「な、無い!なんで!?」
翌日トレーナー室に戻った時、彼はシンボリの当主から頂いたあのカードを無くしたことに漸く気づいた。慌ててスーツの上着やら鞄やら全部ひっくり返してみたが、何処にも見つからない。一人で大変だ、どうしようと頭を抱えていると、其処に訪問者が。
「入るぞ、駄目犬」
今朝のミーティングの為、一番最初に訪れたのはシリウスシンボリだった。開口一番に罵声を浴びせながらいつも通りに入る彼女だが、目の前のトレーナーは一瞬で外面を取り繕い冷静を装う。
「早かったね」
内心、危ない危ないと焦りながら大人の余裕を見せつけるが足のガクガクは止まらない。椅子に腰掛けようとしたが、ふらついてしまった。
「危ないな」
倒れかけた時、シリウスが一瞬で近づくと身体を支えてくれる。
「あ、ありがとう」
「元気になったとはいえ、万全じゃないんだ。しっかりしろ」
顔色を僅かに取り戻し、安定剤を控えるようになったが、彼の夜中まで仕事する癖は結局抜けていない。相変わらず食事は適当に済ませて腹さえ充たせば偏った物で構わない性格はいつも通りだった。
「他の奴らはまだか」
「君が最初だよ」
トレーナーに確認を取るが、実はこの時間帯ならば彼しかいないことを彼女は知っていた。気のない様子のフリをする彼にシリウスは白い目を向けながらもその背後に回る。
「うん? どうした―――ぬぉ!?」
一瞬、ふわりと甘い香りがしたかと思ったら首周りに柔らかい感触が。何故かシリウスがトレーナーの後ろから抱き締めたのである。所謂、あすなろ抱きと呼ばれる物だった。
「なぁ、お前この間ルドルフとラモーヌに迫られたらしいなぁ。どうだったんだ、おい?」
スリムな彼女の体型とは裏腹にその豊満な胸はグリグリと当てられ、彼は心臓が口から飛び出そうになった。男勝りな性格をしているシリウスだが、普段意識しないようにしている女性的な面を当て付けられると、嫌でもそれを思わせられる。
「な、何も無かったよ…それより退いてくれると助かるんだけど…」
「なんだ? 飼い犬が発情期でもきたか?」
ニヤニヤと愉しそうに笑う。
此処で反応したら終わりである。生理現象が起き上がる前に下半身の力を完全に抜いて感覚を遮断した。
「前から思っていたけど、君のその…人を勘違いさせる態度止めといたほうが良いよ…」
「は?」
シリウスはよく幼気な少女や年上の女性に口説き文句を言っては侍らしている。自分に対しては嫌っているはずなのにこのような接触、本来ならそこいらの男など、すぐに惚れてしまうだろう。
「はぁ?」
一度目は困惑、二度目のはぁ?はコイツ馬鹿じゃないのかの罵倒が混じった声だった。
「記憶を失う前のお前はもっと察しが良かったぞ…」
彼は精神年齢で言えば若者とはとても言い難いの歳月を重ねているのだが、精神が肉体に引っ張られているのか若干青い者となっている。シリウス的にはあの時のミステリアスで慧眼な感じが好みだったようだ。
「前の俺ってどんな感じだったの?」
「…珍しいな、お前がそんなことを聞くとはっ」
意外だったのか少し戸惑うシリウス。今までは興味無いや、思い出すつもりはないとはぐらかしていたが、此処に来て漸く記憶を取り戻す気概が出てきたらしい。
「いやまぁ…そういうつもりじゃなくて流石に君と俺の因縁? 悪縁かな? それを解決したいと思うし…」
シリウスに酷く恨まれている。記憶が無いにしても昔の自分が悪いのだろうと何となく気づいていた彼だが、どうにか折り合いを付けて自分のことなどさっさと忘れて己の道に専念してほしいと思うのだ。
「はぁ…」
今度は溜め息である。何か悪いことでも言ったのかとチラリとすぐそばにある横顔を見つめると、彼女は何処か遠くを見つめながらポツリと呟く。
「…別にお前が悪いとかではない」
「その割には凄い恨まれているんですけど!?」
茶化すなと言われた。真面目な話しらしい。
「あの時のお前がどんな行動を取るかなんてわかりきっていたんだ。世話を焼かせる奴だというのに、首輪をしてなかった私も悪い」
思い詰めていた彼を御せると考えていた。しかし、他人の迷惑になるのなら関わらないようにするタイプだった。特にそれが大切な者であればあるほど。
「俺…嫌な奴だったの?」
苦虫を噛み潰したような顔で聞きたくなさそうなトレーナー。
「嫌というより、根暗だったな」
今の明るく遊んでいるような性格ではなく、ウジウジして隅っこに逃げているような人。良く言えば不思議な雰囲気を纏い物静か。悪知恵は働くが真摯。人の悪意を知っているが善意を信じている男ではあった。
無論、それを今の彼に教えることはない。恥ずかしいから。
だからこそ、記憶を取り戻した時シリウスは本気を出すつもりである。逃げられないよう、何がなんでも飼い殺す。
「記憶が戻った時は覚悟しておけ。ちゃぁんと鎖に繋いで可愛がってやるからな…」
「こ、怖いな…」
耳元で官能的な声と共に物騒なことを言われる。小さく冷や汗を流しながら軽い態度で返す彼の姿にシリウスは満足したのか、ニヤリと笑い気づかれないようその懐に"あのカード"を差し込むのだった。
ぴったりとくっついていた彼女の柔らかい肌が離れ漸く煩悩から解放。シリウスは高笑いを上げると今日のトレーニングメニューを手に取り部屋から出ていった。
「ふぅ…」
一息をつく。しかし、首周りはあの感触が忘れられず未だに残っているような気がする。ハッキリ言って我慢の限界だった。
「まずいな」
頭を抱えて机に突っ伏す。彼女達は未成年とはいえ、異様に大人びている。元々の性格もあるのだろうが、何故だか若いという印象を感じないのである。このまま手を出してしまえば逮捕待った無し。
さてどうしたものかと背伸びをした時、先ほどシリウスがこっそりと偲ばせたあのカードがカツンと音を発てて床に落ちた。
「え? あ、あった…!? 良かったー!」
安堵の声が洩れる。ご当主から預かった大事な物を無くしてしまうという暴挙は免れた。
散々探したのにと、愚痴を思わず溢してしまうが最早これは運命である。神が言っているのだ。行けと。己の下半身を鎮めるにはこれしかないのだ。
「ご当主、力をお借りします…」
覚悟は決まった。
―――――
フロントで渡されたメニューを開くとなんかもう凄かった。年上から年下までキュート系からクール系など、言い方は悪いが選り取り見取り。スリーサイズから好みの性癖まで書かれているが、中にはウマ娘の姿もある。
メンバーの雰囲気に似ている女性もいるが、指名しなかった。そもそも彼の好みはシリウスやクリスエスなどのイケメン系やラモーヌやルドルフの美人系ではなく、たづなさんのような可愛らしい女性がタイプである。しかし、実際に惚れているのは好みとは正反対なのだから不思議な物だ。
「お…お客様、準備が整いましたので…椿の間へ移動をお願いします」
「はい…」
ボーイから簡単な順路を教えてもらい奥へと進んでいく。様々な紋章が型どられた扉を通りすぎて行くが、中からの声は全く聞こえない。安いホテルなどは丸聞こえらしいが、此処ではそのようなことは起こらないのだろう。防音は完璧に違いない。
最初はウキウキ気分で来たものだが、進んでいくごとに緊張感と不安が沸き上がってくる。
更には罪悪感というものだろうか。今回、彼女達の為に此処へ訪れたわけなのだが、結局のところの自分の為ではないかと。体のいい言い訳に利用してしまっているのではないかと己に問いかけ初めたのだ。
「な、なんか酷い気がしてきた」
仮にこのままやって次の日、果たして自分は彼女達の顔をまともに見ることが出来るのかと。
「いやいや、無理でしょ」
後ろめたいことがあるとすぐに顔に出る男だ。娼館を利用したことはバレないだろうが、確実に壁みたいな物は出来てしまう。それは指導者としても想いを寄せてる彼としても望まないことだった。
「やっぱ、やめよ」
ご当主のご厚意を無駄にしてしまうが仕方ない。本人になんと説明するかまだ考えつかないが、それは帰ってからにしよう。間違いを起こさないためだったが、これまでに何度も避けてきたのである。これから先もまぁなんとかなるだろう。
そのまま踵を返そうとしたが、流石に黙って帰るわけにはいかない。相手の女性も待たせている上、仕事なのである。ネットで見たことがあるが、中には風俗嬢と行為を行わず会話だけ済ませて帰る者もいるらしい。
「顔だけ合わせるか…」
ノックをしてみるが返事がない。
おかしい。そう思ってドアを開けて見た。
「あの~すみませ~ん」
「やっと来た…待ちくたびれたわ…」
メジロラモーヌが私服姿でベッドの上に腰掛けていた。
( ゚д゚)
( Д ) ゚ ゚
「あら?」
彼はそのまま何も言わずゆっくりと扉を閉める。
「帰るか」
何も見なかったことにしよう。最近元気になったとはいえ、まだ身体が疲れているようだ。たまに変な幻覚も見るし今回もその類いだろう。HAHAHAHAHA!!!
さぁさぁ帰ろうとした時、背後から。
「よぉ、いいご身分だなぁ。駄目犬」
ニヤニヤと笑いながらシリウスが現れた。
「うわああああああ!?」
恐怖の絶叫を上げ、トレーナーは死を覚悟する。
――――
「あの…その…すいません…」
部屋の中に引き摺り込まれ床に正座をさせられる。目の前にはラモーヌやシリウスのみならず、なんとルドルフまでいるではないか。怪物のようなオーラを身に纏い、部屋の次元が歪んでいるのではないかと見間違えるほど。
しかも本来、彼の相手をするはずだった女性はなんとシリウスにメロメロであり、此方など眼中になくすり寄っていた。シリウスもノリノリなのか女性に甘い言葉を囁く。流石はイケメンウマ娘。その後、二言程話しをすると女性は嬉しそうに部屋を出ていった。万事休す。
「貴方、ああいうのが好みだったのね」
メンバーの誰にも当てはまらないタイプにポツリとラモーヌは呟く。無表情で何を考えているのか全くわからない。
「それで? どう弁明するつもりかな?」
ルドルフに微笑みながら詰め寄られて思わず背筋が伸びる。おかしい。自身と彼女達は指導者と教え子の立場というのに、何故だか浮気がバレた恋人や夫婦の感覚に思えるのは。そもそも一体どうして此処の存在に気づいたのだろう。
「これはなんと言いますか…魔が差したと言いますか…」
「らしいぜ、ラモーヌ。どうするよこの駄目犬」
「死刑」
「弁明の余地なく極刑!?」
視線だけで氷漬けにするような目を向けられる。このままではまずい、本当に殺されてしまう!なんとかこの状況を切り抜けなければならない。
「み、未成年がこんなとこ来たらいけないんだよ!?」
兎に角話を逸らす。その後は隙を見て逃げ出すしかない。実際に彼の疑問も最もであり、何故彼女達が此処にこれるかも不思議で仕方なかった。プライバシーは一体どうなったのか。セキュリティやら色々度外視である。
「安心してほしい、トレーナー君。それはお爺様を脅……お願いして君を此処に連れてくるよう頼んだ」
「ご、ご当主ーーー!?」
何処が安心出来るだろうか。一人は既に恐ろしい目にあっているのが確定してしまった。申し訳ございません、ご当主。私が不甲斐ないばかりにと心の中で謝罪するが、実は現在進行、そのシンボリ当主はメジロアサマにボコボコにされている最中であった。
孫になんて物を渡しているのですか!と、彼女の怒りも最もではある。
「べ、別に良いでしょ。俺だって男だし…だいたいルドルフとラモーヌはそんな気にしないと思ったのに…」
しょんぼりと少し前のことを思い出す。ラモーヌとルドルフ、二人から襲われそうになったあの日だ。あれもある意味で浮気なのではないかと思ってしまうのだが。
「愛がないわ」
ズバリと切り捨てられた。ラモーヌのよくわからない許容範囲外だったらしい。ナンパするのは構わないが夜遊びは駄目で何故かルドルフだった場合は問題ないと。
「うっ…」
こうなったら最後の手段である。普段は味方である唯一のルドルフでさえ其方側ならば逃げるしか助かる方法はない。
「さぁて、調教してやるか」
「なにそれ!?」
何処から持ってきたのか首輪と鎖を手に持ちにじり寄るシリウス。まずは拘束するつもりなのだろう。悪そうな顔である。しかし、そうなってしまえば逃亡は絶望。社会的地位は地に落ちる。
「あー!お腹が痛いなー!トイレに行きたいなー!」
我ながらこんな阿保な作戦で逃げられるとは思えなかった。もっとマシな方法は無かったのかと。
「あ? 何バレバレな嘘をついている」
「う、嘘じゃないよ!? 今もう肛門が爆発しそうなんだけど、このままじゃ悲惨なことになるよ!?」
あっさりと見抜かれるがもう破れかぶれだ。
「私は別に貴方が汚物まみれになろうと構わないけれど」
「酷いな!?」
無表情でラモーヌに返されたが、実際彼女はそういう意味で言ったのではなく。例え貴方が汚物まみれになろうが、どんなに汚れようが愛せるという意味で言ったのだが、いつも通り言葉が足りないせいで彼がそれを知るよしもない。
「しょうがない。この部屋を汚されると迷惑になる。此処は行かせよう」
ルドルフはシリウスと同じく疑ってはいたが、万が一ということもある。仮に彼がウンコを漏らした場合、部屋の弁償は莫大な物になるだろう。
「ありがとう!」
「ば、てめっ…!」
飛び上がってトイレに駆け込む。シリウスはしまったという表情をして取り押さえようとしたが、ギリギリ彼が早かった。
「ルドルフ!あんたはあの馬鹿の逃げ足を知らないから!」
「え?」
ルドルフとしては所詮人の脚で逃げきれるとは思っていないと絶対的な自信があったのだが、シリウスは知っている。前回の時、あの男はルドルフとクリスエスとシービーから追いかけられた時に何度も逃げ仰せていると。
脚は遅いが、悪知恵は働く。しかもある意味では自分達以上に此方の癖を理解しているせいで、何処に隠れれば見つからないのか可能だった。
三人が急いでトイレに駆け込み、一瞬で鍵を粉砕。其処には小さな窓が空いているだけで彼の姿は何処にもなかった。
「してやられたわね」
「クッ!今度こそ既成事実をと考えていたが…!」
「あの馬鹿犬が!」
―――――
翌朝。一晩中逃げ回っていた彼だが、無事朝を迎えたことにより危機は免れた。このまま学園に戻ってもお仕置きは間違いなくあるが、貞操的な意味でのお仕置きは回避されただろう。
しかし、その前にシンボリの当主と顔を会わせて預かっていたあのカードを返却しようと、屋敷に一人で訪れたのであった。
結局使用することはなかったが、せめて謝罪と御礼は伝えたい。
「これはこれはトレーナー様。よくぞ御越しくださいました」
屋敷に訪れると執事が出迎えてくれた。突然の訪問。本来ならば門前払いを食らう筈だが、何故か彼は手厚く歓迎される。当主からも好きな時にいつでも訪れて構わないと伝えられているが、それにしたって扱いが丁寧だ。
「突然の訪問申し訳ありません。ご当主に御会いしたいのですが、流石にアポ無しでは難しいでしょうか」
忙しいお方だ。先日に御会いした時も珍しいことなのである。今回は無理かと思ったが、執事は何とも言い難い、顔の歪めかたをすると天井を指差す。
「あちらです…」
「え?」
其処にはなんと、ボロボロのボロ雑巾のような姿をしたシンボリ家の当主が須巻にされた状態で天井からぶら下がっていた。
「ご、ご当主ーーーーー!?」
本当は後半、色々書いていたのですが流石にアウトに感じたので全ボツになりました。