ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
朝の鍛錬の時間は今や勇者一行の集う貴重な場となっていた。
同じ建物に住んでいるから何時でも会えはするのだけど、それぞれ行動指針が違うので意識をしなければ顔を合わせる機会が減っているのだ。
「へーツカサくんは夜会に出る為に踊りの練習してるんだ。こっちは昨日フェヌア教の教会に行ったんだけど大変だったよ。カノンがいきなり殴り合いを始めちゃって」
「やだ人を狂犬みたいに。あれウチの正式な儀式ですから」
勇者の語る回想に俺はええと若干に引く。なんでもフェヌア教同士の“挨拶”が殴り合いらしい。己が如何に
「まぁ甲斐あってカノンは素晴らしい教徒だって受け入れられていたけど、マーレ教やダングス教に顔を出すのがちょっと憂鬱な私です」
「が、頑張ってフィーネちゃん。今度、俺で良かったら息抜きに付き合うからさ」
「言ったね。絶対だからね!?」
カノンさんにも勇者を遊びに誘ってやれと言われているので約束すると頷いた。
フィーネちゃんとカノンさんは、この国の歴史を見聞きしつつ、更にもうひとつ調べ事があるらしかった。
(勇者ファルス……か)
ジグルベインを倒したとされる伝説の勇者の足跡だった。俺はフィーネちゃんの考えに成程と唸らされる。水精ウィンデーネの加護を持て余す彼女だが、そうだ加護を得た前例が居るではないか。
それも、かの偉大な男は1つどころか4大精霊全ての加護を身に宿していたのだ。同じ道のりを歩み始めた勇者としては参考になる事は多いだろう。
(奴の戦闘法くらいならいくらでも教えてやれるが?)
呟くジグに俺は怪しまれない程度にゆっくりと首を横に振る。それは俺が知っていてはいけない知識だったからだ。けれども、その言葉を受けてピコーンと閃きが起こる。
「フィーネちゃん。シエルさんに手紙を出してみるのはどう? あの人なら直に勇者ファルスと会った事もあるんじゃないかな」
「そっか【黒妖】か。確かに混沌の幹部だった人なら戦ってるよね。うわーこんな事ならラルキルドに居る時に聞いておくんだったよー」
頭を抱え身をくねらせる金髪の少女。俺はその様子を見てフフッと親近感が沸き起こる。
剣を持って戦う姿はなんとも勇ましいけれど、そんな彼女も悩み後悔する普通の人間なのだった。
「おい。楽しく話してるとこ悪いけど、俺は用事あるからもう帰るぜ」
「あらそう。随分朝早くから動くのね。ヴァンの用事って事は、ティアも一緒?」
「ええ。むしろヴァンくんは私の用事に付いてきてくれるのだわ。今日はウェントゥス領から来てる貴族と約束をしていて」
ティアとヴァンのコンビも早速に動き出している様であった。ティアはシュバール側の貴族とまだ連絡がつかないので自らの足場を固めに行く様だ。具体的には領の取引枠の相談をしてくるのだと言う。
ウェントゥス領はラメールと貿易をしていると言っていた。食事の時に船の輸送能力の話を聞いたけれど、つまり領主の娘が気に掛けるだけ大口の取引先という事なのだろう。
俺はティアにも頑張ってねと応援をすると雪女はええと澄まし顔で頷き。何を考えたのか少し間を置いてから貴方もねと声援を貰った。
「さ、じゃあ私は汗流してくるわ」
「私もー。またねツカサくん」
「うん、またねー」
俺はカノンさんとフィーネちゃんを手を振って見送る。そして二人の背が建物に消えた頃に俺は視線を地面に落とす。
「……イグニス、そろそろ動ける?」
「無理だ。でも、限界を超えるって気持ち良いもんだね」
そこには赤髪の少女が表情だけはキリリとし転がっている。ただし身体の方は車に轢かれたカエルの様なポーズだ。僧侶に肉体を虐めぬかれ、もはやピクリとも動けない運動不足の魔女が居た。
俺は動けないと言うイグニスを仕方ないなぁとお姫様抱っこして部屋にまで運んで上げる。そしてその足でモルドさんの待つ練習場に向かった。
◆
今日はなんとダンスの練習にパートナー役と楽師の人まで呼ばれていた。俺なんかに付き合わせてすみませんと思うも、貴族は家庭教師として人を雇うのが普通だそうな。お金だ。お金は全てを解決するのである。
イケメン執事は昨日の復習から行こうとパパンと手を叩く。すると張りがあるも柔らかな音が弦楽器から奏でられて。パートナーである厳つい顔のおばちゃんがお手並み拝見とばかりに開始の姿勢を取り、俺はいざと一歩を踏み出した。
「これは驚きましたね。たった一晩でここまで変わりますとは」
軽く一曲を流し、俺はフッと笑みを浮かべ勝利を確信する。何せ復習の範囲はジグルベイン相手にかなり踊りこんだからだ。ざっとこんなもんよとドヤ顔を披露すると、全然ダメだとおばちゃんに頭を叩かれた。ばかにゃ。
「ええ、嘘でしょ!? なんでー!?」
「はいー。まぁ一晩でかなり上達はしてると思います。どうやったのか、踊りにも艶が出ましたね。相方の女性の事を考えた動きが出来ておりました」
ならば何故と駄目な理由を聞くと、執事は笑みを深めて詰め寄ってくる。指導者も無しに練習したなと。どうやら素人二人で踊りまくったせいで、動きに変な癖が付いてしまった様だった。
「ふん。でも生意気に踊りの本質は捉えてるね。少し矯正すれば、そこそこは映えるかもだ」
「はいー。ではよろしくお願いします、イラール先生」
どうやら、ほうれい線の目立つ殺し屋の様な顔のおばちゃんはダンスの高名な指導者らしかった。流石は王族、他国でも色々と伝手があるものだ。感心もそこそこに、時間が無いからと詰め込み授業が始まった。
執事は俺を置いてさっさと逃げた。あの野郎がと恨みの言葉を吐く間も無く、顔の怖いおばちゃんは俺の手を取りながら違う違う違うと絶叫する。たまに上手く決まると眉間に皺を寄せたまま良いじゃないかと言ってくれるのだけど、9割は罵倒の言葉である。
「死ぬ。死んでしまう!」
「安心しな坊主、踊りで死んだ奴はまだ見た事無いねー」
「ひー、この鬼ババー!!」
「だーれが鬼ババじゃあー!!」
二時間くらいは経ったか、姿勢を型をリズムを注意され、挙句には表情までもが怒られるのだから、もう何が気に食わないのだと、ほとほとに心身が疲れ果てて居た。そんな時にコンコンと控えめに練習室の扉がノックされる。
「すみませーん。お茶をご用意したのですがー」
「いいよ、入りな!」
カラカラとカートを押しながら部屋に入って来たのはドジ子さんであった。
やはり本職。手早く茶器を並べると注がれるお湯からなんとも香ばしい匂いが室内に広がっていく。この香りには覚えがあった。以前アトミス邸でも淹れて貰ったカフワという珈琲だ。
「ツカサ様はカフワがお好きだとお聞きしたので。どうぞー」
「わーい。ありがとうございますー」
バ、イラール先生からも休憩の許可を取り、俺はありがたく珈琲を頂く。
久しぶりに味わうカフワは相変わらずに芳醇な香りで、なにより俺の為に用意されたという優しさが心に染み渡る様だった。
「ツカサ様。踊りの練習をなされているという事は、近々舞踏会にご参加なさるのですか?」
「はい、そうなんですよ。こういうの初めてなんで、ちょっと緊張してます」
「まぁ社交会は初めてなのですね。それは素敵な場所でしてよ」
ドジ子さんが少し社交の事を教えてくれた。なにも俺が習う踊りだけでなく、みんなでご飯を食べたり、お酒を飲んだり、中には遊戯をしたりと、社交界というのは幅広いパーティーがあるのだそうだ。貴族の部活動や愛好会の様なもなのかと察する。
中でも花形とされるのが、舞踏会。
メイドさん曰く、紳士淑女もこの日ばかりは積極的に異性を誘えて触れ合えるドキドキのイベントなのだとか。
「私も学生時代は憧れの殿方にお近づきになる為に参加したものですわ」
キャッと頬を赤らめ告白するドジ子さん。可愛い。
まぁそれは置いといて、貴族同士の出会いの場であるという一面は確かにあるのだろう。
美人さんに踊りを求められたらと考えると、ムフフ。なるほど素敵な場所だ。
(鼻の下伸びとるぞ、この助平が)
俄然やる気の湧いて来た俺は、ババアの休憩は終わりだという言葉にオッスと力強く返す。では頑張って下さいねと去っていくメイドさんにありがとうとお礼の言葉を投げると、いえいえと振り向いて転倒した。
「だ、大丈夫ですか?」
「うう、ごめんなさいー」
今回は誰にも被害は無い。強いて言うならドジ子さん本人か。
ロングスカートが捲れて太ももまで大きく露出していた。俺は紳士なので勿論凝視などしていないが、ほうガーターベルトとは良いものだなと新たな扉を叩く音がした。
「ほらほら。どの動作も全て同じ時間内に収めるんだ。身体に基本の拍子を叩き込みな!」
「はい!」
ワン・ツー・スリー。ワン・ツー・スリー。テンポは崩さず正確に。
単調な動作、複雑な動作あれど、拍子だけは変わらない。
「指先にまで神経を張り巡らせろ。おめえ
「あります! 関節はありまーす!!」
顎引き胸張り背を反らし、立ち姿から美しく。ステップは猫の様にしなやかに軽やかに、けれども手足はピンと伸ばして格好良く。メリハリだ。動きにはメリハリが必要なのだ。
「笑顔だ笑顔! 余裕を忘れるんじゃないよ、それは相方に不安を与える!」
「に、ニコ!」
「気持ち悪い笑顔だね!」
「それただの悪口じゃん!」
なによりも、表情は笑顔で楽しむ事を忘れずに。踊りは二人で行い感情が伝わる。ならば不安や緊張なども伝わってしまうからと。先生はそう仰った。
「はぁ……はぁ……。先生、今日までありがとうございました」
「ふん。鼻垂れ坊主の癖に根性だけは見せたじゃないか。頑張ってきなよ、ツカサ」
「せんせ~!!」
(茶番じゃな)
それから二日。俺は鬼ババアのスパルタ教育に耐え抜き、夜会本番の日を迎える。