ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~   作:雨居神宮

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173 追跡者

 

 

 ヘグル山探索三日目である。今日見つからなければ、明日は手ぶらのままで帰らなければならない。なので今日に賭ける俺たちの意気込みは大きい。

 

 今日探索する場所は山の谷間だ。それも裏側に近く、なるべく日陰になっている様な、そんな場所に狙いを定めていた。

 

「うひゃー。こりゃまたなんとも」

 

 条件が少し変わるだけで景色とはここまで変わるものかと感心する。

 へグル山の表側は陽だまり心地よく、早くも冬の気配を感じる程度。裏側は一年中寒波に晒され、白く霜付く凍てつく大地だった。

 

 ここはどちらかと言うと裏側に近いのだけど、谷間というのがこの独特の景色を生むのだろう。

 

 氷の吹き溜まりだった。

 あまり雪の降る地域では無いので一面の銀世界とは行かないのだけど、それがかえってこの場所の特異性を生み出している様に思える。

 

 左右の山肌からは、大きな氷柱が垂れ下がって地表を覆っている。結露の生む水分が溶けては凍り溶けては凍り、少しずつ氷の柱を伸ばして行ったのだろう。

 

 足元などはもうすっかり分厚い氷に埋もれてしまっていた。土から染み出た水や、落ちてきた氷塊が溜まり、天然のアイスリンクを形成しているのだ。まったく自然という奴はなんとも壮大で奇天烈な絵を描くものだと、白い吐息を吐き出しながらに思う。

 

「見て見てイグニス。三回転ジャンプ!」

 

 氷の上をツイーと靴で滑りながら、身体強化にものを言わせたジャンプ力で跳ね上がりクルクルと回って見せた。まあスケート靴でも無いので着地した瞬間に摩擦を失いスコンとすっ転ぶのだけど、それを含めて何とも愉快だ。

 

「ははは。やばい。超楽しい!」

 

「ふふ。まったく何をしてるんだい君は」

 

 男子って本当に馬鹿ねとでも言いたげな澄まし顔の魔女。でも目の前を何往復も滑って見せると、澄まし顔のままに若干にソワソワとしてみせて。

 

 来いよと一言、悪魔の様に囁いて見せれば、赤髪の少女は誘惑に負けた。

 

「ちょ、ちょっとだけだからな」

 

 雪のあまり降らない地方という事で、案外氷を滑った経験は少ないのではないか。おっかなびっくりのへっぴり腰だったので俺が手を引いてあげた。両足でツツツと氷上を滑るイグニスの顔はなんともご満悦であった。

 

 

「君のせいで時間が無駄になった。行くぞっ!」

 

(どの口で言うんじゃ)

 

 まったくだ。自分もあれだけ楽しんでおいて酷い言いぶりであった。まぁ確かに今日は時間が無いのだ。遊んでいる場合ではない。

 

 イグニスはこの辺でいいかなと、岩場に立ち言う。

 俺も周囲を見渡して、ここならば問題無いだろうと頷いた。

 

「【それは高ぶる脈動に乗って進む】【伝播する熱よ朱に染め走れ】【焦がせ溶かせ壁など無い】」

 

 杖を掲げた魔女が詠唱を唱える。なんでも熱風を吹かす魔法の様だ。炎だと最悪アルコールに引火してしまうからという配慮である。かくして氷の世界が、高温のドライヤーで炙られた。

 

 変化は直ちに訪れる。氷がボタボタと溶ける。そんな可愛らしい規模では無かった。

 半径50メートル程の氷がドパリと、いきなり全部水に戻ったのではないかと感じた。

 

 まるで止まっていた時が動き出したかの様な急激な変化。巨大な氷柱が滝となり、ばしゃりと谷間へと降りてくる。先ほどまで滑っていた氷の地面はすっかり水溜まりになり、駆け込んだ来た流水を受け止めきれずに吹き返す。

 

 俺はひゃーと舌を巻きながらその光景を眺めていた。岩の上に乗っていなければ、両方から迫る波に飲み込まれていた事だろう。

 

「流石だねイグニス」

 

「それほどでもあるかな。もっと褒めてもいいんだぞ」

 

 氷柱の群れが取り除かれた山肌は一部だけ急に春を迎えたかの様だった。下に眠っていた植物が顔を覗かせ、ヒタヒタと霜解けの水を滴らしている。

 

 そう。これこそが俺たちの目論んでいた事だ。

 

 昨日、目的のルコールの木を発見した俺たちだが、その木に既に果実は無かった。

 ある意味は当然だ。腐らず実り続けると言っても、自然界では貴重な食糧の一つ。鳥が獣が昆虫が、実る果物を放って置く理由は無い。

 

 だが、ジグルベインは言う。そんな事は無い。実際に食べた事があるのだと。

 その言葉を聞き、俺の中で閃きが起きた。

 

 どうして自然環境下で長期熟成物が採れるのか。それは動物達には見つける事が出来ず、手が出せなかったという事だ。

 

 では一体どんな状態ならば食べられないのかと考えた。

 雪に埋もれていたとしたらどうだろう。ルコールは凍らない為にアルコールを生成する植物なのだからそれでも枯れないのである。そしてこのヘグル山ならば夏だろうと雪が溶けない場所もあるのではないかと。

 

 生憎と雪が積もる場所こそ無かったが、発想は間違ってはいなかった。

 雪は無かろうと、この山には氷漬けになった場所ならばあったのである。もはや長期熟成のルコールが残る可能性を賭けるならば、これしか無かったのだ。

 

「グルアァァァーーア!!」

 

「お!」 

 

 近くで獣の咆哮が上がった。恐らくは魔女の魔法に巻き込まれて負傷をしたのだと思う。

 どこだと声の主を探していると、崖の上側で、山が動いた。

 

「あいつが拠点壊した犯人かな」

 

「ああ、間違いないだろう。白氷熊か。ずっと私達を付けて来てたな」

 

 攻撃で苛立っているのか、ずっと追うだけだった熊は初めて俺達の前に姿を晒した。

 ドシンと崖を飛び降りてくる巨体。その衝撃は岩すらも揺らす。

 

 青白い体毛をした熊だった。デカい。全長は9メートル近くあるのではないか。体重は余裕でトンを超えるのだろうと想像が付く。過去には散々巨大生物と戦ってきたが、自然界ではなかなかお目にかかれないサイズだ。もっとも会いたいかと言えばそうでもないのだけど。

 

「出会っちまったら仕方ない。今日は熊肉だ」

 

「油断するなよ」

 

「当然」

 

 イグニスをやや背に庇いながらゾルゾルと黒剣を引き抜く。

 相手は意外にも威嚇こそすれ、すぐに飛び掛かってくる様な様子は無かった。

 

 ふうんと俺は剣を構え観察する。

 そう言えば、結局拠点は昨日も壊されていたのだ。これは確実に狙われていると判断し、いつ襲われても良いように交代で火番を立てたものだが不発だった。魔獣にしては随分と臆病者だと思っていたが、その理由が分かった気がする。

 

 片目に大きな切り傷が合った。いや、よくよく見れば、体毛の薄い箇所などには他にも傷跡が残っている。人間と戦って手痛い反撃にあったのだろう。

 

 相手は人間を舐めていないのだ。恐らく俺たちが一人になる時を虎視眈々と、いや熊視眈々と狙っていたのではないか。

 

「イグニス、援護よろしく」

 

「分かった。けど、よくあれに突っ込む気になるな君は」

 

 だって俺は剣しか使えないのだ。ずっとそうして来たし、アイツだって。勇者一行のあの剣士だって、状況が同じなら迷わず剣で立ち向かったはずである。

 

「いっくぞー!!」

 

 ギアを大活性に入れて岩を飛び降りる。

 幸いに足場は氷では無く砂利だった。膝下くらいまでどっぷり冷水に浸かるが、イグニスの魔法で溶けたおかげで戦いやすい。

 

 熊は一先ず俺に狙いを定めたのだろう。まるで万歳をする様な威嚇ポーズでこちらを見る。自身を大きく見せる格好をそもそも巨体で行うものだから、そびえる塔にでも挑んでいる心地だった。

 

 だが、人も獣もビビッて足を止めた奴から死ぬのだ。

 腕に先走り大きな影が降って来て、俺は慌てて横っ跳び。バシャンと大きな水音と共に、地面には巨木を思わせるサイズの左前足が突き刺さっていた。

 

 わおと思わず呆ける。その熊の爪は、もはやクレーンのフックを思わせる程に巨大で頑丈だ。当たった岩がパカリと割れた。触れたら人間なんて一撃だろう。そう考えながら降りてきた腕に狙いを定め黒剣を一閃。

 

「くそ堅いな!」

 

 一撃の鋭さならば自信があったのだけど、熊の太い腕は僅かに斬れた程度であった。

 毛皮が分厚く、脂肪まで厚いものだから肉まで刃が到達しないのか。

 

 とはいえ僅かに傷を付けたのも事実。熊は俺を薙ぎ払う様に、今度は右前足を振るおうとして。

 

 だが、俺らはコンビだ。俺の後ろには優秀な魔法使いが控えているのである。

 俺に狙いを定め、熊が僅かに硬直した瞬間を狙い、魔女は火炎槍を放った。視界の端で空気を焦がしながら飛翔する槍を見ながら、俺は全力で後ろに飛び下がる。

 

 火炎槍。イグニスの得意魔法だ。骨竜をぶち抜き、寄生樹の根をもぶち抜いてきた実績があり攻撃力は折り紙つきである。顔に直撃した様だし、顔面吹き飛んだんじゃないかと、煙が晴れるのを待ち。

 

 刹那、ゴウと煙の中から熊が大口を開き飛び出して来た。

 

(いかん。あいつ冷気で威力を削ぎおった!)

 

「魔獣が魔法!?」

 

 

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