二二話
正暦一九三九年 二月
フランク共和国 首都ルテティア
国防省 人事課戸籍管理部
その日の午後、終業時間となり、多くの人が席を立って部屋を出ていく中。一人だけ部屋に残ったまま書類の整理をしていた。
「ヴァリ君。出る時に戸締りと電気を落としておいてくれ」
お腹の出た老紳士がそう言うと青年は頷きながら言う。
「あ、了解しました。課長」
「よろしく頼むよ」
そう言うと課長と言われた老紳士は扉を閉じ、部屋には青年だけが残った。その青年はまた一人部屋の椅子に座ると書類にペンを走らせ、整理をする。周りには多くの紙が積まれ、印などが打たれていた。
そして数時間後。黒髪に黒縁眼鏡を掛けた青年は机に残った紙の束を片付けるために部屋を出て『資料室』と書かれた部屋に入り、少しした後に資料室を出る。課長から借りた鍵を閉め、仕事場である机の上の荷物を片付けるとそのまま電気を消して再び鍵を閉めて現在残っている守衛にいつも通り鍵を返すとそのまま建物を後にする。外では衛士が小銃片手に外を眺めており、裏口から出てくる青年を見ると陽気に話しかける。
「おい、ヴァリ!」
そんな呼び声に青年は振り返ると、衛士が聞いてきた。
「この後空いているか?」
「申し訳ありません。生憎と今日は呼ばれているので」
「あぁ、そりゃ残念。また今度開いたら飲もうぜ」
「はい。その時はお願いします」
そう言い、残念そうに語る衛兵といつもの挨拶を交わすと青年は鞄を片手に帽子を被り、街に消えていく。
レンガ作りの街の一室のアパートにその青年は入るとカーテンを閉め、影だけが窓から映る。いつも通り買って来た夕食を取り、着替えると日々つけている日記を書き、その後に部屋の明かりを消す。
部屋は暗くなり、青年はベットで横になっていた。
どうも、現在フランク共和国で危ない仕事をしているディルクです。
と言うのも、年明け早々に休暇を終えた自分がペッツ参謀総長直々に呼び出しを受け、次の命令を受けていました。
「フランク共和国に…ですか?」
「そうだ。君には諜報員として送り込むつもりだ」
「何の訓練もされていない自分にですか?」
そう思わざるを得なかった。こんな新米軍人の自分に諜報員をさせるなんて通報では考えられないからだ。するとペッツ参謀総長は俺を見るとやや声を小さくして言った。
「ディルク少佐、これはここだけの内密にしてほしい事だが……」
「はい」
「共和国が禁術を使用したのではないかと言う噂がある」
「禁術……ですか?」
思わず俺は緊張してしまった。ペッツ参謀総長は顔を険しくすると命令の本当の理由を話す。
「神に背く行為として使用を禁じられている魔法…共和国がこの戦争に勝つ為にその禁術を使用した可能性があると
「その第三国とは…?」
「ミッドガルド教国だ」
ミッドガルド教国
その国は帝国の南西部にある永世中立国家である。教国と言う名前の通り、ここには聖地と呼ばれる場所が存在し、国際条約によって如何なる侵攻も許されない…この世界で最も神聖な場所であるとされている。世界でも有数の魔導書や魔法師が集まり、魔法の聖地としても認知されている。
世界中の魔法と認知される物の殆どが集まっており、魔法師の人権保護や禁術指定、その魔法の管理など魔法に関連するものは全てこの国が関わっていると言っても過言ではなかった。
その裏で色々とヤベェ国でもあるのだが……
また、共和国とも国境を接している事から両国とも諜報員を送り続けている経由地でもあった。
そんな国からの内密の話に少し驚くとペッツ参謀総長は俺の肩を叩きながら言った。
「そこで私は《白い悪魔》がその禁術の中の一つ。《転生術式》もしくは《転移術式》を使用して現れたのではないかと考えている」
「……」
一瞬ひやっとしたが、慌てる感情を無理やり押さえつつ、自分は聞く。
「それで…何故自分に?」
「この禁術の話はまだ他の将官たちには話していない、もちろんコルネリウスにもな。君はあの《白い悪魔》の攻撃から生き残った唯一の人間……
それに、君は彼奴を追っている…これほど良い機会もなかろう」
それは俺に他言無用である事や、総長の心使いだと理解した。
自分が神託を受けておよそ一年。つまり、術式が発動されるまであと三年ほど。しかし、早めに処理をしたいと思っていた。これはまたとない機会だ。断る理由はどこにもなかったが……一つ問題があった。
「ペッツ参謀総長殿。自分は、そう言った諜報活動などの訓練を行なって来ていないのですが……」
そう、問題はそこだ。自分はその類の訓練をほぼ全くと言って良いほど積んでいない。言ってしまえば足手纏いになる未来しか見えなかった。すると参謀総長はやや驚いた様子を見せて俺に言った。
「何を言うかと思えば……君は自分の能力を卑下し過ぎているようだな……」
「?」
すると参謀総長殿は自分にある話をした。
「君はあの研究所で何をしていたのか忘れたのかね?」
「はい……忙し過ぎる上に、実験体のような扱いをされた影響であまり詳しくは思い出したくもありませんが……」
そう言うと参謀総長殿は頭に手を当てて困惑しつつも納得した表情を浮かべていた。
「あぁ…そう言うことか……」
そう言い、参謀総長は納得した様子を浮かべながら自分のデコの部分に二本指を当てると呪文のような物を唱えていた。参謀総長殿、貴方魔法兵だったのですか?
「うおっ!?」
「やはり封印しておったか……」
直後に空白の記憶が埋まる様な感覚に襲われ、あの研究所での記憶が鮮明に映し出される。あの実験の時以外の記憶も……
研究所の一角で自分はエレニカ主任に扱かれていた。
「ほら!もっと脇を締めろ!!」
「はいっ!」
「ナイフはこう!接近戦になった時は拳銃よりもナイフだ!」
「はいっ!」
そこでは俺はゴム製ナイフを持ってエレニカ主任に叱られていた。理由は簡単、エレニカ主任に接近戦の時の技を教え込まれていたからだった。軍隊格闘技から果ては話術や、魔力の隠匿術などその内容は多岐に渡った。
エレニカ主任はただのMADな研究者だと思っていたが、どうやら違うらしい。歳も不明だしこの教え方は確実に軍人のそれ。一体何者なんですか…
そう考えさせてくれる時間も無く、自分はエレニカ主任の足蹴りを避け、そして叱られる。
「甘い!もっと動きを小さく!間が出来ている!」
「はぁ…はぁ…」
肩から息を吐いているとエレニカ主任はいつも通り怒号をあげる。
「まだまだ甘いぞ、ディルク中尉」
「は、はい……」
「あと三セットはやるぞ。それまで倒れるんじゃ無いよ」
「は…はいっ!」
そう声を上げて返事をし、汗ダラダラになりながらも自分はエレニカ主任と組み手をしていた。
「いいか?人と言うのは自分と似ているところが多いと自然と居心地が良くなり、仲良くしようと思う生き物だ」
体術を学んだ後はエレニカ主任から話術をタイマン講義で教えてもらう。
「そこで必要なのは相手の話し方や仕草を真似、相手の思っていることに共感し、相手を信じ込ませる事。
ーー相手に居心地の良さを与えれば、それは話し手のおかげだと考え、より親密な関係になりたいと感じる。
君は大量の情報を常に取捨選択をし、整理できる能力が既に備わっている。これは諜報員にとっては非常に有用な能力だ。
几帳面で、仕事熱心な君は上からも好意的に受け止められやすいだろう」
エレニカ主任は俺にそう言うと手書きの教科書のような物を渡され、中身を読んでいた。
「本来はもっと時間をかけるべきだが……時間が無い。徹夜で教え込んでやる」
そう言われ、自分はエレニカ主任から話術を学んでいた……
「ーーー思い出したか?」
「はい……」
少々頭に違和感を感じつつも、返事をすると参謀総長は俺の無事を確認すると話を進めた。
「それなら結構、ずいぶん優秀だと聞いていたからな」
「総長殿、一つ質問を……
エレニカ主任は一体何者なんですか?」
そう問いかけると参謀総長は頭を少し掻くとこう答えた。
「なに、少し特殊な帝国軍所属の研究者だ……」
ディルクが命令を受け取り、部屋を出てっ行った後。ペッツは扉を見たまま虚空の空間に話しかける。
「……なぜ、彼の記憶を閉じていた。エレニカ…?」
するとペッツの後ろから音もなく気配が現れ、ペッツの目の前のソファにドスッと座る。そこに居たのは帝国軍の軍服に身を纏ったエレニカだった。
階級章は大佐を示しており、その目は研究所にいた時とは違い、恐ろしく鋭い目をしていた。ソファに座ったエレニカはペッツに言った。
「あなたが送ったあの青年…ディルクはまるで人狼よ」
「ほう?」
遠慮する気配もなく、エレニカはディルクという青年から感じたことを有りのままに話す。
「彼はかつて無いほどの速度で技を吸収して自分のものにしている…諜報員として今までに無いくらいこの上なく素晴らしい存在よ」
「だろうな」
ペッツは頷くとエレニカはソファの前に置かれた甘味に手を伸ばすと中に入っていたグミを手に取り、それを口にしながらディルクに話術を教え込んでいた時のあの目を思い出しながら言う。
「ディルク中尉…。今じゃ、少佐か……ともかく、彼は帝国に対する忠誠心なんてかけらも存在しない…。あなたの命令だったから彼に必要な教育は施したけど……
本当に良かったの?」
その問いにペッツは即座に、間も置かずに答える。
「ああ、なにも問題は無い。それに、帝国に忠誠心がないのはお前さんとて同じだろう」
「それはそうだけど………正直あれは異常よ?もし共和国に寝返った場合とかは考えているの?」
「彼は裏切らんよ」
「ふーん……その根拠は?」
そう問われ、ペッツは初めてディルクと対面した時のあの全て飲み込まれそうな虚な目を思い出した。
ディルクは帝国に忠誠がないのと同様に共和国に対する忠誠心も存在しない。共和国に呆れたと言う彼の言葉に嘘は無かった。そして何よりあの砲撃をした《白い悪魔》以外に彼の興味を示すものは無かった。
《白い悪魔》を倒す為なら彼は泥濘の中ですら這いずり回るだろう。そう確信できる。あの目はそう言う時の目だ。家族にすら見せたことの無いだろうあの目はゾッとするものがあった。
「彼の真意を知ったからな……」
目を閉じながらそういうペッツにエレニカは何があったのかを今までの関係から察し、そのまま部屋のドアノブに手を当てた。
「じゃ、私はこれで帰るから」
「ああ、またいい人材が来ればそちらで訓練させる」
「その時はお代を弾んでよ?」
「分かっているさ……
エレニカ・ネーデルハイト特務大佐」
そう言われた彼女はそのままなにも無かったかのように部屋を後にした。
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