ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
待ち合わせ場所である大使館の前でぼへえと立ち尽くしていると、正午を示す3の鐘が鳴った。カロンと高く澄んだ音はマーレ教だろうか。そんな事を考えながら空を見上げていると、鐘の音の余韻が消える頃に、「あら早いのね」と後ろから声を掛けられる。
俺は少女に目礼をした後、今日はよろしくねと軽く挨拶をした。
雪女はええと頷き、早速行きましょうかと道に待たせる馬車へと向かって歩き出す。
「それにしても気合の入った格好ね。そんなに私との食事を楽しみにしてくれていたのかしら?」
冗談めいた声色だが、俺はああと自分の恰好を見やる。正装で化粧までしていればデートに気合を入れたと勘違いもされるか。ピタゴラ悲劇の説明をしても良かったのだけど、実はそうなんだよねと笑顔で肯定する。
ティアは薄緑のワンピースを着ていた。白藍の淡い髪色とも良く似合い、とても上品な雰囲気で。露出も少ないのに妙に色気を感じるのは、施された化粧か、それとも身につけられた所作か。
あまり宝石などに価値を感じない俺だが、雪女の耳元でさりげなく光るサファイアを見て、思わず綺麗なものだと感じ入る。俺の為のオシャレとは自惚れないが、ティアもイグニスと並ぶ貴族のお嬢様。彼女には何気ない装いは、けれど俺が正装で並んでも違和感が無いくらいに洗練されていた。
「二人きりでごめんなさいね。みんなにも声を掛けたのだけど、言葉を間違えてしまったようで」
今日はタルグルン湖で助けられたお礼がしたいとティアがご馳走してくれるそうだ。
普通に食事に誘えば皆集まっただろうに、お礼という言い方をした為に仲間なのだから当然だと。助けられなかったから貰えないと、誘いは断られたらしい。
少し寂しい話だとも感じるが、ティア大好き野郎のヴァンまでも断っていると聞いて、彼らにも譲れぬプライドがあるのだろうなと納得をする事にする。
「俺も貸しだとかって思ってはいないから、あんまり気にしないでね」
「私も逆の立場なら気にするなと言ったかも知れないけれど、いくら仲間でも命を救われたならキチンとお礼はしないと、私が納得出来ないのだわ」
恥知らずにはなりたくない。だからお礼くらい受け取れと言われ、真面目だなと思いながら、二人で馬車に乗り込んだ。暫く車内でガタゴトと揺られ、馬が止まったのはガラス張りの高級店が並ぶ一角だ。
上着を着て来いとは言われたが、正装で正解だったかも知れない。ここよと言われたのはそう感じる程に敷居の高そうな店だった。馬車を降りると店員さんがようこそ起こし下さいましたとお辞儀し扉を開いてくれて。
「どう、素敵なお店でしょ?」
「……わぁ高そう」
(お前さん感覚がいつまでも庶民よなぁ)
通された席は本当に素敵だった。二階のテラス席なのだけど、天幕越しの柔らかな日差しを浴びながら海の匂いの混じる風に当たるのは最高だ。景観もまた良い。歴史を感じる石造りの建物と流れる水路の組み合わせを俯瞰し眺める事が出来る。
店の一階では生演奏もしており、微かに耳に届く弦楽器をBGMに苔むした古い都市を鑑賞すれば、それだけで上流階級にでもなった気分を味わえて。こんな良い場所での食事ならば、何を食べても美味しいと感じる事が出来るのではないか。
「さあ遠慮せずに食べてしまってね」
「うん。それじゃあいただきます」
予約をしていたからか席について間もなく料理が運びこまれて来る。ランデレシアでもそうだったが、コース料理の様に一品づつでは無く、食卓を埋め尽くす様に皿が並ぶので食べる前からもう目が幸せだ。
俺は食前酒で軽く口を湿らせてから早速にメインと思わしき肉料理へと手を伸ばした。
見た目から薄々察したが、これは煮込みハンバーグだろうか。ソースに沈む丸い肉塊へナイフを当てると、プリッとした子気味良い反発がありつつ、刃を飲み込んでいく。
(あ、味はどうなんじゃ?)
「うんめー!!」
ハンバーグがある事には驚かない。ソーセージを作るのだから、むしろあって当然と言えるだろう。驚くのは手間の掛けようだった。
恐らくは合い挽き、それも複数の部位を使っている。歯応えの良い部分と溶ける程に柔らかい部分の比率が絶妙だ。それでいて肉本来の旨味も損なわず食べ応えがある。
俺は正しく料理だなと感じた。ステーキの様に素材本来の味を楽しむのも好きだが、これは一枚肉を焼いただけではけして味わえない、人間の知恵と研鑽の味覚ではないか。
「うふふ。喜んで貰えて良かったわ。イグニスから貴方は現地の物に興味があると聞いたからシュバール料理のお店にしてみたの」
「へー。これはシュバールの料理なんだね。とても手が込んでいて美味しいよ」
スープ一つを取っても出汁がとても良く出ていた。他の料理を邪魔しないあっさり仕立てなのだが、二口三口と口に運びたくなる旨さがある。なんでもワニトリを煮込んでいるらしく、鳥と爬虫類両方の旨味があるらしい。
「なんか、草原の民の食事を食べた時は結構質素に感じたんだけど、そんな事は無いんだね」
「うーん。むしろだからこそなのかも知れないわ」
草原の民の伝統食が食材を無駄無く使うのは水害で作物が駄目になり、一時は食べる物が少なかったから。それはイグニスに聞いていた話だ。ならば、美味しく食べられる様に手間を掛けた料理に発展していくのは不思議では無いと。俺はははあと人間の食への探求に改めて感心をする。
「逞しいわよね。それだけに今回の件は色々と残念だわ」
今回の件というのは、やはり特異点の扱いで起こったいざこざの事だろう。
水に浸されたこの国があるべき姿に戻る時が来たのにねと語るティアの表情は、澄ますも瞳の奥に憐憫を持っていた。
「そっか。ティアの故郷にも魔王の爪痕があったんだっけ」
「ええ、そうよ。私の所は領の問題だったけれど、やはり様々な意見があったわ。それが国規模になると、ここまで大事になってしまうのね」
本気で憂い同情する素振りを見せる雪女に、貴女の国のお姫様はもっと混乱させようとしてますよと告げ口をした。すると意外にもあっさりと、でしょうねと事態を認める発言をする。
「私だって領に不利益が被らない様に動くつもりですもの。殿下が国の利益の為に動く事の何が悪いのかしら。勿論何をしてもいいという訳ではないけれど、今ここで動けないようでは貴族失格よ」
ティアは音立てず綺麗に食事を続けながら言った。王女様は川の民の利権を狙っているのだろうと。
「川の民の利権?」
「例えば、この芋。トポティというのだけどね、ずっと前に南の方の国から運ばれて来たものだそうわ」
俺はへぇーと相槌を打ちながら、角切りにされた芋の煮つけを口に運んでみる。薩摩芋に近いのか芋にしてはかなり甘味がありホクホクとしていて美味しい。
古くは水害で畑が駄目になった頃だそうだ。食料不足に悩まされたシュバールは大量の食べ物を手に入れる必要があった。しかし混沌の死後まだ半世紀あまり。ランデレシアも国として機能し始めたばかりである。
そこでシュバールが頼ったのは船だ。エルフが育て選別した木材、ドワーフの加工技術、草原の民の建築技術により船を造り、それを川の民が操った。そう、もっと南ならば、ジグルベインの被害を受けて無い場所ならば、食料にも余分があるのではと考えた訳だ。
ティアは今回の件で川の民に貸しを作り、貿易に一枚噛ませろと割り込むつもりでは無いかと、王女の狙いを紐解いた。俺はその先見の明を素直に称賛しつつ、一つの疑問が思い浮かぶ。
「ランデレシアは空飛ぶ馬車があったよね。それなのにそんなもの必要なの?」
「必要よ。ツーくんは船という存在を舐めているわ」
船の何が凄いかって積載量が半端じゃないらしい。考えてみてと言われる。馬車を引くには馬が必要だ。ならば港に泊まる大型帆船を引くには何頭の馬、或いはそれだけの荷物を運ぶ馬車が必要かと。
そうか。船ならばどれだけ大きくても海流と風が運ぶのだ。雑に言えば浮くなら好きなだけ大きくしてもいいという事だった。
「でも、荷物を多く運ぶという事は、一艘の船が沈んだ時の被害も大きいのよね」
馬車の10倍運べれば、それだけで馬車の10倍の損失。いや船体を考えればそれ以上か。魔獣の居るこの世界ではかなりリスキーな手段とも言える。だからこそ貿易を確立しているシュバールのルートや技術、人脈を掠め取ろうと画策しているのか。
「やっぱり性格が悪い様に感じる」
「うふふ。ごめんなさいね、私もその性格が悪い女の一人だわ。悪女はお嫌い?」
「うーん。ティアじゃあ悪女と呼ぶには可愛らし過ぎるかな」
悪女と呼ぶにはうへへと笑う赤いのくらいにまでならなければね。いや、アイツは魔女か。しかしイグニスにしろティアにしろ、やはり俺とは見ているものが違うようだ。これが教育の差なのか、貴族の責務を果たすべく先を見据える人達が素直に格好いいと思える。
「やっぱり俺も頑張らないとな」
イグニスから夜会に出れる様に作法を叩き込めと言われた時は無茶なと思ったが、考えれば彼女達は当然の様に身に着けている事ではないか。華やかな貴族でいるのも楽では無いのだなと改めて思い、少しでもイグニスの役に立つ為に気合を入れ直す。
「今日は食事に誘ってくれてありがとう。なんか気分転換出来たよ」
「そう? 良く分からないけれど、お役に立てたならば嬉しいわ」
その後は少々雪女からの愚痴を聞かされたりもした。旅の生活は余りに不便だという感じの事だ。お嬢様として生活していたティアには料理や洗濯すらも未知のものだったらしい。そりゃあ身の回りの世話をしてくれる使用人も居ないしね。
けれども冒険が楽しくもあるとも聞かされて。特に宿敵だったイグニスとの生活は新鮮だった様だ。俺も話題はイグニス絡みの事が大半なので、存分に話のネタに魔女を使わせて貰った。それは楽しい食事会だった。