ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
ジグルベインの放った魔法により山頂からポッカリと穴の開いた岩山は、その衝撃により山全体にひびが走って徐々に崩壊を始めた。
この光景だけでも自分の目を疑うのだけれども、落下の最中に実はもう一つ信じがたい事実が発覚してしまう。
なんと俺の身体、全身が動かなかった。
元より怪我人だったのだけど、魔王という埒外の存在に身体を委ねたツケが来たのだ。
もうね。着地をどうしようかと考えている時に両手両足がぷら~んって風で遊んでいるなんて笑うしかないよね。
(文句、言わんのか?)
「言わないよ。それだけアイツが強かったって事でしょ。強いていうなら次は戻るタイミングを気を付けて欲しい」
(カカカ! であるな!)
満身創痍。それでも頬は緩み、広がる達成感を噛みしめる。
深淵の勢力20数名を叩きのめし、主犯の偽勇者を決闘で撃破。悪魔のラルキルド領への進行も防いだ。俺にしては珍しく花丸を貰ってもいい頑張り具合ではなかろうか。
これで少しはイグニスに顔も立つなと考えると同時、シャルラさんに手を出されなくて本当に一安心である。なので紐無しバンジーの最中という絶望的な状況に関わらず、俺の胸の中はやったぞ、やってやったぞという独善的な満足が心の大半を占めていた。
「これでやっと全部終わったね。お疲れジグ」
(うむ。お前さんこそ良う頑張ったの)
「えへへ。褒められると嬉しい」
ジグと共に余裕をぶっこいていられるのには勿論わけがある。
俺は落ちている最中に見つけたのだ。崩れる山肌をなお力強く駆け上る一頭の馬を。その背に跨る紫と赤を。
彼女達を発見出来ていなかったならばきっと俺は今頃、「ひあ~どうしようジグー!!」と泣き叫んでいたに違いない。
「ハッハー! 無事か少年、どうやら最後の最後には間一髪で間に合ったようだな!」
「アトミスさんだいしゅきー!!」
軍馬を繰る紫髪の妖女が空中でトンビの様に俺を掻っ攫う。
山は今もなお音を立て地響きと共に崩れているので、アトミスさんは止まることもなくそのまま下へ向かい駆け出した。
「うん? おいおい、一体どんな無茶をしたんだ君は」
胴体を脇で抱えてくれていたアトミスさんがいつまで経っても動かない俺に疑問を抱いた様だった。いやー実はと四肢がぶっ壊れている事を話すと不快そうに眉を顰めて、「お前が支えてやれ」と後ろに座る魔女の膝へと納められた。
「言いたい事も聞きたい事もあるが後回しだ。とりあえず、君が生きていて良かったよ」
背中越しにくれる言葉に俺ははいとだけ答える。
馬の背に乗りすっかり安心したが、崩れる山を駆けるという行為はもうそれだけで命がけなのだ。
だが、控えめに言ってアトミスさんの手綱捌きは神懸っていた。落石が容赦無く雹の様に降り注ぐ。走っていた道が突然にひび割れる。けれど馬力と速度にものを言わせて無理やりにでも突破してしまうのだ。
その手腕にすげえやと素直に感心するも、さすがにそんな無茶な動きをしていれば背は激しく揺れるもので。
腕も使えぬ俺はシートベルト代わりにイグニスに身を委ねると、なんとも不安そうにこちらを覗き込む赤い瞳と目が合った。
ああ、やっと会えたね我儘お嬢。言ってやりたい文句は沢山あった。それでも無事な姿が見れたのだからと不満はそっと飲み込んで。代わりに今一番彼女が聞きたいだろう俺の成果を口にした。
「イグニス。無事に全部終わったよ。ちゃんと勝った」
「うん……ありがとう」
背中から回された腕がぎゅうと俺を抱きしめてくれた。けれども思わず痛いと声が出る。そういえば腹も槍で突かれていたか。
イグニスも違和感を感じ取ったのだろう。手のひらを濡らす液体の正体を確かめるべく、おもむろに、というか恐る恐るといった態で自分の手を眺めて。これから手形でも取るのかというくらい赤く染まる手になんじゃこりゃ!と到底女の子とは思えない悲鳴が上がった。
「なんなんだ君は毎度毎度! 腹を貫かれる趣味でもあるのか! ええ!?」
「イグニスうるさい。少年、君には回復薬を渡しといたはずだね。1本じゃ足りなかったか?」
「あー。実はあれ、この馬に使っちゃって」
前と後ろからとても大きな溜息が聞こえた。
なるほどねという納得の言葉と共に、アトミスさんがならば私の分を使えと懐から金属の筒をイグニスに手渡す。
回復薬を受け取ったイグニスはすぐには使わず、俺の服をビリリと破り怪我の様子を見てくれている様だった。肩から腹を覗き込んでくるので彼女の後ろ髪が鼻をくすぐりなんともこそばゆい。
「アト姉、もう少し揺らさず走れよ!」
「出来るものならお前がやってみろ!」
「ったく。怪我は左の腹部。傷は細い刺し傷。槍かな。位置的に胃を少し掠っているかも知れないね」
よしと判断したイグニス先生は傷口に薄緑色の液体を垂らした。全部ではなく8割程だ。そして残りの2割を飲めと言う。俺ははてと思った。以前ポーションを作った時は飲み薬ではないと怒られたのだ。
「内臓をやられているなら少量は飲んだ方が効くんだ」と言いながら魔女は容器を口元に近づけてきた。
なんとも青臭いにおいがする。それもそのはず。回復薬の材料は薬草のミックスブレンドの様なものだ。ちなみに本来飲み薬でもないので味も考慮されていない。
俺はいやだいやだと駄々を捏ねるが、両手を使えない今は抵抗も虚しく、毒の様に苦くて不味い液体を咥内に注ぎ込まれるのだった。
「うう。イグニスの人でなし」
しかし回復薬を名乗るだけあり効果の強いこと。怪我がジュウと音立て消えていくのだ。
体感で言えば少し熱いか。部位が熱をもつのと、魔力が染み込んでくる感じの熱さだ。後は少々というか結構染みるけど、それだけで槍に刺された傷口は綺麗サッパリに消えてしまったのだった。
「なんとでも言いなさい。よし、じゃあ後は私が治そうか」
言うが速いか魔女の両手からボワリと青白い炎が広がる。俺はまたあの嫌がらせの様に熱い回復魔法かと身構えるが、広がる炎はじんわりと温かく身体を包むだけだった。拍子抜けした顔でイグニスを見ると、バーカと赤い瞳が優しく歪む。
「少年の容態はどうなんだ?」
「取り合えず血は止まった。でもそれだけだ。全身がボロボロすぎる」
「そうか。ならばむしろ運は良かったのかもしれんな」
「どういう意味ですか?」
アトミスさんは俺が質問するとコイツだよと、軍馬の首を撫でた。
妖女はなんと途中までイグニスを背負い山を駆け登っていたらしい。いい加減イグニスを投げ捨てようかと考えていた所で何故か軍馬だけが降りてくるのを見つけたそうだ。
「この子はきっと君を助ける為に私達を迎えに来たんだ」
俺があの時ポーションを馬に使い下山をさせたからアトミスさん達が間に合ったと聞いてなるほどと思う。やはりMVPはこの軍馬だったのである。いや、もはや軍馬さんと呼ばせて貰おう。駄馬とか言ってごめんよ。
(カカカ。あの時選択肢ミスったらバッドエンドだったとはのう!)
ほんとうにね。人生何があるか分からないものだ。
休みもせず最強の助っ人を呼びに走ってくれたコイツには感謝しかなかった。
「お前は本当に凄い馬だな」
「バフーン」
「ハッハー! どーれじゃあお姉さんも最後に見せ場くらいは貰おうか。イグニス、少年を落とすなよ」
アトミスさんが不吉な事を言った。イグニスと軽く目を見合わせて、恐る恐るにまだ何か?と聞くと、妖女の代わりに魔女が叫ぶのであった。
「おいアトミス、何とかしろー!!」
「な、なに? なんなの?」
「道がもう! 無いんだよ!!」
「だからすると言っているだろうがもう」
道の先は既に崩落していた。これではもう崖と呼ぶべきか。
いかに馬の魔獣とはいえ空を飛べるわけではないので、俺はきっと回り道でもするのだろうなと考えた。
けれどもちっとも落ちない速度にん?と首を傾げる。ギュウと俺を抱きしめるイグニスは、まるで俺を落とさない為というよりは、寧ろしがみつくくらいの勢いで。
「うっそー!?」
本日二度目のダイブであった。まさかまさかにアトミスさんは崖へと馬を突っ込ませたのである。思わず俺はひぃと目を閉じ襲い来るであろう浮遊感を覚悟した。
嗚呼。それでもパカラパカラと蹄は鳴り響く。
もはやそこに大地はあるまいに、軍馬さん、貴方は一体なにを蹴るのでしょうか。
薄ーく目を開いた後に、俺はアトミスさんではないがハッハーと叫んだ。
氷だ。妖女は魔法で水を滝の様にぶちまけて、それを凍らせた。流石に強度は厳しいのか、走るそばから崩れるも橋としての役割はなんとか果たしてくれそうだ。
なんという発想、なんという規模の魔法か。これが騎士団副団長、アトミス・シャルールの実力なのである。今度こそこれで最後だと、敷かれた勝利のレールを走り、俺たちはエルツィオーネ領へと帰還する。