ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
セトの町を出て2時間くらいは経ったか。
シュトラオスに乗り青空の下を自由に駆けるのは得も言わぬ爽快感があって。少女はそれそれ進めと手綱を握り、時も忘れて風になった。
けれど駝鳥も生き物だ。いくら馬車を牽いていないとは言え景気よく飛ばせば当然に疲労は多く蓄積される。ボコの足が若干重くなって来たのを感じ取り、俺は前を走る詩人に向かい、そろそろ休憩にしようかと声を掛けた。
「は、はい。分かりました!」
素直に駝鳥を止めたエーニイちゃんは、背からピョンと飛び降りると、小声で痛いと呟きながらお尻を擦っている。そうそう。最初は楽しくても長時間乗っているとどうしても擦れてしまうんだよね。俺はそんな様子を微笑ましく眺めながら休憩の準備を進める。
「ツカサ、ボコの方をお願い。お茶淹れとくよ」
「あいあい」
こちらは慣れたものなのでさくりとイグニスと役割分担をする。
一度の休憩に30分くらいは取るので、その間にシュトラオスの鞍を外し、ブラッシングと餌やりも済ませてしまうのだ。
ちなみにシュトラオスは雑食なので放っておいても草を齧っているのだけど、ウチは栄養を考えて野菜の端切れや肉などもちゃんと与えている。
「エーニイちゃん。シュトラオスに水をあげるから器かして」
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ」
エーニイちゃんは流石に商人の娘。俺が言わずともきちんと駝鳥の世話をしていた。
商人は俺なんかよりも余程に駝鳥を相棒として大事にしているので当然か。なにせゲン担ぎに駝鳥の肉は食べないという程である。
餌用の桶に魔道具でチョロチョロと水を注いでいると、何やら脇からジーと視線を感じた。ジグルベインかなと思い、どうしたと顔を上げると、茶髪の女の子は何故か謝りながらにバタバタと手を振っている。
「えっと、その。魔法って便利だなと思いまして。けして邪魔をする気では」
ああ、と合点する。水差しからいつまでもコポコポと水が出続けるのは確かに不思議だろう。俺はこの世界に来た日から使っているから、そういう物だと認識していた。けれど魔力から離れた生活をしている人にとっては、これはまさしく魔法の水差しなのである。
よく考えれば。いや、よく考えなくても魔力で水を出せるって凄い事だった。
水を樽で運ぶ手間も掛からないし、なんなら砂漠のど真ん中でも生還できるのではないか。
「便利でしょコレ。あ、俺は貴族じゃないから、そんなに畏まらなくてもいいよ」
「え、貴族様じゃないのに魔力を?」
「うん。運よく使えて、たまたま教えてくれた人が居たんだよ」
(間違ってはおらんの)
そんな話をしていると後ろから準備出来たよと声が掛かる。
はーいと返事をしながら振り向くと、イグニスはわざわざ防水布をレジャーシートの様に敷いていた。なんというかピクニックにでも来た気分である。
「ほいツカサ。ニチクで良かったよね?」
「うん。ありがとう」
「いいえ。はいこれはエーニイの分ね。疲れたろう、飲んだら少し横になりなさい」
「はわわ。イグニス様のお手を煩わせてすみません」
ほう、エーニイちゃんの事を考えてのだったのか。
ならば早速に自分がゴロリと転がるのも、きっと詩人が気後れしない為なのだろうな。うん。
「エーニイは旅自体が初めてなのかい?」
「い、いえ。レクシー……様と一緒に王都へは何回か行った事があります」
「うん? 王都にまで行っているのに、この冒険は君に必要だったのかな」
「……はい」
何か話題は無いかと考えているうちにイグニスとエーニイちゃんが話始めていた。
ならば口を挟む事もないかと淹れて貰ったニチク茶を飲みながら、二人の話に耳を傾ける。
「私は、経験が欲しかったのです」
ポツリポツリと小さな声で詩人は自分の思いを言葉にした。
今や詩人ともてはやされるが、自分は根暗で妄想が好きなだけなのだと。
処女作も、貴族の方とこんな恋愛が出来たら素敵だなと、主人公に自分を投影し、都合の良い話を書いただけだと言う。
「いやいや。貴族のしがらみを良く書けていたよ。君が貴族じゃないと知って驚いたくらいだ」
「そ、それはその。レクシーが色々助言をしてくれたので……」
ちなみ主人公は男爵家の女中を務める富豪の娘。ラストは男爵を継ぐはずの長男が婚約を破棄し爵位を捨てて迎えに来るらしい。その衝撃の結末に王都のお嬢様方はこれぞ真実の愛だと涙したようである。思ったよりドロドロしてない?
「でも、イグニス様は見たのですよね。ご自身で、体験なさったのですよね」
「…………」
「光届かぬ樹海に潜った。大地を覆う一面の光る苔を見た。湖に沈む聖なる剣を見つけ出し、勇者フィーネ・エントエンデが、勇者ファルスの剣を継ぐ歴史的瞬間を目の当たりにした」
「ああ。何一つ嘘ではないよ。なあツカサ」
「うん。あの森に聖剣があるのにはびっくりしたなあ」
ですよねえと。エーニイちゃんはここで初めて俺たちにとろける様な笑顔を見せた。
口元を緩めニヤニヤとするイグニスを見てはっと表情を引き締めるのだが、時すでに遅く。詩人は魔女にヨシヨシと頭を撫でられて、ボンと顔を朱に染める。
まあ俺もそんな話を聞いて、この子が今回の冒険に求めるものを察した。
家から飛び出して、住んでいる世界を自分の目で見てみたかったのだ。それは馬車で揺られる旅では駄目なのだろう。
シュトラオスの背に乗り、自らが手綱を握り大地を駆ける。家に居ては感じられない風を直に肌で味わってみたかったのではないか。
「ふむ納得した。けれど意外だね。どうせなら恋とか別の経験をしようとは考えなかったのかい」
「え。いやーその。えへへ」
何も本当に冒険する事はないだろうと言う魔女の言葉に、詩人は声を詰まらせる。
俺はそれをお前が言うなと思うのだけど、エーニイちゃんは切なげに、でも顔に笑みだけ張り付けて、コップの黒々とした液体を見つめていた。
「さあ、そろそろ行こうか。ツカサ、手綱代わる?」
「いや俺はまだ平気だよ」
「わ、私も大丈夫です!」
という事で広げた荷物をテキパキと戻して第二ラウンドである。
エーニイちゃんが気付いているかは知らないがまだ昼前だ。日暮れにはまだ半日以上時間はあった。その間、ひたすらに騎乗し進む。
代わり映えの無い風景。お尻が痛くなりひーひー言おうが、もう後ろを振り向いても帰る町は見えなくて。とにかく前へと進まなければ次の町は見えてこない。この先、そんな日々が後10日ほど待っているのであった。
「……!!」
(む気付いたか。カカカ。楽しいだけなはずがないわな)
そうなんだよね。
冒険譚なんて華のある部分だけが聞こえるだろうけれど、前進なんていうのはいつだって地道なものだ。
勇者一行だって、迷いながら悩みながら一歩づつ進み、あのラウトゥーラを踏破したのである。終始ウキウキだったのは俺の後ろに居る赤いのくらいだ。
「なはは。まぁこれもまたいい経験さ」
「見てないで手貸してやれよ」
「い、いえ。大丈夫ですので……うぷ」
「ああ、無理しないでね。お水飲む?」
エーニイちゃんは昼になる頃にはすっかり顔が青ざめていた。
騎乗は尻も痛むのだけど、落とされない様にバランスを取るので意外と筋肉を使うのだ。
更には慣れない縦揺れで内蔵をぐわんぐわんと攪拌されて、気持ち悪いし食事も取れないと言い出す始末。
吐かれても困るなあと思っていたら、イグニスがならばこれを飲みなさいと青汁を作り出すし、エーニイちゃんには中々に前途多難な幕開けとなった。
これもまた冒険……か?