メジロラモーヌ「面白くない男」   作:お話下手

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契約

 

 『―――無理だ』

 

 『どうして!? 君の能力ならば間違いない筈だ!』

 

 日常の風景にしては些か騒がしいがいつも通りの光景が広がる。今日もクリスエスはトレーナー達に契約を迫られているが、少ない言葉数で断りを入れていた。中には痺れを切らした者もおり、流石にこれは宜しくないと思った青年は間を取り持つ。

 

 『先輩。彼女は契約したくないのではありませんよ』

 

 突然割ってはいったのが意外な人物だったのか、中堅トレーナーは少し驚いた顔をして疑問の声をあげる。相手を刺激しないよう、青年は気の抜けた声を出しながらハッキリと告げた。

 

 『確かにクリスエスのポテンシャルならば、ジュニア期からの参戦は問題無いでしょう』

 

 だが、そこから更にクラシック、シニア期と歳月を重ねる度に勝負は苛烈する。より身体に負担をかけるトレーニングの回数も増えるだろう。

 

 『素晴らしい肉体を持つ彼女ですが、けして完璧ではありません。彼女自身の筋力によって弱い部分を補っているにすぎないのです……とクリスエスが言ってました……』

 

 チラリと横目で彼女にそう言いたいのだろうと確認を取る。

 

 『―――yes』

 

 『よ、よくわかったな。しかし、まだ完璧ではないと…一体どこまで鍛えるつもりなんだ』

 

 『―――革命を起こす。それまでに。だが今の私では無理だ』

 

 クリスエスの拙い日本語に首を傾げる周りのトレーナー達。どう返して良いかわからず口を紡ぐと青年の方に再び目が向けられたのだ。

 

 『クリスエスには叶えたい目標があるのです。それが彼女の言う革命と呼ぶもの。ですがそれを叶えるには最強でなければならない』

 

 故に完璧に身体を作り上げなければならないのだ。

 

 『そ、そうだったのか。すまない、シンボリクリスエス』

 

 『―――No problem』

 

 クリスエスは続けてあと一ヶ月待って欲しいと告げた。それまでには肉体を完璧に仕上げると。そして共に戦う相手を決めると。彼女の言葉を聞いてトレーナー達は散り散りに去っていく。

 

 残ったのは青年とクリスエスだけ。

 

 『―――お前は良いのか』

 

 皆、仕事がある。青年も同じくやることがあるのではないかと訪ねるがヘラヘラと笑うと手を振った。

 

 『俺は暇だから君の手伝いでもするよ』

 

 『……』

 

 トレーニングメニューに口を出さない。タイムを測ったり道具を一緒に用意したり片付けたり。精々雑用程度。しかし、青年にはもう一つ目的があった。

 

 『その代わり君のトレーニングメニュー見せてよ』

 

 クリスエスの師匠が作り上げたというそれは非常に素晴らしい物だ。無駄を削り、幼かったクリスエスでもわかりやすく、効率的効果的なトレーニング。未だに学ぶことが多い彼にはそれがあまりにも魅力的だった。

 

 『―――強くしたいウマ娘でもいるのか』

 

 英語でビッシリと書かれたノートを受け取る青年。クリスエスは学んだことを反映させたいウマ娘でもいるのかと気になる。彼は誰とも契約を結んでいない筈だが、もしや狙っている子がいるのではないかと。

 

 彼はキョトンと固まると、一人でに自嘲めいた表情をするとポツリと呟く。

 

 『…いたのかな。そんなウマ娘が』

 

 『―――what? どういう意味だ?』

 

 『忘れちゃったんだ』

 

 困ったように気にしないでと手を振る。影のある男だった。

 

 『それよりさ』

 

 男は無理やり話しを帰るようにクリスエスの顔を下から覗き込む。死人のような目がキラキラと輝いていた。

 

 『今度は君の夢を聞かせてよ』

 

 青年はクリスエスの話しを聞くのが好きだった。最近は何故トレーナー契約を結ばないことについての話しを聞いていたのだ。内容は先程、他のトレーナー達に話したとおり彼女の夢の為に今は肉体強化に集中したいと。

 

 『―――トレーニングが終わってからで良いか?』

 

 『勿論』

 

 基礎的な筋力トレーニングを開始する。彼はクリスエスのそばでカウントを数えていた。一見意味の無いように見えるが、これはクリスエスが筋肉を意識して動かすことが出来るからだ。惰性的では最大効果は得られない。今使っている筋肉に集中すればより効率的に鍛えられる。

 

 『…300』

 

 カウントが終了してピタリとロボットのように停止するクリスエス。額に汗は滲んでいるが息は全く上がっていない。成人男性では立ち上がれない程の運動だが、並みのウマ娘でもこれほどの体力は持たない。素晴らしいの一言である。

 

 『じゃあ次に行こうか』

 

 『―――ok』

 

 にこやかな彼とは違い。無表情のクリスエス。しかしその足取りは知る者にとって軽やかであったのがよくわかった。

 そんな二人の姿を校舎の二階から眺めていたのはシンボリルドルフ。

 

 『やはり彼に任せて正解だった』

 

 デコボコなようで息の合う二人。シンボリ家の者としてもウマ娘の生徒会長としても喜ばずにはいられなかったが、少しだけその表情は寂しげであった。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 『―――師匠は今のウマ娘業界に危機を感じていた』

 

 『危機?』

 

 クリスエスと食事を取りながら夢の話しを聞いていたが、まず彼女が話したのは師匠の存在だった。

 

 『―――良家による発展の阻害だ』

 

 良家と聞いてぎょっとしてしまう。それはメジロ家や華麗なる一族だけでなくクリスエスが世話になっているシンボリ家も差している。

 

 クリスエスの師匠はシンボリ家の人間ではないが、かなり重要な立場の者らしい。それ故に面倒な事情にも詳しいようで、中でも不安なのが良家による業界の独占だと言うのだ。スポンサーの莫大な援助により、一般的なウマ娘よりも有利な立場であるシンボリ家。幼い頃から英才教育を受けられ、より強いウマ娘を排出し更に莫大な援助を受けられる。名が大きくなれば嫌でも注目され更に援助が増えてしまう。他の一般ウマ娘など誰も目もくれないように。

 

 当然、シンボリ家のみならずメジロ家や華麗なる一族もそれが非常にまずいことを理解しているのは言うまでもない。少しでも平等に持たせようとトレセン学園に設備や施設、イベントへの支援を惜しむことはなかった。

 

 『なるほど。理事長がシンボリ家やメジロ家と仲が良いのはそういうことか…』

 

 『―――だがそれをよく思わない者もいる』

 

 つまりはシンボリ家の遠縁。宗家どころか分家ですらない、滴り落ちた甘い汁を吸う者達が最大の問題だった。

 より莫大な援助を受けられるよう、シンボリ家の名を使ってスポンサーに掛け合う者もいれば政治家や重鎮達に取り入る者もいるらしい。挙げ句の果てにはトレセン学園の支援を止めるべきだとふざけたことを抜かす者もいると。家がより発展すれば自らの懐が潤うからだろう。

 

 『な、なんか嫌なこと聞いちゃったね…』

 

 意外とダークな内容で青年は思わず苦い顔をした。しかし、それがクリスエスの夢とどんな関係があるのか。

 

 『―――師匠はまずその者達の意識を変えたいと言っていた』

 

 家柄ではなく個人がより注目されるようにしたいと。そして閉鎖的なコミュニティを破壊したいと。

 

 『―――その為に海外生まれの強いウマ娘を探していた』

 

 良家による阻害や独占がこれからも続く限り、将来的に日本のウマ娘界は終わりを迎える。その者達はそれに気づいていないのだ。圧倒的なパワーを持つ海外のウマ娘を見てこのままではまずいと思わせなければならない。

 

 『―――私が師匠と初対面した時も所属していたクラブで強いウマ娘を探していたのだ』

 

 残念ながら目当てのウマ娘はその時、見つけることは出来なかった。しかし、クリスエスの師匠は滞在の間、他のウマ娘達に指導していたようだ。クリスエスもその一人であったが、彼女の場合は身体が弱かったこともあり、特別手を掛けてくれた。

 

 『―――幼い頃の私は走ることもままならない程に身体が弱かった』

 

 今の鍛え抜かれた肉体美からは想像も出来ない話しだが、彼女の伏し目がちなその様子からすると、かなり深刻な状態を感じられる。

 だが、クリスエスの師匠による指導のもと彼女はウマ娘としての本懐は遂げられたのだ。

 

 『―――私は師匠に恩返しをしたい』

 

 発展の停滞をぶち壊し、甘い汁を吸う者達の目を覚まさせる。師匠の助けとなるのが恩返しだと。だが、クリスエス自身はその為に必要となる圧倒的に強い海外のウマ娘ではなかった。

 

 だからこそ、鍛え続ける。

 

 他の誰でもない、己がウマ娘業界を変える存在になるのだと。

 

 『凄いな。君は』

 

 クリスエスは自分の故郷を離れ、まるで使命感のように此処まで来たのだ。並大抵の努力ではなかったのだろう。

 

 『クリスエスなら出来るさ』

 

 『―――そう、思うか』

 

 少しの間だったが、彼女の実直さはこれでもかと見てきた。目先のではなく、ひたすらにゴールへ向いている。食べる物も休むことも遊ぶことも、全て計算して行われるのだ。まるで機械のように。しかしクリスエスはロボットではない。冷静沈着に見えてその心の中には熱い物を秘めていた。

 

 『俺は君の強さは再三再四かと思っていた』

 

 『―――さい、さん? ルドルフみたいなことを言う』

 

 慣れない四字熟語に首を傾げる。

 

 『クリスエスの本当の強さはそこだね。君は誰よりも強い意志を持っている』

 

 自分とは全然違う。あまりにも眩しい存在だった。彼女は自分にとって。

 

 クリスエスの目に、本気で自分の強さを信じている男が映る。自らの他のウマ娘とは違う夢に理解を示すのは難しいかと不安だったが、とんだ杞憂だ。元々理解されずとも成すべきことは成すつもりではあったものの、こうして見てくれる者がいてくれるのはこんなにも嬉しいのか。

 

 『―――ありがとう』

 

 そんな二人の仲睦まじい様子を見ていたのはルドルフだけではない。最近、二人が一緒にいると聞いていた他のトレーナー達。つまりクリスエスを狙っていた者達も見つめていたのだ。

 

 『あの二人、あんな顔が出来たのか…』

 

 『意外ね…』

 

 暗い表情ばかりで笑った姿も愛想笑いというべきか、作り物の笑顔を浮かべる青年と、鉄仮面のようなクリスエス。その二人が談笑している。楽しそうに。

 

 キラキラと子供のように目を輝かせる青年の姿にトレーナー達は目を丸くするのだった。

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 その日の夜。入浴を済ませて寮に戻り、尻尾をドライヤーで乾かしていたクリスエス。何一つ言葉を発することなく、黙々と作業を続ける。そしてそれは彼女と同室でもあるメジロラモーヌも同様だった。

 何も語らずにベッドに腰掛けながら本を読むラモーヌ。

 

 この二人は同室でありながら殆ど互いに話しをすることがない。干渉したくないのではなく、二人の性格による物だろう。無駄なことは一切話さない。過干渉を意識せず、互いに心地よい距離感がこれなのである。

 

 『あら?』

 

 しかし、この日は珍しいことにメジロラモーヌは本を読むことを止めると、不思議そうな顔でクリスエスを見つめていたのだ。

 

 『貴女、何か良いことでもあったのかしら』

 

 もしかしたらこれが初めての会話だったのかもしれない。それくらい思ってしまう程、久しぶりにラモーヌの声を聞いた。

 彼女はちょっと楽しそうに目を細めている。

 

 『―――何故?』

 

 ラモーヌの突然の質問の意味がわからず、聞き返したクリスエスだが、相手は詳細を語らずにただ一言『なんとなく』。

 

 『―――良いこと、か』

 

 思い返せば確かに良いことだった。彼に話しを出来たこと、それが嬉しいという感情に他ならない。ラモーヌにわかってしまうほど顔に出ていたのだろうか。

 

 『―――あった。とても良いことが』

 

 『そう』

 

 クリスエスの僅かに上がった口角を見て、ラモーヌは素っ気なく返事を返す。しかし、その目はまるで慈愛に満ちた聖女のように細められていたのである。

 

 彼女はクリスエスからそれを聞いただけで満足だったのか、再び本と向き合うと会話を続けることなく、ページを捲り始めた。いつも通りの風景。部屋にはドライヤーの音と紙が擦れる小さな音が流れるだけ。

 

 クリスエスはラモーヌと会話出来たのも嬉しかった。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 『―――お前の夢は、なんだ』

 

 クリスエスのトレーニングメニューにチェックを入れていた青年。今日の献立も確認しており、順調な様子にその顔は晴れやかだったが、ふとクリスエスが思ってもみなかったことを訪ねた。

 

 『どうしたの急に』

 

 苦笑してすぐには答えようとしなかった。たまにこういうところがある。あまり自分を語りがたらない割にクリスエスのことはドンドン知ろうとする。これでは少し不公平であり、今では気を許した彼に興味を湧いた彼女は知りたくなったのだ。

 

 『―――お前のことを知りたい』

 

 『あーごめん…』

 

 そう言えば言ってなかったと、言いにくそうに頬を搔くと呟く。

 

 『俺、記憶喪失なんだ』

 

 『―――?』

 

 流石のクリスエスもこれには驚いてしまい、わかる者には彼女がギョッとしているのがわかってしまう。その後、彼は簡単に俺もわからないから教えられない、ごめんねと。どうでも良いと言わんばかりに軽く流してしまい、口下手なクリスエスは口をつぐむしかない。ならせめて。

 

 『―――夢はあるだろう。このトレセン学園にきたのだから』

 

 クリスエスの夢を聞いて喜んだ彼。彼女も同じ想いを共有したかったのだが。残念ながら彼から出た言葉はまたしても寂しい物。

 

 『ごめんね。それも忘れちゃった』

 

 悲しそうに笑うその顔は、クリスエスが最初に出逢ったあの時と全く一緒だった。

 

 『―――――』

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 遂にこの日が来た。一ヶ月間付きっきりの青年だったが、クリスエスの肉体強化が完了したのである。これからも筋力トレーニングは続けるが、今の彼女はクラシック期どころかシニア期の初め頃でも通用するフィジカルを手に入れたのだ。

 時期は既にクラシック初旬であり、他のウマ娘と比べて遅めだが、いよいよデビューする時が来た。

 

 そしてデビューするには担当トレーナーを見つけて契約しなければならない。

 

 グラウンドのクリスエスの前には前々から彼女を狙っていた多数のトレーナー達が集まっており、皆がその時を今か今かと待ち望んでいた。

 青年はそこから少し離れた場所で見守っており、彼もまたクリスエスの夢に力を貸してくれる者が誰かと期待に胸を膨らませる。やはり知識も技術も圧倒的なベテランだろうか、それとも足並みが揃えやすく手堅い中堅か。はたまた共に能力を高め合う新人かもしれない!

 どれを取ってもクリスエスならば良い結果を残せる。そう思っていると。

 

 『―――?』

 

 クリスエスは自分の前に集まったトレーナー達をぐるりと眺めると何故か頭を傾げる。大きなワンコのようなその仕草に他のトレーナー達も不思議そうに頭を傾げていた。

 

 『シンボリクリスエス。今日は君から契約したいトレーナーがいると聞いて集まったのだが…』

 

 『―――そうだ』

 

 不安になった中堅トレーナーが一応確認をしてみるとやはり間違いなかったようで、クリスエスはハッキリと答える。

 

 『では我々の中で誰が良いか教えてくれ』

 

 『―――此処にはいない』

 

 どよめきが起きる。此処にいる者は前々からクリスエスにアプローチしていた者達ばかりだ。それなのに此処の誰でもないと予想外のことを言われて一体何事かと騒がしくなる。

 

 『いない…?』

 

 青年はまさかの事態にポツリと零れるように疑問の声を出すと、クリスエスはその声が聞こえたのかウマ耳をピンと立ち上げ、キョロキョロと見渡しすぐさま彼を見つける。

 

 『え?』

 

 尻尾を大きく揺らしながら、しかしその表情は感情の無い人形のように固まったまま彼の方へズンズン近づいてきた。

 

 『―――お前だ』

 

 『へ?』

 

 彼女の美しく整った顔がこれでもかと迫り、力強く指名された。突然のことに思わず間抜けな声が洩れ、息がかかりそうな程近いことに気付き、顔を少し赤らめてしまう。

 

 『いやいや…俺って…』

 

 『―――理由は三つある』

 

 『三つもあるの!?』

 

 一つ目は学園の大人達の中で最も意志疎通をやりやすいのが彼だったらしい。クリスエスのたどたどしい言葉に耳を傾け、何を伝えたいのかわかってくれる。

 

 二つ目はルドルフから聞いた話しだが、彼はこれまでに一度もウマ娘を担当に持ったことがないというのに、中堅トレーナー程の実力は既に身に付いていると言うのだ。実際にクリスエスもこれまで共に過ごして、師匠のトレーニングメニューに対する理解の速さを含め、同等とはいかないもののそれに近いだけの能力を有しているとわかる。

 

 『―――そして三つ目。一番大事なことだ』

 

 自らの目標に理解してくれて信じてくれたことだ。

 

 『―――お前は私のことを深く知ろうとする。元々そんな存在は必要なくても問題ないと思っていた』

 

 実際にクリスエスは一人でもやり遂げられる精神性を持つ。彼どころかどんなトレーナーと組んでもそれが揺らぐことはない。仕事人気質を持つシンボリクリスエスとはそういうウマ娘だ。

 

 『―――だがお前と過ごすうちにお前と共に叶えたいと思った』

 

 『気持ちは嬉しいけど、俺は夢すら失った抜け殻みたいな奴だ』

 

 クリスエスのように高貴な夢もなく、ただ惰性で日常を過ごす。輝かしい未来を求めて集うこのトレセン学園において、自分のような存在はウマ娘達にとって非常に失礼なのである。

 

 『―――だから私の夢をお前の夢に』

 

 『君の夢を…』

 

 夢を失ったのならばまた探せば良い。違う夢である必要などないのだ。共に同じ物を求めるのもトレーナーとウマ娘としても何も間違ってなどいない。

 

 『―――私はお前に同じ物を見てほしい。お前が良い』

 

 まるで告白のような言葉。日本語が苦手である彼女にしては流暢な言葉使いである。きっと考えて考えぬいた口説き文句だったのだろう。クリスエスの真っ直ぐな言葉に彼の目に光が宿った。

 

 『お、俺は…』

 

 記憶喪失の彼には心の中でずっと、何かに自分はいなくても問題無い人間だと言われていた。何もする必要はない。行動に示さなくとも周りは幸せになるのだと。

 

 『俺は…いても良いの…』

 

 お前が必要だと、そう言われることがこんなにも嬉しいとは思わなかった。俯いて歯を食い縛る。そうしなければ目頭に溜まった熱い物が溢れそうになったから。

 

 『ありがとう…でも』

 

 気持ちは嬉しい。しかし、自分達にの周りには未だにクリスエスへ契約を求めていたトレーナー達が多数いる。そんな彼らや彼女達を差し置いて、自分が横からかっさらうような展開になってしまい、申し訳ない。もしかしたら反感を買うかもしれない、そう思ったが。

 

 『いや、お前なら構わない』

 

 『そうね。二人って息ピッタリだし』

 

 困ったように笑いながらあっさりと引き下がったのである。あれほどクリスエスを求めていたというのに。

 

 『し、しかし…俺はこれまでにウマ娘への経験もありませんし…』

 

 『なーにが経験無いだよ。そんなもんみんな同じだっての!』

 

 『だいたい貴方、ずっとサボってばっかりじゃない!貴方みたいなズボラな人はクリスエスみたいなしっかり者に相応しいわ!』

 

 『まぁ、実際…君の技術と知識を活かさないのはもったいないしな』

 

 貶されているのか誉めらているのか、はたまた慰めなられているのか。皆が皆、口々にこれまで彼にぶつけられなかった不満を上げていく。今までは青年の記憶喪失や死にそうな雰囲気に遠慮して余計なことは言わないようにしていたが、ここぞとばかりに責めたてる。

 

 やれ、飯はちゃんと食え。やれ、缶コーヒーばっかり飲むな。やれ、病院にはちゃんと行ってるのか。やれ、女性を口説くな。やれ、女の子を紹介しろ。やれ、たまには飲みに付き合え…など。

 

 理事長やルドルフだけではない、学園のみんなが自分へ気にかけていたことが漸くわかったのだ。

 

 『俺は幸せ者だな…』

 

 孤独ではなかった。昔の記憶が無くとも此処から始められる。そんな簡単なこともわからなかったなんて。

 

 『―――改めて。返事を聞かせてくれ』

 

 クリスエスと向き合い、彼は力強く宣言する。

 

 『うん。シンボリクリスエス、俺は君と共に同じ夢を見るよ』

 

 停滞しかけ、閉ざしが見られるウマ娘界。それを救う為に根幹を変革させる。これが後に大きな発展と良家の衰退の転機になるとは知らず、二人は互いの手を取り合ったのだ。

  

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