『忘れさせてくれるの?』
彼の掠れた肯定的な言葉に、思わず喜んでしまう。咄嗟に上半身を上げその表情を確認すると、空しく自嘲気味に笑っていたのだ。
大きくて細い彼の手が自分の頬を撫で、其処に熱が籠るのを感じる。全身の血が滾り、熱さで頭がクラクラした。何なのだこの感覚は。何故か胸が痛い。
その目と指、そして心を我が物に出来ると思った、その時。
『おーい。どうした? 何か凄い音がしたけど』
突然、彼の部屋にノック音が。隣人のトレーナーが物音に驚き、心配になって確認しに来たのだろう。鍵はかけていたので入ってくる心配はないが、このままではマズイ。
急いで二人は離れると部屋の窓を開ける。幸いにも此処は二階だが、ウマ娘の中でも身体能力が高いシリウスならばこの高さで飛び降りても問題は無い。
窓枠に脚をかけ、一瞬彼を見るシリウス。何か言いたげな不安そうな表情だったが、そのまま何も言わずに飛び降りた。
『おーい。返事が無いな…』
『悪い!今開ける!』
此方を振り返ることなく、林を駆けていく彼女が心配だった。兎に角、今この状況をさっさと終わらせて後を追うことにした。
―――――
『畜生…!畜生…!畜生!畜生!畜生っ!』
林の中を抜けながらシリウスは一人悪態をついていた。情けない。なんて情けないのかと。あの男の一挙一動に振り回されている自分が。
林を抜けた先にはグラウンド、ターフがあり、すっかり日が落ちてしまった其処には誰もいないように見えた。
『痛い…』
走りを止め、肩で息をする。いつもならばたったこれだけの走り、全く体力を使わないというのに今は全身に気だるさがある。そして。
『痛い…』
胸が異常に痛かった。
『何なんだこれは…!』
男に見つめられた時、肌を重ねた時、頬に触れられた時、あの自嘲気味に笑った時の流し目、その全てに心臓が爆発しそうなくらい暴れだす。レースのような高揚感と背筋にゾクゾクしたモノが這い回る不快感。今まで味わったことがないモノにシリウスは自身の身体を抱き締めた。
『っ…! クソっ! 畜生っ!』
『騒がしいわね』
誰もいないと思っていたターフ。其処から僅かに苛立った声が聞こえた。
黒の長髪を纏め、頭頂部から左方向に流れる白メッシュのあるシニヨンの髪型。妖艶な雰囲気を纏うウマ娘。
『ラモーヌか…』
彼女は何をするでもなく、ただターフを眺めるだけ。今日は調子が悪かったのか、思うような走りが出来なかった彼女は、景色を眺め頭の中で最適解を導こうとしていたのだが、其処に現れたのがシリウスだった。
『いつになく不機嫌なのね。ルドルフと何か?』
『お前には関係ない…』
『ふぅん…』
ラモーヌは目を細める。シリウスが不機嫌なことは多いが、今日の彼女はどこか苦し気な様子であった。珍しいその姿に少しばかり興味が湧いたラモーヌは更に続ける。
『話ぐらいなら聞くわ』
冷静さを失わない彼女の姿にシリウスも僅かに頭が冷えた。苦い表情は崩れないが、己のこの不快感が何か知りたい。断片的ながらも、シリウスはラモーヌにポツリポツリと語る。ある男にいつも苛立つと、その男の全てが腹立しい。自分に靡かず、飄々としているかと思えば常に苦しんで時折、悲しい目をする。笑っているようで泣いている。泣いているようで笑っているような男だと。
そして言葉はそれだけに留まらなかった。シリウスは何も事情を知らないラモーヌに、男との出逢いからこれまでを語る。当然、ルドルフ達のことに関しては外していたが、口にすればするほど溢れてきた。僅かながらあの男と過ごした日々を。
一頻り語ったシリウス。ラモーヌはそんな彼女を見て、恍惚そうに頬を染めると嬉しそうに言った。
『まぁ、貴女…彼を愛しているのね』
『は?』
予想していなかった言葉に一瞬頭が真っ白になる。私があの男を愛してる? そんな馬鹿な話があるはずがない。
『有り得ない。こんな、こんな気持ち悪い…痛くて、苦しいモノが愛だと…!?』
『えぇ、愛は苦しいモノよ。焦がれて、締め付けるモノ』
信じられなかった。これまで多くの人間を魅力してきた自分が愛を知らぬ筈がないと思っていたのだから。
『愛されたことはあっても愛したことはないでしょう? 大人になったのね』
『私が餓鬼だと言いたいのか…』
『子供は一方的に愛を与えられる存在ですもの。貴女が今まで与えていたものとは似て非なるモノよ』
ラモーヌは続ける。想像してみなさいと。その男に微笑まれる自分を。手を重ね、抱き締められ、口づけをされ、一つになる自分を。
『…っくそ…!』
顔が熱い。官能的なその光景に全身が焼けるようだった。
『おかしい!こんな、こんなの…私じゃねぇ!』
自分とはとても思えないその姿。振り払おうとしても浮かんでは消え、浮かんでは消え。頭がどうかしてしまったのかと考えてしまう。
『愛は人を狂わせる。今までの自分と解離してしまうのも無理はないわ』
『私が…アイツのことを好き、だと…』
『貴女、本当に気づかなかったのね。ルドルフに対する想いと同じだというのに』
ラモーヌが結論に至った理由にもう一つ、ルドルフの存在があった。シリウスがルドルフに向ける敵意。何もかもが気に入らないとその姿を常に追ってしまう。こっちを見ろ、こっちを見てほしいと。それは今までシリウスが彼に向けていた感情と同じだった。
シリウスは彼だけではない。ルドルフも愛していたことをラモーヌは気づいていた。
『止めろ!ルドルフは今関係無い!』
自分のこれまで理解出来なかった感情に押し潰されそうになる。怖がるように頭を抱える彼女にラモーヌは優しく抱き締めた。
『可愛い人。安心なさい、その苦しみは貴女を強くしてくれるわ』
その苦しみは想い続ける限り永遠に終わらない。だが、苦しみと向き合う方法はある。それは欲しい者を手に入れることだ。
『私はどうすれば良い…!』
『焦る必要はなくてよ。貴女は魅力的な女性ですもの、きっと自分の物に出来るわ』
母親が子を慰めるようにその頭を優しく撫でた。いつものシリウスならば怒り狂ってしまうが、今の彼女にその余裕はなく、そしてラモーヌの優しさに安堵を覚える。
耳元で小さく、さぁ…もうお休みなさいと声をかけ、シリウスはその声に従いゆっくりと自分の寮に戻るのだった。
―――――
『シリウス…何処だ…!』
彼は急いでシリウスが向かった方へ走りその後を追ったが、未だに見つけられずにいた。早く彼女を見つけ、話をしなければならない。
ルドルフ達を忘れたいとはいえ、その重荷を彼女に背負わせようとした自分が許せなかった。シリウスの優しさに甘えようとしたその行為、それは彼女自身にあまりにも失礼である。
今すぐ彼女に謝らなければならない、そしてどうしても見てもらいたいモノがあった。
『シリウス…っ』
『あの子ならもう帰ったわ』
ターフの前、観客席に辿り着くと背後から一人のウマ娘に話しかけられる。振り向くとその姿に見覚えがあった。学園内でも有名人であり、ルドルフやシービーの同級生、そしてクリスエスの同室であったため、この時間軸では交流が全く無かったものの、初対面の相手ではない。
『メジロラモーヌ…』
彼の言葉に返事を返すことなく、まるで値踏みするかのように見つめる。昔から彼女が苦手だった。今まで何度も会合したが、ラモーヌは一度たりとも此方を…彼を認識することはなかったのである。ただのルドルフのトレーナー。ただのシービーのトレーナー。ただのクリスエスのトレーナー。いや、もしかすると人ですらなく、ただの背景の一部と思っていたに違いない。
心臓を鷲掴みされるような冷たい視線に一瞬怯むが、今は其どころではなかった。
『何処にいるのか知っているなら教えてくれ』
『情熱の赤…慈愛の緑…陽気な…黄色』
しかし、ラモーヌは此方の質問に答えることなく、彼の濁った目を見て何かをブツブツ呟きだした。
『哀しみの青に…これは…抛棄の灰色かしら』
『―――ゴメン、邪魔した』
答える気がないと判断した彼はさっさと踵を返すが、その腕をラモーヌに掴まれる。ウマ娘の腕力故に振りほどくことが出来ない。
『君に付き合ってる場合じゃない。離してくれ』
『まぁ…臆することなく啖呵を切るその態度。良くってよ』
大人気なく苛立ち交じりだったが、逆にそれが彼女の興味を引いた。クスクスと楽しそうに口元を押さえるその姿に底の知れないモノを感じたが、この時初めてメジロラモーヌは彼という存在を認識したのである。
『あの子は寮に帰ったわ。今はもう会えないでしょう。日を改めなさいな』
『流石に無理か…』
門限も既に近い。寮に向かったとしても門前払いが関の山だ。溜め息を吐き、自分も寮に戻ろうとしたがラモーヌはまだ手を離してくれなかった。
『離してくれない?』
『少しお喋りをしましょう。色男さん』
振りほどこうとしたが、やはり強いチカラで掴まれている。全てを見透かすような厄介な相手だ。出来れば手短に頼みたかった。
『それで? 何』
観念して観客席に腰を下ろすと彼女も同じく横に並ぶ。シリウスのことは一体離れておき、少し肩の荷が下りた。
『貴方、何処かルドルフに似ているわ。自分の欲望を押さえつけてる』
『また急だね。冗談はよしてくれ』
一番最初に担当を持ったのは彼女だった。ルドルフからは様々なことを教えられ、今の自分の基礎となっている。恐らくそのせいだろう。
『その目もなかなか面白くてよ』
『目?』
この死人のような目の何が面白いのか、ラモーヌは再び此方の瞳を触れそうな程近くに眺める。彼女のアメジストの瞳に泥が映った。
『黒曜石のように深い黒。様々な色を重ねている…きっと沢山の人を愛した。老若男女問わずーーーでも可哀想な人。自分だけは愛せなかったのね』
『……』
ただ見つめる。その行為だけで彼女は男の持つ出逢いを垣間見た。
『えーと。俺がそんなセンチメンタルなヤツに見える?』
自分の底を覗き込まれたような感覚。これはマズイ…さっさとこの状況から逃れたい彼は仮面を被ることにした。軽薄な態度、軟派なフリを。ラモーヌは今自分に興味を持っている、ならばその好奇心を削げば良い。そう思ったのだが…。
『ええ。だって今にも砕けてしまいそうな顔してるもの。そんな貴方に触れて、今まで何人の人を傷付けたのかしら』
彼女の前には何の意味も無かった。
『君が俺に何を求めているのかさっぱりだ』
ラモーヌは観客席に置いてある自身の鞄に手を掛けると、中からスケッチブックを取り出し一枚の絵を見せ付けた。抽象的な絵。様々な色味をランダムに乗せているかのように見えたが、どうやら椿の絵だと気づく。
『あら、わかるのね。センスが近いせいかしら』
やはり此方が何も言わずとも、彼女は表情だけで全てを察する。
『まさか。俺は花の中で椿が一番嫌いだ』
『どうして?』
『散り方が首を落としたように見える』
花は愛でる為にあるというのに、これまでに様々な死を見た彼からして見れば、連想させるモノとして特に毛嫌いしていた。ラモーヌはそんな彼を見て、にこやかに『詩的ね』と口にする。ネガティブなことを言えば話を切り上げてくれるかと考えたが、これも上手くいかない。
それどころか益々興味を引かせたようで、隣に座っていたラモーヌは肌が密着する程、身体を彼に寄せる。
『あと一つ。黒が欲しいの。でもなかなか上手くいかない…』
画竜点睛。様々な色を合わせて黒を作るが納得いくモノが出来ないらしい。
『完璧を生み出すのに欠けていたモノ。それが漸く見つかったけれど、残念。既にあの子のモノなら諦めるしかないわ』
最初は一体何を言っているのかわからなかった。だが、ラモーヌの熱っぽい視線を向けられ、それが自分に対しての意味だとやっと気づいた。しかし自分は誰のトレーナーになるつもりもない。
『悪いけど、俺は誰のモノにもならないよ』
彼の言葉にラモーヌは目を丸くした。だが、すぐに元の熱っぽい視線に戻ると更にトロけさせ、まるで狩人のように鋭くなる。
『あぁ…そんないけないわ。そんなことを言っては駄目。本当に手に入れたくなってしまう』
飢えた獣のように声を震わす彼女。自分が捕食対象にされていると認識した彼は威圧感に身動きが取れない。ラモーヌは艶めいた自身の唇を彼へ合わせようとしたが、ギリギリのところで踏み留まる。
代わりにその頬へキスをした。
『本当に―――残念。もっと早く出逢いたかった』
名残惜しむように離れていくラモーヌ。何かを言うべきかと思ったが、彼女の誘いを断った自分がこれ以上言葉にするのは野暮だと考えた。また何処かで出逢える、そんな気がしたが…この日以降、彼女と顔を合わせることは一度もなかった。彼が死ぬまで。
―――――
翌日。シリウスシンボリと話がしたかった彼は朝一番に美浦寮の前に待ち構えていたが、いつまでも経っても出てくる様子がない。次々と寮から出てくる他のウマ娘達から何事かと見られたが、まだシリウスは寮に残っているのは間違いない筈である。
どうしたものかと悩んでいたが。
『ハーハッハッハ!
早朝の静かな空気を破壊する高笑い。高等部二年、クリスエスと同級生でシリウスの後輩であるタニノギムレットが、寮の窓から飛び出してきた。着地位置が悪かったのか、プラスチック製のプランターを踏んづけてしまい割れてしまう。
『―――』
『えっと…おはよう』
ほんの一瞬、ギムレットがやってしまった―――という顔をしたがすぐにクックックと笑いだした。あのプランターは別寮のエアグルーヴが扱っていた物だが、笑っている場合ではない気がする。
『古き物はいずれ朽ちる。
『そ、そうなんだ…』
知り合いのように会話しているが実はこの二人共、初対面だった。ギムレットとはクリスエスの時間軸で色々世話になったが、まだこの時間軸では一度も会話どころか顔を合わせたこともない、筈…。
クリスエスの時も同じ妙なニックネームを付けられて、やたらと構ってきたが独特な感性を持つ彼女である。あまり深く考えないようにしていた。
『して。憂いを帯びた顔で何ゆえに此処に?
『いや、クリスエスではなくシリウスに会いたいんだ』
『―――――』
何故ここでクリスエスの名が出てくるのかわからなかったが、シリウスの名を聞くとギムレットは目を閉じて成る程と呟く。
『
遠い目をして空を仰ぎ見る。とても残念そうだがその真意はわからない。
『何の話?』
『既に終わったことだ。
踵を返して再び寮に戻るギムレット。それから暫く待ったが、やはりいつまで待ってもシリウスが出てくることない。三十分程経ち、また日を改めようと思ったその時だった。
『お前ら…くそっ! 離しやがれ!』
何故かグルグル巻きにされているシリウスがギムレット、クリスエス、同室のナカヤマフェスタに持ち上げられ連れてこられた。連行と言っても良いだろう。
『何がどうして…』
『っ!』
彼の呆然とした呟きにシリウスは目を向けるが、気まずそうに顔を逸らした。
『ククっ、まさか本当にほの字とは。これを見るだけに勝負する価値はあったな』
ナカヤマフェスタは意地が悪い笑みを浮かべる。どうやら部屋を出たがらないシリウスに対して、この三人が賭け事で勝負を仕掛けたらしい。結果はシリウスの惨敗だったようだ。シンボリクリスエスが言うには、いつもの彼女ならばここまで酷い負けはしない筈だというが、今回の賭けは彼が対象になっていたせいか、ポーカーフェイスを作れず負け越したらしい。
『へぇ。中々綺麗な顔してるじゃねぇか』
ナカヤマにアウトローな態度で顎を持ち上げられる。シリウスの時も同じようなことをされたが、類は友を呼ぶとでも言うのか、まるでホストクラブに通された気分だ。
『シリウスに飽きたら私のとこに来い。可愛がってやるよ』
『お、面白い冗談だね…』
渇いた声で笑うしかない。
簀巻されたシリウスは解放され、ナカヤマ達に対してあっちいけシッシッと手で追い払う。三人はつまらそうに文句を言うと渋々といった様子で寮に戻っていく。プランターは戻さなくて大丈夫だろうか。
『んで。何の用だ』
あんなことがあった次の日である。シリウスは気まずさからか目を逸らしていたが、男は真っ直ぐと彼女の見つめた。
お互いに立場が逆転してしまった気がする。
『君と話をしに来た』
とても大切な話。これから進むべき道を見定める第一歩だ。
『まだ俺は怖い。君のトレーナーになる資格があるのか』
『それはルドルフ達と関係が?』
『聞いてくれる?』
いつからかだろうか。彼は不幸に巻き込まれることが多くなった。それは歳を重ねる毎にドンドン増え、内容も酷いモノに変わっていく。最初は自分だけが対象だったが、ルドルフ、シービー、クリスエスすらも巻き添えになり大切なモノを失っていく。
クリスエスは未来を見据える目を、シービーは自由な脚、そしてルドルフは―――。
『もしかしたらただの偶然なのかもしれない。でも君のような素晴らしいウマ娘の未来を、また今度失ってしまったらもう俺は堪えきれないんだ』
彼の声が震えている。本当に怖くて仕方ないのだろう。
『それが誰とも組まない理由か。私をナメるんじゃねぇ』
シリウスは大体を察していた。あの沖野というトレーナーから事情を聞いた時、男の経緯も合わせ自身の中で色々な仮説を作り、今この男の状況に関して整理していたのである。
オカルト的な文献を読んだが、眉唾な話、人は一度、死ぬような体験をすると何かしらの生命線というものが希薄、或いは消失してしまい死にやすくなるらしい。
それが本当かどうかわからないが、最低でもこの男は三回亡くなっておりルドルフ達はそれに巻き込まれた可能性がある。
だが、生命力に溢れた存在。または魂が強い生物、つまり強いウマ娘が傍にいると相殺出来るというのだ。
『私は全て忘れさせると言ったな。あれはルドルフ達に対する想いだけじゃない。お前の中にある絶望も全部ぶち壊してやるって意味もあるんだよ』
実際にシリウスと行動を共にするようになってから彼は一度も不幸な目に遭っていない。彼女には絶対な自信があった、己は強いウマ娘だと。世界最強になりうるウマ娘であると。
『でもそれは、君に対して不義理だ。君の優しさに甘え、背負い込ませて、あまりにも俺が邪魔になる…』
凱旋門を目指す彼女にとってやるべきことは多い。他人に構っている暇などない。元トレーナーであった彼にとって痛い程わかる。果たして自分は少しでもシリウスを支えてやれるのか。
『だから、これを見てほしい』
ポケットから取り出したのは一本のUSBメモリー。ここには最初の時、シリウスに指摘され作り直した彼女専用のトレーニングメニュー、そして凱旋門に向けての研究データが修められている。
『初めは暇潰しだった。でも君の走りを傍で見ているうちに自然と手が勝手に作っていたんだ』
シリウスはずっとルドルフ達ではなく自分を見てほしいと思っていたが、彼はとっくにシリウスのことをしっかり見ていたのである。彼女にもう魅了されていた。
彼は恥ずかしがることなく、真っ直ぐキラキラした目でシリウスを見つめる。
『最初からそう言えよ』
僅かに頬が赤い。振り回されていた自分が間抜けみたいではないかと思ったが、その想いに喜びを隠すことが出来ない。
『これを見て、本当に君のトレーナーにふさわしいか考えてほしい』
妥協はいらない。忖度も無粋だ。
自分がこれまでに積み上げたモノ、全てをそのデータに込めた。それでマイナスとなる要素が僅かにでもあるのならば、己は彼女の重荷になる資格はない。
だがもしも。シリウスに俺しかいないと感じさせることが出来たのならば。
『俺は君のトレーナーになりたい…!』
『あぁ…』
そう。この男は熱血漢だと聞いた。こういう人間なのだと。とても良い顔つきだった。
シリウスは満足そうに小さく返事をする。彼に素早く近づき、唇を重ね、愛おしい者を見る目をすると囁いた。
『主人が行くまで自分の部屋で大人しく待ってろ。コイツの審査が終わったら迎えにいく』
無論、シリウスは彼を手放す気はなかった。だが、この男がそれを望むのならば本気で向き合わなければならない。それがこの男を前に進ませる唯一の方法ならば。
私と共に世界を取ろう。
『待ってる…』
そしてその日の夜。
―――二人は契約を結んだ。
すいません、また終わらなかったです。
削りまくっても一万超えそうでした。
次で絶対終わらせます。
次回の更新は11月4日の予定です。
追伸。
沢山の評価と感想、誤字脱字報告ありがとうございます。
凄く嬉しいです。