火竜(サラマンダー)も異世界から来るそうですよ? 作:shoshohei
真に勝手ながら、納得できないために加筆修正させて頂きました。2016/324
冷えた大地を白夜が燦々と照らす世界。
そこで、再び闘争の幕は切って落とされる。
「―――ラァッ!!」
突き出されたナツの右の掌から、一気呵成に燃え盛る炎の渦が顕現する。
轟々と、彼の意気と同様に燃える超高温の炎熱は、年相応の小さな体躯を呑み込まんとする勢いで白髪の少女へと一直線に向かう。
「―――、」
対する白夜叉は、目立った行動は特にしなかった。
薄い笑みを浮かべたまま、扇子を持った右手を、横に振るう。ただそれだけ。
それだけで、彼女の目の前は姿を変える。
目前まで迫っていた炎も、広大な大地も、地に立つナツも、一木一草悉くの全てを。
何の前触れもなく出現した莫大な爆炎が、全てを刹那の間に塗りつぶした。
閃熱と閃光が撒き散らされ、地盤は砕けて地表は焼かれていく。
「…………っ! ナツ!」
「ナツさん!」
漏れ出た熱風から顔面を腕で庇いながら、ハッピーと黒ウサギが再び案ずる様な声を上げた。
それもそのはず。周囲を一瞬で焦土と化し、尚且つ木々などの可燃物もなしに
加えてこれはただの炎にあらず。黒ウサギと白夜叉以外知らぬことだが、この炎こそ、その気になれば世に転がる万別の事象すらも灰燼に帰す最強の太陽神の灼炎。神格を得て力を押さえているとはいえ、性質は変わらない。それが人体に直撃すればどうなるかなどは、想像に難しくはないはすだ。
足して頼みの綱であった炎の捕食も、彼女の炎には通じないことは先ほどで立証済み。ゆえに黒ウサギたちの反応は、ごく自然のものといえた。
そして現状の元凶。地獄絵図の如き惨状を作りだした張本人たる白夜叉は、周辺に充満する焦げ臭さにも顔を顰めず、涼しい顔で自らが生み出した劫火を見つめて呟く。
「……ふむ。大口を叩くだけのことはある、ということか。存外やるようだ」
顔を蒼くして眼前に見入っていた黒ウサギは、優れた聴覚で拾った少女の言葉に思わず耳を疑った。
直後に、変化が訪れる。
衰えることを知らない炎の波。
獲物に群がる陽炎の群れの中を勢いよく突き破り、振り払うように炎の尾を引きながら空高く跳躍する人影が一つ。
白夜を背に姿を現した者の姿を確認して、この場の誰よりも人影のことを知るハッピーは、不安げな表情を緩ませて喜色の混じった声で名を呼んだ。
「ナツ!」
「うそ…………!?」
太陽の炎から飛び出した人影――全身から血を滴らせるナツ・ドラグニルを見て、黒ウサギは声を裏返す。
あの炎は明らかに即死級の代物だ。人間がまともに受ければ魂魄すらも欠片として残らない。その爆炎から生還したどころか五体満足でいられる可能性など、並みの者ではまず無いに等しい。だと言うのに、この事実は一体どういうことなのか。
当惑する彼女の心境など知らぬ存ぜぬ。ナツは重力に従って太陽と白夜の化身へと急降下。その最中、右の掌を固く握り、己が魔力を集約する。
「火竜の……」
振り上げた拳に宿るのは、
周囲の冷気とは真逆の温度を持つ拳を、余裕綽々の微笑を浮かべる魔王に落す。
「―――鉄拳ッ!!」
音すら巻き上げて振り下ろされた拳を、白夜叉は大して速くもない、緩慢とした動きを以てその小さな右手で受け止めた。
瞬間、足場となった大地が陥没し、半径二キロにも及ぶ大きなクレーターを形作っては砕け散る。受け止めた余波だけで地を割るほどの凶器を直に受けた少女はしかし、苦悶を微塵も見せない。
「―――とォ」
そのままの体位を利用する。止められた右腕を軸に、体を寝かせるように傾けぐるりと回転。共に振るわれる横薙ぎの蹴り。先ほどと等しい力を秘めた竜炎を纏う炎蹴だ。
「火竜の鉤爪ェ!!」
迫る回し蹴りに、白き魔王は気軽な調子で左腕を差し出す。
衝突。くぐもった音を響かせる。少女の白く細い腕は、外見からは見られない非常識とも理不尽とも呼べる力で、火竜の脚を強引に停止させた。纏う火焔も、彼女の体に傷を付けた様子は見えない。
太陽神たる彼女を、その炎では塵ほどにも害することはできないということだ。
「これで終わりか?」
「んなわけねェだろッ!!」
口の端を吊り上げて、大きく飛びのくナツ。
くるりと一回転して、身体を屈め四つん這いの状態で着地する。その姿は狩猟を行う獣の如く。鋭利な刃物の様に鋭く光る眼光は、見る者に獲物を狙う野獣を彷彿とさせるに違いない。
「火竜の……」
三度発現した竜炎がナツの総身を包み込む。大気を貪り滾る魔力の炎を纏った
「
解き放れたのは足場を吹き飛ばす筋力。同時に纏う火焔も一層燃え上がり、爆発的な推進力を得て弾丸の様に身体が射出される。
大気を破裂させ可視の波紋を生み出し、紅蓮の彗星と化すナツ・ドラグニル。マッハに優に匹敵する速度を叩きだしたかの竜は、一秒に満たない時間で距離を零に詰め、魔王に爆燃する角を突き立てた。
直撃。衝突によりあふれ出た衝撃波は、軽度の地震を伴って地を鳴動させる。
―――だが。
「威勢だけは素晴らしいの」
揺れ幅のない優雅な声が、ナツの鼓膜を震わす。それ即ち、ナツの攻撃が彼女に影響を及ぼしていないという証明でもあった。
真実美声の示す通りで、彼の渾身の突進は少女を元の位置から一ミリも動かせず、頭に添えられた細く小さな片腕一本によってぴたりと静止させられていた。身体を覆う炎熱も、白い肌に火傷一つ残すことができないでいる。
竜の角は、魔王に突き立てられてはいなかったのだ。
「……カハッ」
自身の一撃の数々が通用しない。己の魔法の悉くが容易くあしらわれている。それほどの実力差。
現状相手との間にある位置の違いを改めて認識し、少年は笑みを零す。鼓動の高鳴りを、血沸き肉躍る感情の昂ぶりを押さえられずに破顔という形で露わにする。元々振り切っていた情のパラメーターを、壊しかねない勢いで更に揺れ動かさずにはいられない。
なんだそれは?
どこまで怪物性を見せつければ気が済むのだ。どこまで隔絶した力量差を感じさせれば気が済むのだ。
どこまで、こちらを熱く滾らせれば気が済むのだ。
「燃えてきたぞォ!!」
ならばこそ、挑み続けなくてはならぬだろうと。喜悦を交えて大声を張り上げ、白夜叉の手を振り払ってナツは飛び退く。
血に飢えた化生にも似た笑顔を浮かべ、総身から拳に炎を移して猛撃を再開。
「ヅォォォラァァァァアアアッ!!!」
裂帛の気合を上げ、全身から滴る血潮を撒き散らす事も意にも介さずあらん限りの攻撃を加える。
一撃目は炎拳の振り下ろし。
五撃目は裏拳。
十撃目は回し蹴り。
二十撃目は飛び蹴り。
総数で二桁の数を超える五体のあらゆる部位を十分に駆使した、一撃一撃が竜と同質の力を持つ殴打が連続される。だというのに、どれも攻撃の意味を成すことができない。
「本当に、全くもって元気な
態度を一片も崩さず、嘆息気味に笑う白夜叉。息付く間もなく襲い来る炎撃の嵐の総てを彼女は冷静に、されども的確にいなし、受け流し、或いは受け止める。やはり元居た場所から一歩も動かず、不動のままにナツの前に君臨していた。
微動だにしない強者に戦意を掻き立てられ、竜はより大きな雄たけびを迸らせ総数五十撃目となる踵落としを見舞う。
「どうした? もう品切れか?」
それでも太陽は落とせない。膨大な威力にクレーターを更に陥没させながらも、片腕で防いだ魔王はやはり余裕綽々で、苦痛の様相を一切露わにしない。あまつさえこれ以上はないのか、お前の実力は此処で底をついているのかと。試すような口調で問うてくる。
「誰がッ!!!」
否。此処が自分の限界などとありえない。まだ魔力も気力も底をついていないのだから。
未だ激しく熱度を上昇し続ける情念を発露して、再び距離を取る。白夜叉は追撃してこない。変わらずに直立の姿勢を保っている。まるで、もっとナツの実力を検証したがっているかのようだった。
「だったら……」
だったらお望み通り見せてやろう。竜殺しの魔法の真髄を。火竜の真なる底力を。
その思念を胸中に抱き、口を開いて酸素を大いに肺の中へと送りこむ。同時に生成され蓄積される魔力は、次なる魔法の為の下準備、言わば予備動作。
これまでのものとは毛色が違う一連の動作に、白夜叉は感心の意を感じさせる息を吐いた。
「ほう」
「火竜の……」
風船の様に胸筋が膨らみ、脚がナツの胴体を支える。開かれた口の隙間からは、喉の奥より溢れる火が姿を覗かせていた。
この火焔こそが、竜の代名詞とも言って相違ない代物の一端。
即ち
「――――――咆哮ォォォッッッ!!」
渦巻く轟炎が牙を剥く。酸素を焼き切る超熱の
されど勢いは留まらず、竜の息吹は地盤を消し炭にしては土塊を融解させ、まだ足りぬと息巻いては灼熱の渦となって地を舐めつくす。さながら暴走列車の如く迸る竜炎は、獲物を飲み込もうとも速度を緩める様子は少しも見せず、そのまま眼前の湖畔へと驀進する。
―――着弾。そして炎上。
勢い余って湖へと激突した熱線は、一秒と待たずして水面を滴の一つも余さず即座に蒸発させた。溢れ出た余波は傍らに聳え立つ氷山を揺るがし亀裂を迸らせ、押さえきれぬ熱量は凍てついた表面を溶かしていく。
正しく文字通り。
放たれたたった一発の
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「……なんか、変わってない?」
眼前の光景に釘付けになりながらも、やや口の端を引き攣らせたハッピーが呟いた。
その声を拾った問題児たちは、額の汗を拭って怪訝な眼差しを青い子猫に向ける。三毛猫を落ちないように腕に抱えながら、春日部耀が不思議とばかりに問うた。
「……変わってるって、何が?」
「何がっていうか……色々と。オイラ達の世界に居た時よりも、こう……なんていうか、火力とか魔力とか、ナツの魔法自体が
「……? 具体的に言うと、どんな風に変わっているのかしら?」
解せないといった様子で首を傾げる飛鳥。彼女は魔導士ではないのだから、致し方のないことなのかもしれない。他の問題児たちも同様だった。
ハッピーは小さな両腕を組み首を傾げて、
「うーん……具体的にって言われても、オイラもあんまりよく分からないからなぁ」
「そ、そうなんですか?」
「あい。大雑把にナツの魔力がいつもと違うってことや、なぜかこの箱庭に
「すいません今さらっと非常識な発言が聞こえた気がしたのですが!? というかいつも街とかを壊してたんですか!?」
思わず流してしまいそうなほどに軽々しく口にされた発言に、黒ウサギは条件反射的に声を上げて指摘した。ここにしっかりとツッコむ辺り、中々どうして彼女はれっきとした常識人であった。
そんな彼女に気を良くしたのか、対象である猫の魔導士は片手を上げて元気よく少女に返答。
「あい! そりゃあもう盛大に! いつもやりすぎちゃって、依頼は果たせるけど報酬は街の修繕費にほとんど持ってかれて、ほぼなくなっちゃうくらいやばいのです」
「ヤハハッ、なんだそりゃ! 最ッ高に悲惨じゃねえか! お前のご主人様って相当面白いんだな」
「ふふん、酷いでしょ?」
「胸を張って言うことじゃありませんっ! それに全然面白くもなんともないですからっ!」
さぞ可笑しいと笑う十六夜と、馬鹿らしい内容に小さな胸を張るハッピー。馬鹿らしいというほかない二人のやりとりを、鼻息荒げてご丁寧に断ずる黒ウサギ。
ぜーはーぜーはーと肩で息をするその姿は、なるほど苦労人の姿に他ならぬであろう。
「……そう言えば、サラッと流してしまいましたけど」
乱れた―――乱されたとも言う―――呼吸を整えながら、思い出したように黒ウサギがハッピーに質問する。
「先程仰っていた、エーテルナノとは一体なんですか?」
「おぉ、それは確かに興味深いな。俺にも教えろよ青猫。名前を聞く限りじゃ、神学で言われてる五代元素のエーテルに名前が似てるが」
「あら、それは私も訊いておきたいわね」
「……一応、私も。ちょっと知りたい」
彼女に便乗する形で、問題児たちも好奇の眼差しを青い猫へと向ける。聞く耳を持った彼らの姿勢に、ハッピーは僅かに思案する素振りを以て応える。
「んー……まあ、オイラもあんま難しい事は分からないんだけどね。―――エーテルナノって言うのは、
「ほぉ……つーと何かい? お前らのその魔法は、お前らの世界以外では使う事ができないと?」
「でも、それではおかしな話じゃない。現状あなたやナツくんは魔法を使えているのだし、今この場でもその……エーテルナノ? とやらがあるのでしょう?」
彼らの疑問は至極もっともな物だった。
本来アースランドでしか使えない魔法が、今この場においてなんら支障なく使える事ができている。これが指し示すのはつまり、箱庭にもエーテルナノが存在しているという事実である。
存在しえないはずの物が、実際には実在している。これは誰でも疑問に思って然るべき事態と言える。
「あい。だからオイラもおかしいなあとは思うんだけどさ……ねえ、なんで箱庭にもエーテルナノがあるの?」
心底解せないといった唸り声を小さく上げて、ハッピーは答えの出ない疑問を隣の黒ウサギに放った。
タイミングも何もあったものではないキラーパスに、おっかなびっくりウサ耳の少女は応じる。
「え、えぇ? 黒ウサギにお聞きしちゃうのですか?」
「だって〝箱庭の貴族〟でしょう? 何か知らないの?」
尻尾を揺らしながら、曇りのない目でウサ耳少女を見つめるハッピー。続くように問題児たちも彼女を凝視する。
さあさあばっちりな回答をくださいよ、と言わんばかりの期待の視線に晒され、思わずたじろく黒ウサギ。いくら〝箱庭の貴族〟と言えど、異世界の物質がなぜ箱庭にも在るのかなど、今まで存在すら知らなかった彼女が知る由もなく。
故に、全体的にウサ耳を萎ませ肩を落とし、声量を一段落として回答した。
「うぅ……そんなの黒ウサギが知ってるわけないのですよぅ……」
そんな、少女のか細い陰鬱な声音の返答。それを耳にした問題児たちは、疲れた様なため息と共にやれやれと首を振った。
「まあ、黒ウサギだから仕方ないっていうのは分かってたけどね。黒ウサギだし」
「ぶっちゃけ〝箱庭の貴族〟っていうより〝箱庭の貴族(笑)〟だしな」
「いえ、そこは〝箱庭の貴族(恥)〟の方が良いのではないかしら? 体裁的に」
「此処は敢えて〝箱庭の貴族(爆)〟でも良いと思う」
「それだッ!!」
「それだなッ!!」
「それよッ!!」
「他人に変なあだ名をつけるのに抜群なコンビネーションを発揮しないでくださいよぉぉ!!」
ぐもぉっ! と、涙目で叫びながら馬鹿をやらかす者どもの頭をハリセンで引っぱたく黒ウサギ。
総計四人にツッコミを入れ、先ほど以上の疲労を感じて肩を大きく上下させながらも、ちらりと横目で違う方角を一瞥。視界に戦場で立つ桜髪の少年を映し、今しがた聞いた彼の相棒の言葉を内心で反芻する。
(……もしかしたら、白夜叉様の炎を受けて立っていられた理由も、ハッピーさんの言う変化に原因があるのかもしれませんね)
しかし、と。
瞳に僅かばかりの憂いの影を落として、彼女は想う。
たとえその理由が分かったとしても。
今の自分にはあの少年が、かの魔王に勝利するビジョンが全く思い浮かばないと。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
そして。
彼女の視線の先に居るナツ・ドラグニルは、肩で大きく息をしながら自身の血塗れの手に視線を落としていた。
「…………、」
滴る血液を振り払って、掌を握り確信を得る。
この異世界に来た時より感じていた、些細で、しかし明確な違和。その実在の確信を。
(やっぱそうだ。こっちの世界に来てから変な感覚っつーか、滅竜魔法が変化してやがる)
それは火力の上昇や、反射神経や脚力といった身体能力や魔力の変質、また恐らくは耐火性……滅竜魔法による炎への耐性なども上がっている。でなければあの炎に耐えることなどできず、今頃はこのように五体満足で立ってはいられず、死に直結していただろうとナツは思う。直観に近い推測だが、きっとそれだけの威力があった。
加えて滅竜魔法の変化は異質だ。今までに感じたことがないような、
しかし何故、ここまで格段な変化があったのか。全くの不明である。もしや、この世界にエーテルナノが充満していることに関係しているのかもしれないが、それも結局は憶測の域を出ない。
(……分からねえことを考えても仕方がねえし、今はそんなことはどうでもいいか)
小難しい事は後で考えればいいし、深く物事を考えることは苦手だ。故に今はただ、目の前の相手に全力を尽くすだけ。早々に自己完結して、出血多量でふらつく足を無理やりに支え、ナツは拳を掌へと打ちつける。
その時だった。
炎が裂けた。
比喩ではない。微塵も留まる気配を見せなかった炎の海が、鈍く低い音を立てていとも容易く中央から真っ二つに裂けたのだ。
強引に引き裂かれた強大な灼熱の断片が、瞬く間もなく霧散していく。炎海の裂け目から顕現するのは燃え滾る巨大な一つの物体。
その球体を言い表すなれば、小さな太陽。薄暗い大地を照らす日輪。
膨大な存在感を放つ陽炎の光球は、呆れるほどの緩やかな速度でゆっくりと一行へと向かっていく。
ナツが。
ハッピーが。
皆が息をのみ、動向に注視する。数多の視線に晒されながらナツの上空へと至った小太陽は、その外郭を急遽崩す。露になった中身から、薄い笑みを湛えた少女が姿を現した。
「いやはや、中々のものだったぞ。炎熱系の恩恵の中では上質な代物ではないかね?」
柏手を叩き、不可解な原理でゆっくりと地面に降り立つ和装の少女には、傷がない。傷一つない。
確実に魔法が直撃したであろう少女は、完全に無傷だった。
自身の一撃を受けても平然としている彼女を前にして、ナツはその圧倒的なまでの力量を再確認し、僅かな冷や汗をかいては獰猛な笑みを形作る。
「褒めてくれてどーもアリガトウ。オメェもやるじゃねえか。東側最強だっけ? そういうのは伊達じゃねえってことかよ」
「当然だの。この程度は小手先よりも軽く出来なければ、最強の〝
言って、手に持った扇子で口元を隠し、白き夜の魔王が悠然と微笑する。
「―――まさかとは思うが、あの程度で私の力を推して測れた、などと迷妄に耽っているわけではあるまいな?」
さきほどは称賛しておきながらこの言い草。即ち、あれは遥か高みに位置する者からの、それこそ下々へ向けた賛辞にも似た評価でしかなかったということ。その程度の価値しかないと魔王は告げたのだ。
ともすれば分かりやすい挑発を受けて、しかし歓迎するナツの笑みも、更に危険な色を帯びて行く。
「ハッ、どうだろうな。そっちこそ、まさかこんなもんで俺の全部が分かったとでも思ってんのか?」
「さて、どうであろうな。しかしまだそれだけの大口を叩けるのならば、今まで以上に楽しませてくれると期待してよいのかの?」
「ああ。思いっきり楽しませてやんよ―――泣いて喜んで、叫ぶくらいになァ!!」
脚に炎を纏い地を蹴りつけ、増強した脚力で以って風を抜き去る速度を叩きだし、喜色を前面に押し出して火竜が星霊へと迫る。
「馬鹿の一つ覚えのように……」
失笑する白夜の魔王。彼女は右腕をゆっくりと突き出す。
矮小な手の先端、掌の中央。小さな掌中へと蚊に見間違えそうな小さな火の粉が集約していき、瞬く間に生み出されたのは大きさはサッカーボールほどの小さな火球だった。小柄であるが、温度は実に二千度。これだけで並みの幻獣は消し飛んでしまう凶器となり得る。
生物を殺傷するには十二分な熱量が躊躇なく、尋常外の速度で打ちだされる。速さは実に第三宇宙速度に匹敵するほど。当然ながら、人間どころか地球上の生き物ならばまず反応できない領域の速度である。
「ナメんなァ!」
脚をブレーキにして速度を殺し、燃焼する拳を引いてナツは勢いよく叩きつける。
真正面からぶつかり合う拳と火球。直後、血飛沫が舞う。生み出された衝撃によって右腕の肉が抉られ、全身に振動が染み渡る。苦悶に染められるナツの表情。先ほどまで進んでいた脚も、火球によって完全に停止させられた。
「――ダラァァッッ!!」
しかし火竜は止まらない。腹の底から一喝。同時に腕を振り払う。それは第三宇宙速度というバカげた速さから生まれた馬力を物ともせず、力任せにその火球を右へと弾いた。右腕に鋭い激痛が奔るが、だからとてナツが止まる理由にはなり得ない。ゆえ、火竜は進撃を再開する。
「火竜の……」
構えた双掌の間に、小さな炎が灯る。蝋燭の火と称して遜色のない極小な篝火は、数秒と経たずして体積を増大させ、ナツの二倍も三倍もある巨大な炎塊へと姿を変えた。
「―――煌炎ッ!!」
投げつける様な格好で炎塊が放られる。一点に魔力を集中させて創り出された灼熱は、彼の感情を具現化し昂りに比例する性質と相まって、先ほどの
湖畔を一撃で蒸発させる火力を上回り、山河を三つ砕いて余りある脅威がまさしく目と鼻の先にまで迫った星霊は、
「
生半可ではない熱量の集合体を、簡単に留めた彼女の小さくか細い手。未だに燃える火焔と掌の僅かな間隙から、眩い閃光と共に陽炎が溢れ出す。
「正味なところ、これでは篝火と変わらんな。痛くも痒くもない。こんなもので私に勝利しようなどと考えているのか? であれば、さぞかしお気楽な頭の出来であると言わざるを得ない」
言い切った直後に、放出。
出現と同時に煌炎を上回る巨躯へと膨張した太陽炎は、そのまま強烈な気圧を携えた大熱波と化して炎塊を鬩ぎ合いの暇すら与えずに消し飛ばした。
まるで眼前を飛ぶ羽虫を鬱陶し気に払うかのような軽さ。この程度児戯にも等しいと言わんばかりに出力を多少も落とすことなく、莫大な神威が豪速のまま火竜へと襲い掛かる。
「…………ッ!!」
絶大的な猛威。
開幕の陽炎を上回るであろう火力に秘められた、落命の危険性が桁違いに跳ね上がった致死性を前にして、しかしナツは僅かに驚きながらも
されども抑えきれず、漏洩する拒否感情によって早まる心臓音。バクバクと耳をうるさく叩く鼓動を聞こえぬと黙殺し、更に届く黒ウサギやハッピー達の驚嘆に満ちた声を思考の隅へと放棄して、再び総身に炎を纏い迫る焦熱の波へと一直線に突撃する。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああァァァァァ!!!」
振り絞るような叫びに込められたものは、この瞬間にも逃げ出してしまいそうになっている、怯えたもう一つの感情からの制止への反駁。停滞を拒絶する前進の意思であり、それだけではない。
尻込みして怖気づいてのたれ死ぬのは此処ではないとする叱咤。
総じて己を奮い立たせるという意味を含ませた怒号を上げ、閃熱の中へと文字通り身を投げる。
だが、現実は感情論だけで成功するほど甘くはない。
天地を照らす太陽は、意気込みだけで引きずりおろせる高さには輝いていない。
「―――が、づぅぁあっ……………!!」
飛び込んだのも束の間。体を守る鎧として纏っていた竜炎は、刹那の間もなく紙屑のように焼滅させられた。無防備となった火傷だらけの体が、全方位から喰らい付く陽炎に重ねて炙られる。肉が焼ける音に相次いでナツの口から洩れる苦悶。他の部位よりも負傷していた右腕の裂傷は更に深く抉れ、赤色に染め上げられていた肌色は徐々に炭の色に近い色へと変色していく。
予想を飛び越える火力だった。このまま炎の中に居続ければ、五体残さず
「ふざ、けんなッ!!」
ふざけるな、そんな死に際は許さないと。脳裏に過った焼死の可能性に激昂し、一層力を増した竜炎を纏って肌に張り付く陽炎を払いのける。しかし一瞬の押し返しも虚しく、すぐさま大幅に削り取られ紙一重の薄さにまで縮め込められる。
それでも完全に破られず留まっているのは、偏に己が竜殺しの魔導士であるという矜持ゆえ。火竜の炎は全てを破壊し、火竜の肺は如何なる炎をも食らい尽くせるのだという、傲慢にも程がある誇りがあったから。
自身と父親との絆は……イグニールが教えてくれた魔法は、決して薄っぺらなものではないと証明しようとする心が。
だって。
そうでないと。
このまま終わってしまうなんて―――
「―――情けなさ過ぎて、顔向けできねえだろうがよォッ!!!」
爆発する感情。父に再び会うには相応しい男であろうとする気概に呼応して、竜炎がより息を巻いて力を増す。止まっていた足も、轟々と燃える炎熱の中で一歩一歩と前へと踏み出そうと動く。
だが現状を覆すまでには至らない。いくら炎が強さを増していこうとナツの魔力は有限で、隔絶した差がある陽炎は未だ燃え続けて滅竜の炎を徐々に押し潰しつつあり、進攻しようとしていた足は無理矢理に止められてしまった。この状況を続行してもジリ貧であるというのは、正しく火を見るよりも明らか。
否。ジリ貧どころの話ではない。ナツが狙っていることを実行できるだけの時間稼ぎすら、満足にできないかもしれない。
「なら全部ぶっ壊す!!!」
喰らえる準備を整えるだけの時間が無いのならば、諸共破壊して道を切り開く他ない。
「滅竜奥義」
当然、遮るものが無くなった天災は遠慮など持たず。問答無用と言うように少年の五体を躊躇なく焼殺しようと、四方八方から一足で距離を詰める。
だがナツは一切頓着しなかった。竜を滅するための秘奥を放つため、備えをすることにだけ己が全神経を注ぎ込んでいる。火傷の痛みも何もかも忘却し、ただ迅速に、膨大に魔力を集中させている。
斯くして準備は完了した。
「―――
二本の剛腕が勢いよく振るわれる。動作と時同じくして解き放たれたのは、竜の肺を、肝を、骨を、心の臓腑を砕いて潰し、その魂を刈り取ると伝えられた滅竜の魔炎刃。かつて同系統の
「…………、」
僅かに眉間に皺を寄せる白夜叉。迫る山一つ飲み込みかねない体積の螺旋に、何か解せないものを見たと言いたげな表情を浮かべながら左の掌中を前方へと突き出す。そうして、軌道線上にあるもの全てを破壊し迫る刃嵐に戸惑いなく押し当てた。恐らくは煌炎のように、また易々と食い止めようとする腹積もりであろう。
されどもこれは奥義。先ほどの炎塊とは一線を画する位置にある上位魔法が、同じ力で収まっている筈がない。同じように止められるものではない。
何せ魔力が違う。熱さが違う。力が違う。込められた想いが桁違いなのだ。
故に、動きを止められたのは一瞬。
赤き炎渦は、核熱に勝るとも劣らぬ熱度の刃を一層増して壮烈に回転させて狂乱。さながら暴虐を振りかざす悪竜の如き強引さで星霊の力技による拘束を物ともせず、両の足で土気色の軌跡を残す白夜叉を引き摺りながら前へ前へと再び前進する。
「温くなんかねえ……」
静かで、それでいて確かな力が宿った言霊が漏洩する。
屈辱だと、全くもって腹立たしいとする想念が籠った言の葉が流出する。
先ほどは呆気もなく通用しなかった。だが今はこうして陽炎を破り、容易に抑止されることもなく押し通している。
どうだ見てみろ、これのどこが温いのだ。これのどこが篝火なのだ。
今まで以上に続々と溢れ止まることのないその激情が、火竜の口を突いて出る。
「火竜の炎は全てを破壊するッ!!! 例えそれが太陽だとしてもッ!! いつまでも上から見下げてんじゃねえぞォォォォッッッ!!!」
喉が張り裂けんばかりに這い出る叫喚。連動して、灼熱の炎刃渦もより強烈に燃え盛りうねり狂う。
冷気を切り裂き、酸素を破裂させ、今まで傷一つ付けることができなかった一柱の掌に横一文字の火傷を刻み始める。それもまた、竜の全力が僅かに魔王へと近づき始めた証拠でもあった。
故に、今一度。父親の炎は断じてちゃちなものではないと証明するため、竜の子より放たれた爪刃は太陽へと亀裂を入れようと爆走して――――
「全てを破壊する、だと?」
予兆なく現れた轟音を携えた暴力に、進撃を停止させられた。
「―――なッ」
表情が凍った。何時如何なる時も情念を燃焼することを忘れなかった、
自身のありったけの憤怒を、魔力を、〝想い〟を込めて放った一撃を。
足元を巨大な円状に穿ち粉塵を舞わせながらも、明確に、一点の揺らぎもなく踏みとどまっている魔王を見ることで。
ここまでの劣勢が嘘のような現状に、半口を開けてただ硬直するしかないナツを、極寒地帯を思わせる冷たく鋭利な金色の双眸が覗く。重圧さえ感じる眼光に晒され、心臓を鷲掴みにされたような感覚を少年は覚えた。
「こんなもので、こんな熱さで? 全力を出して私にたかが
興が削がれたと言いたげに吐き捨て、白夜叉は右手に持った扇子を広げて頭上に掲げた。
薄明の太陽を指す双女神の紋が入った扇子の先に、微量の火の粉と光が渦を巻いて集約し纏わりつく。理屈も何もあったものではないが、其処に異常なまでの危機感と悪寒を覚えた。炎を両腕に纏っているというのに、全身から噴き出る気持ちの悪い汗を止めることが出来ない。
諸々に一切構わず、直下に振り下ろされるのは致死の凶腕。
「言っただろう。温いのだよ。この程度の
瞬間―――世界が別たれた。
拮抗など皆無。
抵抗という言葉すらも不釣り合いに過ぎる。
扇子の一閃を境に顕現した、天を衝きかねないほどに囂々と昇る大質量の熱風。
大気を蒸発させ。
地表を原子にまで分解し。
地層を熱で割き。
地盤を余波だけで揺れ動かし。
空間を一瞬とはいえ捩じれさせて。
何者にも阻まれることはなく。巨大な壁にも似た核熱を凌駕する熱量の太陽風は、少年の真横を超速で一瞬のうちに吹き抜けて、災害的な爪痕を去り際に刻み付け地平線の遥か彼方へと姿を消した。傍観していた黒ウサギたちが巻き込まれなかったのは、偏に白夜叉の技量ゆえであろう。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――、」
言葉が出ない、とはこういうことか。瞳を揺らし棒立ちになって無防備を晒す魔導士には、何かしらの言葉を吐く余地など微塵とて無かった。
パラパラと重力に従って落ちる瓦礫の音も。脚の直近に在る黒く焦げた断面の奈落と言って差し支えない断崖も、今のナツの気を引く材料にはなりえない。
彼の意識を埋め尽くすのは、波のように押し寄せる驚愕と困惑。そして呆然。
何が起きたとか、何をされたとか、どうして一体今に至っているのかとか。ただ眼前の強烈すぎる力に脳細胞から何か何まで圧倒されて、現実を正しく認識することが遅々として進まないでいる。
されども今は決闘中。戦場において、放心は隙と同意義である。
「惚けている暇があるのか?」
耳朶を叩く背後からの声。後ろから聞こえるはずのない声が、ナツの意識を現状へと引き戻す。
我に返って振り返った先には、つい先ほどまで前方にいたはずの白夜の魔王。
何時の間にと、速いと。単純な驚嘆すら抱く暇さえも与えられない。瞠目する竜殺しが振り返るとまったく同じタイミングで、白髪の少女から轟音を巻き立てる掌底が突き出される。
「………ッ! クソがァッ!!」
悪態を突きながらも咄嗟に作った防備を間に合わせられたのは、
だがそれが、意味を成すことは無く。真正面から防いだ直後、両腕から爪先、頭の先に至るまでの総身へと振動と莫大な重量が行き渡って筋肉と骨が軋みを上げる。衝撃が背中の先まで貫通したと自覚した時には、砲弾のような速度で後方へと大きく弾き出され、冗談のように宙でくるくると上下に三回転。目まぐるしく回る視界に自身の大っ嫌いな乗り物を想起した後、背中から地面へと受け身も取れずに叩き付けられた。
「がっ……ごッ、バッッ!!!?」
吐血。胃からせり上がる鮮血と吐瀉物を、のたうち回って外聞もなく吐き散らす。
途方もない力強さだった。まるで何か、霊峰か山脈を連想してしまいそうな質量を錯覚するほどだった。完璧に受け止めたはずなのに、あの魔王は防御を知らぬと切り捨て、力に物を言わせて自身の攻撃を押し通したのだ。その影響は凄まじく、体全体に強烈な痺れが浸透し、両腕は鬱血して動かそうとする度に鈍痛が奔っている。腹部にも鋭い痛みがあるところを鑑みるに、もしかすれば肋骨が何本か折れているのかもしれない。何の力も持たない一般人が受ければ、恐らく五体が粉々に砕けていたに違いないだろう。
「この程度なのか?」
再び耳に届く冷淡な言。失望したかのような声音。
ようやく嘔吐を抑え、全身を痙攣させながら立ち上がる火竜の双眸には、以前温度を感じさせない瞳でこちらを睥睨する星霊が写っていた。
「この程度だったのか?」
言って、白夜叉は左手の掌中をナツへと向けた。
(嘘、だろ……!?)
傷をつけた筈だった。確かに一歩前進したはずだったのだ。だというのに、これは一体どういうことか。
自身の錯覚か、もしくは白夜叉が持つ超常的な回復能力か何かか。はたまた別の何かか。頭の中が混乱によって搔き回されていく。
表情に出るまでに困惑している魔導士を見たとしても、やはり白夜叉は動じない。素知らぬ様子で、少しの苛立ちが窺い知れる口調で言葉を紡いでいく。
「力が上がったことは認めよう。炎も数段と熱さを増していることも。―――だが、このつまらん現状だけは、如何にしても認めるわけにはいかん」
刹那、常人ならば直視すれば失明は免れないほどの光量が、白く細く小さな掌より発光する。
それは、地上に住まう全てを照らしつくす光輝。
それは、近づきすぎた愚者の総身を燃やし、失墜させる星光。
時には命を育む暖かな癒しの陽光であり、時には命を消し去る天災の放射線。そしていつも暢気に浴びていたあの光とは別物であると、この時ナツは直観にも似た何かで確信していた。
何故なら彼女は、太陽と白夜の星霊。太陽とは何も常に炎だけを発するような星ではない。だからこそ、恒星の化身である彼女も炎熱だけしか操れないなどあり得ない。
「こんなものではないはずだろう?」
恐らくこれより来るのは後者。万物を塵に還す滅びの閃光に他ならぬだろう。
「このように簡単に消されてしまうような、そんな陳腐な想いではないはずだろう?」
故にこそ。己の予想を基に、あれは危険だと脳内で暴れ回る莫大な危機感に今度は従順に従うナツ。届く彼女の言葉に耳を貸さず、迅速に濃密な魔力を生成して攻撃を防ぐ手段として纏う。
「だがしかし、もしも本当にこれが限界だと諦めるのならば」
それさえも、焼け石に水だと知ることになる。
周囲を照らし尽くしていた星光が、ビデオ再生で巻き戻される映像の如く少女の矮小な掌中へと収縮していく。
そして。
「私の輝きで、残さず焼き払ってしまうぞ?」
解放。
水素の核融合により生み出される熱放射は、竜炎纏う竜殺しを即座に飲み込み、彼の背後に存在するあらゆる総てを己が光輝で塗り潰した。