ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~   作:雨居神宮

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168 ヘグル湿原

 

 

「見えてきた。あの山がヘグル山だ」

 

 ボコの手綱を握りながらイグニスが細い指を伸ばす。そんな彼女の背に抱き付きながら、俺はへぇと声を漏らした。

 

「なんか、見た目は普通だね」

 

「そりゃね。ラウトゥーラの後なら大概の自然はそう見えるだろうさ」

 

「それもそうか」

 

 思えば一回目の冒険がぶっ飛んでいたのだろう。なんだクレーターの中の樹海って。

 へグル山はラウトゥーラの森と比べれば正に凡庸そのもの。外見は普通の山、という感想くらいしか思い浮かばないものだった。

 

 俺とイグニスはハインセの町で目的であるルコールの木の情報を得て、生えているかも知れないというその山へと向かっている。

 

 今回は駝鳥に乗っての移動なので目的地までの移動は非常にスムーズであった。街道を南に向かって走り、脇に逸れて二日程度の道程か。

 

 加えるなら貴重品を預けてこれたので気分的にも楽だった。汚したくないスーツなどもそうだけど、やはり金貨などはあまり持ち運びたくないものである。ジャラジャラと邪魔な癖に無くしたら大変だからね。

 

 貴重品を宿に預けるのは怖いけれど、コメロさんというイグニスの知り合いに預かって貰う事が出来たのだ。空いたスペースに代わりの荷物を詰め込めるので俺としては万々歳である。

 

「ん。そろそろ歩こうか」

 

「え、なんで? まだ結構遠いよね」

 

 調子良く広い草原を走っていたボコをイグニスが止めた。山の麓まではまだ数十キロの距離がありそうなのにだ。

 

 休憩ならまだしも、歩こうという言葉に引っ掛かりを覚える。なのだけど魔女は念のためだよと言いながらに、早くもヒョイと飛び降りてしまう。俺も仕方なくボコの背から降りるのだけど、足が地に着いた瞬間に違和感を覚えた。

 

「あーそういう」

 

 踵がぬぷりと土に沈み込む。足を持ち上げてみれば地面はくっきりと靴の形を残し、底には少し水が見えていた。

 

 雨上がり。違う。降った記憶は無いし、そもそもこの国はあまり雨は降らない。でなければ土足の文化など生まれないだろう。つまりは元からこういう土壌なのだ。ここは草原だと思っていたのだが、その実、湿原だったのである。

 

「そういう事。ここから先は草に隠れて見えない穴がいっぱいあるからね」

 

「先に言おうよー」

 

 ともかく無警戒に走ると沼にドボンなのは理解した。なら俺が前を歩くねと、黒剣を引き抜き、草を薙ぎながら歩みを進める。イグニスは助かると一言、素直に俺の後ろをボコを引いて付いてきた。

 

「やけに上機嫌だねツカサ。さては君もこの湿原の素晴らしさに気付いたかい」

 

「一緒にすんな」

 

「なんだと。湿原は凄いんだぞ。生息する生物も植物も多種多様でだな」

 

「だから一緒にすんな」

 

 いや、或いは一緒なのだろうか。草を掻き分け進むというのは、なんとも子供心に帰る行為だと思う。この先にはどんな光景があるのか。どんな生き物が棲んでいるのかと考えるだけで楽しくなるではないか。そう、なんか冒険している気がする!

 

 

 少し歩いた感じ、初めは大小無数の沼があるのかと思ったが、どうにも違うらしい。元は一つなのだそうだ。泥やら枯れた植物が積み重なって水面から僅かな足場が見えているだけなのだとか。

 

 なので全体的に足場はあまり良くない。踏み込みぐじゅりと沈むくらいならまだ良くて。酷い場所では崩れてそのままボシャンと水に足が落っこちた。

 

「ひゃー。なんかここの水冷たいね」

 

「確かに。濡れたままだと風邪をひきそうだ。出来れば夕暮れ前には抜けたいね」

 

 イグニスの説明ではこの場所の名はヘグル湿地。ヘグル山から零れる雪解け水で出来ているらしい。雪解け水?と俺は思わず後ろを振り返り魔女を見る。一応今の季節は夏であり、そんなに標高の高く無いヘグル山は雪の積もっている様子も見えないからだ。

 

「まぁ実際に見るのが一番早いかな」

 

「ふぅん?」

 

「あ、あの木は胡桃の仲間だね」

 

 食べられるぞと魔女はいそいそと木に近づき実を収穫し始める。

 湿原の植物は多様と言う言葉は本当らしく、ちょっと歩いてはあの様子だった。俺にはただの草にしか見えなくても、蓮根やフキなど食べられる物は意外とあるようだ。

 

 そんな道草を食いしながらも進んでいると大きな水場に出てしまった。

 内心ちぇっと舌打ちをする。歩いて渡れないので、避けて遠回りをしなければならないからだ。

 

「…………」

 

 いや、本当にそうだろうか。その沼には大きな蓮の様な植物が大量に浮かんでいるのである。あれだ。2メートルくらいの直径のタライに似た葉っぱだ。

 

 もしやアレ乗れるのではないか。そう思案している所に、乗れるぜとばかりに大きな蛙がピョンと葉に飛び乗って。

 

(お前さん、何か馬鹿な事考えとりゃせんか?)

 

「行ける!」

 

 俺は確信と共に蓮に飛び移った。着地の衝撃で葉は大きくブルンと揺れるも、破れる事無く受け止めてくれた。

 

 やったぜ。そう思いジグに向けてピースをするのだけど、葉はトランポリンの様に深く深く沈み込み、縁からザバァと水が流れ込んできて。

 

「あ」

 

 ……沈んだ。

 

 

「何やってるんだ君は!?」

 

「ごめーん」

 

 沼は結構深いのか底に足は付かなかった。気が動転し水中で藻掻いている所をイグニスに引き上げて貰ったのだった。迂闊な事をしたと反省している。全身びしょ濡れだし、沼の水ってなんだか臭いのである。くそ。

 

 上着を脱ぎ水を絞っていると、沼の水面には先ほどの蛙がスイーと泳いでいた。

 おのれ蛙め。そう思い睨んでいると、蛙もまた頬を膨らませながらこちらを見ている様な気がした。

 

「あ、駄目だツカサ。その蛙は!」

 

 イグニスが叫ぶが早いか、蛙が何かを吐き出した。顔に向かって来たので咄嗟に避けるも、飛来物は首筋を掠めていく。微かな痛みに患部に手を当てると、指先には薄っすら血が付いていた。

 

「鉄砲蛙。水を高圧で飛ばしてくるぞ」

 

「そんな馬鹿な!?」

 

 とも言えないのがこの世界か。魔獣の恐ろしさは今までも散々に味わっている。

 強靭で摩訶不思議なその生態。有り得ない、と断言する方が有り得まい。

 

「イグニス、蛙食べたい?」

 

「まぁ取れたならば食べるけど」

 

 じゃあ晩ご飯に一品追加だと、俺は虚無を掴む。引き抜けば、ゾルゾルと音立て抜ける漆黒の凶器。先ほど沼に落とした黒剣が手元に現れる。

 

 再びにプクリと膨らむ蛙の頬。こんな蛙に合唱をされたら溜まらないなと考えるも、次は飛来する水鉄砲を剣でバシャリと弾く。俺は水面に浮く両生類に、そこ動くんじゃねえぞとヴァニタスを投擲した。

 

「ありゃ」

 

 黒剣は狙いを10センチ程外しトプンと水に飲みこまれる。蛙は嘲笑う様にゲコリと一鳴き。蓮の葉に飛び乗って、バクリと葉に食べられた。

 

「……イグニス?」

 

「あれは虎蓮似(とらはすに)。蓮の葉に似ているが食獣植物だね」

 

 見た目は似ているが別種の様だ。葉がセンサーになってて上に乗った獲物をパクリと行くのだとか。見分け方としては縁にギザギザの歯が付いているらしい。言われて沼に浮く葉を観察してみると、5個に一つは混じっている様子が見て取れた。

 

「怖えな自然」

 

(ん。お前さん、何か来るぞ)

 

 ジグルベインの言う通りに、沼の水面にプクプクと大きな泡が浮かんでくる。

 今度は何だよと思っていると、バシャンと水面から鎌首をもたげたのは蛇だった。長さ5メートルくらいだろうか。魔獣としてはまだまだ小柄だなと思うのは、俺も少しこの世界に慣れた証拠かもしれない。

 

 良く見れば、その蛇の背には剣が深々と刺さっていた。どうやら先ほどの投擲で流れ弾を受けてお怒りの様である。シャーと牙剥き威嚇するもので、コチラもやるかゴラァと睨みつけた。

 

「ええ」

 

 蛇の身体が弓の様にしなり、矢の様に駆け出した。というか、本当に頭部だけが飛んできた。水面を駆けているところを、水中から現れた大きな鋏に両断されたのである。

 

 蛇は勢い余り地上に放り出された頭部を地上に残し、未だ暴れる胴体を謎の生物に水中に引き込まれてしまった。

 

「晩ご飯、蛙じゃなくて蛇だね」

 

 魔女は曖昧な顔で毒は無いよとだけ呟いた。

 とりあえず安全に野営する為にもこの湿原は早く抜けなければなるまい。

 久しぶりに人が踏み入らない大自然に赴き、野生のルールを垣間見た気分だった。

 

 

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