番乗り?」

 

 

「――ッ!!」

 

 

洸は直ぐに″彼″を見上げた。

 

「久しぶりやなあ、洸。」

「……直哉」

「なんやねんその目隠し。似合うとらん。」

 

直哉は口元を緩ませ嘲笑う様子で4人を見下ろしていた。

 

いつもの軽い調子の声。親しげなのに、距離感が掴めない。洸は無意識に手元に力を込める。

 

「……誰?」

「禪院直哉さん。真希さんの従姉妹ですよ。」

 

虎杖と脹相は身構える。七海は洸を支えたまま動かない。

 

「((……こいつ。今伏黒の……話したか?))」

 

間違いなく″恵″と言ったのだ。

 

笑っているのに、安心できない。

敵意が見えないのに、油断できない。

 

「アンタのこと覚えとるで?金髪のいけ好かんやつ。」

「私も覚えていますよ。洸さんの″元″婚約者、でしたよね?」

 

「婚約者!?」

「…………」

 

七海の発言に虎杖は初耳だと言わんばかりに声を上げる。そして七海と知り合いであることも予想外の事だった。

 

「てか君ら何してん。目立ちすぎやで?逃げる気ないん?」

「逃げる?」

「何や、知らんの?君死刑やで。」

 

虎杖に向けられた鋭い視線。

同時に″死刑″という言葉に洸達は眉を顰めた。

 

「で、洸は呪術界からの永久追放。まあこのままやと都合よく上に潰されるやろな。寧ろそれがおじいちゃん達の狙い。元離反者、あの悟くんを殺せる程の力を持つ危険人物やからな。」

「……想定内だよ。」

 

建前は追放。本音は死刑。

しかし洸は違和感に気づく。

″本部からの通達″――虎杖の死刑に洸の追放。あまりにも上層部に不利な内容でもある。

悟の力を持った洸がいれば敵に抗うことは可能。しかしそれを鑑みず消すつもりなのだ。

 

「((上層部の保守派に″黒″がいる。……そして″あの男″と繋がりのある可能性。そうじゃないとその通達はおりないはず。))」

 

リベラル派は既に消されている可能性が高いと見た。″腐ったミカン″共はどこまでも厄介な奴らだ。

 

「悟くんの後ろ盾がのうなったからな。……さすがに洸でもそこは抗えんかったな?」

「……」

「ま!俺が用あんのは恵くんと洸やからぶっちゃけ君の生死はどうでもええねん。」

 

五条悟の気まぐれで救われていた術師たち。しかしそれは容易に砕け散る。

 

「ヒカルンと伏黒になんの用だよ」

「恵くんに関しては死んでもらおと思て。その前に一筆書いてくれると助かるねんけどな。」

「は?なんだよそ――」

 

 

 

虎杖が言葉を終わらせる前に直哉は動き始めた。

気が付けば直哉は洸と七海の目の前に立っていた。

 

「なっ……!」

「建人!」

 

凄まじいスピードだった。

洸は考えるよりも早く、無意識に受身の体勢を取ると直哉の拳を右手で受け止める。

 

風を裂くような音と共に、視界が一瞬で塗り替えられた。次の瞬間 衝撃が来る――はずだった。だが洸の身体は地面に叩きつけられる前にしなやかに回転し、埃を巻き上げながら滑るように距離を取る。

 

「…さすが。速いね?」

 

短く息を吐き、洸は低く構えた。闘争本能が静かに目を覚ます。

 

「……」

「建人は下がってて。大丈夫だから。」

 

七海は構えていた呪具をゆっくりと収める。洸の微かな笑みに少し安心はするが油断はできない。

 

直哉は数歩先に立っていた。先ほどまでの距離が嘘のようだ。微動だにしないその姿は、まるで空間そのものを支配しているかのようだった。

 

「さすがやな。悟くんの力もろたんやろ?とんでもない呪力しとるなあ。」

 

低く響く声。挑発でも称賛でもない、ただ事実を述べただけの声音だった。

 

洸は口角をわずかに上げる。

 

「ありがと。」

 

次の瞬間、洸の足元から呪力が弾けるように放たれた。空気が震え、地面に細かな亀裂が走る。直哉はそれを見越していたかのように一歩踏み込み、二人の距離は再びゼロへと縮まった。

 

刃のような緊張が交差する。

この一瞬が、生と死の境界線だった。

 

 

「((……呪力量の割に大した動きやない……情報通り弱っとるな?))」

「((視える。……でも……何か足りない……))」

 

洸の無限は直哉の攻撃を容易に交わす。

必然的に優位に経つのは洸だ。

 

「……ッ!」

「クソッ!」

 

そのまま洸は直哉を地面にたたき落とすと跨るように体を封じ込める。洸の右腕が直哉の首元に乗りかかると2人の顔が一気に近づいた。

 

「……なあ洸。なんで俺が来たか分かるよな。」

「さあ。」

「お前、クソ親父とわけのわからん約束しよって。そのせいで俺はこのままやと当主にもなれん。……それに」

 

直哉の手指が洸の目を覆う布を取り外す。

見とれてしまうほどに美しい紫色の瞳が交わる。

同時に目元に刻まれた傷跡にほんの一瞬直哉は眉を顰めるもすぐに本題を口にした。

 

 

「伏黒恵と縁組の話。……なんやの?」

「……」

「親父と何を引き換えにそないな事結んだんや。」

 

苛立ちを含んだ声。

 

 

 

「……なあ。さっさと応え――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「……!?」」

 

 

刹那、空気がひとつ低い音を立てて軋んだ。

耳鳴りでも、風でもない。ただ″世界そのもの″が息を呑んだような感覚だった。

 

背筋をなぞる寒気が、ゆっくりと首元まで這い上がってくる。

鼓動は確かに胸を打っているのに、血の温度だけが急に失われたようだった。

 

 

圧倒的な″存在″。

 

まるで深海の底に引きずり込まれたときのような、逃げ場のない圧力。

見えないはずのものが、皮膚の内側から触れてくる。

 

不気味で、

美しく、

そして、絶望的なほど強大な呪力がそこに満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……″あれ?洸先生もいるんだ″」

 

 

 

 

――現れたのは″乙骨憂太″

 

 

 

果たして彼は味方か、敵か

新たな脅威となるのか――

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

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