ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
はたと我に返れば周囲は俺の足跡だらけになっていた。霜柱をザクザクと踏み砕くのが快感でつい熱中してしまったのである。これはまずいと思っているとジグが無言で後ろを指示してきた。チラリと恐る恐るに視線を向けて見れば、イグニスが生温かい眼でこちらを眺めている。
「気は済んだかい?」
「はい」
「それは良かった。じゃあ行こうか」
「いっそ責めろよ!」
(カカカ!)
言い訳をするならば、久しぶりだったのだ。
俺は3年間、家から一歩も出ていなかったので、霜を踏んだのなんて恐らく小学6年生の冬が最後ではないか。
改めて土に残る足跡を眺め、様々な感情が渦巻く。
中でも一番強い感情は楽しみだった。今年の冬は絶対に雪だるまを作ろうと思う。とびきり大きい奴をだ。後はそう。雪合戦をして、イグニスの顔に雪玉をぶつけてやろうと。俺は何年かぶりに季節の楽しみというものを思い出していた。
「なに人の顔見てニヤニヤしているんだよ」
「ううん。なんでもない」
行くよとイグニスがボコを引き先に進むので、俺は駆け足で彼女の横に並ぶ。
俺たちは今回の冒険の目的地であるへグル山に到着をした。それはいいのだが、太陽がまだ出ている内に済ませておきたい事があった。野営地の設置である。
湿地付近では地面がこの有様なので、もう少し乾いていて、ついでにいい感じに開けた場所を探している途中だった。遊んでいる場合ではないのだよ。
「イグニス。この辺なんてどう?」
「そうだね。悪くないんじゃないかな」
「じゃあここで決定」
30分程探索をして今日の寝床をあっさりと決める。あまり時間を掛けすぎて暗くなっては本末転倒だからね。
普段のテントは木々の間にロープを張って天幕を被せる程度の簡易な物で。これは急な雨に備えて一応屋根を張っているに過ぎない。
だけれど今日は木の枝で骨格を作るのだ。円錐状に建てた木材に、天蓋に使っている布を巻き付けて移動式住居風にするのである。この山は冷えるからとイグニスの提案だった。
「なんかこういうのって妙にワクワクするよね!」
「男ってそういうの好きだよな。私は普通に面倒なんだが」
「えー。またまたー」
(儂もちっとも分からん)
「まじかよ」
…………。
……。
「こんなもんかな?」
「うん。いい感じじゃないか」
夕暮れ時。二人で試行錯誤しながらシュトラオスもギリギリ中に入れる位の建物が完成する。なんだかんだイグニスも作るのめっちゃ楽しんでた。
広くすると二人の防水布を繋げても微妙に面積が足りなかったので、土や草で隙間を埋めてと工夫をしている。他には、天井に敢えて穴がある。地面に窪みを作り火を焚ける様になっているのだ。どや。
早速にボコを中に入れて休ませた。俺も早くテントの中を堪能したいものだが、どうせならもうひと頑張りしてしまおうと野営地で火を起こす。
ちょっと早いけど夕飯を作らなければ。これも暗くなる前に済ませたい事の一つだった。
「お待たせ。桶にお湯あるからツカサも先に身体拭いちゃいなよ。終わったら桶に洗濯物浸けといて。私洗うよ」
「あ、分かったー。ありがとー」
着替えて来るとテントに入った魔女だったが、ついでに身体も清めてきたらしい。
俺も湿地を歩いて足元が泥だらけだし、沼にも落ちたので先に洗えるのは嬉しかった。いや、案外汚い身体で料理をさせたくなかったのだろうか。
ともあれ、イグニスは洗濯を、俺は料理を担当する事になる。実は旅をしているとこの組み合わせは結構多い。
イグニスに任せると、もれなく青汁が付いてくるので極力俺が料理を担当しているせいもあるが、俺が洗濯をしている時に一回事故が起こったのである。
汚れ物はないかと聞いたところ、これよろしくと差し出された衣類に下着が混じっていた事があったのだ。この黒い紐はなんだろうと手に取り考えていたら、真っ赤な顔したイグニスが掻っ攫っていったっけ。ガードの堅い魔女にしては珍しいうっかりであった。
(んで、今日は何作るんじゃ?)
「冷えてきたし鍋にしちゃおうかな。ジグも食べる?」
(おお、いいのう。が、次に口にするのはルコールの実と決めておるのでな)
「さいですか。見つかればいいね」
俺はそう言いながら今日のメイン食材を取り出した。
湿原で偶々手に入れた蛇の頭部である。頭部と言っても1メートルくらいの長さがあるし、太さも俺の太ももと同じくらいなので食べでは十分だ。余った分はボコの餌。
まずは頭をザクリと切り落とす。魔獣の皮は硬いので包丁ではなく剣で行く。
頭は後で埋めてあげるとして、次は皮剥きだ。蛇の皮は剥きやすいので、強く引っ張ればベロンと行ける。
すると見えてくるツルンとした白身。ここまで来れば処理は魚と大差が無い。
腹を開き、内臓を洗い落して、骨を取り除く。慣れたものだ。ただ、魚の小骨と違い蛇の骨は固いのでそこだけは念入りに取り除く。
「んー。つみれにでもしようかな」
蛇肉は何というか淡泊なのだ。臭みも意外と無いし、味も薄い。
外見は鰻を連想するのだけど、別にふっくらはしていない。けれどまぁ白身魚に近いと言えば近い味と食感だろうか。
個人的に蛇はただ焼くよりも潰して何かと混ぜた方が美味しいと思う。という事でミンチである。包丁と黒剣を使い、まな板の上で無心で叩いた。
その後は臭み取りも兼ねて摩り下ろした生姜、ついでに道中で取れた蓮根を細かく刻み入れてみる。下味に塩胡椒をまぶしてよくかき混ぜればタネの完成だ。
「そろそろいいかな」
鍋のお湯がグツグツと煮立ってきた。ダシ取りに道中で採れたキノコと蛇の骨が入っている。仄かに茶色く色付いたお湯は湯気と共に香りも振り撒いていて、もうこれだけでも美味しそうであった。
「まずはツミレー」
鼻歌交じりにまな板から匙でタネを掬う。そしてそのままお湯にドポン。スプーンから落ちた団子状の肉がすぐさまに桃色を失っていく。この段階になると流石に食欲を覚えるのか、ルコールにしか興味ないと言っていたジグルベインの視線が釘付けだ。
「後は何入れようかなー」
鍋は何を放り込んでもそれなりに食べられるのが良い所。備蓄の残り物を確認しながら適当に選ぶ。イグニスは野菜好きなので野菜たっぷりは確定だ。
「大根、人参、白菜にー。あ、ソーセージは残り少ないし全部入れちゃおうっと」
ちなみにソーセージはナンデヤ産なのでめっちゃ美味しい。粗挽きを超えた雑挽き。もうプリプリで歯ごたえ最高なのである。
そして味の変化を楽しめる様に、ハインセの町で買ったルコールの果汁も付けよう。これはアルコールが飛ばしてあって、酸っぱさと香りがとても良い。後は箸休めにフキの浅漬けでも用意しようか。
「蛇鍋でっきたー!」
◆
「ふわぁ、温まるー」
魔女はずずりと汁を飲み、弛緩した表情でそう言った。どうやら汁物にしたのは大正解であったようだ。
それと言うのも、日が落ちてからヘグル山の気温がガクンと下がったのである。
息が白くなるほどの寒さに加えて、風までゴウゴウと吹き荒れてきたもので、泥の付いた洗濯物と格闘していたイグニスはぶるぶると身体を震わせてテントに戻ってきた。
「まさかここまで冷えるとはね。あ、肉団子に蓮根入れたんだ。コリコリしてて美味しい」
「それは良かった。ルコールの果汁もあるからお好みでどうぞ」
食事は外でするつもりだったのだけど、テントの中に緊急退避だ。簡易ではなくちゃんと作ったのが功を奏した。中で火が使えるのも大きいだろう。弱火ではあるが、こうして温かい料理にありつける。
「到着してすぐにも思ったんだけどさ、どうしてこの山はこんなに冷えるの?」
そう。霜を踏んだ時点で聞いておくべきだった。季節は夏だというのにこんなにも冷え込むのはどう考えても異常なのだろう。
すると魔女はチロリと俺の頭上を流し見る。もしかしてジグルベインを見たつもりなのだろうか。残念ながら魔王は俺の隣で鍋を見ながら指を咥えている。
「そうだね。君は知っておくべきだろう。だけど、来る時にも言ったが説明するより見たほうが早いんだ。なに、明日になれば分かるさ」
「ふうん?」
煮え切らない魔女の言い分。
まあ寒さには文句を言いたいが、理屈にはさほど興味も無いので、そうとだけ返す。明日には分かるというのだから明日でも構うまい。
「「ごちそうさま」」
もう外で洗い物をする気にはなれないので、それも明日にぶん投げた。
夜のヘグル山はまるで冷凍庫に居る様な寒さだ。結局自分の毛布1枚では耐えきれないので、イグニスの毛布と重ねて2枚にして。同じ布団に包まりながら肩を寄り添い過ごす事になる。
もっとも恋人の様なそんな甘い雰囲気では無く、寝付くまでの間は文字と魔法の勉強だ。だって相手はイグニスですもの。
そうは言いつつ、実は俺は全然集中なんて出来なかった。普段は気にもしないのに、女の子の肌の柔らかさとか匂いに悶々としていたのだ。
心臓の高鳴りにこれが恋、と錯覚しそうになるも。忘れていたが、蛇。それは種類によっては精力剤の材料にもなるのだった。