ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「見えてきた……すまない、無茶をさせたね」
後で必ずお礼はするからとシュトラオスの首元をそっと撫でた。普段は白いフワフワの羽毛も土埃ですっかり汚れてしまっている。
昼夜問わずにひた走った。通常ならば王都からルギニアまでに掛かる時間は約四日。それを強引に近道したとはいえ僅か二日で走破したのだからボコは本当に大したものである。
とはいえもう限界か。足元はフラフラで速度も出ててはくれなかった。仕方がないだろう。嫌だと首振る所を尻を叩き無理やりに乗ってきたのだから。すまないすまないと心の中で何度も詫びながら、その背を飛び降りる。ゆっくり休んでいておくれ。
「後は私が頑張らなきゃな。【多重展開】!!」
エルツィオーネ領の北部にはラルキルド領との領境になる山岳がある。
名をベルノン山。標高2000メトル程の高山だ。だがこの山、ウチの領では禁足地域に指定されていた。
山を超えればラルキルド領だ、当然の処置だろう。加えて急傾斜でありながら大部分を岩肌が占めている。周囲に森の恵みも無い以上、一般人は踏み込む理由も無いのである。
だから。
そんな場所でぞろぞろと山登りする集団は警告無しで殺しても構うまい。
「【瞑目に風読む天上の射手】【その手届かぬ場所は無く】【放てば外れる道理無し】【弓より早く、槍より重く、貫き燃やせ】ーー!!」
展開する魔法陣から続々と炎の槍が飛翔する。火炎槍10連射のお見舞いだ。
敵との距離はまだ遠く、目視だと辛うじて集団の存在が認識出来る程度だった。
これではかなり正確に補正をしなければ魔法とて到底当たらないだろう。けれどこれでいい。
元より狙ったのは山自体だ。肝心なのは届くかどうか。
岩肌剥き出しの山なのだから上部に当たれば落石が見込めた。予想の通りに火炎槍の着弾で少し削れた御山は、その表皮を下に転がす。
成果は上々。ガラガラズシーンとここにまで崩落の音が聞こえる。この距離では悲鳴が届かないのが残念だ。潰れろ潰れろ潰れてしまえ。まぁ全滅は無理であろう。こちらとしては進軍する道が壊せればそれで良かった。
「結局最後は体力勝負か。カノンに訓練付けてもらった甲斐があったってものだ」
二日間ろくに食べてないし寝てないのだけど、さんざん駝鳥の尻を蹴飛ばして来たのだから自分の尻とて蹴飛ばそう。身体強化を大活性にまで引き上げて、私は坂道を思いきりに駆け出した。
「ハァ……ヒィ……なんか気分上がって来たぞこのヤロー!!」
◆
「驚いた。誰かと思えばイグニスじゃないか。こんな所で何をしているんだい」
「…………」
山腹でそんな声を掛けられた。けして無視をしたのではない。声が出せなかったのだ。
急斜面を駆けてきた。整備された道ではないので足場は大きさのバラバラな石だらけ。予想以上に体力を使ったのだ。息は整わないし動悸は激しいしお腹痛いしで、もう最悪だった。
「そっちこそ、ふぅ。何を、はぁ。してるんだよ……兄上。おえぇ」
その男は背丈はあるけれど、いかにも運動の苦手そうな痩躯の外見。
口調も声も穏やかで、こんな山中よりも図書室の方が似合う色白な男。そして如実に血の繋がりを感じる赤髪赤眼を持っている。フラン・エルツィオーネ。私の兄であった。
「何って、今は非常事態なんだ。深淵を名乗る集団がラルキルド領へ向かい進軍している。それを父さんの指示で追っている所をお前がだな」
「攻撃してきたと。何も問題ないさ。私はお前を止めに来たんだからな」
悪心に苦しみながら視線を上げると、真っ赤な瞳と目が合った。感情の色は無い。と、言いたい所だけど、敵意を隠しきれていないよフラン。
「僕を止めるって、何を言ってるだよお前は」
スッと右手が伸ばされた。まるで息切れする私を気遣う様な素振り。けれど違うね。
無詠唱魔法。騎士に魔剣技なんて技があるのだから、より魔力の扱いに熟練している魔法使いならば出来て当然の芸当だ。
予想の通りにその手の平からは火の球が飛び出す。至近距離だ。回避は間に合わないだろう。だけれど問題は無い。火球の特徴は炎を球状に押し固める事である。そうする事により着弾すると、球は弾けて火が周囲を焼き払うのだ。ならば火が散らないように外套などで包む様に打ち払えばいいだけである。
「読めてるぞ」
仕留める気ならば同じ初級魔法でも石砲などの物理殺傷能力がある方を選択する。
ならばこの火球は囮。炎で目眩ましを狙ったといった所か。予想の通りに、次の瞬間には岩陰から五人の伏兵が飛び掛かってきた。
舐められたものじゃあないか。
無詠唱しかり、魔法の短縮、素早い起動は常に魔法使いの課題である。
魔法使いも魔法を使えなければただの人。だからこそ魔法を使う前に殺せというのが戦いでの鉄則だからだ。当然に私だって奇襲の対策など練っている。
「これが最新のイグニス流略式展開だ!」
私は拳を突き出す。正確には展開した魔法陣を拳で殴る。
瞬間に魔法は起動し指向性を持つ爆発を引き起こした。炸裂の勢いが生む激しい熱風が敵を纏めて吹き飛ばす。……予想外に威力があった。足場の小石も吹き飛ばしたようで、相手は即死の様だった。
「中級魔法が触れただけで起動するだと!? なんてふざけた術式だ!」
「面白いだろう。フェヌア教を参考に編み出した」
「……いつから僕を疑っていた」
それは自身が深淵の勢力であると白状した台詞であった。
いつから。いつからか。一体いつからなんだろうね。
「確信なんて無いよ。けれども疑惑があるかぎり最悪の展開として想定はしていた」
私とツカサでデルグラッド城に調査行った時、初めて深淵と接触を果たした。
だがこれ、よくよく考えれば少しおかしい。偶然にしては間が良すぎるのである。例えば、私の命が狙われていたと考えた方がしっくりくるのだ。
悪魔は傭兵をしていたニコラという人物から勇者の情報を得たらしい。それは、嘘だ。いや本当だとしても、ニコラに情報を流した人物がいる。なぜなら、当時フィーネが私を勧誘に来るという情報は、私の家族しか知りえない情報だったからだ。
兄は、私がルギニアを旅立つ時に肩入れしてくれた。実はこの時、私を止めようとする父の意見は完全に正しかった。そんな私に味方するという事は、この人は家から私を追い出したくてたまらないのだろうなと思った。
「そんなに、そんなに私が憎かったか?」
私の問いに答える様に
「【番える矢は一つ】【穿てよ穿て】【夜空の星さえ墜としきれ】」
「【走れ】【燃やせ】【荒れ狂え】」
フランの魔法陣からボシュと炎で形成された矢が射出された。火矢の魔法だ。一発の威力で見れば弱い魔法。しかしこの魔法の脅威は連射性能である。魔法陣からは数百人から一斉射撃を受けたかの様に火矢が飛び荒れて。渦巻く炎の壁が全てを宙で叩き落した。
「お前こそ、何処まで僕を虚仮にすれば気が済むというんだ!!」
ガリガリと血が出る程に頭を掻きむしる兄の顔は、すでに面影もないくらいに狂気に染まっていた。大声だなんて出しなれていないだろうに、彼は叫ぶ。声が裏返ろうとお構いなしに吠える姿は、まるで大泣きをしている子供の様だ。
「…………」
賢者の血を引く者として、智爵家の長男として、父は兄に英才教育を施した。だからフランはとても優秀だ。領主としての才覚も魔法使いとしての才能もある。
父が私に爵位を譲る気が微塵も無いのは、私よりも余程優秀な跡取り息子が既に居るからなのである。強いて彼の欠点を上げるならば、それは自分に自信が無い事くらいだろうか。
「それは火炎竜王の事か?」
「……そうだよ。あの魔法は跡取りだけに伝えられる特別な物だ。僕の、僕だけの特別な魔法!! それをお前は、お前は~~!!」
私は父に教えられる事もなく、独自に解析し再現してしまった。
それが彼の大事な物を叩き割り、更に足で踏みつぶして粉々に砕いていたのだ。
「ごめん。ごめんよ兄上。貴方を馬鹿にする気なんてけして無かった」
今更ながらに己の未熟さを理解する。だが同情はしまい。
この男は、そんなつまらない事を理由に、王の暗殺未遂にまで手を出してしまったのだから。
国家転覆罪。王を国を滅ぼうそうとした罪は限りなく重い。
どれほどかといえば、主犯格は連帯責任で血筋にまで罪が及ぶ。つまり犯人の親、兄弟、子供も処されるのだ。
国単位で害を及ぼそうとする思想を滅ぼす為だ。家族を国に殺されたと見当違いな恨みを残さない為に、血を根絶やしにするのである。
今回の例で言えば、フランの犯行は父にも母にも私にも責任を取る必要があるという事だった。
「もう終わりだよイグニス。分かっているんだろう。エルツィオーネはもう終わりだ。僕は父さんにもお前にも勝ったんだ!」
「馬鹿だな。これを見なさい」
胸元から書類を取り出し、兄に突き付けた。
婚姻届けだ。私イグニスが、ツカサ・サガミの元に嫁ぐという内容の物。両者の直筆とそれを認めるエルツィオーネの家紋も入っている。
「はぁ!?!? お前が結婚だと!? 嘘をつくな!」
「公文書偽造は大罪だろう。これは本物だよ」
まだ提出していないだけだ。というのは言わない。
これで一応私は他の家の人間という扱いになる。ここでフランを討ち、身の潔白を証明すれば何とかエルツィオーネが存続出来る可能性もあった。
「そんな物まで用意するなんて、どうやら誰も僕の事なんて信用していなかったようだね」
「逆だ! 父様も母様も信じていたからこそ罪があれば責任を負う道を選んだ。裏切ったのはお兄ちゃんのほうだ! 答えろ、あの二人をどうした!」
「あの煙が見えないのか? まぁそれは自分の目で確かめなさい。出来るならな」
悪魔の力を使ったのか、膨れ上がった魔力でフランは詠唱を始めた。
その姿は死ね死ね死ねと呪詛を振りまく様に見えて。余りの醜さに私は思わず帽子を深く被った。
「残念だ。本当に、残念だよ」
領主として劣るのは認めよう。人間性も若干劣るかもしれない。
けれど、魔法使いとしてだけは、けして負けない事を見せてやろう。