「……」
メジロラモーヌが彼の部屋を開けると、其処には誰もいなかった。窓が開いており、カーテンが揺れる。二階だというのにまたしても脱け出したようだ。呆れたような溜め息が零れる。
あの日懇願した後、確かに彼は何処にも行こうとしなくなった。しかし、時折こうして部屋を脱け出しては屋敷内の何処かで寛いでいるのである。一番多いのはメジロ邸にある一番大きな庭だろうか。そのまま外に出て歩くと、芝生の上に寝転がっている男の姿が。
「何をしているのかしら」
気持ち良さそうに目を閉じており、ラモーヌの抑揚の無い言葉を投げ掛けても彼は動じる様子はない。
「見つかっちゃった」
クスクスと小さく笑い、それでも起き上がることなく。大きな欠伸を一つ。
「別に良いでしょ。約束通りちゃんと屋敷から出てないから」
此方の気も知らないで呑気なものだ。
「食事の用意が出来たわ。行きましょう」
昼食の準備が整い、部屋の鍵を握っているラモーヌが直接彼のもとへ訪れるのが日課だ。彼は目を開けると右手を差し出す。起こしてほしいのだろうか。彼女は何も言わずその手を取ろうとすると、瞬間、彼はニヤリと笑い腕を掴んでそのまま自身のもとへと引っ張った。
ウマ娘の体幹ならば本来この程度で倒れたりしないのだが、完全に油断していたラモーヌは勢いに勝てず、彼と同じように横に並んで芝生の上に横たわる。
「何をするの」
軽く睨み付けるが彼はケタケタ楽しそうに笑う。彼女の頬には土と芝の葉が付着していた。
「思った通りだ…」
「なんのことかしら」
「君には芝生と土が良く似合う」
「―――」
眩い者を眺めながら目を細め、噛み締めるようなその物言いに彼女は言葉を失った。
昨日、メジロ邸で御開きがあり、其処に彼も参加していた。いや、参加させていた。前回と同じように物怖じすることなく、慣れた様子で重鎮達と会話する姿はやはり妙な男だと改めて感じる。
メジロラモーヌはドレス姿で着飾り、彼に見せびらかすが思ったよりも反応は薄かった。
「うん。いいね」
それだけだった。
生娘のように胸を高鳴らせたというのに面白くない男である。そう思っていたのだが…。
「昨日見たどんなに綺麗なドレス姿よりも、着飾った美しい宝石よりも、土と芝にまみれてる君が一番魅力的だった」
「そう…」
「あ、女の子には失礼かな」
一般的な女性に対してはそうだろう。しかし、それはメジロラモーヌにとってどんな称賛や賛美よりも愛に溢れた言葉だった。愛した者から愛する場所が相応しいと言ってくれる、これ以上の口説き文句はない。
彼は不意に柔らかい表情を静めると、真剣な顔つきに変わる。
「トレセン学園から合格通知が届いたよ」
めでたい話。しかし、それは同時に男が此処から離れることを意味していた。
この屋敷から学園まで距離がある。赴任した場合、とてもではないが通勤など出来ないだろう。ラモーヌでさえ、学園の寮住まいなのだ。
そしてご当主、彼女の祖母から学園に赴任するまで居候が許されている。男にとっても此処から出ていくのは前向きだった。
「君との日常も楽しいけど、やっぱり君の走る姿が見たい」
広大な敷地を持つメジロ家といえど、ウマ娘のレースは行えない。初めて彼女の走りを見て衝撃を受けた。もう一度あの光景を目にするにはやはり学園でしかあり得ないのだ。
「あら、それは私との契約を結ぶということで宜しいかしら」
「それはどうかなぁ」
ラモーヌのレースを見たいからといって、わざわざ担当になる必要はない。
「君は俺の能力を買っているようだけど、正直俺は自分に自信がない」
「理事長の話では貴方の試験結果は他の者達より郡を抜いていたと聞き及んでいるわ」
「優秀なトレーナーは成績だけで決まらない。最後まで支えられる者じゃないと」
「面倒な人。それなら問題無くてよ。私には"わかる"。貴方はそれに相応しいだけの信念と覚悟があることを」
メジロラモーヌは真っ直ぐと彼を見つめた。まるで疑いの無い、圧倒的信用。彼女の綺麗なアメジストが向けられ、男は胸が高鳴る。心が奪われるその前にラモーヌから視線を外し、顔に火が灯るのをバレないようにした。
「君には敵わないな…」
一目惚れだったのである。彼女の美しい走りに。そんな彼女からここまで推されて断る人間など何処にいようか。それでも。
「…っ」
「いかがなさって?」
「いや…少し頭が痛む…」
知らない誰かの声が聞こえ、モザイクが掛かったかのような顔が浮かび上がる。大切な誰かだった筈、忘れてしまえば楽だと思っている筈なのに、心の中で喪失感があるのだ。
自分でもわからない罪悪感が募る。
俺は何がしたいのか。何が欲しかったのか。
「もう少し待ってくれないかな」
「何故かしら」
「…上手く言えない」
ラモーヌはこんなにも真摯的に向き合ってくれている。だというのに自分はまだ何か納得というべきか、彼女のその想いに胸を張って答えることが出来ないとでも言えば良いのか。ラモーヌのトレーナーにはなりたい。だが、不誠実であると感じるのだ。
ラモーヌは仕方ないと溜め息を吐く。
「いいわ。でも私は貴方を手放すつもりはなくてよ。私の愛を捧げる場所へ送り出せるのは貴方だけなのだから」
「そっちは安心してほしい。施術は毎日してあげるから」
彼女から手放すつもりはないと言われ、一瞬ドキッとしてしまう。しかし、ラモーヌにとっての愛。即ちレースに関する話だとすぐに思い返して平静を装いながら答えた。彼女の発言は一々過激なため心臓に悪い。
ラモーヌはそう…と淡白に返事をすると先に屋敷へ戻る。彼も昼食のためその背中を見届けた後に続こうとしたが。
「御待ちなさい」
背後から声をかけられた。静かだが、芯に強さがあり、穏やかに思えて威圧感のある言葉。後ろを振り返ると其処には紫がかった銀髪を靡かせる媼。
「ご、ご当主…!」
メジロ家のトップであり、現当主。メジロアサマがいつの間にかその場にいたのである。
彼は背中に冷や汗をかいた。今の一連、まさかこの方に全て見られていたのではないかと。可愛い孫娘であるラモーヌだ。何処ぞの誰とも分からぬ男と逢い引き紛いのことをしていたとなれば大事。
「も、申し訳ございません!彼女は私を昼食の呼びに来ただけであり、私が勝手に過干渉を…!」
厳しいお方である。平謝りをし、ラモーヌに矛先が向かないようにしていたが、意外なことにメジロアサマ……ご当主は落ち着いた雰囲気であった。
「ふむ」
顎に手を当て思案する。言葉を選んでいる様子だ。何を考えているかわからないその姿はやはりラモーヌにそっくりである。
「貴方はラモーヌさんに好意を抱いているのですか?」
「なっ!?」
突然、まさかの相手からまさかの言葉が飛び出し、彼は大きく口を開けた。
「め、滅相も御座いません…確かに彼女は魅力的な女性ではありますが、手を出すなどもってのほか。メジロ家の御迷惑をおかけするようなことは致しません…」
「そうですか」
男の必死な言葉に返すご当主。
「幼い頃のラモーヌさんは全てを見透かした慧眼と達観した思考を持ちながらも、何処か狂気染みた空気を纏う時が御座いましたが…」
メジロラモーヌは子供の頃からあのような感じだったらしい。
「―――不憫なことです。互いに」
「え?」
言葉の意味を理解出来ず聞き返したが、ご当主が答えることはない。独り言として扱えということなのだろう。
「彼女はメジロ家の当主に最も近いウマ娘です。世間体もあります。貴方という存在はラモーヌさんにとって毒になりかねないことを胸に刻んでおきなさい」
わかっていた。彼女と自分はあまりにも身分が違いすぎると。良家の孫娘。ましてやその次期当主候補となれば周りの者が許さないのだ。
「はい、重々承知しております…」
「貴方に似た雰囲気を持つお見合い相手を幾つか用意しているところです。あの子は聡い子、時間を掛けて説得すれば理解して頂けるでしょう」
「…っ」
お見合い相手、それも自分に似た者を宛がうと聞き、流石に胸が痛んだ。しかし、ラモーヌに対して不誠実な態度を取る自分に何かを言う資格すらない。
苦しい表情を隠せなくなった彼に対し、メジロアサマは一瞬悲しげな表情をするが彼に気づかれる前にそれを消し去り、困ったように微笑む。
「そのような顔をしないのです、いつか貴方には素晴らしい相手が見つかるでしょう。事実、感心します。貴方のその若さで能力と聡明さは驚きを隠せません」
メジロアサマは言う。トレーナーとしての技量と知識のみならず、重鎮達相手に臆すことのない態度とコネクション作りの巧みさ。そしてラモーヌの脚を治療してくれることに感謝していると。
「勿体ない御言葉です…」
「そして何より貴方は他者の為に自分を殺すことが出来る人間です」
買い被りすぎだと彼は答えるが、実際にメジロラモーヌのことに関して身を引こうとする勇気がある。彼女の将来を思い己の幸せよりも相手の幸せを何より願う。
「ましてや貴方には愛嬌もあります」
「それは…。お恥ずかしい…」
ご当主の前では猫を被っているが、やはり暫く共に過ごしていれば本性を見破られるのも当然だろう。メジロアサマは影からラモーヌと彼が楽しそうに過ごしているのをいつも見ていた。
「そろそろラモーヌさんが貴方を呼び戻してくるやもしれません。話しはこの辺りでおしまいにしましょう」
「はい」
ラモーヌにこんなところを見られたら厄介である。ご当主、メジロアサマの前に道を譲ろうと彼が横に逸れると、彼女は首を横に振る。
「私は暫く風に当たります。先へお行きなさい」
「わかり、ました…?」
心の中で首を傾げ、そのまま踵を返そうとしたが再度ご当主が呼び止められた。
「最後に一つお聞きして宜しいですか」
「構いませんが…」
「"リスボン"という名前に聞き覚えがありませんか?」
「りすぼん…ですか?」
リスボン。それは地名。ポルトガルの首都の名である。ヨーロッパを代表する世界都市でありながら、十六世紀の街並みが残る古風で穏やかな土地。
別名、7つの丘の街、または海の女王とも呼ばれている。しかし、彼にはメジロアサマの質問の真意を理解出来なかった。
「勿論。ポルトガルの都市ですよね」
「…他には?」
「…いえ。申し訳ありません。無知蒙昧で…」
ご当主は何かを考える仕草を取ると暫く動かなくなる。心配になり話しかけるが、大きな反応はない。
「そういえば、貴方は記憶喪失でしたね。…いえ、もしやそもそも知らないーーー?」
その後も何かをブツブツを呟く。
「ご、ご当主?」
「―――いけませんね。歳を取ると思考に時間をかけてしまいます」
自分に呆れているのか溜め息を小さく吐く。珍しく弱音を見せたその姿に少しばかり驚きながらも、ご当主は彼を再度解放した。
「要件は済みました。私は調べたいことがありますので、これで…」
「はい」
―――――
「送ってくれてありがとう」
トレセン学園赴任当日、メジロ家の自家用車、即ちリムジンで校門前まで送迎された彼。まだ朝早く、登校する生徒達も僅かだが、明らかに輝きが違う高級車の前に皆、横目で眺めながら通りすぎていく。少し、いや…かなり恥ずかしい。
本当ならば歩いて赴くつもりだったが、ラモーヌが絶対に首を縦に振らなかったため、こうして共に送迎されたのだが…。
「ですが、少々時間が掛かってしまいましたね」
ラモーヌの横に座る妹のアルダンが、困ったように微笑む。途中、車の一人相撲があり交通整理が行われていた。幸いにも運転手だけが怪我をしたにすぎない小さな事故だったが、おかげで遠周りをしてしまい、予定よりも遅れてしまう。
「このくらいなら大丈夫だよ。余裕を持って出たからね」
チラリとラモーヌの横顔を眺める。相変わらず無表情だが、此方の視線に気づくと顔を向けた。
「忘れ物はないかしら」
「うん。全部持ったよ」
今日でメジロ家とはおさらばである。着替えと手短な荷物は全てまとめ、後々学園の寮に送ってもらうようお願いしてあった。
「ハンカチとティッシュは持った?」
「あ、当たり前でしょ…」
「知らない人についていってはダメよ」
「君は俺のお母さんか!?」
漫才のようなことをする両者にアルダンはクスクスと笑い出す。屋敷にいる間も似たようなことを常日頃行う二人。
車から彼が降りようとした時、ラモーヌは彼のスーツの裾をつい掴んでしまう。
「……」
「君も寮暮らし、俺も寮暮らし。別に今生の別れってわけでもないし、そう暗い顔しないでくれよ」
「あら、私は別にそんなつもりではなくてよ」
「そうかい」
平然と答える彼女に苦笑い。
確かに、ラモーヌの表情に陰りはない。いつもの無表情だ。
彼女達と彼はこれから別行動となる。最も、ラモーヌに行っている施術は毎日必要であるため、どうせすぐに再会することになるだろう。
「じゃ、また」
「ええ」
「失礼します」
互いに軽い挨拶を済ませ、リムジンが走りだす。彼はその姿が見えなくなるまで見送っていたが、小さくなった時、ラモーヌが座席を乗り出して此方を見つめていることにギリギリ気づいた。見間違いでなければ、あの顔は不安そうな表情だったのである。
「~~~っ」
キュートアグレッション。先日、ご当主にラモーヌには手を出さないと言ったばかりだというのに揺らぎそうになった。
本当ならば全力で駆け寄り、強く抱き締めたいが彼は大人である。我慢我慢。
「ぬおおお!」
煩悩退散。明鏡止水。壁に頭突きを喰らわし、邪な感情を押さえつけた。周りのウマ娘達が、なんだコイツ…と変な目で見ているのでこの辺りで止めておこう。
学園の校門をくぐり抜けると、何とも懐かしい香りがした。試験以来とはいえ、それ程日時が経っているわけでもあるまいに。
「トレーナー…君?」
ふと。横から誰かに話しかけられた。大人びており凛としていながらも、何処か幼さを残す声。
其方に視線を送ると鹿毛のロングヘアー、前髪は焦げ茶色で、そこに三日月のような白い一房のメッシュを垂らしているウマ娘が呆然とした様子で立ち尽くしていた。
トレーナーと呼んでいたが、恐らく彼女の担当が何処か近くにいるのだろう。しかし、辺りを見渡しても他に成人と思える人間はいない。
聞き間違えかと思った時、彼女は目尻にいっぱいの涙を溜めると満面の笑みを浮かべて此方に走り出すではないか。
「え?」
「トレーナー君!」
まるで長い時を経た恋人と再会したかのように、抱きしめられる。女の子に引っ付かれるのは嬉しいが、公衆の面前だ。何とか離れようと踠くがウマ娘のパワーに敵う筈もなく、それどころかどうやら力加減を間違えているようで全身の骨がメキメキと音を発てた。
「ぐぬぉ…お、折れる…!」
「す、すまない!あまりにも嬉しくて…」
慌てて彼女は離してくれるが、それは全然構わない。問題は周りからの視線だ。少ないとはいえ、その場にいた全てのウマ娘達が何事かとざわついている。
「しかし、思った通りだ。こうして待っていれば何れ君と再会出来ると確信していた」
ウマ娘は先程の弱々しい姿とは打って代わり、勝ち気そうな笑みを浮かべると胸に手を当てた。
ラモーヌとはまた違うベクトルの硬骨漢な女の子に見える。
彼女は彼の前に腰を落とし、片膝を付く。これから何が始まるのか見当もつかず混乱している彼だが、彼女はそんな相手の右手を優しく手に取り、甲に口づけをした。
「え? え?」
「さぁ、トレーナー君。百折不撓、再び私と共に大願成就を目指そう」
まさに絵に描いたような光景だった。偉大なる皇帝が伴侶に誓いを建て、物語の始まりを…いや、再スタートを予感させるそんな美しい光景。
しかし、大きな問題があった。
ここで一つ大切なことをお知らせしなければならない。今しがた彼に口づけをしたウマ娘の名はシンボリルドルフ。彼女もまた、あのメジロラモーヌと同じく前世の記憶を引き継ぐ転生者だった。
だが、彼女は勘違いをしていた。自身のトレーナーもまた自分と同じ転生者だと決めつけてしまっていたのである。故に、生前では叶えられなかった大義をもう一度掲げたのだが、そもそも自分の記憶が全くないこの男にとっては寝耳に水。
「ちょっといいかな…」
「なんだい?」
満面の笑みを浮かべ、何でも聞いてくれと言わんばかりの強気な返事。しかし、男は非常に申し訳なさそうに頬をかくとぎこちなく答える。
「君…誰?」
「―――――」
シンボリルドルフの瞳から光が消えた。
メジロ家のお婆様、公式で名前が出てないですが、此方では考察によく出てくるメジロアサマの設定となります。ご了承ください。
次回の更新は年内を目標にしております。
あと感想と評価、本当に嬉しいです。改めてお礼申し上げます。