ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
俺達は早速にルコールという果実を手に入れるべく行動を開始した。
とは言っても、じつは行くべき所は定まっていない。なにせ狙うのは天然物である。いかに博識な魔女であれ、目的地をピンポイントでココだと断言は出来ない様であった。
ならばどうするのだとイグニスに問えば、単純明快な答えが返ってくる。
ズバリ、分からないなら分かる人に聞こうと言うのだ。俺はなるほどと納得するも、電話も無いこの世界だ。近くにそんな都合の良い人が居るのかと訝しむ。
「それが居るんだよ。なにせこの領もルコールの産地だから」
「まじか!?」
灯台元暗しとでも言うべきか。魔王殺しという酒を求めて放浪していたドワーフは、すでにその産地まで辿り着いていたのだった。
気付けなかったのは名前が違うからか、それとも普通に流通しているせいか。ともあれ、イグニスが少ないヒントで導き出せたのも頷ける話だった。
という訳で着いたばかりのリーリャだったが移動する事になる。向かったのは南の方角に3日走った場所にあるハインセという町だ。
「へえ、この町にその果樹園があるんだ」
「そうそう。ついでだし実食もしとくかい?」
「食べれるの! やったー!」
会いに行くのはイグニスパパの酒飲み仲間との事だった。
なんでも魔木の生態に詳しい人で、この町に生えるルコールもその人が植樹し育てているのだと言う。
貴族に会いに行くという事でこの町で一泊をした。
手紙を出して訪問のアポを取ると共に、風呂に入って身を清めるのだそうだ。面倒くさいね貴族。
◆
「ああ、やはり風呂と布団は人類の英知だな」
「まぁ気持ちは分かるよ」
俺もこの異世界に来てから2ヶ月は廃城で生活していたので文明に出会った時は感涙したものである。そんな昔話はさておき、今日は朝からルコールの果樹園に向かっている。
手紙の返事は昨日の夕方にはもう届たらしい。俺たちの用事を知り、ならばソコで会おうという事なのだ。
俺は一応初対面の人なので一張羅のスーツを引っ張り出した。
けれどイグニスはそこまで粧し込む事は無く、ちょっと小綺麗な街着である。案外親しい仲なのだろうか。
「ああ、見えてきた。あれだよ」
「向かってるのって果樹園……だよね」
(うーむ。コレジャナイ感ぱないのう)
なんというか、レンガで作られたドーム状の建物だった。まるで窯を何十倍にも大きくした様な変な建築物である。蜜柑や葡萄の様な畑を想像していたので、出鼻から期待を裏切られた気分だった。
「やあ、イグニス。良く来たね」
「久しぶりコメロさん。無理を聞いてくれてありがとう」
「なんのなんの。私はもう爵位も息子に譲って暇をしているからね」
物腰の柔らかな初老を迎えたくらいの男性だった。鼻下に口髭を伸ばしながらも茶色の髪をピッシリと櫛で梳かし、左目に方眼鏡をした紳士然とした人だ。
けれども笑ってしまうのは服装である。いかにも正装の似合いそうな人なのに作業着を身に着けていて、あまつさえ首にタオルなど巻いているのであった。
「紹介するね。友人のツカサ・サガミだよ」
「ツカサといいます。今日はよろしくお願いします」
「うん、イグニスの友達だけあって礼儀正しい子だね」
ペコリと頭を下げてお辞儀をすると、コメロさんはじゃあ付いておいでと、果樹園らしき建物の入り口を開く。扉は木製だが分厚く頑丈そうだ。
「おおん」
(ん? どしたい)
「いや。なんか冷気が」
ジグルベインは霊体だから感じないだろうが、扉から漏れ出す空気の温度は凄く低い。窯の様な外見の建物のくせに開ければまさかの冷凍庫の様だった。
「ふふ。驚いたかい? ルコールは実が凍らない様に酒精を生成しているんだよ」
「へぇそうなんだ」
イグニスが悪戯成功とばかりに耳打ちしてきた。そう言えば酒が凍るという話を聞いた覚えがない。寒い地方では体を温める為に酒を飲むらしいし、ひょっとしたら凍らないのだろか。
「これがルコールの木だよ」
前を進み案内してくれていたコメロさんはそう言いながら木の幹を自慢げに撫でる。
俺は5メートル程の樹木をおおうと見上げるも、どうやらこれはまだ若い木らしい。天井の無い自然の環境ならばもっと背の高い樹木のようである。
その形はまるでキノコというか、枝は低い位置には伸びていない。上部で傘の様に展開し、青々とした葉と蜜柑ほどの小ぶりな実をぶら下げていた。
(ほう。儂も木に実る姿は初めて見る。もぎ放題ではないかカカカ)
勝手にもいじゃだめだろ。
「あれが噂の酒の実ですか?」
「そうだよ。この木の果実はまだ酒精を生むほど熟れてはいないけどね」
俺なんかの質問にも丁寧に答えてくれるコメロさん。
このルコールという魔木は本来温暖な地方のものらしかった。それが氷点下の寒さに晒される事で、アルコールを生成するという事実に気が付いたのだという。
「中でも気難しいのは土地の持つ魔力なんだ。長らく寒い環境を作る事ばかりに着目したが、地面は火の性質を含まなければこの木は育たないんだよ」
要するにただ寒くするだけでなく、温暖な地方と同じ環境下で気温だけを下げなければいけないという事か。聞くだけで育成の難しさが伺えるし、むしろ天然物が育つ事に疑問を覚える植物であった。
「さて、冷えてきたね。ゆっくり話すのは外にしよう」
暖かいお茶とルコールの果実が用意してあると聞いて、俺もイグニスもわーいと喜んだ。
◆
果樹園の外のガーデングテーブルに移る。冷凍庫の様な寒さの場所に居たのでポカポカのお日様と暖かいお茶がなんとも嬉しい気分にさせてくれる。
そして今、何よりも興味を惹くのは、籠に積まれた果実だった。木になっていたのは青い小ぶりなものだったが、食べ頃にまで成長したルコールは渋柿色でソフトボールくらいの大きさまで育っていた。
「それが一般に流通しているルコールだね。酒精はそこまで強くないから安心して」
「「いただきます」」
皮の質感はまるで分厚いゴム。ツルツルしていて弾力のあるものだった。皮を摘みビニール袋を開ける様に左右に引っ張ると、強度のおかげか変に裂ける事も無くビリビリと剥ける。
口の中に唾が溢れた。裂けた皮から覗いたのは白い実だ。薄っすらと透けているのか、中に黒い大きな種が見えるが、溢れる果汁が艶めかしく、なんとも味に期待が湧く。
それを後押しするのは香りだろう。仄かなアルコール臭に交じり、まろやかで甘そうな匂が溢れ出ていた。
では早速と俺は噛り付く。そして目を見開いた。
まずは食感の柔らかさ。歯にほとんど抵抗は無く、どこまでもじゅぶりと沈み込んでいく。まるでアイスクリームでも頬張った気分になる。
味はと言えば意外と酸っぱいか。けれど果実を舌で転がすと、溶けた果実の中から確かに甘味が顔出して。ゴクリと飲み込んだ後でも余韻を感じるのはアルコールのせいだろうか。残る酸味が甘さをすっと断ち切った。
「お、美味しいー!」
まるでレアチーズケーキ。いや、甘酸っぱいアボガドと表現した方がいいだろうか。俺は味わう未知の食べ物に興奮を隠せなかった。
「満足して貰えたようで嬉しいよ」
「でも、なんでもっと熟成させないんですか?」
果実は木になっている限り腐らないと聞く。けれどもやはり長くて3年程度までしか寝かせていないそうだ。いや、3年でもアルコール度数120あるそうだから出されても俺は口にしないが。
「ふふ。簡単だよ。これは酔える果実ではあるけれど、お酒として見るといまいちだから」
紳士は口髭を撫でながら語った。果実を木に付けたまま寝かせるならば、ルコール酒にして寝かしたほうが余程美味しく飲めるのだと。
(ルコール酒……ありだな)
ジグルベインの呟きに共感する。確かにアルコールは取ったのだろうが、酒を飲んだという実感は薄いのだ。思えば酒好きのイグニスがこれまでに食べていなかったのも同じ理屈なのだろう。
それにルコールは種や皮から油まで搾れるらしい。捨てるところの無い果実なので長期熟成させるのは勿体ないのだそうだ。
つまりドワーフやイグニスなどが惹かれるのはあくまで魔王殺し。アルコール度数400という法外な数値になのではなかろうか。うん。アルコールに脳をやられてるね。
「それでコメロさん。やっぱりウェントゥス領まで行かないと自然には生えてないかな?」
「うーんそうだね。獣を考えると果実の保障は出来ないけどね。ウェントゥスの氷林まで行けば木は生えているよ」
そうかーと視線を上に向ける魔女。行程を練っているのだろう。安請け合いをした俺たちではあるが、一月後には勇者一行と合流する予定があるのであまり遠出は出来ないのだ。
一緒にルコールの実を食べるコメロさんは、そんなイグニスを見て何かを思いついた様で、もしかしたらと前置きをして提案をしてくれた。
「近場ならば、へグル山なら或いは。あそこはウェントゥス側から寒波が流れているんだ。気候は問題無いだろうし、もしかしたら風に乗って種も落ちてるかもね」
「へグル山。ベルレトルとウェントゥスの領堺だね。そのくらいならばギリギリ往復するくらいの時間は取れるか……」
ありがとうコメロさんとイグニスは表情明るくお礼をする。目途が立ったのだろう。
ドワーフと約束した3年物はここで手に入れたので、後は無くてダメもと。気が楽なものである。
「幸運を祈るよ。ああ、手に入ったらお裾分けを貰えると嬉しいかな」
「ええ、それはもう喜んで」
酒に興味が湧かなかったので付き合い程度の気持ちだったのだけど、こんなに美味しい物を食べさせられたらそりゃもうやる気でるよね。
待ってろよルコール。目的地を定め、俺達は次の冒険に出ることになった。