早瀬ユウカ
「先生、こんにちは」
「もう、割と綺麗になってるじゃないですか。折角、掃除道具を持ってきたのに」
「何というか、不謹慎かもしれませんが……。手間がかからなくなってしまって、少し残念です」
「あの頃はこんな果物やお饅頭じゃなくて、カップラーメンやコンビニの弁当ばかり食べていて」
「飲んでいたのも、お水じゃなくて毒々しい色をしたエナドリやら何やらで……」
「……ぐすっ、いけませんね。今日は、こんな姿を見せに来た訳じゃありませんから」
「先生、今日はお伝えしたいことがあるんですよ!」
「ほら、これを見てください」
「何と、私の研究が賞を獲ったんですよ!」
「小規模なものなら、これまでにも幾つかありましたが……。こんな大きなものは初めてなんです」
「あ、新聞の切り抜きもあれば良かったですね。また次に来るときは、ちゃんと持ってきます」
「もしかしたら、また増えてるかも? なんて」
「……うん、誇りに思ってくれると良いな。最後は、あんな泣き顔を見せちゃったから」
「でも先生、心配はしないでください。私は、こうして見事に成長していますよ」
「まだ至らない点も多いですが、着実にやりたいことを為せるようになっています」
「段々、先生の凄さにも気付けるようになってきました。大人が負うべき責任というのは、こんなにも重くて……」
「……何と言いますか、面倒なものなのですね」
「そう考えると、あの食生活もちょっと許せるかも?」
「……いや、流石にあれは乱れすぎでしたね。まぁ、カップ麺で済ませたくなる気持ちは分かりますが」
「でもあの日なんて、三食全部カップ麺だけで、先生はあんなに濃い隈を浮かべていて──」
「──ぐすっ、昨日のように思い出せます。だから、まだ、悲しいですね」
「けど、頑張りますから!」
「発見して、研究して、実績を残して──それでいつか、先生のように人を助けられたら」
「短い間でしたが、たくさんのことを教えていただきましたから」
「私も、それを活かしてみせます」
「だから先生、見ていてくださいね」
調月リオ
「邪魔するわね、先生」
「相変わらず、とても綺麗にされているのね。皆に想われているようで、ちょっと羨ましいわ」
「冗談よ。それじゃあ、供え物はここに置いておくから」
「残念だけど、すぐに行かなくちゃいけないの。まだ仕事が残っているから」
「まったく……部下は私を頼ってばっかりで、上司も私に厄介事を押し付けてくるし。まぁ、私が完璧にこなせるのは事実だけど」
「でも、少しぐらい労わってくれても良いと思わない? そうね、何か紅葉でも見に行きたい気分だわ」
「……ごめんなさい、愚痴になってしまったかも」
「先生。最近になって、ようやく貴方の苦労が分かってきたわ。勝手なことを、よりにもよって善意や正義感からされると、こんなに困るだなんて」
「そう思うと、あのときの先生は胃が張り裂けるような思いだったのでしょうね。あの、私がアリスのことで暴走してしまった時よ」
「勿論、反省はあの頃からしているけど……何というか、悪いことをしたなって思ってきてるの」
「ふふ、今更って感じだけど」
「……あぁ、思い出すわね」
「私を本心から咎めてくれた人なんて、貴方が最後だったわ」
「ミレニアムを出てからも、文句や注文は付けられるけど……あんな心の籠った言葉は、すっかり聞かなくなった」
「だから、ちょっと不安になることもあるのよ?」
「学生の頃と比べて、多くの子たちが慕ってくれてる。人の意見も聞いているし、自らの行動を振り返りもしている」
「それでも……果たして、私の道は間違っていないのか。また合理性に囚われて、見過ごしているものがないのか……」
「どうしても、確信は得られないから」
「貴方がまた、教えてくれたら良かったのだけれど」
「でも、自分で進んでいくしかないのね。うん、それも分かってきた」
「──もう少しぐらい、長く傍にいてくれても良かったとは思うけどね」
「……何というか、最後まで愚痴になってしまったかしら。まぁ、これぐらいは聞いて頂戴」
「それじゃあ、先生」
「次に来るときは、もう少し良い報告を持ってくるわ。さようなら」
生塩ノア
「二ヵ月と三日ぶりですね、先生」
「これは……。あぁ、他の子たちが先に掃除してくれていたのでしょうか。相変わらず、愛されていますね」
「でも、ここに来る人数は少しばかり減ったようです。二年前は、もっと多くの供え物で賑わっていましたのに」
「それも、至極当然のことなのでしょうね」
「先生。あなたが居なくなってから、もう六年も経ちましたから」
「あなたが愛した生徒たちは、立派に育っていますよ」
「あれ程心配していたコユキちゃんも、あなたの死を乗り越えています。先生が、最期に遺してくれた言葉のお陰でしょうね」
「塞ぎ込みがちだったユウカちゃんも、彼女らしく笑えるようになっています。ご想像の通り、研究成果も目覚ましいものがありますよ」
「他の皆さんも、少しずつ前に進んでいます。失った大きな存在を乗り越え、助け合い、先生が望んだような未来に羽ばたこうとしています」
「……えぇ。皆、あなたを忘れた上で」
「体感して初めて分かりましたが、六年という時間は短くはないものですね」
「あなたが映った写真は少しずつ掠れていき、画像や動画データも技術の発展によって解像度の劣るものとなりました」
「皆さんの記憶からも、あなたの存在は薄れていきつつあります」
「いつも隣にいてくれた大事な存在から、過ぎ去った青春の一ページとして……。段々と、アルバムに仕舞われるようなものになっているのです」
「いぇ、非難している訳ではないのですよ? はい、寧ろ逆です」
「辛い過去を乗り越える、それには忘却という手段が欠かせませんから」
「でも、先生?」
「私は、あなたの顔も、声も、仕草も……」
「全部、覚えていますよ?」
「何一つとして忘れられませんし、忘れる気もありません」
「絶対に記憶に残さなければいけない、とっても大事な人ですから。忘れられて良い筈がありません」
「けれど、そんな日々は同時に……とても、辛いです」
「瞳を閉じれば、あなたが笑う顔が、差し伸べてくれた手が、かけてくださった言葉の数々が、鮮明に思い返せます」
「最初に出会った日のことも、あのとき窓際で交わした会話の一言一句も、悪戯に付き合ってくださった際の可愛らしい反応も、全て」
「でも。目を開けてしまえば、そんなあなたはどこにもいない」
「その残酷な差異は、慣れることのない絶望は……。きっと、私だけのものなのでしょうね」
「先生。私には、もう分かりません」
「忘れたくない、けれどもう居ない大事な人」
「だからこそ忘れ去ってしまいたくて、でも、忘れられない」
「すみません、こんなところで取り乱してしまって」
「……あなたの最後の心配は、やっぱり当たってしまったみたいですね」
「ふふ、今でも反芻できますよ?」
『ノア。残酷なことに、君は私を忘れはしないのだろう』
『失った過去を振り返らなければならない日々は、とても辛くなる。けれど……どうか、未来に目を向けてほしい。君にはきっと、たくさんの出会いが待っている』
『それでいつか、叶うならば私を忘れてくれ。君の人生を生きてくれ』
「……最後まで、あなたは私を呪いませんでした」
「あれ程に辛い表情をしていたというのに、訪れる死への恐怖で一杯だったというのに……」
「最後に遺した言葉が、"忘れてくれ"だなんて」
「馬鹿ですね。あなたみたいな人が、そういる筈もないじゃないですか」
「先生? 何年が経っても、私はあなたと話したいです」
「あなたの笑う顔が、驚く顔が、今でも大好きです」
「奇跡が許されるのならば、いつか──」
「──もう一度だけ一緒に、なんて」
「ふふっ。また来ますね、先生」