【完結】友愛分かたれ恋となる   作:ワンダーS

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2話

 

 真夏は朝すらも蒸し暑い。

 起きがけの汗が絡みつくような気持ち悪さは二度寝をするという選択肢を易々と焼却して、カーテンを貫いてくる日光は起床を催促してくる。

 「あつ…」

 世の中には冷房をつけたまま朝を迎えるという人たちも居るが、しかしこの松江優希はそうでは無かった。幾ら高校生、多少は無理の利く若い体とはいえ優希の身体はそこまで強く無かったため、冷房と共に一夜を共にすれば風邪を引くこと間違いなしである。

 故に、つけても扇風機を一時間ばかりで、夏の朝は恨めしい暑さによって起こされるのが常だった。

 首筋やシャツの下の肌を汗が伝う、ピタリと張り付いたシャツを肌から引きはがしながら優希は自らの体の弱さを呪いつつ体を起こした。

 「あれ…?」

 と同時に襲い掛かる違和感に、ぐらりと優希の身体が揺れる。体が軽くなった上で、重心がずれているかのような、そんな違和感。

 慣れない感覚に身体が言う事を聞かず、ぽすんと優希は布団の上に座り込む形でその身を戻す。

 (風邪でも引いたのかな…)

 どうせ風邪を引くのなら冷房をつけておけば良かったと後悔をにじませつつ、ぐっと力を入れて今一度体を起こすと、こんな時の為に用意してある薬箱から風邪薬を取り出し、途中ふらつきながらも優希は台所へと向かう。

 「首、気持ち悪い…」

 汗により首に絡みつく髪の毛をうっとおしく思う優希の頭に、ふと自分の髪の毛はここまで長かっただろうかという疑問が浮かぶも、寝起きで働かない思考は彼に深く考えることを許さない。

 などとしている合間にも襲い掛かって来る暑さに早々に思考を放棄し、取り出したコップを手に蛇口を捻る。

 錠剤を口に放って水で流し込めば、靄のかかる様な眠気も幾分か晴れていった。そうしてハッキリとしだした意識で、ようやく優希は明らかに自分の身体がおかしいと自覚する。

 風邪を引いたにしては倦怠感などは感じず、反応の鈍い身体はまるで手足が縮んでしまったかのようで、実際に見慣れている筈の部屋の景色も一段高くなっていて、胸部には慣れない重みを感じる。

 自分の髪はこんなに長くない、自分の身体はこんなに小さくない、自分の身体にこんな膨らみなんてない。

 「あ…声も…」

 元から男にしては高い声だと優希自身自覚していた事だ、しかし漏れ出たその声は聞き慣れた自らの声に比べても高くか細い。

 『都内の男性が女性に』

 目を丸くする優希の頭に、ふと先日見た臨時ニュースが過ぎった。そんな筈は無い。浮かんだ予感を否定しながら、恐る恐る優希は横に掛けてある鏡へ視線を移す。

 鏡は正直者だ、おとぎ話からも証明されている様に、ただありのままの現実を映し出す。

 「嘘…」

 呆然として呟く優希が見つめる先に見慣れた彼自身の姿ではなく、代わりに映し出されていたのは何処か松江優希の面影を感じさせるだけの1人の少女の姿。

 鏡の中に居る彼女の手から零れ落ちたガラスのコップは床にぶつかり、カシャンと音を立てて砕け散った。

 

 

 

 扉を開けた瞬間差し込んでくる日光は易々と反射的に閉じた瞼を貫いた。

 脳に響くような微かな痛みに顔をしかめながら少年、近衛日向はセミの歌声が鳴り響く青空の下へとその身を躍らせる。

 時刻にしては9時頃。普段よりも遅めな朝食を終えた日向は、いざ親友宅へ赴かんと息巻いて、と同時に周囲をやたらと警戒しながら足音を立てぬように下り坂へと急いでいた。

 なにせこの男、今正に稽古をサボろうとしている真っ最中である。

 之で師範に当たる父親に見つかってしまうと言い訳が面倒くさい。出来るならば平穏に抜け出したい日向は、こうして忍者の如く隠密に興じているのだが、しかしそんな日向の背を見つける一つの影。

 「…兄貴、何やってんの?」

 「はうっ!?…って、何だお前かよ驚かせるなよ」

 口から飛び出かけた心臓を飲み込みながら日向が振り返った先では、ミディアムロングの黒髪をポニーテールに纏め、道着を身に纏った少女が不審な顔を日向へと向けていた。

 「兄貴も今から稽古でしょ?お父さんならもう道場の方にいるけど…」

 チラリと彼女が視線を向ける先には二階建ての近衛宅の横に繋がる形で鎮座している道場。正にこれからそこで行われるであろう夏休み開幕直後の稽古を連想する少女が日向に向き直るが、しかし既にそこに彼の姿は無い。

 驚いた少女は辺りを見渡すも、次に日向の姿を捉えた時には彼は既に坂を下る直前であった。

 「すまない、俺は稽古よりも優希と遊ぶことを選ぶ!親父には適当に言っておいてくれ!」

 「え、ちょっと、優希さんの所に行くならアタシも…!!」

 日向の言い残す内容に食いつく少女だったが、しかし道着のままで追いかけるわけにも行かずその場で足踏みをするのみ。そんな彼女を背に、一縷の未練も見せぬ日向はすたこらと足早にその場から離脱していった。

 

 

 

 近衛家のある山を下れば左右に道は分かれていて、その道を挟んだ山の向かい側には水田が広がっており、未だ緑に染まったままの稲達が吹く風になびきあたかも緑色の海であるかのように波打っている。

 無事に家を抜け出すことに成功した日向は突き当たった道を右に曲がり、早くもたらりと頬に垂れる一筋の汗を拭いながら優希の家へと歩いていた。

 「ふぅ、危なかった…貴重な夏休みの最初が稽古なんて耐えられるかっての。…あ、おばちゃんおはよ!」

 「あら、おはよう日向くん。今日もお友達のところ?」

 「そうそう、今日から夏休みだから目一杯楽しまないと」

 向かい側からすれ違いざまに初老の女性へと日向が力拳を作って喜色満面で言うと、「元気ねぇ、気を付けるのよ」と女性は微笑まし気にくすくすと笑い、遠ざかっていく彼女に「はーい」と答えながら日向は手を振る。

 長らく同じ土地に住んでいれば顔見知りも増えるものだ。しかし、こうして気兼ねなく接することのできる関係性を築けているのは、近衛家が昔から続く家系であることも一因であるがそれもあくまで切っ掛けに過ぎず、一重に日向の誰にも物怖じしないその性格が故であった。

 道中、同じようにすれ違う老若男女の住人達とあいさつを交わしながら、日向は軽い足取りで鼻歌交じりに先へと進む。

 優希の家と日向の家はそこまで離れている訳でない、精々が徒歩で五分と掛からない程度だ。その為さして時間も掛からずに、日向は優希の住むアパートの前へとたどり着いた。

 そして見慣れたアパートの一室の前で立ち止まると、日向はいつもの調子で部屋の扉をノックする。

 「おーい、優希ー。遊びに来たぞー」

 

 

 

 『おーい、優希ー。遊びに来たぞー』

 扉越しに聞こえてくる親友の声に反応して、びくりと部屋の隅で膝を抱えて俯いていた少女の身体が震えた。ゆっくりと顏を上げた彼女は立ち上がり、そのまま扉の前へと移動する。

 少女が扉ののぞき穴から外の様子を伺えば、そこには確かに親友である近衛日向の姿があった。

 それを確認してからドアの取っ手へと伸ばされた少女の手は、しかし寸前でぴたりと止められた。逡巡するように扉の前で華奢なその手が揺れるも、意を決するように小さく一つ息を吐いて、少女は取っ手へと手を掛けた。

 

 

 

 部屋の外では一向に出てこない優希を待つ日向はその場で、はてと不思議そうにその首を傾げていた。

 ここで一人暮らしをする優希は勿論家事など諸々を自身でこなしており、日に限らずこの時間帯には起きて家事を終えていて、声を掛ければ大抵すぐに出てくるのだ。

 なのに出てこないという事は何か企んでいるのか、もしくは…。

 (…大か?)

 日向が割と真剣に下世話な方向へと思考を回し始めた所で、ようやくガチャリと音を立てて扉が開く。

 「おいこら遅いぞ、一体全体何して…」

 日差しの降り注ぐ中待たされて抗議の声を上げる日向だったが、しかし扉が開き、出てきた人物の姿を目にした途端に息を詰まらせる。

 そこに在ったのは、馴染みのある親友の姿ではなく、見覚えのない少女の姿だった。

 (一瞬、別人かと思った)

 まず、目線の位置が違った。いつもと比べて軽く10cmは下げてようやく視線が交差する。髪型が違う、こんな腰ほどまである綺麗な長髪ではなかった。確かに虚弱よりだったが、こんなに華奢ではなかった。性別も、こんな可憐な少女では決してなかった。

 何もかもが、いつもと異なっている。にも関わらず、微かに感じる親友の面影がそうさせるのか、それとも長年共に過ごしてきたことによる勘が働いたのか、日向の感覚は目の前の少女が自らの親友だと告げていた。

 「お前…優希、だよな?」

 困惑も冷めやらぬ日向から確認するよう恐る恐る問いかけられた少女、松江優希はこくこくと小刻みに何度も頷く。

 「日向…」

 潤んだ普段に比べ高くか細い優希の声は、しかし、確かな安堵に満ちていた。

 

 

 

 衝撃的な再会を果たした二人は当然の如く困惑し混乱していたが、そんな事気にも留めない日差しに当てられて、取り合えずは一旦部屋の中へと入ることにした。

 リモコンを操作し、エアコンが稼働音を立て始めれば、熱された室内にも冷えた空気が循環しだす。

 「ふむ…」

 そうして机を挟んで向かい合う形で一息ついたところで、日向は改めて変わり果てた優希の姿をしげしげと眺め始めた。こんなにもじっくりとみられることの無い優希は、そんな日向の視線を受けて少し落ち着かない様に体を揺らす。

 「…改めて聞くけど、お前は優希なんだよな。いや、お前は優希だ、間違いない」

 「質問なのに自己完結しないでよ、まぁその通りなんだけど…、日向は変わらないね」

 「優希も、そういう所は変わってない」

 こんな時にも変わらずしてやったりと言わんばかりににやりと笑って見せる日向に、優希は思わず苦笑いを浮かべつつ胸中に渦巻いていた不安と緊張が晴れていくのを感じていた。

 近衛日向とはこういう男なのだという事は優希とて知っていた筈だった。もし信じて貰えなかったら、もし拒絶されてしまったら。そんな事ばかり考えていた自分を優希は恥じた。

 「しっかし、テレビで見たニュースがまさか身近で起きるとはなー…。体調とかは大丈夫か?」

 「大丈夫。敢えて言うなら、ちょっと体が動かしづらいくらいかな。体が凄く軽くて、重心が安定しない感じ」

 話しながら立ち上がって見せる優希であったが、言う通り前後左右にふらふらとしていて危なっかしい。手足の長さ、全身の筋肉量、身長体重、体型、それらが一気に変化した為に脳が体の変化に追いついていないのだ。

 幼いころから武道に身を置いている日向も、優希の様子を見てこの事には察しがついていた。

 「んー、一時的だろうから慣れるまでの辛抱だな。寧ろそれだけ変わってその程度って言うのも不思議だけど。…それにしても…」

 言いながら日向は変化した優希の全身を眺める。背丈は150cmも無く、日焼けを知らない肌は白く輝いていて艶やかな黒髪が優希の動きに合わせてサラサラと揺れている。顔も、元々中性的だったが今ではその面影が薄く見える程度で、控えめに言っても可愛らしいものとなっていた。

 そして何よりの変化と言えばと、日向は優希の顔からそっと下の方へと視線を下ろした。日向の視線の先には、シャツ越しに微かに、けれど確かにその存在感を主張している優希の胸部。

 「…胸デカくね?重心が安定しないのって絶対それのせいだって。美鈴が見たら多分発狂するレベル。C…いや、Dと見た」

 「薄々気付いてたけど、あんまりハッキリ言わないで貰える?あと、見過ぎだから」

 「失礼しました」

 あまりに不躾な視線に、反射的に腕を組んで胸を隠しながらジト目で優希が言えば、日向は素早く横を向いて視線を逸らす。

 文武両道、顔も悪くなく、気さくで気遣いも出来る。それが優希から見る近衛日向という人間であったが、そんな彼がモテない理由の一端を垣間見ると共に、こんな形で知りたくは無かったとため息をつきたくなる優希であった。

 「気持ちは分かるけど、あんまりじっくり見られるのはなんか嫌だ」

 「はい、御尤もであります。謝るから機嫌直してくれよー、優希ー、優希様ー」

 「ええい、寄るな下賤者め!…あ」

 テーブルを回り優希の足元で床にはいつくばって拝み倒す日向に対して、高飛車に振舞おうとする優希であったが、ばっと勢いよく手を振った拍子にぐらりとその身体が揺れて完全に体制を崩し、気の抜けたような声を漏らした。

 「おい?」

 あわや倒れ込むかと思われた彼女の手を、咄嗟に顔を上げた日向が掴み軽く引き寄せることで優希はバランスを取り戻し、事なきを得る。

 そして自然と視線の交差する二人で合ったが、片や日向は呆れたようにじっと優希を見つめて、片や優希は気まずそうに視線を逸らしていた。

 「…お前絶対自分の身体の事忘れてただろ」

 「うん、忘れてた…。ありがと、日向」

 「どいたま」

 ぱっと日向が手を放せば優希は掴まれていた部分を軽く摩りながらゆっくりとその場に腰を下ろし、日向も元の位置へと戻る。

 「…あ、そうだ飲み物出さないと。ごめん日向、ちょっと待って…」

 「待て、俺にはお前が飲み物をぶちまける未来が見える。飲み物なら俺が用意してくるからお前は…なんだっけ、病院で検査しろって言われてたろ?その手順とか調べてろよ」

 ふと思いついたように言って再度立ち上がろうとする優希に、日向が待ったをかけて優希の代わりに台所の方は向かおうとする。

 何せつい先程転びかけたばかりなのだ、そんな状態で飲み物の入ったグラスでも運ばせようものなら大惨事は必至であった。

 「え、でも…」

 「良いから良いから。冷蔵庫勝手に開けるからなー」

 呼び止める間も無く、日向は軽く手を振って台所へと消えていく。変に気を利かせる日向に苦笑いを浮かべつつ、その気遣いに感謝しながら優希は自らのスマホを手に取った。

 

 

 

 (驚いた…)

 台所に手コップに冷茶を注ぎながら、日向は動悸のする心臓の鼓動を感じていた。その脳裏にはつい先ほどの出来事が浮かんでいる。

 倒れそうになった優希の腕を咄嗟に掴んで支えたあの時、日向は安堵するとともあまりのその手ごたえの無さにゾッとした。元々、優希はそこまで体重の重い方ではなかったが、それでも平均と比べれば、まぁ少しやせているという程度だった。

 けれど、いつもの調子で掴んだ優希の腕の細さ、そして感じる軽さに、日向は嫌でも優希の、親友の体の変化を実感させられた。

 (けど、それは優希も同じだ。寧ろ、俺以上に)

 当事者ではない日向ですらこれなのだ。当の本人の感じる違和感は、不安は推し量ることすらできない。

 「…支えてやらないとな」

 ぽつりと、優希には届かない小声で零してから、日向は注ぎ終わった茶のボトルを冷蔵庫に仕舞い、二つの結露を垂らすコップを乗せた盆を持って優希の元へと戻る。

 「優希、お茶持って来たぞー」

 テーブルの上に盆を置きながら声を掛けるも、しかし優希から返事は返ってこない。

 「…優希?」

 一向に反応を示さない優希を不思議にも思った日向が再度声を掛ければ、ようやく彼女はその顔を上げる。

 「日向…」

 しかし、その顔に浮かんでいたのは、先ほどまでは影を感じさせるばかりだったはずの不安だった。

 「これ…」

 唐突な変わりように、日向が瞠目していると、優希はその手に持っていたスマホの画面を日向へと向ける。それはニュースのまとめ記事であった、投稿日を見るについ先ほど挙げられたもの。

 そして、でかでかと書かれたその見出しは、

 「『一晩で女性へと変化した元男性が失踪。現在は行方不明に』…って」

 考え得る限り、最悪の部類に属するモノであった。

  

 

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