メジロラモーヌ「面白くない男」   作:お話下手

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記憶

 

 最初に見た時、不吉な男だと思った。美術館で絵画を観覧していると、一つの絵の前に全身包帯まみれの死んだ目をした男が案山子のように立ち尽くしてした。横顔を確認するとなかなか整った顔立ちだが、頬に貼られているガーゼがそれを台無しにしている。

 

 彼の目線は一枚の絵画。純白の羽を纏うウマ娘を描かれたモノ。それに釘付けだった。

 

 『酷い絵』

 

 何の面白味もない。パステルカラーや白で優しさや善、愛を全て表現したつもりでいる。実につまらない絵。人の善性は単純なモノではない。夢を欲望と呼べば利己的思考をエゴと呼ぶ者もいる。どちらも兼ねてこその人間だというのに、この絵にはそれがない。

 

 ふと、隣にいた男が目を丸くして此方を見つめていることに気づいた。何か言いたげである。

 

 『どうしてそう思うんだい?』

 

 暗い顔つきがへにゃついた微笑みに変わる。その声色は想像よりもずっと若々しく、明るい雰囲気。大人びた容姿とは打って変わり女の母性を擽るような無邪気さがあった。

 

 『逆に貴方はどう思っていらして』

 

 『んー』

 

 わざとらしく腕を組んで思案する男。

 

 『綺麗だと思う』

 

 『それだけ?』

 

 『うん』

 

 あっけらかんと答えた。あまり考えていないような態度に見える。

 

 『俺の意見なんて面白くないでしょ。それより君の感想が知りたいな』

 

 自虐的に目尻を下げて、次は私の番だと急かす。ワクワクした様子で見つめ、まるで餌を待つ大型犬のようだ。相手に興味があると思わせるその態度。どうやら女の扱いも心得ているらしい。

 初対面である男にも私は無遠慮に絵の感想を伝える。内容は先程と同じ。底が浅く、面白味のない、つまらない絵だと。男は成る程、と呟くと更に言葉を続けた。

 

 『もしかしたら作者は其れを込みで描いたのかもね』

 

 『自らの絵が批評されることが、かしら』

 

 『うん。美術館に来る人は感受性が強い人が多いでしょ。君の言う悪辣、欲望、卑劣なんて見飽きたから純粋な美を見せたかったんじゃないかな』

 

 悪意なんてものは現実にその辺で転がっている。嫌でも目に入る。だから例えそれが作り物、偽物であろうと美しいモノを見せたかった。男はそう言う。

 

 『其れこそ欺瞞よ。純粋な美しさなんて何処にもないわ』

 

 その矛盾性を指摘すると男はクスクスと小さく笑う。何がおかしいのだろうか。

 

 『君、変わってるね』

 

 大抵の人間は此方からつまらない、面白くないと否定されると尻尾を巻いて逃げるが、彼は物怖じせず幼い少女を見るような優しげな目で此方を見つめる。

 

 『そんなこと言われたの初めてよ』

 

 『そう? 君みたいな子、見たことない。君の周りには君より面白い子が沢山いるのかな…』

 

 これは馬鹿にされているのだろうか。思わず見つめる目にチカラが入るが男は楽しそうに怖い怖いと呟く。男も年若い割に何処か達観したところがあった。

 

 『ゴメン。悪気はなかったんだ。ただ、この絵が酷いモノに見えるなら逆に君の心は綺麗ってことにならない?』

 

 自然な流れで甘い言葉を囁く。ふざけた男だとこと。

 

 『そうやって多くの女を口説き落としたのかしら』

 

 呆れた此方を見て、男は苦笑いしながら頬を引くつかせる。自身が女好きとバレて冷や汗ものだろう。

 

 『た、確かに俺は女性が好きだけど、流石に君みたいな子には手を出さないよ』

 

 男なりの節度は弁えているらしい。言葉に偽りはないように聞こえた。

 

 『そう。どんな口説き文句が出てくるのか期待したけど、貴方、面白くない人ね』

 

 『逆に君は面白い子だね…』

 

 翻弄される男は皮肉めいたことを口にする。減らず口の治まらない人だ。面白くはないが、物怖じしない言い様は悪くない。物腰は柔らかいが、負けず嫌いなところがあるかもしれない。

 

 『ん?』

 

 ふと、美術館内が騒がしいことに気付く。少し離れたところに人集りが出来ており、よく見るとsave to the earthと書かれたシャツを着た複数人の男女が、ペンキ入りの缶を絵画に次々と投げつけているのが見える。

 

 『あれは…』

 

 『活動家ね』

 

 数千万は下らない名画だろうが、お構い無しに汚していく彼ら。周りの者は刺激しないよう遠巻きに眺めるだけ。実際にその対処が一番良い。これらの作品は全て防犯ケースで厳重に保護されている。ペンキの汚れどころか多少の衝撃すらモノともしない。そのままにしていればそのうち消えるだろう。

 

 とうとう此方まで近づき、私達二人で見ていた純白の絵に向かってペンキ入りの缶を投げつけたが、あろうことか彼が庇い全身に塗料を被ってしまう。

 

 『…っ』

 

 活動家達が邪魔をした男に何やら捲し立てるが、男の方はピクリとも動かなくなった。よく見れば打ち所が悪かったのか、缶の切り口に額を切り裂かれたようで流血が止まらない。

 

 ペンキの青と血の赤。アンバランスな色合いにまみれて、死人のようなその顔つきはあまりにも不気味だった。馬鹿なことをしたものである。

 活動家達は興奮気味なのか行為がエスカレートしていき、動かない男に対して殴る蹴るの暴力まで発展していく。やられっぱなしのその光景に苛立ちを抑えきれない、本当に面白くない人。

 

 何処から持ってきたのか、石膏で出来た小さな像を持ち男に振り上げたが、その腕を私は掴む。

 

 『…つまらないことをするのね。それ以上振り下ろすなら―――握り潰すわ』

 

 『ひっ…』

 

 相手がウマ娘とわかり、身の危険を感じたのだろう。情けない声をあげながら私の目を見た。その瞳に毛を逆立たせた私の姿が映っている。淑女らしくないその姿に自分自身頭が冷え、今にも骨を砕きそうな腕を離した。こんな下郎に構っている場合ではない。

 

 『起きなさい』

 

 『………』

 

 やはり動く様子がない。意識を失っているかと思ったがどうやら違うらしい。ドロドロに濁った黒い目が何処か遠くを見ているように思える。

 

 『ーーーリウス。俺は…』

 

 服が汚れるのも構わず汚れた男の頬に手を添えると、やっと此方に気づいたのか視線が合った。

 

 『車を用意するわ。病院に行きましょう』

 

 『あ、あぁ、また怪我しちゃった。昨日病院に行ったばかりなのに』

 

 男は困ったように笑うと、またお医者さんに怒られると的外れなことを言う。

 

 『大丈夫。よく怪我するんだ』

 

 『まさか、病院に行かないつもりかしら』

 

 『額の傷は浅くても派手に出る。止血すれば問題ないよ』

 

 呆れて大きな溜め息が出る。妙な男だと思ったがここまでとは…。腕を掴むと無理矢理立たせ、引っ張っていく。男は何事かと声をかけるが知ったことではない。

 駐車場で待機していた運転手に電話をし、美術館の出口で待っているよう伝えた。

 

 『強引なんだな。君は…』

 

 『どうしてあんな馬鹿なことしたのかしら。絵は防護ガラスに守られているわ』

 

 私の言葉に男はなんでだろうね。と自嘲気味に笑う。

 

 『遠い昔、とても大切な人とあの絵を見た気がするんだ』

 

 しかしその目は濁った黒いモノではなかった。僅かに瞳に光が宿っているのが見える。

 

 『可笑しな人。あの絵は若い作家が描き上げた物よ』

 

 展示されてから一ヶ月も経っていない。最近完成された。男の言う遠い昔が一体何時の話しかわからないが、何かの勘違いだろう。

 

 『そっか…』

 

 目を丸くする。だが、少しばかり何かを考えるような仕草をすると眩い笑顔で嬉しそうに言った。

 

 『良かった、俺の勘違いで』

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 「駄目よ」

 

 アパートに戻って荷物を取りに行きたいとラモーヌにお願いすると即答で却下された。なんで。

 

 「行くなら私も一緒に行くわ」

 

 「いいよ!いいよ!場所はわかったし、其処までしてもらう必要はない!」

 

 変なところで過保護になるな、この子。そのまま押し問答で平行線だったが、着替えは屋敷の方で用意するという形で終結する。いや、何も良くないのだが。

 ラモーヌが部屋を出ていくと、またしても外側から鍵をかけられた。俺のことは信用してくれるのに頑なに閉じ込めようとするのは何故。

 

 「さて、どうやって脱け出すか」

 

 御当主との後、部屋でトレーナー契約の件を断ったが、思ったよりも彼女はあっさりと引き下がってくれた。しかし、この屋敷どころか部屋から勝手に出ることは許さないと強く言われた。

 理由を訪ねるとメイド達に手を出さないか心配だと。それはそうだ、何も言い返せない!

 

 信用はしてくれるが信頼はしてくれないらしい。

 

 ずっとテレビでウマ娘の映像を見るのも悪くないが、他人の家でグータラするのも収まりが悪い。メジロ家の書斎など見せてもらえると嬉しいが、御当主が許すとは思えない。

 

 それならばやることは一つ。脱出だ。

 

 別に逃げるわけではない。ただ、ほんのちょーっとの間だけ屋敷を抜け出し、アパートに戻るだけ。流石に彼処にはウマ娘に関する資料が置いてあるだろう。ラモーヌが気付かないうちに戻ってくれば良いだけの話しである。タイミングが良く、彼女は学園に用があるみたいで暫く屋敷を離れるらしい。行くなら今しかない。

 

 それに彼女には拾ってくれたお礼をしてあげたい。何をすれば喜んでくれるかわからないが、外を歩きながら考えよう。

 

 「扉は鍵がかかっているし、窓しかないよなぁ」

 

 此処は二階だが、壁を伝って行けば降りられない高さではない。外の様子を確認しても誰もいなかった。恐る恐る身を乗り出して僅かな足場に爪先を乗せると身体が震える。二階でも結構怖い。

 

 樋がステンレス製であり、この高耐久の物ならば俺の体重でも支えきれるだろう。少しずつ体重をかけながらゆっくりと慎重に下へ下へと降りていくが、あとちょっと、飛び降りても平気な高さ辺りにきた時、足を滑らした。

 

 「あ…」

 

 おもいっきり尻から地面に激突し、痛みに悶絶してしまう。尻が二つに割れた。悲鳴を上げたらバレてしまうので堪えるしかない。よく見ると手の甲に擦り傷が。僅かに滲んだ血を舐めとりながら、ふと何故か目の前にあるこの景色に既視感を覚えた。

 

 「あれ? 俺…此処知ってる?」

 

 この屋敷には初めて来た筈なのに見たことがある。この屋敷は全方位、六メートルは超える塀が続いており、上の方には圧力センサー。壁面はツルツルしており、この高さを登るなど不可能だということが何故かわかる。梯子を用意してもセンサーがあるため見つかってしまうだろう。

 

 だが一ヶ所だけ。植木に隠れた僅かな隙間があることを俺は知っていた。

 

 『此処はメジロ家の者にしか教えられない隠し通路よ』

 

 『なんで俺に教えるの?』

 

 『なんでって貴方。私の婚約者なのだから当然よ』

 

 聞き覚えない声が頭に響く。酷い頭痛だ。ノイズが海馬の中を暴れ回る感覚がある。

 気持ち悪く吐き気がしたが、それを呑み込んで頭を振った。何かの気のせいである。早く行こう。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 「彼、ですか」

 

 「はい。実は昨日私達のもとに四人もの方からあの人が学園に来ていないか連絡がありまして…」

 

 トレセン学園に向かうとすぐさま理事長室に呼び出されたメジロラモーヌ。駛川たづなと秋川理事長から、あの記憶喪失の男の所在を訪ねられた。

 その四人、どうやら彼の知り合いらしく。トレセン学園の試験日に会いに行こうとしたが何処にも見当たらず、遂には彼の自宅まで尋ねたようだが、其処には誰もいなかった。

 

 それもそうだろう。彼は試験当日ラモーヌから気絶させられ保健室にいたのだから。更にその後、彼が自宅に戻るところを無理矢理彼女から屋敷に連れ去られた。

 今でもアパートは藻抜けの空である。だが前回の時、彼の学園赴任前の知り合いはそういなかった覚えがあるが…。

 

 「それでその四人というのは…」

 

 「ルドルフさん、シリウスさん、クリスエスさんにミスターシービーさんです」

 

 「………」

 

 よりもよってシンボリ家のウマ娘。それも三人。更に風来坊気取りのシービーまで。普通ではない面子ばかりである。前回の時、彼と四人の面識は殆ど無かった覚えがあるが、妙な感覚があった。

 

 「まさか…」

 

 前回も彼は記憶喪失であり、結局最後まで戻ることはなかった。しかし、時折無意識に何かを思い出すような、よくわからないことを口ずさむことがあり、不思議には感じていたのだ。今でもそうだが、あの頃の自分は彼の過去に全く興味なくそれらを適当に聞き流していたが、生まれ変わりという摩訶不思議なことを体験している己がいる。もしもそれが自分だけでないとすれば…。

 

 その四人と親密な関係だった可能性もある。

 

 「彼に連絡してみますわ」

 

 懐から端末を取り出し、屋敷へ電話を入れた。すぐにメイドの一人で出て部屋にいる彼に繋いでほしいと伝えたが…いつまで待っても変わらない。何故か胸騒ぎがして不安になる。

 

 『申し訳ありません!ラモーヌ様!』

 

 返事が来た時、それは彼ではなく先程のメイド。泣きそうな声で第一声が謝罪。嫌な予感が的中してしまう。

 

 彼がいなくなった。

 

 部屋に繋いでも電話に出る様子がなく、メイドが扉越しから訪ねても返事はなく外に出ると窓から逃げ出した痕跡を見つけた。

 メジロラモーヌはあの時の光景、彼が死ぬ未来を思いだし、顔色が真っ青になる。

 

 駿川たづなと秋川理事長が何事かと聞かれても答えることが出来ず、そのまま急いで理事長室を飛び出した。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 「何もないな」

 

 アパートに訪れ、部屋の中を見た第一印象は事務的な部屋だった。意外にも内装は綺麗に整理されており、床を踏めばギシギシと音を発てるが、キチンとワックスはかけて光沢はある。本棚にはウマ娘の資料と教材、レース映像を保存したDVDで埋まっており、凡そ趣味と呼べる物が何一つ無い。

 

 ゴミ箱にはコンビニ弁当の空で埋まっており、あまり料理が得意でない男だとわかる。飲み物は水と缶コーヒーのみ。此方も拘りがなかったようだ。

 

 「つまらない男」

 

 ただ、棚の上に乗せられていた写真。これだけが嘗ての自分を思わせる物だった。

 

 其処にはあの沖野さんと肩を組んでニカッと笑う自分。今みたいな死んだ目ではなく、少年のようにイキイキとした笑顔だった。あの人、本当に俺の先輩だったんだな。

 

 そして隣にはもっと古い写真。これは幼い頃の自分だろうか。父親とウマ娘の母親に挟まれている子供。

 そういや、俺の両親に連絡しないといけないのか。自分の息子が記憶喪失になったと聞いたらどんな顔をするだろう。

 端末の連絡先に両親らしき名前は何故か無い。役場に行けばその辺りのこともわかるだろうか。

 

 「…っと、いけない。いけない」

 

 あまり長居をしてはラモーヌがいつ戻ってくるかわからない。金銭を回収、手頃な鞄に着替えとウマ娘の資料を詰めるだけ詰め込んで後は…。

 

 「ん? なんだこれ?」

 

 視界に入ったのは古びた目覚まし時計。見た目は何処にでもあるような普通の目覚まし。かなり錆び付いているが構造が単純なおかげか今でも動いている。俺はこんな物も大事にしていたのか。それも鞄に入れようと手を伸ばしたが…背後でカタンッと何かが倒れる音がした。

 

 其処には先程の家族写真が倒れている。そういえばこれも持っていきたい。しかし鞄の中はほぼ満杯。目覚まし時計と写真立てくらいはギリギリ入るだろうが、実はこの後どうしても買いたい物がある。それの容量も考えるとどちらか置いていく必要があるだろう。

 

 「しょうがない、時計は置いていくか」

 

 記憶が無いとしても流石に家族写真を置いていくのは気が引ける。気持ちの問題というやつだ。

 

 無理矢理鞄の中に押し込み、あと少しでパンパンに膨れ上がりそう。これなら丁度良い。鞄を肩にかけ、コンセントは必要最低限以外は全て抜き、ゴミも処分した。そのうち、引っ越しの準備もしなければ。

 

 「いってきます」

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 息を切らしながら走り続けるメジロラモーヌ。どれ程走り続けただろう。体力などとっくに限界だったが、それでも足を止めることはない。最初に学園から彼の自宅まで車で駆けつけたが其処には既に居らず、もしや屋敷に戻ったかと思ったが、メイドの方からまだ帰ってきた姿は見ていないと言う。

 自宅にも屋敷にも学園にもいない。苛立ちに端末を握り潰してしまいそうになるが一度頭を冷やして、彼が向かいそうなところではなく、向かうと危ない場所を考えた。

 

 そうなるとやはり一つしかない。

 

 「銀座…っ」

 

 前回彼が車に轢かれ亡くなったあの場所。もしや同じことを繰り返してしまうのではないかと、背中に寒い物が流れる。

 府中から銀座まで凡そ三十キロ。途中車が渋滞に捕まり僅かな時間すら惜しい。周りの目など気にせず、車から降りて一目散に走った。残り十キロ、ウマ娘ならばギリギリ耐えられる。

 

 人混みを避けながらウマ娘の車道を全速力で駆け、途中で落鉄する感覚があった。足を酷使したせいか痛み出してきたが、そのおかげで彼をすぐに発見することが出来た。

 

 「見つけた」

 

 そこそこ大きめの鞄を肩に担ぎ、何故か車道をジッと見つめている彼。まさか飛び出すつもりではなかろうか。

 左右に視線を動かし、車が来ないことを確認してからなんと本当に車道へ飛び出す。車通りが多い場所だ。すぐに脇から乗用車が現れ、すぐそばまで彼に接近していたが、まるで気付いた様子がない。

 

 「全く…!」

 

 此方も反対側から車道に飛び出す。

 

 「…ラモーヌ!?」

 

 私の姿を見て驚いた顔をする彼。だが返事などしている場合ではない。彼を力一杯抱き締めると、そのまま一緒に歩道へ押し出した。

 

 「いい加減にしなさい」

 

 お互いに倒れ混み、軽い打撲に呻く。横たわる彼の肩を手で押さえ付け覆い被さり、動けないようにした。私の長い髪が彼の頭をカーテンのように隠し、周りの視界は無くなる。二人の目に映るのはお互いの顔だけ。

 

 私の冷たい声に彼は目を見開いて黙っていた。

 

 「なんであんな馬鹿なことをしたの」

 

 「…子供が車道に取り残されていたんだ。泣いていたから助けないとと思って…」

 

 「何を言ってるの。何処にもいないわ」

 

 「ーーーえ」

 

 そんな姿、何処にも無かったうえに声も聞こえ無かった。周りにも他の大人達がいたというのに、まるで気づいた様子もなく、それどころか車が一切止まる気配すらないのだ。

 彼は改めて車道を見て、其処に本当に"何もいなかった"ことを確認すると、身体からチカラが抜けていくのを感じた。

 

 「ゴメン…」

 

 此方も安堵により大きく息を吐き、彼の上から退いた。私の汗だくな姿とボロボロになった足を見て更に申し訳なさそうな顔をすると再び謝罪する。

 

 「本当にゴメン…」

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 「ねぇ、そろそろ機嫌直してくれない?」

 

 「………」

 

 屋敷の部屋に戻り、今でも黙り込んでいる私を見て彼は困った表情で何かの作業を続ける。先程、彼の手で足の応急処置が終わり、一段落ついてソファに腰をおろしたが別に怒っているわけではない。

 

 「勘違いしているようだけど、私は一度も怒っていないわ」

 

 「…そうなの?」

 

 「えぇ。言うことを聞かない子供以下の人に目くじらを立てたりしないわ」

 

 「や、やっぱり怒ってる?」

 

 「怒ってないわ」

 

 落ち込んだまま作業を続ける彼。カチャカチャと金属音のようなものが聞こえるが、自宅からウマ娘資料以外に何を持ってきたのか。

 

 「そういえば何故銀座にいたのかしら」

 

 「買いたい物があってさ…ほら」

 

 彼が見せつけたのは紅茶の茶葉が入っている真空パック。それも一種類ではなく様々な品種の茶葉を用意しており、何れも高品質の物だ。そういえば彼は紅茶を淹れるのが得意だったことを思い出す。

 

 「君にお礼したかったんだ。俺に出来ることってこれぐらいだし、喜んでほしくて…」

 

 「お礼なんていらないわ」

 

 「俺が君にしてあげたかった。さっきのことだって…君のおかげだ」

 

 苦笑して小さく呟く。そう言われてしまえば怒るモノも怒れない。

 

 「茶葉ならメイドに頼めば幾らでも用意出来てよ」

 

 「俺、居候なんだけど…。それにそれじゃ意味無いし」

 

 「そう」

 

 冷たく対応するが、内心は心が弾んでいた。彼の紅茶を頂くのは一体何十年ぶりだろうか。あの頃は確か、ディンブラを出された覚えがある。

 あまり口に合わなくて美味しくないと突き出したら子供ように怒っていたのを思いだし、少し笑い声が出た。

 

 その後。トゥインクルシリーズの間、彼は私が納得いく紅茶を淹れようと何度も何度も試行錯誤していた。婚姻を結ぶ前に漸く文句無しの物が完成したが、今回もまた同じことを体験出来るかと思うと楽しみである。

 

 「さぁ、出来たよ」

 

 「あら、ありがとう」

 

 この部屋には簡易キッチンも用意されている。料理も得意だった彼にピッタリな内装にしているが、早速活用出来ているようだ。

 テーブルには湯気を立てるティーカップとソーサー。何故か香りに既視感を覚えたが、そのまま構わず紅茶を一口含む。

 

 「―――」

 

 「あれ? 口に合わなかった? 結構自信あったんだけど…」

 

 硬直してしまった私を見て彼は心配そうに話しかける。

 

 信じられなかった。

 

 指からチカラが抜け、カップが音を立てて床に落ち、脳内にあの時の情景が一気に甦る。

 

 『今日の紅茶はどう? ブレンドを少し変えてみたんだが…』

 

 『ふぅん。…前の方が好きね』

 

 『段々君の好みがわかってきたぞ』

 

 ディンブラではない。あの頃の彼が私の為にブレンドした紅茶の味がしたのである。震える自分の身体を抱き締め、片手で口を覆う。そうしなければ、嗚咽が洩れてしまうから。

 

 「っ…」

 

 「どうしたの!? 大丈夫?」

 

 彼は私の傍に寄り、不安そうな顔で覗きこむ。顔色は悪い、だがそれでも冷たくなっていない、血が通った生きたその姿を見て堪らず彼の胸に飛び込んだ。

 

 「どう、して―――貴方、は…」

 

 嗚咽で声が上手く出てこない。まだ私が怒っていると勘違いしているのか、大の男が泣きそうな顔で慌てている。

 

 「どうしてあんな"馬鹿なこと"をしたの…っ」

 

 下らない幸せな日常が待っている筈だった。だというのに、この男のせいで私の人生は滅茶苦茶にされてしまった。

 

 「わ、悪かったよ。もう君に黙って出ていかないし、大人しくしているから。頼むからもう泣かないでくれよぉ」

 

 こんな奇跡があるのだろうか。

 

 彼は死んでしまった。この私を置いて。

 

 生まれ変わってもう一度出逢った時、例え私が愛した彼で無くとも彼が彼であるならばもう一度愛そうと思った。

 

 だが、目の前にいる彼は嘗ての彼だったのである。私にはわかる。何よりもこの紅茶のブレンドはあの頃の彼にしか出来なかったのだから。

 

 生まれ変わって全ての記憶を持つ私と違い、彼は全ての記憶を失っているが、その魂は彼自身に間違いがなく大切な物を失って無かった。

 

 「もう…何処にも、いかないで…。傍にいて…っ」

 

 熱いモノが止めどなく流れる私の目を見て彼は目を見開く。私の様子がおかしいことに気づいた彼は、情けない顔から優しい顔つきに変わると強く抱き返してくれた。

 

 「大丈夫。俺はもう何処にもいかないよ」

 

 




次回の更新は12月2日の予定です
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