あらすじにも有りますが、こちらは『幼馴染友人TS恋愛物語』のリメイク作品です。
あまり話の進んでいない小説ですが、かなり設定を変えたので両小説間で話の合わない部分があると思われます。予めご了承ください。
「ねぇ、あなた。この子の名前、もう決めてくれた?」
不意に声をかけられて、お茶を淹れていた男は目を丸くして手を止めた。そんな男のかけた眼鏡に反射するのは、窓際の椅子に座る彼の妻の姿。その大きく膨らんだお腹は、決して太っていると言うわけではなく、彼女がもう一つの命を宿している事の証左だった。
「一応、考えたけど…、本当に決めるのが僕で良いのかい?君も一緒に考えた方が…」
男は話しながら妻の傍へと移動して、手すりに乗せられた彼女の手をそっと包み込む。
けれど、そんな夫の提案を彼女はゆっくりと首を横に振って否定する。
「あなたが良いの、あなたが決めた名前が良いの」
念押しする様に繰り返す妻に、男は軽く頭を抱えた。こうなった彼女の頑固さは、男も身を持って知るところだった。
「それよりほら、早く聞かせて」
少女の様なあどけない笑みで催促されて、相変わらずこれには敵わないと薄い笑みを浮かべながら男は口を開く。
「そうだね…優しい希望と書いて、『優希』なんてどうかな」
照りつける灼熱の太陽から降り注ぐ日差しの下を二人の少年が歩く。
彼らの首元には玉のような汗が流れており、その足取りは何処か気怠さを感じさせた。
グラウンドから響きわたる野球部の声は、周りの木々から鳴り響くセミの声とオーケストラを構成していて、両者夏に全てを掛けている存在同士、頭上でギラリと輝く太陽にも負け劣らずの熱量を放っていた。
「…なぁ、優希。夏休みっていつからだっけ」
そう問いかけるのは二人の少年の内の片割れ、近衛日向だ。細身でありながら力強さを感じさせる健康的な筋肉を兼ね備えた彼でも温暖化による高気温には敵わぬようで、その声には何処か張りが無い。
「明日から、それがどうかしたの?」
対して答えるのは日向よりも背の低い中性的な顔立ちの少年、松江優希。虚弱にすら見える彼には尚のことこの茹だる様な暑さは堪えるようで、歩きながら時折恨めしそうに頭上を見上げている。
「決めたぞ、優希」
優希の返答を聞いた日向が徐に立ち止まれば、そんな彼へと「また始まった」と言わんばかりの表情をして優希が振り返る。
そんな優希の反応を意に介した様子も無く、先程までの気怠さはどこへやらと日向は固く拳を握り。
「俺は…今日中に、彼女を作る!!」
そして、覚悟を決めた漢の顔で堂々と宣言する。
だが、そんな日向へと向けられる優希の表情は依然として変わらなかった。
「あ、そう。それより日向、今日は帰りにラーメン食べて帰ろう、奢るよ」
失恋した方が奢りでラーメンを食える。これは三年ほど前に二人が決めたルールだった。
と言うのも、この日向の宣言は優希にとっては聞き慣れたもので、既に幾度として繰り返されたそれが今日まで続いている事から結果もお察しである。
ちなみに今まで奢られたのは全て日向側であり、月一とも言えるその回数から、優希は最早日向の目的がどちらなのか分からなくなって来ていた。
「くそっ、もう慰める気満々だな…、というかお前も作るんだよ、彼女」
「へ?」
思わぬ所から急に矛先が向けられ、あまりに予想外の展開に優希の口から間の抜けた声が漏れる。その顔にはありありと何を言ってんだこいつと浮かんでいた。
「高校生活を彩る最初の夏休みが野郎どもと汗臭い青春なんて我慢ならない!俺はな、可愛い彼女といちゃいちゃして夢のような毎日を送ると決めたんだ!」
仰々しく手を広げて祝詞でも唱えるかの如く目を閉じる日向。空想の中でバラ色の夏休みを思い描き高笑いをするその様はまさに夢に溺れる哀れな獣であった。
「それで、なんで俺まで?」
そんな日向に対して、けれどあくまで優希は冷静だった。彼にとって日向のこの程度の奇行は慣れっこなのである。
基本的に優希が受け身で、日向が引っ張っていくことの多いこの二人だが、時々日向は突拍子もないことを口にする。今回もその類だろうと優希がアタリをつけながら優希が聞き返すと、日向は答えをもったいぶるように片目を閉じた。
「それはだな…、Wデートだよ。人組のデートで作られる甘酸っぱい空気。それが単純に二倍だ。こんな至高の青春イベントをの逃す手はない。
行き先は…そうだな、最近できた遊園地とか良いんじゃないか。お化け屋敷に入って彼女とキャッキャウフフ、ジェットコースターに乗ったり、四人もいるんだから会話も弾んでそれから…!」
「日向、この世には取らぬたぬきの皮算用って言葉があってね」
「やめろ、哀れみの視線を向けてくるな!」
可愛そうなものを見るような優希の視線に耐えきれず日向が悲鳴を上げる。彼にとっては哀れまれることが何よりも効くようで、優希も勿論その事には気付いていた。
「けどさ、お前だって彼女は欲しいだろ?やろうぜ、俺達で。二人…いや、四人で最高の夏休みを作り上げるんだ」
「ん-、確かに気になるけど、俺はパスかな。あり得ないだろうけど万が一…億が一彼女が出来たら紹介してね」
「優希、お前は触れてはいけない俺の逆鱗に触れた。その言葉、絶対に後悔させてやるからな」
煽る様に優希が言えば、必死に説得していた日向の顔からすんと表情が抜け落ちる。しかし、その説得力の無さはこれまでの経歴がありありと示しているのだから、優希としてもそこだけは彼に対して信用が無い。
「日向もよくやるよね、いつも同じ結果になってるのに」
「うぐ…」
優希の何気ない言葉に一瞬たじろぐ日向だったが、すぐに切り替える様ににひるとした不敵な笑みを浮かべた。
「あぁ、確かに今までならそうさ。だが、今回の俺は一味違う。こんな日の為にとっておきの秘策を用意しておいた」
「秘策って?」
「それは帰りまでのお楽しみ。ま、期待して待っていてくれたまえ、俺の朗報を!」
何が彼をこうまで突き動かしているのだろう、と不思議に思う優希を置いて、日向は軽い足取りでひと足先に校舎へと向かって行く。
思い返したように襲いかかる熱波にさらされて、ポツンとその場に残された優希は、遠ざかる日向の背を見ながら呆れたように一つため息を吐くのであった。
教室のドアが開くと、すっと冷えた空気が通り抜けるのと共にざわざわとした喧噪が優希を包み込む。夏休みを目前に控えた高校生達はこれでもかという程に浮ついていた。
そんな中、自分の席まで進む優希の視界に日向が映る。自身に満ち溢れている彼は、優希の視線に気が付くとぱちりとウインクを一つ送り返した。
「ばーか」と口パクでそれだけ返して優希が席に座るのと同時、教室の前の扉が開いて、やけにジャージの似合うガタイの良い担任の教師が教室に入って来る。
「お前ら煩いなー、せめて羽目を外すのは学校が終わってからにしろよ」
やる気の無さそうな間延びした声で言いながら教室を見渡す教師が教卓につくと、やがてゆっくりと周りの喧騒は引いていった。
「じゃ、出席取るぞー」
頃合いを見計らった担任はそうして出席を取り始める。
高校に入って半年ほどが経った現在、そろそろ顔も一致してくる名前を聞きながら、優希はふとやけに普段通りな自らの親友へと視線を向けてみる。
(何をするつもりなんだろ)
そう考える優希の思考は今朝に日向の言っていた秘策へと焦点を当てていた。
日向の厄介なところは、こういう時何をしでかすのか見当もつかない事だった。幼馴染とも言える長い付き合いだが、そんな優希の予想を軽々と裏切ってくるのが彼で、毎度毎度優希はそれに振り回されている。
別に振り回されること自体は良い。しかし、こう言う時日向は大抵ロクでもないことをするため、それに巻き込まれるのだけは勘弁願いたい優希である。
それから出席確認が終わり、講堂でありがたーい校長の長話を聞き流し、成績表を受け取ってと、夏休み前の学校での一日が進んでいくわけだが、身構えていた優希の心配とは裏腹に日向がなにか行動を起こすことはとんとなかった。
そしてついに迎えた放課後。帰りまでにと言っていたことからもう時間がないなと思っていた矢先に、優希は凄まじい勢いで教室を出ていく日向の姿をその視界に捉えた。
いつの間に呼び出していたのか知れないが、どうやらこの放課後で決めるつもりだったようだ。結果は見え透いているが、取り敢えず聞くだけ聞いておこうと優希がどんどんと人の少なくなっていく教室の中で、一人待ち続けること数十分ほど、ようやく帰ってきた日向は案の定その顔を絶望に染めていた。
「おかえり、日向。どうだった?」
「…」
優希が問いかけるも、無言の日向。しかし沈黙は肯定とはよく言ったもので、その反応こそが何よりの結果の表れであった。
しかし、元々日向はよく交際を申し込んでいたにも拘らずこの落ち込みようだ。些かオーバーな日向の様子にふと優希は首を傾げる。
「なに、そんなに酷い振られ方でもしたの」
「…いや、全員普通に断られた」
「ふーん、ならなんで…全員?」
サラリと流しかけた日向の言葉がやはり突っかかったようで、思わず優希は言葉を途切れさせて聞き返す。
全員、とは大抵の場合複数人を指し示す際に使われる表現だ。つまり今優希の目の前にいるこの男は1人のみならず複数人に交際を申し込んだことになる。
「下手な鉄砲数打てばなんとやらってな…」
「それで当たらずに泣く泣く帰ってきたんだ」
いっそ清々しい程の振られ様である。ふっと虚空を見つめて息を吐く日向は、さながら憐憫をその身に纏っているかの如く寂し気に見えて、これにはさしもの優希も同情を禁じえなかった。
「…はぁ、ほら日向、早く準備してよ。ラーメン奢ってあげるから」
「優希…、俺、18人に告白したんだけどさ」
「言っておくけど、奢るのは一杯だけだからな」
変な所でちゃっかりとしている親友に呆れたような視線を送る優希に対して「へーい」と軽く答えながら日向は自らの荷物を手に持った。
二人が向かったのは行きつけのラーメン店。いくつかのテーブル席と五つ程度のカウンター席を持つ個人経営のその店は、店主の人柄もあってか、地元民からは愛されておりそれなりに繁盛している。
そんな賑わった店内のカウンター席に優希と日向の姿はあった。
「やっぱ、ラーメンはこってりに限るな。このスープの絡まり具合が最高だ」
「えー、俺はあっさり派かな。こってりも美味しいけど、お腹にずっしり来るし」
「それは優希が運動しないからだって、見ろ、この逞しい筋肉」
箸を置いた日向が腕まくりをすれば、細身ながらも鍛えられた腕があらわとなる。平均的な男子高生とはかけ離れたそれは彼の日ごろの努力の成果であり、優希自身そのことをよく理解していた。
「本当、いつもながら凄いよね。…日向は今日も稽古なんだっけ」
「残念ながら、そう。優希も来るか?多分親父たちも歓迎してくれるだろうし、その貧弱な体も鍛え直せる」
「貧弱は余計なお世話だよ。それに、日向は竜司さんの意識の向け先が欲しいだけでしょ?」
お見通しと言わんばかりの優希の言葉に、日向は完璧に図星を突かれ思わずうめき声を上げる。
と言うのもこの男、努力はしているが根っからの努力嫌いでもある。最近では何とか稽古なりをさぼろうとしているようだが、そう甘くないのが日向の父親であり、結果としてこの健康優良児が誕生してしまったのだ。
「毎日四六時中優希と遊んでたい」
「嬉しいけど、何だか不服な望まれ方な気がする」
真顔で言う日向に苦笑いを浮かべる優希。
そんな話をしながら二人が箸を進めていると、不意に店内がざわりと騒がしくなる。何事かと二人が背後を振り返り他の客たちの視線を辿ってみれば、皆一様にして備え付けのテレビを見ていた。
「…臨時ニュース?」
日向が画面に映る文字を読み上げると同時、テレビからニュースキャスターの音声が流れて来る。
『速報です。本日正午、都内在住の20代男性が女性へと身体的に変化したとの情報が入りました。情報によりますと変化が起きたのは二週間ほど前で、就寝するまでは変化が無く翌朝になって変化に気づいた事から一晩のうちに変化が起きた模様です。また、健康状態に異常は見受けられず、DNA鑑定の結果からも本人であることがほぼ確定しています。原因などは未だ解明されていませんが、医師によりますと状況から鑑みるに空気感染のような形で変化が広がる可能性は低く、むしろ遺伝的な側面が強いのではないかとのことです。もし変化が起きた方は急ぎ近くの病院に向かい、診断を受けたうえで本人確認を行ってください』
「…だってさ、世の中不思議な事もあるもんだな」
繰り返される臨時ニュースの流れるテレビから視線を外しながら日向が話し始める。話題は勿論の事先の臨時ニュースについてだ。
優希も驚いているようで、その目を丸くしながら頷いて返す。
「ね、変化するって実際どうなるんだろ」
「骨格が変わるとか?そのまま物が無くなるだけって可能性もあるけど…唐突に苦楽を共にした息子とさよならバイバイは少し悲惨だな」
あれやこれやと言い合っている内に周囲の客達も落ち着きを取り戻し、店内にはいつも通りの平穏が戻って来る。
確かに衝撃的な出来事ではあるがあくまで他人事と、当人でも無い彼らは何の確証も無いままに想像を広げるのが精々である。
「…って、やべっ、麵が伸びる!」
「あ、そうだった」
そして、二人にとっては目の前のラーメンの方が優先度は高いようで。慌てて器に向き直り箸を進めている内に、彼らの頭の中から先ほどのニュースの事などはすっかりと抜け落ちてしまっていた。
「あー、舌が痛い」
日差しに当たりながら日向はヒリヒリとする舌を冷ます様に口を開けて言う。あの後、食事を終えた優希と日向はそのまま帰路へと着いていた。
「あれだけ一気に口に入れたらそうなるよ。やっぱりこってりよりあっさりの方が良いんじゃない?」
「は?いやいや優希さんや、冗談も程々に」
「俺は冗談なんて言って無いんだけどなー」
揶揄うようににやりと笑う優希に、「この野郎」と口では言いながらも日向もまた笑みを返す。
優希はあっさり派で、日向はこってり派。幼いころから何かと一緒にいる二人で気も合うのだが、しかしラーメンのスープに対する好みだけはどうしても合うことは無かった。
その為、時折二人の間では論争が繰り広げられており、先のラーメン屋の店主もそれを察知しては「おや名物が始まったな」と常連と共に見物するのである。
「あっと、それよりも」
今回もまた人知れず始まるかと思った論争は、けれど思い出したように声を上げる日向によって阻止された。
「優希、ラーメンご馳走様でした、悪いないつも」
「ん、貸しにしておくからいつか返してね?」
「勿論、任せとけ」
優希が日向に奢った後には決まって佇まいを正した日向が真正面から礼を言い、優希がそれに慣れた様子で答える。
親しき中にも礼儀あり、二人がこの一連の流れを欠かしたことは、今まで一度として無かった。
「日向って、こういう所きちんとしてるよね」
いつものこれを終えて、優希は改めて横の一見軽薄そうな親友を見ながら口にする。
「ま、これでも武術を嗜んでるんでな、唯一やってて良かったと思える点だよ」
「闇雲に告白するのはどうなの?」
「それは武術関係ないし、一応全部本気だし」
痛い所を突かれた日向が拗ねた様に視線を逸らし、それを見た優希はくすくすと笑い声を上げる。
そう、日向とて本気で告白はしている。ただ、あまりに軽く言う事や何人もの女子に声を掛けていることから軽薄にみられて、最早そう言う生物だと認識されており、相手にされなくなってしまっただけなのだ。
「本当、日向って馬鹿だよね」
「なんだよ、馬鹿で悪いかよ」
子供の様な言い合いをしながら歩いていれば、やがて二人はト型に分かたれた道へとたどり着いた。真っ直ぐに進んですぐ左に行けば優希の住むアパートへ、そのまま右に曲がれば日向の家のある山の方へと続いている。
「それじゃ、稽古頑張って」
「そうだった、思い出したくなかったのに…。また明日な、優希」
「うん、また明日」
露骨に気落ちする日向と手を振り合って別れを告げた。
相変わらずけたたましくセミは鳴いていて、空には大きな白い雲が山に隠れるようにそこに在る。
日向と別れた優希は道沿いに進み、そして一人暮らし用のアパートの扉の前、カバンの中から部屋の鍵を取り出す。
(明日はどんな一日なるのかな)
そんな淡い期待を胸にかちゃりと音を立てて鍵を回し、蝕むような炎天下から部屋の中へと少年はその姿を消すのであった。