メジロラモーヌ「面白くない男」   作:お話下手

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メジロラモーヌ

 「誠に申し訳御座いませんでした」

 

 理事長室。あの男は沖野と呼ばれるトレーナーと共に土下座をしていた。

 

 「理事長、コイツは先程も仰ったように記憶喪失でして、自分の方からもキツく言っておきますので…」

 

 「愉快!私は容姿が幼い故に誤解される事は多々ある。気にすることはない!」

 

 失言と共に硬直してしまった秋川理事長だが、すぐに気を取り戻すと楽しそうに大声で笑う。そも、彼女は男が記憶喪失であることを既に沖野と私から聞いていた。人物の事を全て覚えていない彼からすれば理事長が成人であると知らないのも無理はない。実際にトレーナーを目指すならば知らぬ者はいない筈のメジロにも彼は聞き覚えがなかった。

 

 ただ、理事長の秘書である駿川たづなにとってはあまり気分が良いものではないだろう。彼の好みの異性であり軟派をしていたが、白い目に変わったあの様子だと脈はほぼ失くなったに違いない。気分が良い。

 

 「いえ。皆さんの御様子から発言は控えるべきでした。寛大なお心に感謝します」

 

 男は額に汗を滲ませ再び頭を下げる。いつものふざけた態度ではない、いつの日だったか昔、私の付き添いで赴いた社交界のそれに文字通り変化した。沖野と呼ばれたトレーナーは隣にいる自分の後輩に僅かな違和感を感じて眉を潜める。

 

 「―――ふむ」

 

 理事長は僅かに目を細めると扇子を開き口元を隠す。

 

 「記憶喪失とは中々奇っ怪な目に遭ったな」

 

 理事長の気遣い。それは言葉だけではなかった。記憶喪失な彼の為に住所と連絡先は確認済み、トレセン学園を受け持ってくれる病院にも知らせており、後日日を改めて伺うよう指示をした。

 

 「慰安。今日は試験もあり疲れただろう。結果もすぐには報告出来ない。自宅に戻り休むが良い」

 

 「有り難く存じます…」

 

 「車の用意をしてあげるわ」

 

 彼を自宅まで送迎するため、メジロ家に連絡して呼び寄せている。私の言葉にぎょっとしてあわてふためいた。

 

 「そこまでしてもらうわけには…」

 

 「貴方、自分の帰り道覚えているのかしら」

 

 「いや、それは…」

 

 「迷子になられたら困るわ。素直に聞きなさい」

 

 有無を言わせぬ私に彼は折れ、渋々頷き返した。前の彼ならば不遜な態度で楽できると喜んでいたが、やはり此方との関係がリセットされているのが当然とは言え、複雑な気持ちになる。

 理事長にもう一度礼をした後、静かに出ていく私たち三人。校門前に向かう途中、沖野と呼ばれているトレーナーは男に感じていた違和感をぶつけた。

 

 「…お前、なんか変わったな」

 

 「え。そう…なんですかね? 記憶喪失だと何が普通なのかわからなくて」

 

 このやり取りは前回の時もあった。彼は記憶を失う前の様子と大分違うと。

 

 そしてそれは彼の性格にも及んでいる。

 

 「まぁ、良いじゃないですか。なんとかなりそうですし」

 

 「良いって…お前なぁ」

 

 彼は自分の過去に興味が無かったのだ。それは前回も同じであり、更にはこれからの未来にも興味が無いようにも見える。保健室で目覚め、試験が落ちたかもしれないと思ったこの男はあろうことかそれでも良いと考えていたのである。

 

 矛盾の塊だった。トレーナーになるためあれ程の技術と知識を身に付けたというのに、トレーナーになる気概を失い。過去に興味を持たないのに未来にも目を向けない。

 

 まさに死んでいるような人生を送ろうとしている。

 

 そんなことは許さない。この男の人生は私のモノだ。あの時、貰ってやったのだ。捨てさせはしないし、捨てるつもりもない。

 

 この男をやる気にさせる方法は一つだけ知っている。それは走る姿を見せること。前回の時も私の説得に応じない彼に、私の本気の走りを見せつけた。怪我の痛みに呻きながらも血を流しながらも走り続けた。

 

 賭けに出たのである。この男がウマ娘を愛しているならば最強の原石である私の脚が、ボロボロになるところを見て無視できる筈がない。ウマ娘が走る姿をキラキラした目で見るのだ。死んだ目が無気力な姿が無くなるのだ。

 

 そして賭けには勝利する。

 

 彼は無茶苦茶な走りをしボロボロになった私の脚を見て怒り狂った。荒治療だったが半ば自棄糞となった男は私とトレーナー契約を結ぶことになる。

 

 「乗りなさい」

 

 校門前に停められていたリムジンを見て、二人の男は口をあんぐりと開ける。

 

 「マジかよ…」

 

 ボソリと呟いて立ち尽くす彼に再度乗るよう促すと、沖野と呼ばれるトレーナーに頭を下げ、怯えた様子で私の横に座った。そういえば前の時も緊張して石みたいに可愛く固まっていたような記憶がある。

 

 運転手に住所を伝え、走り出す車。彼は窓に流れていく景色を締まりの無い様子で眺めていた。

 

 「何か見覚えの物があるかしら」

 

 「それが全く。君の言う通り、迷子になっていたかもね」

 

 「そう」

 

 茶化した物言いに素っ気なく返す。この場には運転手以外の者はいない。内心は…このまま抱き締めて口付けをしたい程、心の中が踊っていた。

 再度外の風景に顔を向ける彼の横顔を見つめ続ける。光の無い瞳に窓ガラスから射し込む夕陽が映り、ミステリアスな雰囲気を醸し出す。

 あぁ、こんな顔もしていたなと記憶の奥底で消え去っていたモノが呼び起こされる。何度も夢に見た。ベッドの上でこの綺麗な顔がグチャグチャになるほど鳴かせてやりたいと。何度も紙に書き記した。あの間抜け面が苦痛に歪む姿を見たいと。心の中が暴れまわる。

 

 「―――ッ」

 

 無防備に首筋を晒していた。危うく襲い掛かりそうになったが、唇の端を噛んでギリギリ思い止まる。まだ駄目だ。まだ契約どころか事実上初対面でしかない関係でそのようなことは出来ない。

 前回、事務的な関係でしかないと思っていたこの男が何故私に惚れたのか全くわからないが、同じように私を愛してもらわなければならない。そして今度こそ、私が何れ程貴方を愛していたのか伝える。一生書き留めた愛の言葉を全て。

 

 「これからどうするのかしら」

 

 このまま無言を続けていれば我慢出来なくなりそうだった。自らの気をそらす為、別の話題で話しかける。

 

 「そうだなー。とりあえず試験結果が出るまでは病院通いかな。生活もどうやっていたのか考えないといけないし」

 

 「やることが多くて大変ね」

 

 「ホント。でも理事長が親切な人で助かったよ。あんな失礼してしまった俺にここまでしてくれるなんて…」

 

 「あの人は些末事を気にしない人よ」

 

 身の丈な割に豪快な性格をしている。年齢は二十代後半だが、若くしてトレセン学園のトップを引き継いだ器を持つ。人を見る目はあり、些事を受け流し、大事を受け止め切れる。

 そして秋川やよいが彼にここまで親切にするのはその能力を買っているからだ。前回の時も彼女はこの男を甚く気に入っており、特に私のトレーナーになってからやる気を取り戻した姿を見て非常に喜んでいた覚えがある。

 しかし、その豪快な性格のせいで時折やりすぎなところがあるのが玉に瑕だが。

 

 「確かに。一瞬だけ見せてくれた大人びた雰囲気。実に魅力的だった。……彼氏とかいないのかなぁ」

 

 「―――」

 

 この男は相変わらず懲りもせずに粉を振りかける。前回の時は一度も、ただの一度も此方に手を出そうとしなかった。だからこそ私は彼に嫌われていると、全く異性として見られていないと思っていたのだが…。

 

 「全く。貴方…女性だったら誰でも構わないのかしら」

 

 「いやいや、流石に既婚者や未成年には声をかけないよ…」

 

 此方の白い目に慌てて否定する。前世でも付き添いで社交界に赴いた時、確かに夫人達には手を出していなかったが、令嬢達には楽しそうに声をかけていた。その度に見つけ出しては脚を踏みつけて引摺り離していたが。

 

 「理事長もそうだけど、君も結構親切だよね。見ず知らずの俺にここまでしてくれるなんて」

 

 「…別に親切ではないわ」

 

 初対面の相手を地面に叩き付けて気絶させてしまった負い目があると建前を付けた。本当は負い目などないのだが。男はそれを信じた。

 

 「アレね。君、凄い手馴れてなかった? あまりに鮮やかでプロレスでも習っているのかと思ったよ」

 

 「気のせいよ」

 

 手馴れているのは其方のせいである。やがて住宅街に入ると一軒の古びたアパートの前に辿り着いた。

 

 「施設育ちって聞いていたから予想したけど…」

 

 「なにかしら、この…犬、小屋…?」

 

 「御嬢様こわ~」

 

 顔を歪める此方を見て、彼は僅かに後退りする。強風が吹けば吹き飛んでしまいそうな、屋根。指で擦ればボロボロ崩れる壁。基礎はヒビだらけ。二階に通じる外階段は錆びている。

 これが人の住むところだと言うのか。そういえば、この男と交流を持つようになったのはトレセン学園に赴任してからである。トレーナー寮に暮らしていたが、まさかその前の自宅がこのような場所とは…。

 

 「こんな薄汚いところ、さっさと引っ越しなさい…!」

 

 信じられない。環境が酷すぎる。病気になってでもしたら堪らない。

 

 「いやいや、俺行くとこないし…」

 

 「そんなの私が許さない。学園のトレーナー寮があるわ。此方から申請しておくから其れまでウチの屋敷にいなさい」

 

 「はぁ!? ちょっ…君いきなり何言ってるの!?」

 

 男はまだ学園のトレーナーですらないのにそんなの通るわけがない。そして私の厄介にこれ以上なる義理もないと言う。

 トレセンの試験には合格することが決まっているうえ、将来トレーナー寮に入ることを私が知っているのもあるが、まだまだ先の話である。とても数ヶ月この男を此処に置いておくのは心労が持たない。目の届くところに置いておく必要がある。

 

 「申請の許可なんてどうとでも出来るわ。無論、ただ屋敷に棲ませるつもりもない。此処で貴方に貸しを作るのがメリットと思ったからよ」

 

 「独我唯尊みたいな子だな!? 君みたいな子に借りを作るのは怖すぎるよ!」

 

 急にルドルフみたいなこと言うのは止めて欲しい。保護者の許可やら世間体やらと、煩いことを理由に何度も断ろうとするが、親の許可など私が取る筈もない。

 周りの目? そんなモノもどうでも良い、そしてそれは屋敷の外に漏れて初めて意味を持つものだ。

 

 「観念なさい。此方は貴方の為に言ってるのよ」

 

 「絶対嫌だー!」

 

 子供みたいに駄々を捏ねて入り口の塀にしがみつくが、人間がウマ娘に敵うと思っているのだろうか。無理矢理引き剥がし抱えると、そのまま再びリムジンの中へ放り込んだ。

 

 「屋敷へ向かいなさい」

 

 「しかし…」

 

 運転手は助けを求めるような目で見てくる男を一瞥し、迷いが見られたが、私が見つめ直すと慌ててエンジンをかける。隣で彼は変わらず喧しい。このまま暴れられるのも困るので持ち上げると背後から抱き締める形で拘束し、動きを封じた。すると先程まで騒がしかった彼はこちらからわかる程、首まで真っ赤。急に借りてきた猫のように大人しくなり、そのままメジロ家へ向かうことになった。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 足の裏が痛む。大雨でバ場状態は最悪。どれくらい走っただろうか、爪が割れたのか足先から暖かいモノが広がっていくのを感じる。

 門限はとっくに過ぎており、周りは真っ暗。大雨のターフ、更には深夜前なこともあり、誰もいない。私と一人のトレーナー以外は。

 

 『いい加減にしろ!』

 

 まだ走り続けようとした私を止めるため、先回りした彼が飛び掛かった。互いに縺れるように泥だらけのターフに倒れ混む。チカラでは敵わないウマ娘にこうでもしないと止められないと思ったのだろう。

 

 『離してくれないかしら、貴方は私のトレーナーではないでしょう』

 

 痛みで顔が苦痛に歪みそうだったが耐える。このつまらない男の前で自分の弱った姿を見せる、それがあまりにも屈辱的だからだ。

 

 『それは関係ないだろ!』

 

 いつも飄々とし、光の無い目をしていた男がこれまで見たことがない程に怒り狂っていた。目にはギラギラとしたモノが生まれている。そういう顔も出来たのか。

 

 『君は…!何を馬鹿な事を考えているんだ!こんな素晴らしい脚を…正気じゃない!』

 

 急いで私からシューズを脱がすと、爪が裂け血と泥にまみれた脚が現れる。彼の顔は真っ青になった。

 

 『なら貴方が治しなさい』

 

 『で、出来るわけないだろ!俺が君に行ったのは治療じゃない施術だ。ましてや柔道整復師の資格も無い素人だ!』

 

 『出来るわ。だから私と契約しなさい』

 

 柔道整復師などいくらでも呼んだ。自ら施術に関して独学で学び試した。だからこそ、わかる。この男は素人ではない。恐らく記憶喪失で学んだことすら忘れているのだ。

 特に"針治療"に関してはこれまでのモノとは見たことがない方法で劇的な効果をもたらした。

 

 あの時、この男なら自分の脚を治せると確信したのだ。故にこれまで幾度も契約を持ち掛けたが、彼は一度も首を縦に振らなかった。自分はトレーナーになった理由を失くしてしまった、だから私のウマ娘の人生を背負うことが出来ないと、他のトレーナーのように覚悟を持てないと。

 

 ならば賭けに出た。ウマ娘のトレーナーになるのは生半可なことではない。其れ程の強い想いを持って此処まで来たのだ。例え記憶が無くなろうとそれが無くならない限り、トレーナーであることを捨てられない。

 

 誰もいない夜中、雨に濡れたターフに呼び寄せ、自らを傷つけた。疲弊した私の姿を見て放置出来る筈もない。

 

 『君は俺を買い被り過ぎてる。俺は君を支えてやれる自信がない…』

 

 能力を持ちながらそこまで自信を持てない理由は今でもわからない。だが、そんなことはどうでも良かった。

 

 『それを決めるのは私よ。貴方ではないわ』

 

 『なんて子だよ…』

 

 苦虫を噛み潰したような顔で此方の言葉に戦慄する。

 

 『こんなことしなくたって君は充分強い。他のトレーナーと組んでも勝利出来るんだ…!』

 

 『私はウマ娘でメジロラモーヌよ。ただ勝つだけでは駄目なの。最強になるためならなんだってやるわ』

 

 完璧な存在でなければならない。半端な状態でレースに勝てる程、この世界は甘くない。メジロの血を持とうと、一瞬で足元を掬われるのだ。例えこれで私の選手生命が無くなろうと構わない。

 

 『さぁ決めなさい。今ここで私を見捨てて逃げるのか、それとも重荷を背負って地獄まで付き合うのか』

 

 『くそっ…』

 

 彼は悪態をつく。倒れ混む私を見て歯軋りをすると、優しく、壊れ物を扱うかのように抱き上げた。

 長い間、雨に打たれていたせいか流石に身体が冷え込み、震えてくる。痛みや長時間走っていたため疲労が蓄積していたのだろう。意識が揺らいでいた。

 

 『おい、おい!』

 

 腕の中でグッタリする私を見て彼も余裕が無いのか、いつもと違い粗暴な言葉使いになる。

 

 『五月蝿いわ、少し黙ってくれないかしら…』

 

 私の云うことを聞かない。彼は急いで立ち上がり、私を抱えたまま走り出した。どうやら選択したらしい。私は賭けに勝ったのだ。

 

 『ゴメン…ゴメン…!』

 

 彼は私と私ではない誰かに小さく謝っていた。大粒の雨だったのか、涙だったのかわからないものが流れ続けている。呻き声も煩かったが、何故かそれを止める気にはなれない。後にも先にも彼がここまで泣いたのはこれで最後だった。

 だけども、その目には確かに何かを決意したモノが宿っていたのだ。

 

 全く、本当によくわからない男である。

 

 

 




実は元々、メジロのウマ娘達がヒロインでした。

次回の更新は9月17日を予定しています。
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