メジロラモーヌ「面白くない男」   作:お話下手

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シリウスシンボリ

 

 『やぁ、トレーナー!調子はどうだい!』

 

 早朝。シリウスとサトノダイヤモンド、エルコンドルパサー、ナカヤマフェスタ、そしてマンハッタンカフェの並走を見守っていたトレーナー。ふと背後から幼い声で話かけられる。

 プロジェクトL'Arcの発案者にして責任者でもある佐岳メイだ。

 

 『おはようございます、佐岳さん。シリウスなら今日も完璧な仕上がりですよ』

 

 『あぁ。実に素晴らしい』

 

 クラシック級で見事世界の強豪を打ち破り、最強の称号である凱旋門賞を手にしたシリウスシンボリ。日本で初の栄誉を手にした彼女は自他が認めるシンボリ代表のウマ娘となった。シニア級。先日の代表交流戦でも見事一着を勝ち取り、海外のウマ娘を全て正面から叩き潰した。トレーナーも佐岳メイも今年のレースに向けて確かな手応えを感じている。

 

 『そこでなんだが…』

 

 彼女のトレードマークでもある黄色のキャップを深く被り直す。気恥ずかしさからか顔を合わせようとしない。

 

 『今夜…どうだろう。君への慰労も兼ねて食事に付き合ってくれないか?』

 

 『私だけですか?』

 

 『い、いや!勿論、君が迷惑でなければの話だ!来月に迫る海外遠征に関して君の話も参考にしたい!』

 

 慌てたように言葉を並べたてる。心なしか顔が赤かった。

 

 『えぇ、構いませんよ。私で良ければいくらでもお付き合いします』

 

 彼としても佐岳メイとはこれまでに一度も個人的な交流を持ったことがない人物だ。幼い見た目に反して人格者であり、情熱家。自身にとって好意的な重鎮であり、とても話が合う。またシンボリ家とも深い関係である彼女の話は非常に興味があった。

 

 『そ、そうか!では時間と場所は後々連絡する』

 

 トレーナーの言葉に安心した佐岳メイは光が差したかのように顔色が明るくなり、そのままぎこちない動きで後にした。右手と右足が同時に出ているのは気のせいだろう。

 

 『主人に黙って逢引とは躾が足りないようだな』

 

 『…急に後ろから話かけるの心臓に悪いんだけど』

 

 振り向けば並走を終わらせたシリウスが睨み付けている。逢引とは人聞きが悪い。佐岳メイとは上司と部下の関係であり、彼女は面倒見が良い人物。平である自分とは違い、句会では非常に立場が大きい人だ。月とスッポンである。

 

 『大体何だ、さっきの口調。気持ち悪い』

 

 『酷いな!…君も知ってると思うけど、俺は見た目よりも歳を喰ってるからね。本来、私の一人称は此方が正しい』

 

 記憶を失っていた頃は精神が肉体に引っ張られるため、口調は青年の頃に戻るが、今の精神年齢は自分でもわからなくなっている。

 

 『佐岳さんとは元々、君と契約する前から交流はあったんだ』

 

 『そうなのか』

 

 無許可で施設を利用し咎められたシリウスを助けるため、学園長から代わりにお願いされたのが佐岳メイと会ってほしいという内容だった。秋川理事長はプロジェクトを一時的な物で終わらせるつもりはなく、将来を見据え若者を中心としたメンバーで構成したかった。

 

 『そこでお前が選ばれたと』

 

 『やる気ありませーんとか、卑下したりしてずっと断っていたんだけど相手はトレセンのトップだ。一発で見破られてね、度々勧誘は受けていた』

 

 『なら私が動かずとも、いずれはトレーナー業に戻っていたってことか』

 

 面白くない。そう吐き捨て、そっぽを向いてしまう。

 

 『おやおや~。ヤキモチかい?』

 

 ジト目でにやけながら顔を覗き込んでくるトレーナー。シリウスはそんなもんじゃねぇと怒るが彼は怯むことない。

 

 『なんだ…ヤキモチ焼いてくれないのか…』

 

 逆にしょんぼりと泣きそうな顔になり、落胆の色を見せた。

 

 『それはやめろ…!』

 

 苦虫を噛み潰したような表情。どうしたものかと焦るシリウスを尻目に彼は顔をコロッと変えてクスクス笑いだす。

 

 『冗談』

 

 『てめぇ…。飼い主をからかうとはいい度胸だな』

 

 帰ったらお仕置きだと小さく言われるが、彼としてはシリウスのお仕置きなど痛くも痒くもない。これまでに色々なお仕置きを受けたが、全てお仕置きという名のスキンシップである。

 

 『君のお仕置きなら歓迎だよ』

 

 彼も男だ。美少女にされるのは嫌いではない。 

 

 『ほう。ならゴールドシップの一日付き添いにしてやろうか…!』

 

 『それはやめて』

 

 真顔で断りを入れる。離れたところでゴールドシップに振り回され投げ飛ばされている沖野トレーナーが見えた。シリウスもじゃじゃウマだが、あれはベクトルが違うため相性が悪い。

 

 『別に勧誘の件も受けるつもりはなかったんだ。最終的に俺をこっちに連れ戻したのは君のおかげだよ』

 

 『そうかい』

 

 口調はぶっきらぼうだが、シリウスの尻尾と耳が僅かに動いている。表情も固いが、その本心は既に彼から見透かされていた。

 雑談をこの辺りにして校舎に戻ろう。そう思い、ターフを横切った彼だが突然何もない場所でつまづいてしまう。

 

 『っと…』

 

 倒れようとしたがシリウスが一瞬で手を伸ばし、彼の襟布を掴んだ。ウマ娘のチカラでそのまま引っ張られたため倒れ混むことはなかったが、彼は呆然とした様子で自身の首を擦っている。

 

 『どうした』

 

 『いや…なんでもないよ』

 

 彼女からはギリギリ見えなかったようだが、つまづいた瞬間彼は柵の方に倒れ込んだ。それだけならばまだ良い。問題は柵の先端が破損しており、鋭利な槍のように尖っていたことだ。

 "偶然"にも彼は柵の方に倒れ、"偶然"にも破損していた柵が自身の喉元に突き刺さりそうだった。

 幸いにもシリウスのおかげでことなき得たが、擦った自分の手には僅かに血液が付着していたのである。喉にヒリヒリとした違和感、そして背中に寒い物が走り思わず身震いしてしまった。

 

 もしも、シリウスが助けなければ今頃。

 

 『なんで…』

 

 彼女と交流を持ってから今まで一度も起きなかった。まさかそんなことはない。これは偶然であると不安に駆られる自分を押さえつけ、校舎へと向かった。

 

 そして、そんな彼の背中を一人。同じプロジェクトのメンバーであるマンハッタンカフェだけが、ジッと眺めていた。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 『さぁ遠慮しないでドンドン食べてくれ』

 

 佐岳メイに誘われた場所は普通の居酒屋だった。いつも彼女と食事をする際は絢爛なパーティー会場やシックで物静かなレストランばかりだったのだが、意外な選出で少々驚く。

 

 『確かに。これまで君とは外交やコネクション作りの集まりでしか、食事をする機会が無かったからな』

 

 あのような場では味を楽しむことも出来まい。そう言い佐岳メイは熱燗を一口含んだ。なかなか渋いチョイスである。見た目が完全に小学生であるせいか、周りのお客さんがチラチラと盗み見見ている。

 

 テーブルには焼き鳥の盛り合わせや煮物、変わり種のおかずも用意されているが果たして食べきれるだろうか。

 

 『あの場は苦手です。特に最近は見知らぬ方から声もかけられますし』

 

 『それはそうだろう。今の君は日本で初めて凱旋門を手にしたウマ娘、シリウスシンボリのトレーナーだ。国内だけでなく外からも注目される存在となった』

 

 彼としてはシリウスの潜在能力が高い故の結果だと思っているが、今年も出場する彼女がもう一度優秀な成績を残した場合、このトレーナーの立場もいよいよ面倒なことになる。

 

 後ろ楯もない庶民で孤児育ちの彼を、引き抜く者達が現れても仕方ない。ということだ。

 

 『シンボリ家であるシリウスならばまだしも、君は学園に在中するトレーナーにすぎない。やよいも私も君を手離したくはない。どうにか残ってもらえると助かる』

 

 『いや…別に私は学園を離れるつもりはないのですが』

 

 本心だ。トレセン学園での日常は楽しく、彼にとって長い付き合いである彼処はもう一つの故郷に近い。しかし所詮は口約束。

 

 『出来れば早いうちに身を固めてもらえると、此方も安心するんだが…』

 

 家庭を持て、ということなのだろう。一瞬、クリスエスのことが頭を過ったが振り払う。もう終わったことだ。それに変な体質を持つ自分が結婚など、それにふさわしい人間なのかも怪しい。

 シリウスとは親密な関係だが、まだ彼女の足枷になるようなことにはなりたくない。

 

 『そ、そこでなんだが…。君はその…恋愛対象として歳上は好みだったりするのだろうか』

 

 『好み?』

 

 『いや、待ってくれ!その前に交際相手がいる可能性もあったな!』

 

 考えたこともなかった。女性なら何でも好きだが、今まで付き合ったのは全て年下である。どうやらトレーナーにお見合いの話が幾つも持ち掛けられているらしい。

 外面の取り繕いが上手い男だ。シリウスを通じて重鎮達と関係は築いていたが、気に入られるのも珍しくない。

 

 『交際相手、ですか』

 

 流石にシリウスのことを話すわけにはいかない。さてどうしたものかと考えを巡らせていると、ふと…店内を歩き回る店員さんに目がいく。何かがおかしいというわけではない。

 普通の店員が普通に仕事をして食事を運ぶ。ただそれだけの行為だったが、何故か嫌な予感がしたのだ。

 

 『あ…』

 

 ジッと眺めていると、店員さんは何もない場所でつまづいてしまう。それにより食べ物が派手に宙を舞い、自身から向かって、佐岳メイの背中に降り掛かろうとした。

 

 考えるよりも身体が動く。本来ならば絶対に間に合わないが予知にも等しいその動きは、佐岳メイを押し動かすことで事なき得る。体格が小さく体重と軽い彼女だからこそ出来たことだ。出来たて熱い料理に火傷することはなかった。

 

 しかし、同時に有り得ないことが起きる。

 

 食事に添えられていたステンレス製フォークの何本かが、彼の腕に深々と刺さったのだ。

 

 『え?』

 

 痛みや驚きよりも疑問が先にきた。

 

 ただ飛んできた。それだけの慣性しか働いていないこのフォークが、服も成人男性の皮膚すらも貫く。そんなことは絶対に有り得ないというのに。

 

 まるで…見えない"何か"がフォークを握り締め、チカラいっぱい振り下ろさない限りは。

 

 『トレーナー!?』

 

 佐岳メイが悲痛に叫ぶ。こうしている間にも血は滴り落ち、床を濡らす。彼女は優しく、彼が痛みに悶えないように傷口を押さえつけてくれるが、今はそれすらも感じられない。代わりに頭を埋め尽くすのは…疑問。それのみだった。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 『どうした。顔色が悪いな』

 

 『ん? あ、あぁ…昨日飲み過ぎちゃってね』

 

 早朝、シリウスと顔を合わせると一番に体調を心配された。察しの良い彼女に適当な言い訳で誤魔化すが、もう既に短くない付き合いだ。それが嘘であることはすぐに見抜かれる。

 

 『待て。その腕どうした』

 

 昨晩の怪我。包帯が巻かれた腕に気付き、掴みあげた。

 

 『い、痛い…』

 

 『悪い』

 

 思わずチカラ加減を間違えたらしい。顔を歪める彼に一言詫びを入れるとすぐさま手を離す。彼女なりに心配だったのだろう。

 佐岳メイからは此方が申し訳ないと思ってしまうほど頭を下げられた。助けてくれてありがとう。怪我させてすまなかったと。お店からも平謝りされたが、店員に落ち度がないと思っている彼は謝礼なども全て受け取らずショックを受けた店員へのフォローをお願いし、その場を後にしたのである。佐岳メイからは人が良すぎると心配されたが、別にそういうつもりではない。

 

 『まぁ、大した怪我じゃないから。それより準備運動を始めよ?』

 

 他のメンバーも集まり始めた。彼はいつものふやけた笑顔を見せると、なんてことないと言わんばかりに腕をブン回す。シリウスはまだ納得いっていない顔つきだったが、周りから集合が掛けられた。これ以上話を長引かせるわけにもいかない。

 

 幸いにもこの日は何も起こらず、彼がこれ以上傷つくことはなかった。

 

 その次の日もまたその次の日も。彼は自分に身の危険が迫っていることに感付いて周りの警戒を怠らなかった。ヒヤリとする場面は幾つもあったが、避けることは出来たのだ。問題ない。これならば何も問題ない。

 

 そう、思っていたのである。

 

 標的が自分ではなくシリウスに移る時までは。

 

 一回目はたまに起こりゆる些細なことだった。前方を走っていたウマ娘の蹄鉄が外れ、彼女の頬をかすったのである。蹄鉄は車のサスペンションみたいなものだ。落鉄しないよう早々簡単には外れない仕組みになっているが、確認してみると不自然にネジ切れていた。

 

 二回目は外を歩いていた時、三階の窓枠が外れガラスが落下してきた。幸いにも彼が警戒していたためシリウスを庇い大事は無かったが、落下の衝撃で砕け散ったガラスが男に飛散し、背中は血塗れになってしまう。

 

 その頃にはシリウスも異変に気付いていた。シービーやクリスエスの時のように自分達の身に危険が迫っていることに。

 

 わかってはいたのだ。今までの流れから彼女がターゲットにされることくらい。だけど、今になってどうして。シリウスと共に過ごすようになってから暫くは何も起こらなかった。彼女の存在が自分を守ってくれた筈。

 

 三回目に至ってはとうとうグラウンドの樹木がシリウスに倒れ込んだ。これも彼が庇ったことにより怪我は無かったが、代わりに彼の足が巻き込まれ足首から下が下敷きになってしまう。樹木の根元は不自然に腐りきっていた。

 

 ウマ娘達が協力して木を退かしてくれたおかげで、すぐさまその場から離れられ保健室に通されたが、恐らく骨折しているに違いない。シリウスは学園の用務員に用があると一言告げ、彼から一時的に離れた。環境整備に問題が無かったか確認したいのだろう。

 

 『すみません』

 

 不安に押し潰されそうになっていた時、彼しかいない保健室へ訪れた者が一人。同じプロジェクトのメンバーであり、漆黒の艶やかな長髪を持つウマ娘。マンハッタンカフェが無表情で現れた。

 彼の後輩が担当しているウマ娘の一人で周囲からは「変わり者」「不気味」と認識されているミステリアスな少女だが、話してみると意外にも常識人であり、もう一人の担当ウマ娘よりもまともで自身の後輩にもアドバイスを密かにしている面倒見の良いウマ娘だ。

 

 『やぁ、どうしたの』

 

 『少々御伝えしたいことがあります。時間宜しいですか』

 

 低く落ち着いた声、声量も小さいが彼女の言葉には何処か力強さがありハッキリと聞こえる。

 

 『うん。構わないよ』

 

 本当ならお客様にコーヒーを差し出したいところと、冗談を口にしたが彼女は全く反応してくれない。それどころか異様な雰囲気を纏っていた。まるで彼女にそっくりな何かが背後に立ち、周囲に敵意を向けているような不可思議な様子だった。

 

 『単刀直入に言います。貴方…何をやってしまったのですか』

 

 真剣な目で見つめてくるマンハッタンカフェ。彼女の言葉に心当たりしかない彼から笑顔が消えた。

 

 『今の貴方は正常ではないようです』

 

 『―――君には、わかるのかい?』

 

 マンハッタンカフェが言うに彼には厄介な者が取り憑いているらしい。シリウスとの話でオカルトチックな現象が起こっているのはわかっていたが、いざそう口にされると現実離れしてしまう。

 

 『彼女達は誰にでもついていくわけではありません』

 

 マンハッタンカフェがいう彼女達。有名なモノでは何処かで怨みを買っていることが多いらしいが、彼の傍にいる者達はそのように見えないと言う。

 

 『変な人と言いますか。人として壊れている方を好んでいる傾向があります』

 

 人として壊れている。それはマンハッタンカフェのようなタイプでもあれば、彼のように重度の精神的苦痛を負った者。そしてマンハッタンカフェ自身のトレーナー、彼は自分の担当に少々狂気的な執着を持っており、その者もまた彼女達に好まれる人間だというのだ。

 

 シリウスと考察した、一度死にかけた人間が対象になるのもまた同じ。普通の人間よりも命に執着を燃やすか皆無になるか。価値観が様変わりしてしまい、正常な状態には戻らないらしい。

 

 『彼女達は構ってほしくてイタズラもする子もいれば、自分のモノにしようと命を狙ってきます』

 

 マンハッタンカフェのトレーナーもオカルト現象に巻き込まれることが多く、最近は彼女が傍にいるおかげで狙われることはだいぶ減ったらしい。

 

 『そして貴方も。シリウスさんが傍にいたため諦めたのでしょう。ですが…』

 

 『違う理由で狙っているのか…』

 

 マンハッタンカフェは頷く。彼女は最初彼を見た時、既についているのは気付いていたが、大した数でもなく大した存在でもなかったのだ。故にほっておいても問題ないと考えそのまま放置し、実際にシリウスが彼と関係を持ってから逃げ去っていったため解決したと思った。しかし。

 

 『なんで…俺なんだ…』

 

 『彼女達は貴方であって貴方とは違う、何かを求めています』

 

 怨みでも好意でもない。"何か"が欲しくて命を狙っている。

 

 それが非常に厄介だった。目的がわからないから対処のしようがない。話しをして目的を聞いても『走りたい』としか言わず、彼女達も何を求めているのかよくわからないと言うのだ。

 

 『トレーナーさん。何か心当たりはありませんか』

 

 そんなモノ。たった一つしかない。己の体質、死ぬと記憶を失って時を遡る超常現象だった。

 だが、これが何になる。今まで人生、これのせいでどれだけ苦しめられたか。何度も死んで何度も大切な人と別れて、再び会っても彼方は此方のことなど覚えている筈もない。自分と関わらない幸せな人生を見せつけられ、無意味な存在だったと理解した時の虚しさ。

 

 ずっと孤独感に苛まれた。

 

 そんなところ救ってくれたのがシリウスだったというのに。

 

 『どうすれば良いんだ。彼女は関係ないだろう…!』

 

 『シリウスさんを狙っているのではありません。狙われているのは貴方です』

 

 事故死に見せかけた現象で命を狙ってきた彼女達。しかし、彼が彼方を警戒して上手くいかなくったのだ。

 

 『じゃあ死ねば良いのか?』

 

 『それは絶対に駄目です。それでは思う壺です。そして彼女達を侮ってはいけません。非常に狡猾で貴方を殺せないのなら、貴方が自分で"死ぬように仕向ける"ことも出来るのです』

 

 『!?』

 

 例えば、自分を追い詰めさせ、自殺を促す。事故を起こし大切な人を危機に瀕すれば庇う。それは…今まで彼が受けた死亡方法と全く同じであった。

 

 『お願いです。死ぬことだけは絶対にしてはいけません。もし貴方が本当に時を遡ることが出来るのならば、何か嫌な予感がします』

 

 そしてそれはシリウスを傷付ける行為だと、理解してほしいと。今まで無表情だったマンハッタンカフェは微かに悲しそうな顔をした。

 

 『…本当に君にはどうにも出来ないの?』

 

 縋るように泣きそうな表情で彼女を見つめるが、マンハッタンカフェは苦しそうに首を横に振る。

 

 『一人や二人なら、私と"お友達"が無理矢理引き剥がすこと出来ます。ですが、今の貴方の傍にいる彼女達は…』

 

 口を紡ぐ。

 

 『教えてほしい。今―――何人いる?』

 

 『―――――』

 

 マンハッタンカフェの様子から、自分はもう既に手遅れだと気づいた。しかし、それでも何か解決策がある筈。例えばついている者の特徴から元の人物像を辿り、背後関係を洗って相手の求めているモノを知ることが出来れば―――。

 

 しかし、彼が耳にしたのはそんな甘い希望を破壊する最悪の答えだったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『―――――数えきれません』

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 その日の夜。シリウスはトレーナーの傍を離れなかった。

 

 『もう門限近いよ。早く帰らないと』

 

 病院からトレーナー寮に戻ると、いつものようにシリウスがベッドの上で寝っ転がっていた。彼の足首には包帯が巻かれており、歩行が困難だったがシリウスを見つけると習慣になっていた紅茶を淹れてあげようとした。しかし彼女は自分でやると言って聞かなかったのである。

 

 隣の住人に声が聞こえないように互いに小さな声で喋る。今日は大変だった。大した怪我がなくて良かった。明日のトレーニングのことのみ。

 

 彼の身に起こっていること互いに話さず、また彼はマンハッタンカフェとの話しをシリウスに一切伝えることはしなかった。

 マンハッタンカフェにもシリウスには絶対に言わないでほしいと釘を差した。彼女は始めは了承してはくれず、シリウスにすぐに言うべきだと言われたが、もうフランスへの海外演習まで期限が残り少ない。

 

 義理固いシリウスのことだ。自分のトレーナーの身に何か起こっているなら、それを対処しようとするのは目に見えていた。そんなことをしてしまえば、まともにトレーニングも出来ずレースに集中など出来ない。彼女の凱旋門二連覇は遠くなる。

 

 シリウスと契約する時、彼女の足手まといになるのならばトレーナーの資格などないと思った。それが今訪れ、もう此処にはいられない。そう思ったが既にシリウスには見抜かれていたようだ。門限が迫っても帰る気配がない。

 

 『ナカヤマに今日は帰らないと伝えた。アイツなら何とかする』

 

 食事も入浴も睡眠も此処で済ませるつもりらしい。

 

 『俺は君と四六時中いられるのは嬉しいけど、バレたらマズイでしょ』

 

 『担当がある日突然いなくよりはマシだろ』

 

 『―――』

 

 やっぱり彼女には敵わない。いつも強引で我が儘なのに、察しが良くて優しい子である。シリウスの強さに眩しさを感じたが触れないことにした。

 

 『…ご飯にしようか』

 

 静かに食器の音が室内に響く。粗暴だが、食事は綺麗なシリウスに見惚れ、入浴も静かに済ませる。たまにこうして彼女が部屋に忍び込んでは一緒に過ごすこともあった。ヒヤヒヤさせる場面もあったが、孤独感を感じられない彼女との日常は大切で尊いものだ。

 

 あらかたやることを終わらせ、あとは寝るだけ。床にシーツを一枚敷き、そこに彼は寝ようと思ったがシリウスに引っ張られそのままベッドの中へ引きずり込まれた。

 

 『甘えたくなった?』

 

 『まぁ、そんなとこだ…』

 

 イタズラっぽく笑いからかってみたが、彼女はなんてことないといわんばかりに即答する。いつもは睨み付けてくるが、今日はやけに素直だった。腕を掴むチカラも強く、けして離さないつもりなのだろう。

 

 『照れないんだな。面白くない』

 

 『記憶ない頃はまだしも、今の俺は中身おっさんだしね』

 

 『主人が褒美をあげても手をつけようともしない』

 

 『いや、君アスリートだしそんなことしないよ。ましてや未成年だ』

 

 凱旋門を手にしたその日の夜は本当に大変だった。彼も男である。突然、一糸纏わぬ姿で迫られた時は流石に理性が崩壊しそうだったが、沖野の部屋に逃げ込むことで事なきを得た。

 

 『本当に面白くない男』

 

 呆れた声で囁く。腰に手を回してお互いに強く抱き締めた。これから逃げられない、逃げる気もないと言葉にせずとも確認し合うかのように。

 

 『お前は私のモノだ。これからやることは山ほどある。その意味をちゃんとわかっているな』

 

 『うん』

 

 『主を守るのが飼い犬の役目ならば、飼い犬を守るのも主の役目だ。―――だから、ずっと傍にいろ』

 

 『うん』

 

 胸の中で踞るシリウスの言葉に泣きそうになる。こんなに愛されている自分は彼女にもう何もしてやれないのだ。これ以上一緒にいてはきっと同じ未来を辿るのだろう。ならばやるべきことは一つしかない。

 

 覚悟は彼女のおかげで決まった。

 

 『おやすみ。シリウス』

 

 次の朝。シリウスシンボリが目を覚ますと彼の姿は何処にもなかった。部屋のモノはそのままで鞄は残されておらず、必要最低限のモノしか持ち去らなかったのか。

 急いで部屋を飛び出し、早朝の学園内を走り回る。片足が不自由なのだ。そう遠くにはいけない筈。

 

 ルドルフや学園理事長にも頼み込み協力してもらったが、結局探し出すことは出来なかった。その次の日もその次の日も、何度も何度も彼女は男を探し続けた。

 

 だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。シリウスの凱旋門に向けた海外遠征は迫っていた。

 

 トレーナーがいなくなったことにより、彼女はレースの出場資格を失ってしまうが彼の先輩である沖野が臨時トレーナーとして契約することになる。彼もまた凱旋門を目指すゴールドシップのトレーナーであり、シリウスのトレーナーとは一番の交流があった彼に一任された。

 

 シリウス自身も優秀だ。自分の体調管理には自分で対応出来るが、それは彼女に負担を増やすことになった。毎日時間を見つけては彼の捜索を続け、本分である学業に舎弟達の面倒を見なければならない。彼女の精神的疲労はかなりのものだ。

 

 それでもやりきったのである。

 

 意地だった。歯を食い縛り、血の滲むような思いで自らを鍛えた。

 

 いなくなったあの男に見せつけなければならない。お前が見捨てた主人はこんなにも強かったことを。何があの男を追い詰めた決定的要因なのかわからない。だが、一つだけわかることがある。

 

 私が弱かったから去ったのだと。どうしようもない状況になってしまったが、私の強さを信じられなかったのだ。

 

 ならば全てを手に入れなければならない。己が最強である証を。

 

 しかし、現実は甘くなかった。

 

 前回下したヴェニュスパークだけでなく、リガントーナにあのモンジューも凱旋門に出場。プロジェクトメンバーは食らい付いてモンジュー、リガントーナは打ち破ったが、自分を鍛え直した新しいヴェニュスパークの圧倒的な強さに敵わず、世界最強の称号は彼女のモノとなった。

 

 満身創痍し、帰国したシリウスシンボリに一つの知らせが届く。

 

 『アイツが見つかった…!?』

 

 ルドルフから神妙な面持ちで伝えられた。一瞬喜んでしまうシリウスだったが、その後に続いた言葉は最悪の報告。

 

 彼は亡くなっていたのである。

 

 九州のとある小さなアパートで暮らしていたが、その一室で不審な死を遂げた。

 

 死因は溺死。

 

 しかも部屋の浴室には水は貯まっておらず、何処を捜査しても溺れるような要素が何処にもなかった。だというのに溺死。

 警察は始め、事件性があるとみて捜査したが、周辺に彼の知り合いは誰一人としておらず、また部屋を一切荒らされた様子もない。鑑識が調べても犯人の情報となるモノは何一つとして見つからなかった。

 

 王を裏切った愚かな男の憐れな顛末。

 

 『バカ野郎』

 

 怨み節の一つでもぶつけたかったが、それももう叶わない。彼の遺品は全て彼女が引き取った。無趣味な男だ、所持品は少なく元々大した量でもない。

 あの男がああなってしまった原因の一つでも見つかればと思ったが、もしかすると幻のようなその存在感を手元に残したかったのかもしれない。結局最後まで自分のモノに出来なかった、私を歪めた存在。

 

 こんなに苦しいのなら、痛いのならいっそ出逢わなければ良かった。それでも―――。

 

 『私はもう一度…お前と』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――音が聞こえる。鬱陶しくて毎日当たり前のように聞いている音が。

 

 




次回の更新は11月11日を予定しています。



マンハッタンカフェのトレーナーはあと二人担当を持っています。一人はジャングルポケット。もう一人はアグネスタキオンです。そのうち出てきます。
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