ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「ねえイグニス。正直に言って欲しいんだけどさぁ、怒ってるよね?」
「あ? 君は何か私に怒られる事をしたって言うのかい?」
「滅相もございません」
ティアとの食事の後、あー楽しかったとイグニスの元を訪れたら、ほうそれは良かったじゃないかと言ってくれたのに。ならその楽しい記憶を上書きしてやろうとばかりに、何故か地獄のダンスレッスンが始まったのである。
「ほら、背筋を伸ばす。はいはいはい、拍子早いぞ。今度は遅い。痛った! また足踏んだな!」
「ご、ごめ~ん!」
やはりあれだろうか。美味しい料理を食べさて貰ったのを自慢したのが悪かったのだろうか。イグニスは俺が踊った経験が無い事を知っているはずなのに、いきなり手を取り、踊れと無茶ぶりを言った。そしてかれこれ20分程罵声の嵐である。そろそろ心が折れそうだった。
「ふぅ。……とりあえず今の彼はこんな具合だ。どう思う?」
「アハハ。これは酷いわね。5歳児の方がまだ上手く踊れるんじゃないかしら」
俺のへっぽこダンスを眺めていた王女様はお腹を抱えてあひゃひゃと笑い、王女の隣に控えるイケメン執事も爽やかスマイルを若干に引き攣らせていた。そこまで酷かっただろうか。いや、酷かったんだろうなぁ。
「はいー。私の見たところ、ツカサ様は運動神経自体はけして悪くないと思うのですよ。なんというか、こう。踊りという行為そのものを理解してなさらないと言うか。まるで文明に初めて触れた猿の様な、そう猿真似という言葉がピッタリでございますね」
「くそう、なんて的確な悪口だ!」
(カカカ! 意外と言うな、この執事)
穴があったら入りたいと、床に三角座りで座り込んで俺はいじける。
王女様はそんな俺を気にも留めずにビシリと指で示して、アレは使い物になるのかと執事に問うた。人の心を持ってくれ。
「はいー。私は勿論出来る限りを尽くします。しかしながら、全てはツカサ様のやる気次第でござましょうか」
まずはお手本をお見せしましょうかと、執事のモルドさんは腰を折りレオーネ王女に手を差し出した。猛禽類の様に眼つきの鋭いお姫様は、たまには良いかと、そっと手を取り椅子から立ち上がる。
まるで室内が二人だけの空間になってしまったかの様に見つめ合い、そして一歩目からピタリと呼吸を合わせて動き出す。伴奏も無いというのに何を基準に合わせるのか。けれど二人の流麗な姿を眺めていると、不思議と音楽が流れている様な錯覚にさえ陥る。
美男と美女がゆらりと寄り添う姿は、男ながらにほぅとため息が出るほどに絵になっている。そして互いに顔しか見合わせていないというのに、肩を抱き合う距離でありながら、幾ら動こうと脚を
ペースは意外とゆっくりで、クルリクルリと器用に立場を入れ替えながら室内を回る。
あくまで優雅に、しかして情熱的で。俺には二人が踊りという行為を通して心を触れ合わせている様に感じた。
「イグニス、アレを俺にやれと!?」
「いや、流石にあれ程の動きは君に要求しないから安心なさい」
五分としない間に王女様はふぅ疲れたと止めてしまう。そして執事さんが如何でしたかと感想を求めてくるもので、俺は拍手をしながら自分が猿である事を認めた。ウッキー。
「本来は男性が先導するのが一般的なのですがね。踊りにはかなり性格が表れます。レオーネ様の手綱を握るのは軍馬より扱いが難しいのですが、イグニス様も同じくらい気難しいと忠告を」
「モルド一言多いわ。人間椅子にしてやろうかしら」
「よし、私は茶を淹れてやる。頭から飲め」
「こいつら外道かよ」
「ツカサ様ご安心下さい。我々の業界ではご褒美です」
(おお、まさかそのセリフをこっちで聞こうとはよ)
きっとレオーネ王女の付き人はこのくらいストレス耐性が無いとやってられないのではないか。イケメン執事の浮かべる強がりではない笑みを見ながら、業界が指す意味が果たして執事なのかドMなのか本気で気になる俺だった。
◆
それから俺は別室でモルドさんから個人レッスンを受ける事になる。
魔女の虐めの様な言葉責めとは違い、1から姿勢や動きを丁寧に教えてくれる。普段ならなんて親切なのだと感激した所だけど、猿でも分かるダンス講座を受けていると考えると素直に感謝する気にはなれない不思議。
「時間が無いのでまずは基礎を覚えましょうね。夜会では円舞と呼ばれる踊りが基本となります。男女の組で踊る事になるのですが、動きは勿論適当ではありません」
どうやら決められたステップがあるようで、それを組み合わせてダンスになっている様だった。まずはと簡単な物を5つ程習い、モルドさんの手拍子に合わせ動かされる。しばし部屋にはパンパンパンと3拍子の手拍子と、靴底の擦れる音しかしなくなった。
「おや、意外と覚えは早いですね。それに体力もおありだ。非常に助かります」
「ど、どうも」
丁寧という分には丁寧なのだろう。けれどけしてモルドさんの方針は優しくなさそうだった。型を覚えたら急に指摘が厳しくなる。正しい動きやポーズを体に叩き込もうというのだろう。足を揃えろだの、もっと軽快にだの何度注意されたか。
休憩や夕食などの時間は貰えたが、この日レッスンを開放されたのは深夜であった。
とりあえず10個程度のステップは踏める様になったものの、出来はお察しという奴だ。
それでもまた明日と言うのだから、本気で俺を三日で仕上げようという気概を感じる。実に迷惑な話である。
(なんじゃ、まだ寝んのか。どうせ明日も嫌というほど踊らされるだろうに)
「まぁそうなんだろうけどさ」
「イグニス様は貴方と夜会を共にするとおっしゃられました。このままでは恥をかくのはイグニス様でございますよ」今日はもう休めと言われた時に、執事は去り際、そんな台詞を置いていった。
馬鹿めと言いたくなる。俺を鍛えるくらいならば、他の誰かを連れて行った方が確実ではないか。それでもあの魔女は俺が踊れないのなんて百も承知で、俺でいいと。俺が良いと言ってくれている。
「付き合う義務は無いんだろうけど、俺のせいでイグニスが笑われるのは、ちょっとやだなぁって」
(んで、あるか。カカカ、お前さんも走り始めたら止まらぬ質よな)
「そうだね。やる事なくて退屈しているよりは、こんな練習でもやっている方が面白いや」
ジグルベインにそう返すと、魔王様は月の様な黄金色の瞳をくにゃりと歪めてこちらを見ていた。そして何を思ったのか、宙で胡坐をかいていた彼女は、床にまで降りてくるとそっと手を伸ばしてくる。
「なに?」
(ええい、察しが悪いのう。練習するなら儂が相手をしてやると言っておるのだ)
照れ臭いのかガーと吠えるジグ。いや、お前も踊れないだろうと俺は胡乱な瞳で見返した。それはラルキルド領で確認済みなのだ。しかしなんと魔王様。俺がレッスンを受けている時にコッソリ一緒に習っていたそうだ。自分の事に忙しくてちっとも気付かなかった。
「それじゃあ一曲どうですか、お嬢さん」
(うむ。大変に気分が良い。一曲と言わず朝まで付き合ってやろうぞ)
「それ俺が死んじゃうー!!」
では早速と、習ったステップの通りに一歩踏み出すと、ジグルベインも合わせて一歩下がる。そうか、鏡合わせに動くのだから当然女性は男と逆の動きになるのだ。動きがしっかり反転している所見ると、ジグは最初から俺と踊る為に覚えてくれたのかも知れない。
「あっ、ジグ今間違えたろ」
(なんの事だかサッパリ分からん)
「ジグ早い。絶対お前の動き早い」
(儂だけのせいにするでない。お前さんが遅いのだ!)
きっと、俺達の初ダンスは経験者から見れば失笑ものだったに違いない。けれどもなんとか成り立つのはジグルベインが霊体だからだ。足を踏む事も踏まれる事も無い。触れないのだから。
だからこそ、俺達は月明かりの中で顔を近づけ踊りに明け暮れる。いつまでもクルクルと回り続ける。
社交ダンスなんて気取ったものは良く分からないけれど、ジグルベインのお陰で踊りというものを少しは理解出来た気がした。ダンスは動物でさえ行う身体表現だ。言葉が無くとも伝わるコミュニケーションなのだ。
動きが感情が相手から伝わる。相手に伝える。そして徐々に呼吸が合わさり意思が一致した時の気持ち良さときたら堪らない。二人で行う共同作業が楽しくて、この日はついつい日の昇るまで魔王と遊んでいた。