メジロラモーヌ「面白くない男」   作:お話下手

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覇王

 

 『こんな感じでどうかな』

 

 『はい!確認してみますね!』

 

 ガランとしている普段のトレーナー室。そこでトレーナーはある一人のウマ娘、ナリタトップロードと書類を作成していた。来月の予算案ついて必要らしいが、トップロードにとっては未経験なことで彼はクリスエスと契約を結ぶ前、ルドルフの手伝いをしていたこともあり、こうして協力を頼んだところである。

 

 『多分、これで問題ないと思います』

 

 陽気な、しかしそれでいて礼儀正しさのある笑顔。スポーツマンシップの鏡みたいなウマ娘。それがナリタトップロードだった。

 

 『一息ついたし、紅茶でも飲む?』

 

 『良いんですか!?』

 

 このトレーナーが淹れる紅茶は美味しいとウマ娘の間でも有名だった。トップロードの嬉しそうな反応を見て問題ないと思った彼はそのまま静かに立ち上がる。

 流石に普段使用している備え付けのカップを使うわけにもいかないので、手早く支度を済ませると紙カップに紅茶を淹れた。トップロードを適当な椅子に座らせ、彼女の前に紙コップを置くと自らも同じく紅茶を用意し、腰を下ろす。

 

 『どうぞ。お口に合えば良いけど…』

 

 『はい!いただきますね!』

 

 ワクワクとウマ耳を揺らしながら湯気が立ち上るカップを手に取ると、少し口に含む。

 

 『っ! 美味しい!凄く美味しいです!』

 

 『それは良かった』

 

 『凄い紅茶の味がします!』

 

 語彙力のない感想に思わず彼はクスクスと小さく笑う。バカにしているのではない。普段しっかり者のトップロードから思いがけないところを見せられ抑えきれなかったのだ。

 トップロードは気恥ずかしさから真っ赤に染まり俯いてしまう。

 

 『ごめん。気を悪くしないでほしい』

 

 本当に申し訳ないと頭を下げられるが、トップロードはとんでもないと慌てた。普段から自分の語彙力の無さには痛感しており、友達からもそこがまたトップロードの良さだと誉められたこともある。

 

 『それにしても君の前回のレース凄かったよ』

 

 『見ていたんですか?』

 

 『そりゃもちろん。大舞台の皐月賞、本当は生で見たかったけど忙しくてね』

 

 映像越しでもその気迫は凄まじかったとトップロードを誉めちぎる。しかし、残念ながら結果は三着。G1という大舞台でこの結果は素晴らしい物だが、それを素直に喜ぶことが出来ないのがアスリートだ。

 

 『でもオペラオーちゃんはもっと凄かったです…』

 

 紙コップを両の手で握り締め、少し落ち込む様子を見せる。彼女の姿から単純に悔しい思いだけではないように思える。どことなく、自分を責めるような。

 

 『もしや油断したのかな?』

 

 あと少しで勝てると思った時、テイエムオペラオーが差しきったのである。映像越しでも凄まじい末脚だった。

 

 『確かにテイエムオペラオーは強い。けれど次はどうだろう?』

 

 トップロードだけではない。他のウマ娘達もテイエムオペラオーを警戒する。次のレースで彼女は苦しい戦いになるに違いない。

 

 『身体能力だけがレースの勝敗を決めるわけじゃない』

 

 相手の特徴や何処で仕掛けてくるか予想しなければならない。周りの状況を視野広く確認し、スタミナ配分を考えペースを握る。芝の状態や天気でコンディションも大きく変わってしまう。

 

 『あの日は君の苦手な重バ場だったし、不利な要素も多かった。それであれ程の走りが出来るのは期待せざる負えない』

 

 以上。彼が皐月賞を観戦した感想を述べる。トップロードを励まそうと根拠のないことは言わないようにしたが、何故か彼女はポカンと彼を見つめていた。

 

 『ど、どうしたのかな?』

 

 『私のこと、そんなに見てくれていたんですか? 苦手なことも詳しいですし…』

 

 彼はまずいと思ってしまう。担当でもないウマ娘のことをここまで詳しいのは、彼がトップロードの走りをただの趣味で見物していたからに他ならない。これではまるでストーカー紛いと思われても仕方ないだろう。

 

 『い、いや別に君だけじゃないんだ!クリスエスの為にも俺は色々勉強しないといけないからね!』

 

 『そ、そうだったんですか…』

 

 慌ててトップロードの言葉を否定するが、これは別に嘘ではない。敵情調査は大切だ。それに少し趣味が乗っかっているだけ。

 

 しかし、彼の言い分を聞いたトップロードは目に見えて落ち込んでいる。彼女は青年を怪しんだのではなく、憧れの相手にそこまで注目されたことに少し期待してしまったのだ。それが担当の為と言われてしまえば肩透かしを喰らってしまったのである。

 

 思わぬ反応に困惑してしまう彼だが、此処で話題を変えることに。

 

 『君に期待しているのはレースだけじゃないんだ』

 

 『え?』

 

 チラッと彼女が持ってきた予算案の書類を目配せする。

 

 『リーダーシップの素質があるってこと。ルドルフも誉めていたよ』

 

 生真面目でしっかり者のトップロード。既にクラスの学級委員長を任されており、困っている人は見過ごせないなど働き者の面がある。学園の生徒会長であるシンボリルドルフが、後任はトップロードに相応しいと考えているほど。

 

 『本当ですか!』

 

 『君さえ良ければね。でも俺からお願いがある』

 

 『はい!なんでしょう!』

 

 『全部一人でやろうとしないこと。困ったことがあれば他の人に相談すること』

 

 これは彼がルドルフの手伝いをしていて一番痛感したことだ。責任感の強いルドルフはなんでも一人でこなし、尚且つそれが出来るだけのスペックを持つ。だが、いつでもそれが続くわけではない。一度不調を起こしてしまい、それを見かねた彼が手助けするようになったのがそもそもルドルフとの関係の始まりだった。

 

 『勿論、俺に相談しても構わない』

 

 なんなら、詳しいまでもある。ある程度ならば簡単に対処が可能だろう。

 

 『ありがとうございます!私、頑張りますね!』

 

 重荷を背負わせることになるのではないかと不安だったが、杞憂に終わる。ルドルフは今年で卒業だが、これで生徒会に関することは安心してもらえるだろう。彼女がいなくなった後も上手く円滑するように手助けするつもりだ。

 

 『うん。やっぱり一人で飲むより、こうして誰かに振る舞って喋りながらのほうが楽しいね』

 

 他のトレーナー達に比べて一際若い彼だが、穏やかに何処か達観した人当たりのよい笑みを向けてくる。魔性のごとき切れ長の目は本来、相手を威圧させるものだが、それがフニャフニャと柔らかくなるとギャップにより引き寄せられてしまう。

 まるで小さな頃に読んだ少女漫画に出てくる、主人公の相手役のような雰囲気。影があり、物腰が柔らかい不思議な人。

 年頃の女の子が多い学園では有名であり、人気は高い。トップロードにとってもそれは例外ではなかった。

 

 『クリスエスさんとはご一緒なさらないんですか』

 

 『彼女は水しか飲まないからね。それに紅茶より珈琲派らしい』

 

 残念そうに目尻を下げる。ちょっと寂しそうだった。

 

 『時折。自分でも飲まないくせに紅茶を淹れてしまうんだ』

 

 丁度トップロードが座っているところ。そこに誰もいないのに、無意識に紅茶を用意してしまう。飲んでくれる相手は誰もいないと言うのに。

 

 『そんなお相手が…』

 

 『冗談だよ』

 

 なんてね。そうイタズラっぽく笑い、沈んでいた空気が霧散する。表情がコロコロ変わるのも彼の魅力の一つだった。

 

 『じゃ、じゃあ!私、またお邪魔しても良いですか!?』

 

 緊張した様子で前のめりに近づく。憧れの相手とお近づきになるチャンスだと思い切った行動だが、その頬に朱が差しているのは言うまでもない。

 

 『勿論、いつでもおいで。君のレースの話しもまた聞いてみたいし。困ったことがあればなんでも』

 

 実際の走者による体験談はレース好きな彼にとって興味深い物だ。

 

 『君のひたむきな練習姿勢もクリスエスと相性が良い。何か活かせる点があれば参考にしたい』

 

 『はい!』

 

 元気いっぱいの返事に彼は嬉しそうに頷いた。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 『それでは失礼します』

 

 その後も少し語ったトップロードはクリスエスのトレーナー室から退出する。弾む心を抑えながら、しかしその身に纏う雰囲気は明るい物が溢れていた。

 しっぽを無意識に揺らしながら廊下を歩いていると、彼女の前に丁度噂をしていた友人が現れる。

 

 『やぁ!トップロードさん!』

 

 大仰な動きで至近距離だと言うのに大きな声で話しかけてくるのはテイエムオペラオー。周りにはキラキラと光が舞っているようにも見える空気を纏い、同じく仲の良いウマ娘であるアドマイヤベガが見ればうんざりした表情だったに違いない。

 

 『随分御機嫌のようだが、何か良いことでもあったかい?』

 

 『はい!実はそうなんです!』

 

 トップロードが仄かに赤くしている頬。満面の笑みにテイエムオペラオーは一瞬だけ悲しそうな顔をした。

 

 トップロードはクリスエスのトレーナーから紅茶をご馳走してもらったことと激励を頂き、更にはルドルフ会長と共に期待しているとテイエムオペラオーに伝える。

 

 『いつでも遊びにおいでと言われて…。あ、でも…あんまり遠慮無しだと迷惑かな…』

 

 両手の指先を合わせながらモジモジと照れたかと思えば、不安そうに悄気るトップロード。そんな彼女にテイエムオペラオーは普段の道化めいた雰囲気を霧散させ、いつの日か見たあのレース前の、有無を言わせぬ言動へと変わる。

 

 『トップロードさん。こう言って悪いが、彼とはもう関わらない方が良い』

 

 『えっ…』

 

 その顔はふざけているようでは無かった。

 

 『で、でも凄く良い人なんですよ!紳士的で…』

 

 トップロードはオペラオーが何か彼に対して誤解しているのではないかと思った。彼からも少し語られたが、何故かあの人はオペラオーから避けられていると残念そうに言われたのだ。いつものオペラオーならばどんな相手だろうと歌劇めいた口調で自分から関わりにいくスタイルだが、それが全く無いらしい。

 

 トップロードは足りない語彙力で青年の良さをアピールしていくが、オペラオーが表情を変えることはない。寧ろ真顔だった。

 

 『確かに彼は良い人だ。清廉潔白、顔立ちも僕程…ではないが綺麗で、トレーナーとしても優秀。君たちのような思春期に心惹かれてしまうのも無理ない話しだ』

 

 惹かれてしまう。その言葉に慌てて否定するトップロードだが、勢いはそれほど強くない。

 

 『オペラオーちゃんはあの人が嫌いなんですか…?』

 

 不安そうに彼女の真意を知りたいトップロード。

 

 『嫌いというわけではない。トップロードさん、魔笛は知っているかい?』

 

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが生涯最後に完成させたことで有名なオペラである。フィガロの結婚、ドン・ジョヴァンニに並ぶモーツァルトの三大オペラの一つであり、オペラに詳しくない者でも名前くらいは聞いたことがある。

 

 トップロードも同じであり、内容までは詳しくない。

 

 『彼はね、試練の真っ只中にいるのさ』

 

 女王の娘、パミーナと結ばれる為に。

 

 しかし王子タミーノと違い、彼は多くを失い、女王のアリアや魔王のザラストロもいない。最大の味方であるパパゲーノすら存在せず、"手元"に残ったのは試練だけ。非常に危険な状況なのだと。

 

 『僕は、昔から勘が良い。そういう存在に鼻が利くのさ』

 

 魔笛はただの例え話に過ぎない。要は複雑な環境にいるのが今の彼なのである。しかしそれでも。

 

 『彼には既に心に決めたパミーナがいるんだ』

 

 だからトップロードの淡い恋は実らないのだと、遠回しに伝えた。友人の恋愛は応援したいがこればかりはどうにもならない。ましてやあの男が持つ試練がどれ程おぞましい物か理解しているオペラオーにとっては、宿敵であるトップロードをけして近づけさせるわけにはいかなかった。

 

 『そうだったんだ…。あの人好きな人が』

 

 トップロードは小さく呟くと、自分を納得させるよう苦し紛れの困った笑顔をオペラオーに向ける。

 

 『ごめんね、オペラオーちゃん』

 

 友人に辛い行為をさせてしまったことにトップロードは謝る。オペラオーは自己中なタイプだが、その本質は厳正だ。魔笛による下りも彼女なりに考えた言い方だった。

 

 オペラオーは時折見せる柔らかい笑みを浮かべ、いつもの仰々しい身振り手振りで仰ぎ見るとトップロードの肩に手を回す。

 

 『彼よりもこの僕の方が美しいだろう? 何、今日は特別だ!いくらでも眺めて構わない!なんなら、講演会でも開こうか!』

 

 『はい!何ならアヤベさんも誘ってみます!』

 

 高笑いをしながらその場を後にする二人。しかし、テイエムオペラオーは一つだけナリタトップロードに嘘をついていた。

 

 彼には既に心に決めたパミーナがいると言っていたが、それはただ一人ではない。もしかしたらトップロード自身がそのパミーナになれていたことを敢えて教えなかった。何故そんなことが可能なのか。

 

 それはテイエムオペラオーが彼を避けている最大の理由でもあり、最も相性が合わないと思ったところだった。

 

 彼は愛の化身なのである。

 

 概念という意味ではなく、究極の他者への愛。

 

 この世の全てを愛しており、その者の為ならば自分の命すら捨てる人間なのだ。

 

 それがテイエムオペラオーには許せなかった。

 

 愛とは差別。

 

 悪い意味で他者と他者を分け隔てることこそが愛だ。しかし、彼はこの世の全てを愛している。彼は差別する対象が存在しないのだ。では彼の愛が本物でないかと言えばそうではない。命を捨てられるのだ、それが本物でないわけがない。

 

 では彼が差別している者は誰なのか?

 

 差別せずに全てを愛せる者、そんな人間がどういう者か。簡単な話しである。

 

 それは彼自身に他ならない。彼は全てを愛せる変わりにただ一人、自分だけは愛せなくなっているのだ。

 

 だから簡単に命を捨てられる。自分を犠牲に出来る。そんな身勝手な愚か者の傍に友人を置いておくわけにはいかない。

 

 テイエムオペラオー。自己愛を持つ世紀末覇王。

 

 彼女に言わせれば、自分すらも愛せない者に他者を愛する資格などないのである。

 

 

 

 

―――――

 

   

 

 

 『―――トレーナー、本日のメニューは全て完遂した』

 

 『お疲れ。何か飲む?』

 

 トップロードと入れ違いでトレーナー室に入ってきたのは担当のシンボリクリスエス。僅かに汗ばんだ肌を見た彼は冷蔵庫の中身を確認する。

 いつも通りクリスエスはミネラルウォーターと答えると彼は近づいて差し出す。すると。

 

 『―――?』

 

 『ど、どうしたの?』

 

 トレーナーの顔をジッと見つめると彼の首筋に鼻を近づけて匂いを嗅いだ。

 

 『―――誰か此処に来たか?』

 

 無表情だが、トレーナーにはわかる。ちょっと不機嫌そうなのが伝わってきた。

 

 『あ、あぁ。トップロードの手伝いをしていたんだ。今日のトレーニングから途中で抜けたのもその為だよ』

 

 『―――そうか』

 

 クリスエスはそれ以上何かを言うことはなかったが代わりに彼の背後に回ると首に腕を回す。彼女は誰もいない場所、つまり二人っきりの時はこうして大型犬のように甘えてくることが多い。本来、トレーナーと教え子との間に許されない行為だが…。

 

 『クリスエス、誰かに見られたら…』

 

 『―――問題ない』

 

 素直なクリスエスだが、たまには言うことを聞いてくれない時もある。三年間も共に過ごした仲だ。既に遠慮というものはない。二人の関係性もあれから大きく変わった。

 

 『―――トレーナー、来週。シンボリ家で関係者によるパーティーが開かれるらしい。お前も一緒に来てほしい』

 

 流暢な日本語でトレーナーの耳元で囁く。何処と無く断ることは許さないようにも聞こえた。

 

 『俺が?』

 

 『―――師匠が戻ってくるらしい。お前に会ってみたいと。シンボリの当主もだ』

 

 そうは言っても重鎮達との会食など全くの未経験である。一体どうすれば良いのかと不安になってしまう。

 

 『―――いずれは避けられないことだ』

 

 『わかったよ。クリス』

 

 観念したように彼女の愛称で答える。二人はもう互いに惹かれてしまい、それ以上の関係を築いていた。クリスエスが卒業した後は今住んでいるトレーナー寮を抜けて、彼女と共に同棲する予定でもある。

 

 クリスエスの師匠は彼女にとって日本の父親みたいなもの。シンボリ家の名も背負っている以上、最高責任者であるシンボリの当主に挨拶もしなければ失礼だろう。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 当日。シンボリ家に訪れたトレーナーだったが、想像以上に広大な屋敷に圧倒されてしまう。クリスエスに恥を掻かせぬよう、その身なりはルドルフの協力も得てカジュアルながら礼節を残す、格式の張らない出で立ちだった。

 

 初め、ルドルフに軽すぎないかと心配していたが、彼女からは恐らく"君"の立場はそのくらいが丁度良いと太鼓判を押されたのだ。

 

 『―――どうだ?』

 

 『よく似合ってるよ。クリス』

 

 クリスエスは男装に近いスーツ姿。もう少し女性らしい格好はどうかと周りから勧められたが、確かにとても似合っている。彼女の鉄仮面のような表情も相まってさながら仕事人のようにも見えた。

 

 『じゃ、いこうか』

 

 受付を済ませると既に中には多くの者が集っていた。シンボリのルドルフやシリウスの姿だけでなく、メジロ家のあのラモーヌや当主のアサマ、そしてサトノ家、更には野球会で有名な選手もおり、傍には三姉妹のウマ娘が。

 

 中には遠縁の者達だろうか。ウマ娘業界では全く見覚えの無い者達もちらほらと揃っていたが、中にはトレーナーの顔を見た瞬間…驚愕といった者も僅かに。

 

 そんな者達に全く気づかないままルドルフのもとへ向かう、クリスエスとトレーナー。

 

 『やぁ、来てくれて嬉しいよ』

 

 本当に嬉しそうな顔でトレーナーに握手を求めるルドルフ。一瞬迷った彼だが、このまま失礼だと思いぎこちない動きでその手を握り返す。

 

 『クリスエス。君の師匠は今、お爺様と話しをしている。少し待っていたほうが良いだろう』

 

 『―――了解した』

 

 それまでに時間がある。途中、クリスエスと別れたトレーナーは緊張しながらも飲み物を片手にフラついていたが、意外にもそれは要らぬ心配だった。

 

 『まぁ!私もあのレースが大好きなんですよ!』

 

 『有馬記念の最終コーナー燃えたよ。あれは君の作戦だったのかな』

 

 『私の息子もトレーナーを目指していてね。トレセン学園に合格した時は是非助けてほしい』

 

 此処にいる者は皆、ウマ娘をレースを愛している者達ばかりだ。そんな中、現役の結果を残したトレーナーが現れたとなれば囲まれてしまうのも無理は無い。

 初めは戸惑っていた彼だったが、彼自身ウマ娘の話しは大好きである。初対面の者達だろうと会話が弾み、すぐさま打ち解けたのである。

 

 そんな彼を背後から見つめていたのが一人のウマ娘。

 

 後ろから気配を感じたトレーナーはクリスエスかと思ったが其処にいたのは意外な者だった。

 

 『君は…クリス―――クリスエスと同室の』

 

 黒の長髪を纏め、頭頂部から左方向に流れる白メッシュのあるシニヨンの髪型。落ち着きのある佇まいだが、それはまさに妖艶。右目下に泣きぼくろを持つメジロラモーヌだった。

 

 彼女は無表情でトレーナーの背後に立つと何も言わずに見つめるだけ。普段から何を考えているかわからないと噂の彼女だが、本当にその感情がよくわからない。

 

 『えっと、何かな?』

 

 『何でもありませんわ。続けてくださる?』

 

 用事は無いが此方に構うなと。周りの者達も困惑し、そんな噂通りの彼女に苦笑いをしたトレーナーは、ラモーヌの言う通りレースの話しを再び熱く語る。そんな彼の後ろでメジロラモーヌは満足そうに目を瞑ると彼の言葉に一人静かに耳を傾けるのだった。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 『……』

 

 夜風に当たる為、一人屋敷の外に出たトレーナー。結局あのままずっと喋りっぱなしで楽しかったものの、やはり少し疲れてしまった。

 クリスエスは師匠のもとへ一人向かい、自分は休憩も兼ねてゆっくりと溜め息を吐いた。上手く立ち回れただろうか、クリスエスに恥を掻かせぬように顔合わせが出来たのかと。

 次は当主と師匠との対面である。クリスエスにはまだ伝えていないが、彼は彼女と結婚を前提に交際の許しを貰うつもりでいた。

 

 しゃんとしなければならない。そう新たに気を引き締めると、彼のもとへ見覚えの無い人物が現れた。

 

 『少し話しをしないかい?』

 

 柔らかに話しかけてきたのは初老の男性。カイゼル髭を蓄え、身なりが高級スーツに腕には高級時計、首にはこれまた金に輝く貴金属を身につけており、少々…下品とも言える出で立ちだった。

 

 『私にですか。構いませんよ』

 

 またレースやウマ娘の話しだろうか。それならば歓迎だと微笑み返したトレーナーだが、何故か相手は周りをキョロキョロと見渡すと誰もいないか確認しており、挙動不審である。

 

 『あの―――』

 

 『君がアレを持っているのは本当なのかい?』

 

 下卑た笑みでこそこそと口から出たのは意味不明なこと。

 

 固有名詞ですらないそれに彼は眉を潜めた。

 

 『申し訳ありません。アレ、とは…何のことですか?』

 

 失礼がないよう、慎重に言葉を選んでいるが本当にわからないので無理もない。しかし相手はそんなことお構い無しに更に詰め寄ると今度は強い口調で迫る。

 

 『あれだよ…!私は知っているんだ、君があれを持っていることを…!』

 

 『無知蒙昧ですみません…その、あれでは私としてもわからないです…』

 

 『私も実物を見たことはない。だが、何でも願いが叶うと言われている、あれを君が持っているのは間違いない筈だ…!』

 

 何でも願いが叶う。夢物語みたいな道具をこの男は欲しいらしいが残念ながら彼はそんな凄い物を全く知らなかった。

 

 『…すいません』

 

 『馬鹿な…!まさか本当に何も"知らない"のか!?』

 

 嘘をついているようにも見えないトレーナーの姿に男は愕然とした様子である。まるで信じられない者を見るかのように。

 

 『君がシンボリ家に近づいたのはてっきり…。だが本当に偶然とは…クソッ!』

 

 一人勝手に悪態をついて吐き捨てる。男の様子にただならぬ物を感じた彼は嫌な予感がしてすぐさまその場から逃げようとしたが。

 

 『いや、まだだ!君の部屋を見せてくれ!絶対にある筈だ!』

 

 『わ、私はこの辺で失礼します。クリスエスを待たせていますので―――』

 

 腕を捕まれた。彼は普通の成人男性よりも貧弱な肉体である。男の拘束に逃れることは出来ない。一人で外に出たことを後悔し、どうにかして去る方法を考えていた。その時。

 

 『その手を離しなさい』

 

 別の誰かが男の腕を掴み返した。落ち着いた印象を持たせる口調の、しかしながら圧倒的威圧感を持つ女性が、割ってはいったのである。

 これまで一度も話したことがなかったが、有名な人物。同じくパーティーに招待されていたメジロ家その現当主、あのメジロアサマがまるで男の腕を握り潰すといわんばかりに怒りに満ちた目で睨み付けていたのだ。

 





因みにジャンポケの兄以外出てませんが、学園で他に人気が高い設定のトレーナーは

ジャングルポケットの兄とライスシャワーのお兄様とアルダンのトレーナーとダイイチルビーのクソボケです。
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