火竜(サラマンダー)も異世界から来るそうですよ?   作:shoshohei

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 長くなったので、分割して投稿しました。


我立つ、故に我在り

 まず最初に知覚したのは、双耳に入り込む中華鍋で油を弾くようなうるさい音だった。次いで鼻を擽ったのは、肉や土、様々な何かを混ぜ込み煮て焼いた末に出来上がるやもしれない焦げ臭い匂い。

 腕で覆いきつく瞼を閉じた視界の中、その二つを感じた黒ウサギはようやく現状の認識を始めた。

 

 決闘は一体どうなった。

 件の桜髪の少年は生きているのか。

 脳内で湯水のごとく湧き出る疑問に焦燥を植え付けられ、恐る恐る腕を下して両の眼を開ける月の御子。そうして改めて見た世界は、豹変していると言っても過言では無いほどに変わっていた。

 

「これは…………」

 

 初めに目に映ったのは黒の大地。見渡す限りの黒黒黒黒黒黒黒黒黒、時折ぽつぽつと音を立てる赤が混じった黒焦げの大地。

 数秒と経っていないにも関わらず、今眼前にある場所は過去の造詣が欠片も残ってはおらず、ただ等しく平地が広がっているのみ。元を知らぬ第三者に、ここは元は湖畔だったのです、だと言っても信じてくれるものは恐らくごく少数人だろう。徹底的に破壊しつくされていた光景に、ウサ耳の少女は一瞬我を忘れて茫然とする。

 

「ハハハッ、マジかよやべえな。これが魔王様の実力ってわけか」

 

 聞こえきた乾いた笑い声で我に返る。ハッとなって振り返れば、そこには声の主である苦笑を浮かべた十六夜に、先ほどの彼女と似たように唖然として焼け野原を見つめる耀と、何か見たくないものを見たのか、苦々しい顔を浮かべる飛鳥。加え神妙な面持ちで同じく見つめるハッピーが居た。どうやら全員無傷のところを見ると、巻き込まれずに済んだらしい。

 黒ウサギは思わず胸を撫で下ろす。だがもう二人ほど、この惨状を作り出した者たちのことを脳裏に思い出し、慌てて焦土へと彼らの姿を探すべく双眸を回した。

 

「ナツさんと白夜叉様は!? お二人の決闘はどうなりましたか!?」

 

「……二人なら、あそこよ」

 

 苦渋の面を作りながら指差す飛鳥。長髪の少女の手の先を視線で追った黒ウサギは、しかし後に知る。どうして彼女が、あのように苦々しく表情を歪ませているのかを。

 

 言葉通り、件の二人は確かに焦土へと存在していた。

 白夜叉は相も変わらず傷一つない和装のまま、つまらなそうな無表情である方向を冷たさしか見せない金色の瞳で見つめていて。

 

 その彼女に見つめられている桜髪の少年は、血と肉の詰まった袋と形容しても過言ではない肉塊と化して、地面に顔を向けたまま至る所から煙を出して地に伏していた。総身に肌色の残っている場所はなく、服は完全に焼け焦げてなくなっている。一番損傷が際立つのは右腕で、人肉が半ばまで大きく削られてしまい何か大きな力でも加われば千切れてしまいそうなほど。トレードマークである鱗模様のマフラーも、余さず鮮血に濡れて汚れてボロボロだ。

 正しく襤褸雑巾。彼の今の現状を指すならば、この言葉が適切か。しかし何であれどうでもいい。表現する言葉がどうであれ、黒ウサギにとってはそんなことは心底考えるに値しない。

 

「ナツさんッッ!!!」

 

 瞠目したまま裏返った声で叫ぶ。胸を燻ぶる焦りのまま、今すぐでも飛び出して彼の手当てをしたいぐらいだった。

 だけど出来ない。今はまだ決闘中。〝契約書類〟が決闘の終了を宣言していない限り、割り込めばルール外からの妨害とみなされ何が起こるか分かったものではない。

 

 こうなるから嫌だったのに。こうなるから止めたのに。

 彼我の実力差は分かっていたはずだ。自覚していたはずだ。質量と空間を支配する最強種の頂点に、いくら力を抑えているとは言えども挑めば、このような悲惨以上の結果になるというのは。

 否。そうではない。確かにナツの方にも原因はあったろうが、あの時自身が何が何でも止めていれば、彼が襤褸雑巾にならなくて済んだかもしれないのだ。

 つまるところは自分のせい。自分が止められなかったせいなのだと、胸を引き裂かんばかりの苦痛に唇を噛みしめ俯き、黒ウサギは内心で己を糾弾した。

 

 されども状況は、彼女が葛藤する暇さえ与えない。

 

「立て。まだ終わってはいないぞ」

 

「―――っ、白夜叉様……?」

 

 顔を上げて目を剥いた。未だ白夜叉の声から棘が抜けていないが故に。

 何故戦意を促すのか。まだ決着の宣言は決められていない……即ち、ナツは確かに今はまだ生きているだろうが、誰がどうみたところで勝敗は明白。優劣は確実だ。決定された戦況に、あの白夜叉が求める旨味があるとは思えない。なのにまだ、かの魔王は闘争は終わってはいないなどと宣っている。黒ウサギが知る〝階層支配者〟は、これほどまでに厳粛な者ではなかったはず。

 何かがおかしい。いつもの恩人とは何かがおかしいと、黒ウサギは困惑せずにはいられない。

 今まで恩赦を掛けた少女を意識に入れた様子も見せず、白夜叉は発言する。

 

「決闘はまだ終わっていない。決着はまだ着いていないのだ。おんしはまだ死んでおらず、私もまた全力を出し切れずにいる。こんな不完全燃焼の状態で、一体何を満足しろという。早く立ち上がれ。立って続きをしようではないか。…………あぁ、それとも」

 

 言葉尻に添えて、次に露になったのは侮蔑を交えた嗤い。

 

「これがおんしの限界か? これ以上の力は出せぬか? だとすれば納得が得られるというものなのだが……ならば、正味な話失望したよ。胸を躍らせていた私を馬鹿だと罵ってやりたいものだ」

 

 白髪の少女は嘲りを紡ぐことを止めない。この事態を見通せなかった自身への自嘲なのか、身の程を弁えない相手への嘲笑なのか。どちらの意もくみ取れる嘲笑いを張り付けている。

 

「これが星霊(神のその先)だ。これが箱庭席次第十席(白夜叉)だ。その私を、こんなふざけたお遊び程度で獲れると思っていたのか?」

 

 お前では役不足ですらなれない。荷が重すぎるという次元すら超えている。

 貴様一体どういった思考回路で、火遊びなどで私を斃せるなどと見縊ったのだと。この程度でどうして勝てるなどと踏んだのかと。

 箱庭席次において十番に腰を据える魔王は、今も血に塗れたまま地に伏す魔導士を冷徹に叱責していた。

  

「―――勘違いも甚だしいぞ。格が足りん。力が足りん。そしてなにより、情熱が足りんよ。おんしの想いが本当に温くないのだというのならば、この場で立って証明してみて欲しいものだな。折角決闘に応じたのだし、あまり落胆させてくれるなよ、なあ?」

 

 繰り出される侮辱。突き放すような罵倒の数々。しかし桜髪の少年が反応を示すこともなく、動く気配も在りはしない。尚も死に体の同士に悪態が吐かれる様が見るに堪えず、抑えられなくなった黒ウサギは白夜叉に決闘の終了を進言しようと口を開き、

 

 

 

 

「あぁ、見せてやんよ。白髪魔王」

 

 全く予期していなかった言に、動きを止めざるを得なかった。

 

「……あり得ません」

 

 ぽつりと呟いて、脳裏に浮かんだ可能性を否定する。

 立つことなど不可能。返答などもっての外。いくら〝契約書類〟が決着を告げていないとはいえ、起き上がる気配も見せなかった者が声を出すなどあり得ない。頭で幾度となく出来ないと断定を繰り返す。

 故に、今聞こえたのも気のせいだろうと。そうであってくれと。これ以上戦うのはやめてほしいと願いつつ、〝箱庭の貴族〟は血肉の塊へと首を回し―――己の願いは何とも浅はかだったのだと、胸中で罵った。

 

「見せてやる……見せてやるよ。火竜の炎は絶対に温くなんかないってことを」

 

 立ち上がる。襤褸雑巾と称して間違いのない少年が。

 立ち上がる。完膚なきまでに叩きのめされた、愚者の極みとも呼べる魔導士が。

 力が入らないであろう両足を震わせて、弱々しい動きで左腕も使いながら、ボタボタと総身から血を滴らせて火竜(サラマンダー)が再起する。

 強がりと呼べるのかどうかさえ疑ってしまう、本当にちっぽけな虚勢を張りながら。千切れそうな右腕をぶら下げて。 

 

「火竜の肺には、食えない炎なんかないってことを。それを絶対に証明してやる。想いが温いだなんて誰にも言わせねえ。この魔法がちゃちだなんて誰にも言わせねえ。だから、なあオイ。かかって来いよ」

 

 だが声には、不思議と芯が通っていた。これだけは譲れぬと語る何かが、流れ出す言葉には宿っていたのだ。

 断固とした意地を意思として吐露する竜は、もはや一見して誰なのかすら判明できない面を上げ、自身の存在を世界へ刻み付けんとするが如くに吠える。

 

 

 

「―――俺はッ!!! ここに立っているぞォッッッ!!!」

 

 我立つ。故に我在り。即ち自己の存在証明。

 自分が立っている限り負けていない、終わっていない。死んでいない。俺はここに今生きている。まだまだ闘いはこれからだという不退転の剛情。それを此処に叫んでいるのだ。

 鮮血振りまき宙を轟哮で震撼させる彼の姿を瞳に映しながら、黒ウサギは心底信じられぬと唇を震わせ、胸中に騒然とした疑問を抱く。

 

 何故だ、何故そうまでして立つ?

 何故そうまでして闘争を、自身を遥かに超越した怪物への挑戦を望む? 命あっての物種であろうに。今挑まなくても、また己を高めてから挑めばいいであろうに。何故今、この瞬間に命を溝に捨てる行為に走るのだ。

 

「そんなの簡単だよ」

 

 容易く、それこそ簡単に。造作もなく言ってのけた声。

 放言された方へと振り返れば、彼の少年の相棒である青い猫が、黒ウサギの心情を察してなのか疑念に答えるような口ぶりで返す。

 赤子の手に比するほど小さな手を握り、拳を震わせながら。

 

「ただただ強くなりたい。強い奴と戦いたい。燃えていたい。そんな奴らと戦って強くなって、強くなって強くなって強くなって強くなって。強くなって一人前になれば、きっとイグニール(父ちゃん)に会うことができる」

 

 だから立てる。闘える。心を燃やせる。魂の炎を消すことなど決してしない。

 

「だから諦めることなんてしたくないし、できない。単純なんだ。単純なんだよ、ナツが戦う理由は。強くなれば必ず会えるなんて根拠は何処にも無いけど、でもナツは、きっとそれが方法のひとつなんだって信じてる。……まあ、相手と力を比べ合って燃えるような戦いがしたいっていうのもあるんだろうけどね」

 

 それこそが彼を突き動かす大半を占める原動力の一つ。

 どのような絶望的な壁を前にしても、折れない。挫けない。砕けない。可能性を前にして、蹲って愚図っているなど愚挙の極みだとナツは考えていると、彼の魔導士の相棒は語る。

 共感できなくはない、と黒ウサギは想う。確かに親に会いたいとは誰であっても少なからず思うのだろうし、辛いことにだって立ち向かう者は山ほどいるだろう。

 だが。

 

「それで死んでしまったら、本末転倒になるのではないですか……?」

 

 死ねば親に会えなくなる。生きていれば何時かは会えるだろうが、死ねばそこでお終いだ。

 誰であっても、恐らく幼子であっても分かるであろう道理。常識的な疑念を含んだ問いに、しかし青い子猫はやはさらりと答えてみせた。

 

「自分が死ぬなんて思ってないんだろうね、ナツは。俺は死なない。死んでたまるか。どんなことがあったって死ぬわけにはいかない。たぶんこう思ってるんじゃないかな。もうそこんところはオイラも意味不明なんだけどね」

 

「そんな……」

 

「……馬鹿だ馬鹿だと常々思ってはいたけれど、まさかそこまで頭の螺子が緩んでいるとは思わなかったわ」

 

「緩んでいるっていうよりは、飛んでいるっていう感じ。考えからして頭が固いって気がする。特にその、根拠もないのに信じられるっていうところが」

 

 理由を聞いて呆れ果てたのか、隣の久遠飛鳥は額に手を当てて嘆息し、春日部耀は変化のなかった表情に僅かな疲労感を表出させながら三毛猫を抱きなおしてナツを見やる。恐らくは今の自分と似たような心境なのだろうと、黒ウサギは若干の同情を禁じ得ない。

 されど彼女の予想とは裏腹に、二人は揃って口元を緩め、温かみが感じられる微笑を浮かべ始めた。

 

「―――でも、良いんじゃない? そう言った愚直すぎる馬鹿というのも。自己を貫くというのは、私としては嫌いじゃないわ」

 

「同感。親に逢いたいっていうのは私も分からなくもない。それに、もしもこれがそのための道のりだっていうんなら、止めるっていうのはその道を阻むっていうことにも成りかねない」

 

「なっ……」

 

 絶句する黒ウサギ。まさか此処にきて、この二人が彼に賛同するとは思ってもみなかった。少なくとも彼女らは一緒に止めに入ってくれるものかと思っていたのに。

 戸惑いを隠せない。どうしてこうなるのかわからない。混乱極まる彼女に、更に追い打ちをかけるのはもう一人の問題児。

 

「ヤハハハ。知れば知るほど面白い奴だな、アイツは。……あぁ、本当に面白いぜ。愉快で素敵で堪らねえ。もっとこっちが熱くなれるモンを見せて欲しいってもんだな」

 

「十六夜さんまで……!」

 

 静謐に歓喜する逆廻十六夜。双眸に獰猛な光を宿し、熱の籠った息を吐いてナツへと眼を向けている。

 元より、メンバーの中でナツと似たように際立った男である。唯我独尊を絵にかいて額縁に張ったような者が、この決闘に興味を示さない筈がなかった。

 

 皆総じて決闘に見入り始めている。現状を是として受け入れ始めている。このまま続けてナツが死ぬことになったとしても、もしかすれば全員が最後まで見届けるつもりなのかもしれない。

 

 だが、だがしかし。黒ウサギはどうしても、この決闘の行く末に同士が失われるということだけはどうしても許容できない。どうしても認めるわけにはいかない。

 故に全て否と断じて首を振り、今も覚束ない足取りで戦場に立つ少年に降伏を促す。

 

「もういいです……もういいですナツさん! 止まってください! 別に今命を投げ打たなくとも、また次の機会があるはずです! ですから―――」

 

 もはやコミュニティの利のため、ここで人手を失ってはならぬという損得勘定は消え失せている。

 ただ胸の内に生まれる仲間を死なせたくないという感情と、少年にこれ以上傷ついては欲しくはないという想いが優先して動いている。

 だがそれさえ、滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)を止める理由にはなり得ない。憤怒を感じさせる両眼を彼女に回し、牙を剥いて怒気を露にして即刻切り捨てた。

 

「……止まらねえ、止まれねえよッ!! 止まっちまったらそれこそ終わりだッ!! 俺達は〝妖精の尻尾(フェアリーテイル)〟だ、止まることを知らねえギルドだ! 止まることを考えねえギルドだ!! ンな選択肢は(ハナ)っからねえんだよォッ!!!」

 

「…………っ」

 

 鬼気迫る返答に、黒ウサギは生唾を飲み込んで言葉を詰まらせた。

 前に進む。常に未来へと向かって直走る。振り返りはすれど、一点に立ち止まることなどしない。後退など話にすらならない。その思想に、一種の狂気すら垣間見えた気がしたから。

 

 そしてまた、状況は目まぐるしく変化する。

 

「……くくっ」

 

 唐突に。

 何の突拍子もなく、場にくぐもった喜悦が反響する。皆が一斉に怪訝な瞳で音源の方角を目視する。

 意識を集中的に浴びる今の今まで押し黙っていた白髪の少女は、くつくつと笑声を漏らしては肩を徐々に小刻みに揺らし、

 

「―――くくっ、くっはははははははははははははははははははははははははははははッ!! ははははははははははははははははははははははははははははははははははははッッ!!!」

 

 矮躯を天上に向けて弓なりに逸らし、堪え切れんとばかりに哄笑を弾けさせた。空気を伝達して鼓膜を震わす大声に、一行は目を丸くして眉を上げる。中でも取り分け聴覚の良い黒ウサギにとっては、反射的に耳を塞いでしまいそうなほどだった。

 彼女らを驚嘆させた白夜の魔王は一頻り笑い終え、だがまだ抑えきれぬのか未だ喉を鳴らしながら開口する。

 

「ッハハハ……いやはや、失敬。あまりにも愉快でたまらないものでな。しかし、ククッ……まさかここまで突き抜けた馬鹿だったとは。もはや敬服の念を抱くぞ」

 

「……んだよ、いきなり笑い出したと思ったら、他人を馬鹿扱いしやがって。おちょくってんのか?」

 

「そう怒るな。こちらとしても褒めているつもりなのだ。できれば素直に賞賛として受け取ってほしいのだよ」

 

 返されるナツの不満を意にも介さず、粛々と大笑を抑え込んでいきながら剽軽に肩を竦める白夜叉。

 右手の扇子で優雅に仰ぎ、先ほどとは一転して機嫌良く微笑む彼女は―――不意に、自らの口を一層大きく横に裂いた。

 

「しかし、そういうことであるのならば、私も全身全霊を以って挑まねば侮辱に他ならんな」

 

「あん? なんだ、今から特大のモンでも出そうってか」

 

「然りだ。故に、ここより先が()()私の全力となる。これまで以上に高い壁としておんしの前へと立ちはだかることになろう。さて、超えることができるかの?」

 

 口にした直後に、訪れる変異。

 何か壊れたとか、何かが燃えたとか。目に見える明確な事変が起こった訳ではない。

 

 ただ重圧。

 上から下へ為す術もなく捩じ伏せられるような、或いは外側から圧縮して潰されていくような。総身を硬直させる不明の力が働きかけてくる。

 直接分かり易い干渉を受けたというわけでもないのに、口内の水分は急速に失われ、背筋には極寒地帯に放り出されたかの如き悪寒が奔り、反射的に片膝を突いてしまいそうだ。

 自身が酷く卑しく、極めて小さくなって指一本動かせず、桁が違う何かに存在ごと握り潰されてしまうと誤認してしまう。そんな何かに体中を這い回られる。

 他の者も似た現象に襲われているのか、皆一様に普段とはかけ離れた様相を呈していた。

 飛鳥や耀、ハッピーは瞠目して僅かに身体を痙攣させて呼吸を荒くし、あの十六夜でさえも飄々とした笑みを絶やしていないものの、頬に汗を流していた。傍観していた全員の行動に、明らかに支障をきたしていたのだ。

 

 黒ウサギには分かる。

 これは殺意。相手を滅さんとする意志。その余波に過ぎない。一個人に向けられたものがあぶれ出した、末端の末端に触れた故の事象なのだと。

 総量にして恐らくは星一つに匹敵する程の悪感情。今彼女たちに流れてきたのは、全体の数十万分の一にも満たないだろう。

 

 微々たる量でこれほどの有害。これほどの恐怖。

 では一体、この大本たる総量を受けたとすればどうなってしまうのか。

 

「ナ、ツ、さん…………!」

 

 早まる鼓動を聞きながら、真に案ずる瞳で少年を映す。

 血に塗れた彼の体は遠く離れたこちらからでも判るほどにガタガタと振動していて、双肩は過激なまでに上下していて、呼吸の乱れ具合は黒ウサギたちの比ではないのが良く分かった。前傾姿勢なところから察するに、身動きどころか一声を発する余裕も許されていないと見える。心なしか、彼の周囲の空間だけ少しばかり歪んでさえ視えた。それほどまでの超重圧に見舞われているのだろう。

 発狂したとしてもおかしくはない。戦意が折れたとしても異常ではないと言える。事実として、彼の魔王に対峙した膝を折った猛者たちが、この殺意で過去どれほど居たものか。

 だけど。

 

「……諦めねえ」

 

 細々と聞き取ったのは、屈服ではなく挑戦で。

 次いで目にしたのは、恐怖に打ち震える体を空に向けて逸らし、生物に刻み付けられた原初の感情に対して不屈を宣言する行動だった。

 歯を食い縛った口の隙間から、抗う力の呼び水となる言霊が溢れ出す。

 

「諦めねえ、諦めるかよ。ンな言葉は知らねえぞ、見えねえぞ、聞こえねえぞッ!! そんなクソくだらねえモンは壊して燃やしてどぶに捨てるッ! イグニール(父ちゃん)は、じっちゃんは、ギルダーツはそんなもんを俺に教えちゃいねェッッッ!!!」

 

「―――よくぞ言ったァッ、言った我が敵よ!!!!」

 

 その宣誓が、魔王の感性に触れたのか。

 破顔一笑。総身から狂喜を滲み出させた白夜叉は、気分が絶頂の域にあるとでも言うように勢いに乗って右腕を上に掲げた。

 刹那、更に密度の濃い殺気が星霊を中心に周囲を侵食する。空間は軋みを上げ、存在する諸共が静まり返っていく。

 ただ一人、反逆の意思を示す火竜(サラマンダー)を除いて。

 

「先ほどの非礼を詫びよう。今こそおんしは、真に私が斃すに値する敵となった。素敵で大事で素晴らしい私の宿敵の一人となった。ゆえに受け取めよ、私の情熱を。簡単に燃え尽きてくれるなよ?」

 

「俺の根性舐めんな神様ァッ!!」

 

「それでこそだァッ!!!」

 

 二人の会話に鳥肌が立つほどの危機感を抱く黒ウサギ。このまま続けては不味いと、自身の中の警鐘が告げるのに従順に従って待ったを掛けるべくして行動する。

 

 しかし時は既に遅し。最早言葉は不要とばかりに余人が入り込む隙はなく、白夜叉は一寸の迷いなく凶念を帯びた会心の右腕を振り下ろす。

 直後に刹那、音が消え、周囲を真紅の炎熱が満たす。次いで現れ出すのは、太陽系の中央に座する星炎。

 ある者曰く、それはプロミネンス現象と呼ばれる紅の炎。

 ある者曰く、それは七千度の熱度を誇る現象。

 太陽の彩層の一部から放出される現象が、白夜の地に現れたその時に。

 

 ナツ・ドラグニルは、天を衝くほどの極大な紅炎(プロミネンス)へと飲み込まれた。

 






 まあそれでも結構長いほうですが…………
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