メジロラモーヌ「面白くない男」   作:お話下手

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コーヒー

 

 『起きて』

 

 優しい言葉と共にカーテンが静かに開かれる。柔らかい朝日が自分に注ぎ込み、思考が覚醒していくのを感じた。ゆっくり上半身を起こし、伸びをする。

 

 『―――んっ』

 

 目の前には死んだ目をした青年。しかしながら顔立ちは整っており、切れ長の形をした目からは長い睫毛が伸びていた。照らされた朝日から反射してキラキラと輝いている。綺麗だ。

 

 『朝食の準備は出来ているよ、着替えたら…うお!?』

 

 もっと近くで見たくなった。ベッドの上から腕を掴みそのまま自分のもとへ引っ張る。トレーナーは驚いた声をあげて一瞬抵抗しようとしたが、ウマ娘である私の腕力から逃れることは出来ない。

 

 『―――もう少し。このまま』

 

 折れてしまいそうな肉体を抱きしめる。彼の体臭を感じたくて首筋に鼻を寄せて肺いっぱいに息を吸う。トレーナーは擽ったいと身体を捩らせて小さく笑った。

 

 『珍しいな。いつもは素直に言う事聞くのに』

 

 確かに。トゥインクルシリーズは終わり、学園を卒業してから同棲を始めても規律めいた生活リズムは絶対だった。だが、彼のモーニングコールに慣れ、三年間も朝食から着替えの準備をしてくれるためズボラ癖が出来たかもしれない。こうして今、自分の素直な気持ちに従っている。

 獣性が出てしまったのか、きめ細かい肌をした首筋に思わず甘噛みしてしまい。彼から諌められてしまう。

 

 『こらこら犬じゃないんだから。ここまでだ、ご飯にしよう』

 

 『―――残念だ』

 

 『今日はルドルフ達が来る。一緒にインタビューとライブのリハーサルがあるからね、準備はしっかりと』

 

 私にとっての夢。日本のウマ娘レース界に革命起こす。それはトゥインクルシリーズが終わったとしてもまだゴールではない。築き上げた実力と名声を活かしてメディアに出演、レースに出場し己の実力が揺るがないと見せ続けなければならない。最近はシンボリ家と表舞台に立ち、ルドルフに協力する事も多くあの家に恩を少しでも返せているのは何よりも嬉しい。

 

 『―――フレンチトーストか』

 

 テーブルに載せられていたのは甘い香りがする朝食。フレンチトーストの他にニンジンスティック、茹で卵そして彼が淹れてくれたブラックコーヒー。トレセン学園前は全て自分で食事管理を行なっていたが、彼が専属トレーナーになってからは信頼し任せている。

 無論。これはただ信頼だけでも、ただ優秀だからでもダメだ。彼が信頼出来、優秀だからこそ任せることが出来る。私の体重、体脂肪率、筋肉密度、全て一日毎に測定管理しており、カロリーと運動量も計算している。私よりも私の身体を知り尽くし私の身体を知らないところは無いと言っても過言ではない。

 ブラックコーヒーを口に含む。トレーナーは紅茶を淹れるのが得意だったが、コーヒーは全く知識の無い初心者だった。ただトレセン学園時代、私がミネラルウォーター以外にコーヒーを好んで飲むと知るやいなや、合間を縫って技術や知識を練習、勉強をしていた。そこまでする必要は無いと言うのに彼は『君の為に何でもしてあげたい』と少しでも私の気分を上げる為に拘る。

 朝食はブルーマウンテンを淹れてくれるが、この日のコーヒーは柑橘系の爽やかな香りと酸味が感じられ喉越しがとても滑らかだ。

 

 『―――いつもと違う』

 

 『ハワイコナのブレンドだよ。流石に十割は高級品だからね、混ぜ物を買ってきたんだけど。気に入った?』

 

 『―――お前の淹れる物なら何でも好きだ。だが、いつかはストレートでも飲んでみたい』

 

 『飲めるよ』

 

 コナコーヒーは全て手作業で作られているハワイの高級品だ。現地の農園直売で手に入れば比較安く購入出来るだろう。それに三ヶ月後に新婚旅行を控えている。行き先は当然ハワイ。

 

 『向こうで式を挙げる予約も済んだし、あとはトレセン学園のみんなに招待状を送るだけだね。クリス』

 

 『―――あぁ』

 

 眩い太陽な笑顔を向けてくる。自身の口元が僅かに緩み、あぁなんて幸せなのだろうと感じた。その思いに応えるかのように互いの薬指のリングが白金に輝いている。

 

 

 

―――――

 

 

 

 『クリス』

 

 「―――んっ」

 

 誰かに声をかけられている。酷く懐かしいような、毎日当たり前のように聞いているような不思議な感覚。目を開けると自分がソファで横になっていることに気づいた。上からタオルケットをかけられており、いつの間にか寝てたいたようだ。

 辺りを見渡すとトレーナー室で、目の前には死んだ目をした青年。しかしながら顔立ちは整っており、切れ長の形をした目からは長い睫毛が伸びていた。照らされた夕日から反射してキラキラと輝いている。綺麗だ。

 

 「クリスエス、起きたか」

 

 「―――トレーナー」

 

 「疲れているみたいだから出来れば寝かせてやりかったけど、そろそろ夕食と寮の門限があるからね。…大丈夫?」

 

 心配そうに覗き込んでいる。私の頬に僅かに涙の跡があった。

 

 「―――No problem。夢を―――見ていた」

 

 「…怖い夢かい?」

 

 「―――いや。とても……とても幸せな夢だった」

 

 私の噛み締めるようなその言葉を聞いて彼は安心したのか、なら良いと小さく呟いて離れる。そばにあった温もりが無くなり、寂しさを感じたがそれを心の奥底でグッと押さえつけた。

 

 「でもクリスエスが泣く程の幸せな夢だなんて、余程良い夢だったんだろうな。凄い気になっちゃう」

 

 にこやかに私の夢を当てようと質問を繰り出してきた。トレセン学園に合格した時?G1で一着を取った時?と楽しそうに。

 

 「―――昔の夢を見た。大切な人との―――懐かしい」

 

 「へー」

 

 昔の夢を見たせいだろう。気が緩んだせいか余計なことまで喋った気がする。これ以上は彼に説明出来ず、喋るのが苦手な私では混乱を招きかねない。言うべき必要性は無かった。

 トレーナーはデスクに戻りノートパソコンを開いて何か作業を始めた。恐らく、私を起こす前に一時中断していたのだろう。その光景はあの頃と何一つ変わらず″両目“が僅かに疼く。

 もう少し、あの頃を…夢の続きを味わいたくなった。

 

 「―――トレーナー」

 

 「ん? なんだい?」

 

 「―――この前の賭け。を覚えているだろうか」

 

 「ブッ!?」

 

 私の突然の言葉に吹き出す。ノートパソコンの画面の横から恐る恐る顔を覗かせて、戦々恐々しながら聞いてきた。

 

 「クッ!てっきり忘れてくれているかと思っていたけど、無駄だったか…!」

 

 「―――当たり前だ。此方は本気で―――playしていた」

 

 ぐぬぬと呻き、私の願いが何か怖がっているようだ。ルドルフが言っていたがこれが天真爛漫と言うのだろう。可愛らしいリアクションに思わず身体が疼いたが安心してほしい。別に命を取るような無理難題を頼むつもりはない。

 

 「わかった…確か一日好きにする賭けだったね、何がある?」

 

 「―――私の事をクリス……いや―――お前の淹れるコーヒーが飲みたい」

 

 「え? そんだけ? もしかしてコーヒー百杯淹れろとか?」

 

 「―――そうだ一杯だけで良い。それで賭けは―――終わりだ」

 

 ポカンとしたトレーナー。望みは確かに沢山ある。だがそれはこんなやり方で手に入れたい物ではない。

 

 「ま、まさかちょっとずつお願いするリボ払い形式じゃ…!永久に終わらない地獄!」

 

 「―――悪いがそのjokeの意味はわからない」

 

 「まぁ、コーヒーねぇ。普段缶コーヒーか紅茶しか飲まないし、一応この前何となくで買った豆が有ったんだよね。丁度良い」

 

 立ち上がるとトレーナー室にある戸棚に手を伸ばす。中からコーヒーミル、スリムポット、ドリッパー、サーバー、フィルターを取り出し慣れた手つきで並べていく。

 

 「―――道具も買ったのか」

 

 確か今月もラモーヌからの催促が厳しかったと聞いていたが、何処でそんなお金が残っていたのか。

 

 「やってみたくてさ。……そ、そんな目で見ないでよ。ラモーヌに見つからないよう貯めてたヘソクリで買ったんだ」

 

 メジロラモーヌ。彼女は前の時、彼とはそこまで関わりは無かった筈だ。しかし私がトレセン学園に来る前から既に出会っており、何かと関わりがある。初めは″流れ“が変わっただけかと思った。だが彼女のトレーナーを見るあの目、あれは獲物を狙う捕食者のそれであり派手な動きはしないが、まるで彼の逃げ場を塞いでいるようにも見える。

 

 もしや彼女は…。

 

 そう思っているうちに豆を挽いていたミルから独特な香りが漂う。本人はやってみたいとまるで初体験のように言っていたが、やはり慣れた手つきだ。その姿があの頃と重なる。しかもこの爽やかな香りは。

 

 「―――ハワイコナか?」

 

 「お、流石だね。まぁブレンド物なんだけど、どうせなら高いヤツを飲んでみたくてさ」

 

 「―――――」

 

 言葉に詰まる私を不思議そうな目で見る。

 

 彼は記憶喪失者だ。トレセン学園にやってくる前の記憶が全く無いと言っていた。自分の名前も素性もどんな人間だったのか、思い出…所謂エピソード記憶が無い。正体に関しては身分証明書を持っていたため過去を知ることが出来、問題は無く。また生活は意味記憶、つまり知識は残っていたため其方も問題は無かった。特にウマ娘トレーナーとしての知識と経験、勘は新人としては信じられない量と技術力であり、メジロ家(というよりもラモーヌ)とシンボリ家や理事長の温情もあってかそのままトレーナーとして赴任している。

 …一時、赴任に関して彼自身とちょっとしたいざこざがあり、我々も手を焼いたことがあったが。

 

 「―――なんでもない」

 

 時折、彼は嘗ての彼を引き継いでいるような行動を取る。もしや記憶喪失が嘘か或いは自分と同じなのではと感じるがエピソード記憶が丸々消えているため、あり得ない。意味記憶の統合性に引っ張られている可能性があると医者が言っていた。実際、彼の記憶喪失は嘘ではないのだろう。

 別段、無理に思い出してほしいとは思っていない。確かに記憶が蘇ってくれれば嬉しいが、それが幸せな記憶である保証もない。それ以上にこうして彼が楽しそうに生きてくれているだけでも嬉しいのだ。

 トレーナー室にコナコーヒーの香りが充満する。

 

 「はい、どうぞ」

 

 「―――Thank you」

 

 コーヒーを口に含む。滑らかな喉越しはあの頃と何一つ変わらなかった。見れば彼が此方をジッと見ていることに気づく。少し恥ずかしい。

 

 「―――どうした」

 

 「いや、やっぱり俺…君達のトレーナーになって良かったよ。こうして君達を眺めているだけで幸せな気分になる」

 

 うんうんと一人納得したようにコーヒーを飲み始めた。

 

 「―――最初は嫌がって逃げていたな」

 

 ルドルフやシリウス、ラモーヌもだろうか。私も含め逆スカウトしても自分には才能が無い自身が無い、記憶喪失だからと色々理由を言ってはのらりくらりと躱していた。

 

 「…あ、あはは。それはまぁ…」

 

 事実。ふざけた言動と新人という肩書き。何故彼が才能あるウマ娘達から逆スカウトされるのか理解出来ず、周囲から彼に対する当たりも強かった。私自身、シンボリクリスエスとしては彼の実力を知ってはいたが、それは前回の記憶でありそのまま伝えることが出来ず歯痒い思いもした。

 

 しかしトレーナーは根っからの善人だ。無邪気で明るく面倒見が良い。助けて助けられてが当たり前に出来る人間だ。周りの人達、同期のトレーナーや歳の離れたベテラントレーナーから可愛がられるのにそう時間は掛からなかった。最近起こった、たづなさんからのお仕置きも「またやってる、戯れている」の認識でしかない。

 近寄り難い容姿に対して人懐っこい。よく笑い、よく泣き、よく怒る。コロコロと表情を変えるところは見ていて飽きない。適当に見えて手を抜かない。軽薄に見えて愛情深い。

 

 私はそんなお前に……惹かれた。

 

 お前の全てを見ていた。お前が見た景色も全て。お前の記憶が無くなろうと私は全てを知っている。お前が私についた嘘も。

 

 

 

―――――

 

 

 

 『―――トレーナー。そこにいるのか』

 

 『…クリス、もう歩いて大丈夫なの?』

 

 とある病室。看護婦に支えられながらトレーナーがいる部屋に入ると医療機器の電子音が無機質に鳴り響いていた。私の両目は頭部で包帯とガーゼで守られており、視界は真っ暗。トレーナーの様子を確認しようと病室へやってきたが何も見えない。彼の声しか聞こえない。私は事故で両目を失ってしまった。

 繁華街のレストランで食事をしていた時だった。そこのガス爆発に巻き込まれ私達は重症を負ってしまったのである。爆発前、トレーナーが何かに気づいて咄嗟に立ち上がると私を庇うのが見えた。其れが最後に見た光景。

 彼のおかげで肉体は軽症で済んだが、丁度私の前の視界が爆発発生を目にしてしまい。爆発の影響によるガラス片が僅かに目の網膜を傷つけ、視力を失ってしまった。

 手術を受け別々の病室に入れられた私達。トレーナーの容態が気になったが医者からは無事としか言われなかった。声が聞けないことに不安だったが、傷の状態が安定して看護婦に支えられながら赴くことが出来た。実際にこうして声が聞けたことに安心する。

 

 『…君が無事で良かった』

 

 『―――お前が私を守ってくれた。ありがとう』

 

 『…いや守れなかった。君の目は…』

 

 彼の悔しげな声が聞こえる。お前こそ怪我をしている筈なのに此方の心配しかしない。

 

 『―――私はお前の方が心配だ』

 

 『…俺は大丈夫だよ。骨折のせいで病室から出られないけどね』

 

 彼の温もりが欲しく手を伸ばしたが、看護婦から止められた。確かに骨折した相手に触れるのは駄目だろう。

 

 『…クリス、目の事は安心してほしい』

 

 どうやら私の両目は既に使い物にならないらしいが、幸運なことにドナーとなる者が現れたらしい。彼はこれで私の夢を続けさせてあげられると喜んでいた。何処までも私本位な男だ。

 

 『―――式は延期か』

 

 ルドルフ達は事故の後すぐに駆けつけて此方の事情はわかっている。彼女達に其方の手続きを任せていた。

 

 『………』

 

 『―――トレーナー?』

 

 『…そうだね。少し眠くなってきた。看護婦さん、彼女を送ってくれますか?』

 

 彼は火傷が酷く手術が私よりも長引き、かなり体力を消費していると看護婦から聞かされた。姿が見れないことに歯痒さを感じたが彼は最後まで大丈夫だと告げて安心させようとした。

 

 『…クリス―――――』

 

 病室から出て行こうとした私に背後から声をかける。いつもより弱々しくあまりにも彼らしくない言葉だった。声が詰まっており、言うべきか迷っているようにも聞こえる。

 

 『―――どうした?』

 

 『…愛してる』

 

 普段、彼は照れ屋なのか人前で愛を囁くような事はしないタイプだった。看護婦の前で言葉にする事に驚いたが、私も久しぶりに彼からその言葉を聞けたことに嬉しくて思わず見ているのにも関わらず返事を返してしまう。

 

 『―――私もだ』

 

 

 

 

 




次回の更新は8月17日0時予定です
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