メジロラモーヌ「面白くない男」   作:お話下手

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 土砂降りの中、多くの車が高速で通りすぎていく。一人の青年が傘も差さずに車道をジッと見つめていた。肌に張り付く前髪の隙間から目を覗かせているが、双眸共に光が無い。生きた死体のように白い肌。周りの者はその異様な姿に誰も近付こうとしなかった。ただ一人を除いて。

 

 『―――風邪をひいてしまう』

 

 長身で褐色の肌。黒の長髪。ウマ娘であるシンボリクリスエス。

 

 彼女は自分が使用していた傘を見ず知らずの青年に差した。自身が代わりに濡れるのも構わずに。

 

 『……』

 

 青年は何も言わず、瞳だけをギョロりと動かしてクリスエスを見つめた。普通の者ならば気味の悪さに逃げ出しているところだが、無機質な彼女の表情は変わらず青年から離れることはない。

 

 クリスエスの頑なその姿に彼は困ったように微笑むと小さく呟いた。

 

 『…君。優しいんだね』

 

 それがクリスエスと青年の最初の出逢いだった。

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 『俺に?』

 

 ベンチに座りながら缶コーヒーを片手にグラウンドを眺めていた青年。やる気のない死んだ目をしているが、切れ長の目付きは何処か威圧感がある。しかし、口元は常に微笑みを浮かべており人当たりの良さが伺えた。

 男は名門でもあるこの中央トレセン学園のトレーナーではあったのだが、フラフラと雑務をこなすだけで、本来トレーナー達の本懐であるウマ娘の育成に全く参加しない変わり者だった。

 

 『あぁ、是非とも君にお願いしたい』

 

 彼の目の前にはシンボリルドルフ。学園の生徒会長であり、シンボリ家の次期当主と期待されている、容姿端麗、頭脳明晰、身体共に完璧を体現したようなウマ娘。

 彼とは正反対とも言える存在であるが、何故か彼とは気が合うのか度々会話を行う。

 彼女は名を出さなかったが、最近日本に訪れた知り合いが此方に不慣れなためサポートをしてほしいと彼にお願いしたのである。

 

 『それってウマ娘?』

 

 『…あぁ』

 

 彼の怪しんだ質問にルドルフは一拍置いたあと、正直に答えた。

 

 『理事長も悪いお方だ。君からのお願いならば断れないと知っている』

 

 『鋭いな』

 

 困ったように頭を掻く青年。先程も説明したように彼はトレーナーとしての資格も持ちながらまだ一度も誰とも契約を結んだことのない珍しいタイプ。そのあまりにもな若さにしてはそこそこの技量を持ち、周りからも期待されていた新人だが、どうにもフラフラしておりその能力も発揮させようとしない。周囲の人間はやきもきしていたのだ。

 

 『君のお願いなら何でも聞いてあげたいけど』

 

 『やはりダメかい?』

 

 基本的に仕事は選ばない彼だが、特にルドルフが相手だと二つ返事で答える。この間は生徒会の予算提出も全て彼が行い、指導者としての仕事ですらないが彼女の手助けを出来ることにとても喜んでいた。

 しかしそんな彼でも絶対に断ることがある。それがウマ娘との契約だ。周りのお節介達に早く真っ当なトレーナーとして働いてほしいと、様々なウマ娘を紹介されるが全て断り。最近では何かと交流を持たせて関係性を作ろうとする始末。

 

 『理由を教えてくれないだろうか』

 

 『理由ねぇ…。気持ちの問題だから上手く言えないんだ』

 

 そしてこの男は不思議なことに昔の記憶が一切無かったのである。つまりは記憶喪失。トレセン学園の試験前から今日になるまですっぽり自分の名前や正体が記憶から消えており、唯一残っていたのがトレーナーとしての知識と技量のみ。生きる為にも働く必要があり、自身が場違いだと感じながらも此処での生活を送っている。

 

 『半端な俺がサポートするのは君や君の知人にも失礼だよ』

 

 シンボリルドルフに迷惑が掛かる。それを避けたかった。

 

 『確かに知人は私にとっても大事なウマ娘だ。しかし君に任せたいと思ったのは君が何でも手伝ってくれるからではなく、手が空いているからという理由でもない。君だからこそだ』

 

 勝ち気そうな笑みを浮かべて青年に向き合うルドルフ。彼女のその姿に彼は一瞬、遠い昔に忘れてしまった何かを思い出させそうになったが、鋭い頭痛が襲い頭を振る。

 

 『君は周りをよく見ている。いや…周りしか見ていないとでも言えば良いかな?』

 

 『……』

 

 ルドルフの意味深な言葉に黙り込む。一拍置いて彼は鼻で息を吐き出すと苦笑いをした。

 

 『買い被りすぎだよ』

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

  

 『クリスエスさん、貴女のためにトレーニングメニューを組んでみたの。是非とも目を通してみて!』

 

 『シンボリクリスエス。僕は君のフィジカルならばすぐにでもジュニア期のレースに出るべきだと思う。多くの結果を残すためにも僕と契約してほしい』

 

 早朝。グラウンドを駆けていたクリスエスのもとに新人から中堅、ベテラントレーナーまで。あらゆる数の人が集まる。まだトレセン学園に来たばかりだというのに優れた体躯を持ち、寡黙で真面目な気質。そしてなによりあのシンボリ家から名前を与えられたという箔が付いた海外育ちのウマ娘。誰しもがその将来に期待してしまう逸材だった。

 

 『―――sorry』

 

 しかし、周りの期待とは裏腹に彼女の行動は消極的。周りのアプローチを全て無表情で断るとひたすらに肉体強化トレーニングを繰り返す。

 意志疎通を図ろうにも彼女は日本語が苦手であり寡黙な性格も相まってか、何故トレーナー契約を結んでくれないのかその理由が全くわからなかったのである。

 

 一言。謝罪の言葉と共にその場を去るクリスエス。それがいつもの光景。

 

 そんな時、周りから人がいなくなったタイミングで一人の男が現れた。

 

 『今日も凄い人気だねー』

 

 無機質なクリスエスと違い、ニコニコと春の陽気な雰囲気を全開に放出している、トレセン学園のトレーナーの中でも一際若い青年。先程ルドルフと会話していた男だった。

 

 『―――お、はよう。ございます』

 

 不慣れな日本語を発しながら頭を下げるクリスエス。青年はそんな彼女に対して軽やかに英語で挨拶を返した。

 

 『―――why?』

 

 『君。日本語が苦手なんだろ? だからそうした』

 

 青年はクリスエスが聞き取りやすいように、一言一言を区切るように話す。まとめて聞くとわかりにくい話しでも重要な箇所がわかれば意味は通じる。特に日本語の表現は複雑だ。それを見越してのことである。

 

 クリスエスは黙ったまま頭をペコペコ下げた。まるで大型犬のようなその姿に青年はクスクス笑う。

 

 この青年。あの日雨の日以来、気に入ったのかクリスエスが学園の生徒だと知ると度々こうして話しかけて来る。最初はスカウト狙いかとクリスエスは考えていたが、一向にその様子がなく、ただただ当たり障りの無い会話をするだけでそれ以上迫ってくることはない。

 

 特にトレーニングや走っている最中は絶対に近付こうとせず、遠巻きにボーッと眺めるだけ。同級生のヒシミラクルに聞いたところあれはいつものことらしい。

 

 『のんびりしているだけでお給料貰えるなんて羨ましい…。私もワンチャン、トレーナー目指してみよっかな~。…いやいやでもなるのは凄い大変って言うし…』

 

 『……』

 

 言ってるのことの意味はあまり理解出来なかったが碌でも無い雰囲気は感じた。

 

 閑話休題。

 

 『どうして契約を結ばないの?』

 

 クリスエスが契約を迫るトレーナー達から避けてひたすら強化トレーニングに励む姿を見て、尋ねた。

 

 『―――やるべきことがある』

 

 上手く言葉に出来ないのか、ゆっくりとした言葉で彼に伝える。いつもならば周りの者達は首をかしげて困惑するが、彼は何も言わずに微笑みながら小さく頷く。まるで焦らなくて良いと安心させるようにクリスエスの言葉に耳を傾けた。

 

 『―――契約は何れ。だが夢の為にも優先しなければならないことがある。一つ。sorry…上手く言えない』

 

 『大丈夫だよ』

 

 無表情で謝罪するクリスエスとは正反対に笑う青年。彼女はその大人びた容姿と態度により誤解されやすいが、中身は十六歳の女の子だ。馴れない異国の土地で一人、家族とも離れ言葉どころか思いもちゃんと伝わることが出来ない此処で不安を感じるのは当然だろう。

 

 青年はそんなクリスエスに何を思ったのか、話しだけでも聞いてあげられる存在でありたかった。だからこそ彼女の言葉にしっかりと耳を傾け、此方の言葉をわかりやすく理解しやすいように話しかける。その甲斐もあってか彼はクリスエスの言いたいことのほとんどを知ることが出来た。無表情もよく観察すれば微妙に違うことにも気付き、意外と可愛らしいところもあるのだと自身の荒んだ心が洗われる気がした。

 

 『今日は何を食べる?』

 

 カフェテリアに向かいながら友人のような感覚で話してくる青年。彼はクリスエスが食事にもの凄く気を使っているのを知っていた。

 

 『―――B定食。カルシウムが足りない。fishにしよう』

 

 『じゃあ俺は紅茶で』

 

 『―――食べないのか』

 

 『少食なんだ』

 

 肩を竦める。クリスエスがこれまで見た中で彼が食事をしたところを一度も見たことはない。

 

 『あとはビタミンBが足りないとこかな?』

 

 メモを取りながら食事を進めていくクリスエスに話しかける。彼女は一日に必要な栄養素を全て自分で管理し、実直とも言えるその絶対厳守に彼も舌を巻いていた。

 

 一度だけ彼女が初めから持っていた食事表やトレーニングメニューが書かれたノートを見せてもらったことがある。

 

 『これは…っ』

 

 それを見て普段飄々としている彼も驚きを隠せなかった。

 

 『完璧すぎる…。全てこなしている君も凄いけど、これを作った人は何者なんだ…』

 

 『―――師匠だ』

 

 そのノートは古い物だった。恐らく彼女が幼い頃に渡された物なのか幼女の頃から今に至るまでの、年月毎に変化にする必要な栄養指数を全て書き込んでおり、其処までに目標となる体重、身長、筋力。それすらも用意されていた。

 

 『トレーニングメニューも此処まで細かく指示する物は見たことがない…』

 

 『―――私は幼い頃。とても身体が弱かった』

 

 クリスエスは語る。自分がまともにトレーニングが出来ない程に貧弱であったことを。今の筋肉質な肉体からは想像も出来ないが、その筋力で弱い身体を守っているのだろう。一種の鎧のように。

 

 『―――師匠が私を変えてくれた』

 

 例え身体が弱くともキチンと身体を作り上げれば走れる。彼女は師匠にとても感謝していた。

 

 『羨ましいよ…』

 

 『―――?』

 

 悲痛な面持ちでポツリと呟いた青年。その表情に首をかしげるクリスエスだったが、彼はハッとした様子で自らの口に手を当てると驚いていた。

 

 『俺。なんか変なこと言っていた?』

 

 『―――すまない。よくわからない』

 

 幸いだったのか。それとも。彼女が日本語に対して苦手だったため彼の言葉の意味をまるで理解することはない。

 

 そんなデコボコな二人の関係。今日も今日とてクリスエスは黙々と食べている様子眺めながら紅茶を飲む彼。会話こそ少ないが二三話しながら…というよりも彼が一方的にクリスエスがわかりやすいよう噛み砕いて話す。それが最近の日常だった。

 

 其処に珍しく訪れたウマ娘が一人。

 

 『これは驚いたな。まさか二人が一緒とは』

 

 食事をしてる最中、近付いてきたのはトレセン学園の生徒会長シンボリルドルフ。その手にはおぼんが握られており、トーストとサラダの軽食が乗せられている。

 意外な組み合わせの二人に目を丸くしていた。

 

 『しかし、君がクリスエスと共にいるということは私の頼みは聞いてくれると考えて良かったかな』

 

 『えっと、何の話しかな?』

 

 安心したように息を吐くルドルフ。彼女も食事を続けているクリスエスの横に座ると、抱えていた軽食を口にする。彼女の違和感のある物言いに彼は嫌な予感がしながらも訪ねた。

 

 『私が少し前にお願いしたサポートしてほしいウマ娘。それはクリスエスのことだ』

 

 『そう、だったの?』

 

 ポカンとまさかの事態に驚いた彼。確かにルドルフは異国の知り合いだと言っていた。そして同じシンボリの名を持つクリスエス。よく考えれば彼女意外あり得なかった。

 

 『―――ルドルフから聞いていたのはお前だったのか』

 

 クリスエスも食事の手を止め、彼に向き合う。その目が僅かに驚いている辺り、彼女もまさかそれが今まで共にしていた男とは思わなかったようだ。

 

 『うむ…。そうなると余計なことを言ってしまったかな』

 

 ルドルフは申し訳なさそうな顔をする。前々から断っていた彼のことである。折角クリスエスと仲良くしているところにこの事実を知った時、距離を取ってしまうのではないかと。

 

 男も実際、罰の悪そうな表情である。

 

 『―――……』

 

 しかし、クリスエスが黙り込んだ彼の姿を見て、僅かにウマ耳が小さくなり尻尾もしなしなと力失く垂れ下がるところを見てしまえば流石の彼も鬼ではない。

 

 『いや、シンボリルドルフ。問題ないよ。彼女さえ良ければ俺はこのままクリスエスのサポートをするよ』

 

 『本当かい? しかし君をやる気にさせたとは、クリスエスが一体どんな手を使ったのか気になるな』

 

 ウマ娘と関わることを避けていた彼。その彼が自ら関係を持とうとしたクリスエス。その馴れ初めが知りたくて仕方ない。

 

 『クリスエスには恩があるんだ』

 

 恩。重い言葉に対して軽い口調で語る。クリスエスは何のことかわからず首を傾げるだけ。

 

 『君にとっては大したことではないのかもしれないね』

 

 苦笑いを浮かべる。そう、クリスエスにとってあれは本当に些細なことだった。

 土砂降りの雨の中、雨に濡れていた彼に傘を差し出しただけのこと。誰にでも出来て、けれどもけして簡単なことではない。

 

 心が死に。生きている実感がなく、雨に流されて消えてしまいそうになった彼にその実直な優しさが何より嬉しくて悲しかった。遠い昔に大切な誰かと土砂降りの中、手を取り合ったことを思い出した気がして。

 

 だから彼女が他のトレーナー達とコミュニケーションを取ることに困り果てた様子を見て、思わず身体が動いてしまった。心の中で誰かが『やめておけ』と囁くがそれでも見てみぬフリは出来なかった。

 

 心とは矛盾する物である。故に―――。

 

 『俺にとってはそれが充分すぎる理由だ』 

 

 

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