ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
それから3日が経った。出発地であるセトの町を出てから数えるともう5日になるか。この旅路は早くも残り半分に差し掛かろうとしていた。
進みは順調そのものだ。詩人も宿で一泊してからというもの気合を入れ直した様で、なんと二つ目の町には寄らずに進むという根性を見せる。
身体が慣れて来たのか。それとも肩の力が抜けたのか。ともあれ、音も上げず愚直に前へと進む姿は、俺にはもう一端の冒険者の様に見えた。
「明日の今頃は次の町に着くだろうから、そしたら宿で一泊しよう」
「はい分かりました! そろそろお風呂が恋しいですね。貴族様は毎日お風呂に入るのでしょう? イグニス様もお辛いのでは?」
「この季節だと汗をかくからね。そりゃ、湯に浸かりたいという気持ちはあるよ」
「あ、でしたら町に着いたら湯屋へご一緒しませんか? 私お背中流します!」
「うーん。ごめんよエーニイ。私は同性でもみだりに肌を晒さない主義なんだ」
「あうー。残念ですー」
大きな変化と言えば、エーニイちゃんは良く喋り、良く笑う様になった。
や、なんか心を取り戻したみたいになっているが、たぶんこっちが素だ。やはり気を張っていたのだろう。内気で大人しい子だけに打ち解けるのに時間が必要だったのである。
まあ人見知り具合は俺も人の事を言える立場では無いのだけど、幸い時間はたっぷりとあったのだ。次回作の参考にでもするのか俺とイグニスの旅の遍歴を聞かれ、合間合間で語っていたら、距離は自然と詰まっていた。
それこそ移動時間は実際に走るのはシュトラオスになる訳で、跨っているだけの俺たちは、会話をするか景色を眺めるくらいしか出来る事が無いからね。
「今晩でも洗濯しようと思ってたんだけど明日町に寄るんなら明日でいいかなー」
「いや、水はあるだろ。洗濯くらいこまめにやりなさい。ばっちい」
「ち、ちゃんとしてるし」
イグニスは本当かと、俺のうなじに顔を寄せてクンカクンカと鼻を鳴らした。
手綱を握っている最中なので止めてと身を捩る。身体は毎日拭いているけれど、それでも俺は日課で剣を振い汗だくになるのだ。移動時には香水も付けていないので良い匂いがするはずも無かった。
「……汗臭い」
「だろうね!」
その様子をエーニイちゃんに笑われて、俺は若干拗ねながら後で洗濯をする事を心に決めた。覚えていろよイグニス。カノンさんに会ったら鍛錬サボってる事チクってやるんだからな。
◆
エルツィオーネ領から離れるごとに風景は平地になって行った。
人の手の入っていない草原は雑草が腰の高さまで青々と茂っていて。その中を真っ直ぐに伸びる馬車道を俺たちは日が傾くまでひた走った。
遠く彼方に山影覗き、ポツリポツリと小さな森も目に入る。ああ。長閑で平和な風景だ。
電気も無いこの世界ならば、何処で夜空を見上げようと星は満天だけど。こんな草原に小高い丘があるならば、それは確かに星を見るのに絶好の場所なのだろう。
「もう半分過ぎたかな。フラウアはまだ遠いけど、星見の丘はあと2~3日だって」
「そっかぁ楽しみ。でも冒険、もうすぐ終わっちゃうんだね。せっかく二人と仲良くなれたのになぁ」
そうだねと、俺は桶の洗濯物をアライグマの様にジャブジャブと擦りながら返事をする。
野営地を決めてまだ日が残っているうちに夕御飯の支度をと思ったのだけど、今日はエーニイちゃんがやりたいと言うので頼んでしまった。
普段から
「えーこのくらい誰でも出来るよー」
「そんな事ないって。イグニスは魔法使わないで火をつけた事はある?」
「んー。そう言われて見ると無いかも知れないな」
俺と同じく桶で洗濯をする赤髪の少女は、記憶を辿っているのか視線を上に持ち上げながら答えた。だろうなと思う。魔法や魔道具が使える貴族がわざわざ火起こしをする機会は無いのである。そう考えると魔法に頼らずに生活する市民の人達って凄いな。
「けど、なんだかんだ私達庶民も魔法のお世話になっているし」
「へえ。街中で魔法なんて見かけたかな」
「たぶん神聖術の事じゃないか?」
ああと納得する。魔法売りであるダングス教が居たか。彼らはお風呂屋を始めとし、火や水を出す事で魔法を生活に役立ていたはずだ。確かに一般人から見れば神聖術も魔法も区別はつくまい。
それにハンターには魔力使いが多いし、魔獣を扱う牧場の経営や成長促進の魔法も忘れてはいけないだろう。
おや。意外と多いというか、生活基盤である衣食住のほとんどを魔法で支えているのではないか。
「こらこら。貴族が何のために存在していると思っているんだよ」
「え、税金巻き上げる為じゃないの」
「ははは、燃やされたいようだな君は」
言うが早いかイグニスは本当に魔法陣を展開するもので、俺は速攻ですみません調子に乗りましたと頭を下げた。勿論本心ではない。俺の見てきた貴族は、ちゃんと貴族としての責任を果たしている人達ばかりだったから。
「……レクシーどうしてるかなぁ」
詩人は貴族というワードを聞いて自身の親友の姿を思い出した様で。なんだかしんみりした顔つきでボウと鍋の中を眺めていた。その様子を見て寂しいのかなと勝手に察していたのだが、ジグルベインがそこでぼそりと呟く。
(のう。ありゃ焦げとりゃせんか?)
そういえば肉の香ばしい匂いに混じり、何やら鼻を衝く臭いが漂う。
念のために洗濯の手を止め、ひょいと立ち上がって鍋の中を覗いてみた。ベーコンを焼いているようだが、白煙が
「エーニイちゃん、それ鍋の中大丈夫!?」
「確かになんか焦げ臭いかも」
「ぎゃーやっちゃったー!! ごめんなさいごめんなさい!!」
慌てて救出した厚切りのベーコンは見事に片面が炭化し真っ黒だった。
エーニイちゃんは涙目で謝ってくるが、俺もイグニスも苦笑いを浮かべるしかない。
焚火で直に調理をすると実は火加減がかなり難しいんだよね。手際が良かったから言い忘れてしまった。
「ま、まあ食べれない事はないからさ」
「ほんとすみませーん!」
(カカカのカ!)
エーニイちゃんの手作り料理はスタッフで美味しく頂きました。
そして食後、詩人は焦がした鍋を洗うからと俺たちと交代で桶を使い、焦げと格闘を始めた。
熱心にタワシでゴシゴシと鍋底を擦る姿は、まるで話しかけてくれるなと言わんばかりの圧である。俺は思わずイグニスを見るのだが、魔女はそっとしておこうと黙って首を横に振る。
「さあ。寝るには早いし君も勉強の続きをしよう。文字も大分覚えてきたみたいだし、そろそろ本の音読と行こうか」
「分かった。これ読めばいいの? ええと、『私の名前はリーナ。エボン』なんだろ」
「男爵だね」
「『エボン男爵のお屋敷で女中を務めている』」
「ぎゃー!! 止めて、それ私の作品ー!!」
本日2度目の悲鳴が上がった。