「次あっちに行こ、日向!」
「なんだよ優希、今日はやけにテンション高いじゃん。望むところだ!」
ぱっと顔を輝かせた優希がそう言って日向の手を引くと、常時に比べて一等快活な彼女の様子に戸惑いながらも、日向はすぐににっとその顔に笑みを浮かべて、前を行く優希を追って走った。
学生も多く活気に満ちたショッピングモールの中、その二人は周りが霞んで見える程に一際光を放っている。
日向と優希がこのショッピングモールに到着してから一時間程が経過した現在、二人は総じて同じテンションのまま店を回り、並べられた商品を物色していた。特段珍しい物があった訳でも、欲しかった物が見つかった訳では無く、ただ店を見て回っているだけ。にも拘らず、二人の様子はさながら遊園地にでも遊びに来ている様であった。
「お前、体力は大丈夫なのかよ!」
優希の身体能力はさほど高くない、というか低い。案じた日向が問いかければ、優希は即答で頷いて見せる。
「うん、全然平気!…ねぇ、日向!」
声を掛けられ、日向がチラリと彼女の方へと視線を向けて見ると、優希は日向が今まで見たことが無い程の幸せに満ちた笑顔を浮かべていた。
「私ね、今すっごく楽しい!」
「っ…、あぁ、俺も!」
一拍遅れて日向が同意を示せば、優希は更ににこりと笑って先を行く。重力を感じていないかのように軽々と進んで行く彼女は、今にも浮いて飛んで行ってしまいそうな程に浮かれていた。
しかし、あくまでこれは比喩表現だ。実際の所、優希の身体能力にも体力にも一切の変化はない。
それから更に一時間が経過した頃、日向と共に休みなくはしゃぎ倒していた優希は、当然の如く体力の限界を迎えベンチにもたれ掛って座り、日向は彼女をほら見た事かと呆れ顔で介抱していた。
「やっぱり無理があるよな…。というかお前も、そんなになる前に言えよ。ただでさえ体弱いんだから」
体力の差か、そう話す日向の顔には幾分かの余裕は見えるものの優希まで同じ様にはいかない。酸素を求めて深呼吸を繰り返している彼女は傍から見ても苦し気だが、しかしその顔には確かな満足が浮かんでいた。
「だって、楽しくって。私、こんなに幸せなの、生まれて初めて」
息を切らしながら途絶え途絶えに言う優希。そんな彼女に、日向は一瞬複雑そうな表情を浮かべるがすぐに笑みで隠して、ポンと優希の背を軽く叩く。
「なら、ちゃんと最後まで楽しめるように体力は温存していこうぜ。もしそれで物足りなくても、また来ればいいだけの話だしな」
「日向…」
ぽかんと口を開けて呆けた様に日向を見つめる優希は、彼の言葉をかみしめる様に『また…』と呟いたかと思うと、柔らかく微笑んで大きく頷いて見せた。
「うん、そうする。そうしたい」
「おっけ、ならもう少し休んだら次行こうぜ。勿論、今度はゆっくりでな。…じゃあ、俺はちょっと飲み物でも買ってくるから、優希はここに座ってろよ」
優希が頷いたのを確認した日向はそう言い残すと、少し離れた自販機へと向かっていく。離れて行く彼の背を、優希はぼうっと心ここにあらずといった様相で見送った。
そうして雑踏に紛れて日向の背が見えなくなった辺りで、ほうっと貯まっていた緊張を吐き出すように、頬に朱を差した優希は一つ息を付く。
(普段はお茶らけてるくせに、こういうに限ってあんな顔…ずるいよ、日向)
頬に両手を当ててその熱を感じつつ、ふと何故ここまで適格な気遣いをしてくる彼がモテないのか改めて疑問に思った優希は、はてと小首を傾げる。
彼女の身体が変化してからに限らず、優希は、今までは気づいていなかっただけで、日向が彼女に対して色々と気を回していてくれていたのだと理解できていた。
だからこそ浮かんでくる疑問。あくまで優希の主観ではあるが、文武両道で性格も良く顔も良い、こうして良く気を回してくれるし、そして何より一緒に居て楽しい。セクハラなど多少性に奔放に見えるが、相手を第一に考えている。
そんな彼がモテないなど、優希にとって信じがたい事実であった。
(…もしかして私が気づいてないだけで、本当は日向の事が好きな子がたくさんいるんじゃ…)
分厚い色眼鏡によってもたらされた結論。しかし、それはあながち間違いではなかった。
幾ら日向が見境の無い告白を繰り返すなど奇行を繰り返していたとはいえ、中には一人や二人彼に懸想する者も居た。けれど、それらが想いを届かせなかったのは、一重に優希の存在故であった。
近衛日向の目にはいつだって彼女が映っていた。日向の傍にはいつだって彼女がいた。この二人の関係を前に、それでも想いを貫き通そうとする勇敢な者は近衛美鈴くらいのモノだろう。
しかしそんな事は露と知らず、優希は形の無い脅威を前に一人慌てるのである。
(やっぱり、勇気を出さないと…)
だが、今はその焦燥感が彼女の背を押した。震える両手をぐっと強く握り、優希は決意を新たに意気込む。そんな彼女に、以前までの松江優希の影は何処にも存在しはしなかった。
日向が優希の元に戻り、暫くの間その場で休んだ二人が腰を上げた頃には既に時間は午後に差し掛かろとしており、さぁ出発だと歩き出すと同時に、ぐぅと日向の腹の虫が空腹を訴えかけた。
すると日向はぴたりと足を止め、無駄に決め顔を浮かべながら回れ右をする。
「よし、優希、先に飯を食いに行くぞ。でないと今度は俺が動けなくなる。…で、昼飯はどうする?確かここのフードコートにはデカ盛りうどんのチャレンジがあった様な気がするんだよ」
「あ、日向、お昼ご飯なんだけど…」
意気揚々と昼食について話を進めようとする日向を優希が袖を引いて止める。何か食べたいものでもあったか、と優希の言葉を待つ日向は、ただ『こっち』と手を引かれるがままに歩き出した優希の後を追う。
そうして二人が辿り着いたのは、隅の方に並んだコインロッカー。普段なら、買い過ぎた荷物を置いておいたりするものだが、そのロッカーのタッチパネルの前に立った優希はスマホを取り出し、何やら操作を行って、日向も見覚えのあるバスケットを一つ取り出した。
「その、実はお弁当作ってて。良かったら食べて欲しい、です」
気恥ずかしいのか視線を逸らしながら優希が言えば、唐突の出来事に硬直していた日向はようやく気が付いて、驚愕にその顔を染める。
「いや、そりゃ勿論食うけど。それよりいつの間に用意してたんだよ。あれ?来るときは持ってなかったよな?」
日向が驚いていたのは正にそれだった。ここへ向かう際中に優希が持っていれば自分が見逃すはずが無い、そして到着してからはずっと一緒に居た。そもそもコインロッカーへすら寄っていないのだから、優希が用意するのは不可能なのだ。
それは優希も承知の上で、持ってなかったと肯定する様に一つ頷く。
「うん、美鈴ちゃんが持ってきてくれたの。本当は私が持って来る予定だったんだけど…、『荷物になりますから、アタシが持って行きます!』って。暗証番号はさっきメールで共有して」
「あぁ…、そう言う事か」
その光景がありありと浮かんだのか、優希の説明を受けた日向は何処か遠くを見つめる。
「なぁ、常々言ってるけどあいつ俺と優希で対応が違い過ぎね?優希に対してだけやけに甘いんだよな…」
「あ、あはは、そう…だね?」
恐らく自分が相手であった場合問答無用で持たされる、もしくは取りに帰らされるであろう事が容易に想像できてしまい、一応は実兄である日向は何故こうも違ってしまったのかと考えずにはいられないのである。
そして、優希もそれを理解できるだけにフォローのしようもなく、乾いた笑みを浮かべる事しか出来なかった。
「兎に角、お昼ご飯にしよ?近くの公園まで行かないとだけど…」
「そだな、気にしても仕方ないしな。兄としての威厳が無いとかそんな事は気にする必要も無いよな」
「…もしかして結構気にしてる?」
「してない」
即答する日向であったが明らかに気にしている様子の彼に、今晩は好物を作ってあげようと優希は心に決めるのであった。
そうして、弁当の入ったバスケットを片手にもった日向と優希が向かったのは、ショッピングモールの近くにある公園だ。幾つかの遊具やベンチも備え付けられて、子供たちが元気に駆け回っているのを世間話をする親達が見守っている。
とはいえ、既に昼間。日向達が到着した頃には入れ違う様に数組の親子が出てきており、二人は空いた公園の中、手ごろなベンチへと腰を下ろした。
「さてと、優希さんや。今日の弁当には何が入っているのかね?」
「もう、何その口調。今日はね…」
謎に口調を変えて催促をしてくる日向に、くすくすと笑いながら優希がバスケットのふたを開ける。微かにひんやりとした空気を感じながら、弁当を取り出そうとする優希だったが、しかしその上に置かれた一枚の紙を目にしてその手を止めた。
『優希さん、ファイトです!♪』
紙に書かれていたのはそんな言葉。誰からなのかなど、考えるまでも無かった。
(ありがと、美鈴ちゃん)
優希は心の内で呟いて、改めておかずの入った弁当箱と、ラップに包まれた五つのおにぎりを幾つか取り出し、五つの内の四つを日向の方へ渡す。
「これ、日向の分ね。おかずは全部こっちに入ってるから」
「お、サンキュ。いやぁ、いつも悪いな…って、優希は一つで足りんの?」
大体握り拳大ほどのサイズのそれらを受け取りつつ、優希の元に一つだけ残る形となったおにぎりを見た日向に不思議そうに問いかけられ、優希は思わず苦笑いを浮かべた。
「流石にこのサイズは一つが限界…。寧ろ日向は多…くないね、食べれるね、うん」
「ん?何で断定した?まぁ、全然余裕だけどな!この日向様が優希の作った飯を残すなんざ有り得ないって話よ」
「…そ、そう!知ってるけど、知ってるんだけど…」
日向がこう言ってくることは優希自身よく知っている。以前から嬉しいと思っていた彼女だが、現在の状況で不意打ち気味に言われては、知っていても少なからず動揺してしまう。
高鳴る心臓を落ち着かせる様に深呼吸をする優希を日向は不思議そうに見やるが、しかし今は食い気が勝っているようで、すぐにその視線はおにぎりの方へと向けられた。
「所でさ、これ具材は何が入ってんの?」
特段気にした様子も無くあっけらかんと聞かれて、こんなに動揺させておいてと、そんな理不尽な怒りが優希の胸に浮かびぷくりと頬を膨らませかけるも、目を輝かせる日向を前にして毒気を抜かれたのか、息を付いて肩を下ろした。
「全くもう…。えっとね、具材は昆布とおかか、梅、塩サバの四種類だよ」
『因みに私のは梅ね』と優希が付け加える様に言えば、それを聞いた日向が唐突に小さく吹き出した。
「え、どうしたの?私何か変な事言った?」
急に笑われて困惑する優希に、日向は悪い悪いと手を振って答える。
「いや、優希は相変わらず梅ガチ勢だと思ってさ。おにぎりってなったらお前大体それだろ、そういう所は変わってないな」
そう話す日向の脳裏に浮かぶのは、この春にした花見での出来事。例の如く優希が弁当を作って来た訳だが、その時も同じようにおにぎりを作ったのである。日向に四種類、美鈴に三種類。そして、優希は自身に三つ作った訳だが、優希のみ全ての具材が梅だったのだ。
それ程までに優希は筋金入りの梅好きなわけだが、しかし自覚は無かったようではてと彼女は小首を傾げる。
「えー…そうかな。私そんなに梅ばっかり?」
「梅ばっかりだな、多分美鈴に聞いても同じ答えが返って来るぞ、そうでなくとも俺が断言できる」
にわかに信じがたい、優希の顔にはそう書いてあるが、しかし実際に今回も自分の分を梅で作ってきている以上否定のしようが無いのも確かであった。
「それよりさ、早く飯にしようぜ。そろそろ俺の空腹がピークを迎えてるんだ、腹と背中がくっつく勢い」
腹部を抑えながら日向が言えば、タイミング良くぐぅと再び日向の腹が鳴った。それを見て優希はくすりと笑うと箸をバスケットの中から取り出す。
一膳、そしてもう一膳とバスケットの中を探る優希だが、しかし幾ら底を浚ってみてももう一膳が見つからない。
「…」
そこで、ふと嫌な予感を感じた優希は先ほどの美鈴からのメッセージの紙を手に取って裏返した。
『追伸:お箸は一膳にしておいたので、二人でキャッキャうふふと食べさせ合いっこを楽しんでくださいね!』
(美鈴ちゃん…!?)
味方からの思わぬキラーパスに心の内で絶叫する優希。だが、そんな事をしても目の前の現実は変わらず、彼女の手にはメッセージと一膳の箸のみが握られているばかりである。
「おい、優希?…ほほう、さては箸を一膳しか持って来なかったんだな?心配しなくても、俺は素手で食うから何も問題無いって」
「日向…」
固まってしまった優希の手にある一膳の箸から事情を察した日向が間髪入れずにフォローを入れて、ほっと安堵しそうになる優希であったが、しかし本当にこれで良いのかといった疑念が彼女の思考に待ったをかける。
ここで引いてしまっても良いのか、ここまでお膳立てしてくれた美鈴に顔向けできるのか。優希の出した結論は否であった。
何より、彼女は決めたのだ。日向を落とすためなら何でもすると、して見せると。それが、この程度の事で臆する訳にはいかない。
「…っ!」
優希は箸を取った。二人で手を合わせ、たった一つのそれを手に弁当箱の箱を開け、おかずの一つを箸で取りそれを日向へと差し出す。
「日向、あーん…」
勢いでここまで持って行ったものの、やはり羞恥に襲われたようで、尻すぼみに彼女の声は小さくなっていく。しかし、顔を真っ赤に染めながらも箸を下げようとはしない優希を前に、日向はひくりと頬を引きつらせた。
「優希さんや、俺は素手で食べるって」
「…あーん、して」
「いや、だから…」
「して…」
最早羞恥も臨界点に達しているのか、彼女の眦には薄っすらと涙すら浮かんでいる。日向とて、通常であればそこまで気にするような性格ではない。しかし、羞恥とは伝染するものだ。目の前でこんな反応をされて尚毅然としていられる程、彼は鈍感では無かった。
因みにこの公園、人通りが無いかと言えばそうでは無い。狭くは無いが、そこまで広い訳でも無い公園。入り口から見えなくはない距離に居る二人を、通りがかりの二人組の主婦が見つけて、『あら、お熱いこと』『ウチらにもあんな時代があったわねぇ』などと話す声が、微かに日向の耳にも届いていた。
そして同時に感じる生温かい視線。思春期の少年を躊躇わせるには十分な要素が揃っていた。
しかし、プルプルと震わせながら必死に差し出し続ける優希の姿を見て、日向も意を決したのか勢いよくそれにかぶりついた。
「あ…」
「…うん、美味い。いやー、流石優希だ。相変わらず料理が上手いよな」
食べて貰えた、それを理解して喜色に顔を染めようとする優希だったが、日向は話しながらそんな彼女の手からそっと流れる様に箸を奪い取る。
「…あの、日向?」
「ほら、本当に美味いからさ、優希も食ってみろよ」
にこやかに微笑みながら、先ほどの優希の様に日向もまた箸でおかずを取って、優希の方へと差し出す。
完全に立場の逆転した現状。それを察した優希はマズイと身を引きかけるも、しかし目の前の日向から発せられる圧力にそれも叶わない。
「どうしたんだよ優希、ほら、あーん」
「うぅ…」
遂に観念した優希は子犬の様な唸り声を上げながら、小さな口を開けて一口でそれを頬張った。先ほどよりも赤い彼女の顔。日向も妙な背徳感を感じつつ、必死にそれを抑えつけ、暫しの静寂がその場を包み込む。
「どうだ、さっきの俺の気持ちが分かったか、分かっただろう。これに懲りたら…」
やがて落ち着きを取り戻して、箸を置いた日向が腕を組んで達成感と共に話していると、不意に優希が置かれた箸を取った。
予想外の彼女の行動に日向が目を点にしていると、先と同じ手順を優希は繰り返しながら口を開く。
「…うん、分かった。じゃあ、今度は私の番ね」
「…いや、違う。そうじゃなくてだな!?」
残念ながらと言うべきか、日向の誤算は優希が抱いた感想と日向の抱いた感想がずれていた事にあった。
結局、彼らは最後まで同様に続けていき、食事を終えるのに常時の三倍程の時間と体力を要する結果となった。