幽夏   作:鼠日十二

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 太陽を向く花のように、明るく凛々しく育ってほしい。だから『日葵(ひまり)』って名付けたのよ──。

 それなら自分は親不孝者だな、と思う。

 ところどころで砕けたアスファルトを踏み締め、車は田園風景の中を走っていった。気まぐれに目を向けていた車窓からの景色に飽きて、スマホをぼーっと眺める。助手席に座る母が、目が悪くなるわよ、と言う。

「これ以上悪くなったって変わんないよ」

 悪路の振動でずり落ちたメガネを直しながら言いかえす。本当はこんなとこ来たくなかった。夏休みの帰省なんか面倒なだけだ。暑いし、電波届かないし。今どき扇風機しか無いってあり得ない。

 心の中でぶーたれるけど、お父さんの運転は無慈悲に私を田舎へと運んでいった。

 

「よぉ来たな、日葵」

「久しぶり、じーちゃん。なんか去年より焼けた?」

 蝉の声に負けじと声を張る。じーちゃんが呵呵大笑と笑った。あ、呵呵大笑っていうのはめっちゃ笑うってことね。この前読んだ小説に書いてあった。

「今年はよう晴れた。野菜がでっかく育つのは良いが、葉が焼けちまってなぁ」

「燃えるの?」

「いんや、黄色とか白になって枯れる」

 じーちゃんは畑を持ってて、ばーちゃんと一緒に農家をやってる。儲けが出るほど売れるわけじゃないけど、自分たちの食べる分は困らないって話だ。私は野菜あんまり好きじゃないけどね。

 とりあえず、荷物を持って車を降りる。毎年1ヶ月くらいはいるから、着替えと夏休みの宿題とでバッグはパンパンだ。本を入れる隙間もちょっとしかない。だからいつも厳選に厳選を重ねて、夏の相棒を選ぶんだ。今年はちょっと冒険して、読んだことがないやつにチャレンジ。

 家の中に入ると、涼やかな風がそばを通っていった。じーちゃん家は見かけより涼しい。田舎特有のゆるゆる防犯意識で、玄関は網戸になってるし、窓もそこらじゅうが開いてる。その分風が通って、クーラーがなくても良いじゃないかってお父さんは言うけど、やっぱり私は冷房の効いた図書館とかに行きたい。汗で手がベタついて、ページにシワが寄るのが嫌。

「お義父さん、お邪魔します」

「ああ、遠慮せんで入ってくれ」

 私の後に続いたお母さんが、ちょっと他所行きの声を出した。なんか急に、身の振り方がわからなくなる。じーちゃん家に行くと、お父さんはじーちゃんの子供で、お母さんはお父さんの妻というポジションになる。私はお父さんとお母さんを見比べて、くつろいで良いのか、しゃんとするべきなのか、迷うんだ。

「ばあちゃんは」

「悪くないそうだ。1ヶ月もあれば退院できる、とお医者さまは言っとった」

 お父さんとじーちゃんが話しているのを聞きながら、私は荷物を置いて2階へと上がった。

 

 じーちゃん家の2階は見晴らしが良い。仏壇がある部屋は怖いから近づかない。いつもは一番広い畳の部屋に布団を敷いていて、今年もその予定らしく、部屋の隅に布団が重ねられていた。飛び込むと、じーちゃん家の匂いと、埃の匂い、太陽の匂いがないまぜになった香りがする。

 あったかい。ちょっと暑いけど、嫌いじゃない。古い本を思い出す良い匂いと、やわらかい感触を存分に堪能してから、窓から景色を見るべく身体を起こした。

「うわ、緑」

 畑と、水路。あの緑一面が全部野菜って、言われてもすぐ信じられない。農業ってあるんだな、なんて思う。

 しばらく眺めていると、遠くの方に違う色を見つけた。緑もある。が、その区画だけ鮮やかな黄色が多くを占めている。メガネのブリッジをちょっと押し込んでみるけど、遠すぎてピントが合わなかった。

 なんだろう、あれ。気になるけど、この暑さの中で外出する気にはなれない。でも気になる。うーん。

「ひまりー! お昼にするけど、そうめん食べるー!?」

「食べる!」

 じーちゃんにでも聞けばいいか。私は階段を降りた。

 

 

「知らんなぁ」

 じーちゃんは素麺をすすり、首を捻った。

「ほんとに? すごい目立つけど」

「あの辺なら、石崎さんちの趣味かもしれん。気になるか?」

「なる」

「おう、そんなら入って良いか訊いとこう」

 良かったわね、とお母さんが言った。私は頷いて素麺を啜る。氷の入った麺つゆはその分ちょっと濃いめで、贅沢な気がした。

 座敷机の真ん中に盛られた素麺の山を箸で崩しつつ、お父さんが口を挟んだ。

「懐かしいなぁ石崎さん。ブロック塀の上歩いてたら急に怒鳴られて、落っこちたことあるんだよ」

「え、なんでそんなとこ歩いてんの?」

「楽しいと思ったんだよ。冒険心ってやつだな」

 お父さんは笑った。子供っぽい、イタズラっぽい笑みだった。

 

 

 昼ごはんを終えたら、今度は宿題の山を崩す。 

 私は宿題を早めに片付けるタイプだ。不安材料を残したまま何かを楽しむことができない質なのだ。本を読む時は何にも邪魔されず、なんというか、救われてないとダメなんだ。

 というわけでガリガリとシャーペンを動かす。ときおりお母さんが「えらいわね」と言って麦茶をくれたりする。自分のことは基本自分で、がうちのルールなので、ちょっと新鮮な気分。

 1週間もあれば、プリントの類はあらかた片付く予定だ。読書感想文は好きな部類だから、意識しなくても自然と終わる。嫌いなのは自由研究だ。アレの何が面白いのか、まるでさっぱりわからない。だってさ、ネット見れば全部書いてあるんだよ? いまさら調べ直すなんて無駄じゃん。

 とまあ、文句を言ってもやるしかない。去年は何にしたんだったかな。クジャクヤママユの標本を作ろうと思って、でも日本にいなかったからアゲハチョウにしたんだ。今年は……今年は、うーん……。

 悩んでいると、うちわを仰ぎながらテレビを見ていたお父さんが自由研究の説明プリントを覗き込んできた。

「スケッチでもいいのか」

「そうだけど、20枚以上だよ? こんな暑い中で絵なんか描けないよ」

「写真撮ったらいい。スマホがあるだろ」

 言われて、確かにと思った。それなら室内でも、日が暮れても描ける。日中は写真を撮るだけで良い。

「お父さん、天才」

「だろ?」

 そうだ、せっかくならあの黄色い区画も見に行こう。スケッチの対象は虫や植物だから、撮影ついでに足を延ばせばいい。少し遠いが、20枚分の観察対象を探すと思えば十分だ。

 1番の難敵の弱点が見つかったからか、かなり気が楽になった。その日はかなり予定を前倒しして、プリントを5枚進めることができた。

 

 

 次の日も晴天だった。じっとり張り付くパジャマのまま一階に降りると、じーちゃんとお母さんがご飯の準備をしていた。じーちゃんはあれでも料理ができて、机に並ぶのはじーちゃんが育てた野菜とか、その漬け物とか、ここじゃないと出てこない料理ばっかりだ。汗をかくと塩っ気のあるものがおいしい。

 食べ終えて食器を流しに持って行くと、思い出したようにじーちゃんが声をかけてくる。

 

「ああ、日葵。石崎さん、花踏まなきゃ好きに入って良いってよ」

「ほんと? ありがと」

「見かけたら挨拶するんだぞ」

 私は頷いた。そうと決まれば、だ。授業で聞いた話だと

1日の中で気温が一番高くなるのは2時くらいらしい。だからその前、涼しい午前中に写真を撮りに行こう。

「今日行ってみる」

「麦わら帽子と水筒持ってけよ」

 もちろん。向こうじゃダサいなんて言われそうだけど、こっちにどうせ同年代の子なんかいない。緩めのシャツとスカートを適当に選んで着る。人の目を気にしなくて良いのは、田舎のいいところだ。

 サンダルをつっかけて、家を出た。2階の窓があそこだから、黄色い区画は……あっちかな。

 蝉の声に包まれながら田舎道を歩く。すぐ横に竹藪があったり、畑が広がっていたりして、ときおり立ち止まってはそれをカメラに映す。写りが悪い時もあるし、枚数には余裕を持たせたい。

 目についたものから撮り歩く。道端の、長いたんぽぽみたいなやつ。カナブン。ゴツゴツした木。セミ。写真を撮るだけだから、セミトラップに怯えなくて済む。ブーンとした重低音……

「ヤバっ」

 重たい羽音が聞こえたら、とりあえず逃げろと言いつけられている。ミツバチやクマバチならマシだが、スズメバチは本当にヤバい。あなふぃナントカみたいなやつで、刺されたら死ぬ。私は慌てて走り出し、角をいくつか曲がってから後ろを確認した。

「……良かった、来てない」

 思わずため息が出る。夏なのに背筋がひんやりした。あのルートは今度から避けようかな。とりあえずはさっきの道に戻ろう。そう考えて、辺りを見回した。

「……ん?」

 おかしい。見覚えがない。

 じーちゃん家の周辺は、お父さんと一緒にすっかり探検し尽くしたはずなのだ。なのに、こんな道は見たことがない。

 どうしよう。スマホは当然みたいに圏外。以前読んだ怖い話を急に思い出して、無性に民家や木々の隙間が怖くなった。

「と、とりあえず歩かなきゃ」

 もしかしたら、私が忘れているだけかもしれない。そう思って歩き出す。けれど3つ目の角を曲がった時点で、あまりに覚えのない景色に、私はもう泣きそうだった。目印にしていた顔みたいな窓がある家も、必ず通る石材屋さんのお墓の見本も、何もない。どこの角を間違えたんだろう。行くのが良いのか、戻るのが良いのか、それもわからない。

 迷って、さんざん迷って、とりあえ前に行くことにした。何かお化けでも出るんじゃないか、そんな予感を抱きつつ、角を曲がる。

 そして、息を呑む。

 

 

 ――そこに、向日葵畑があった。

 

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