ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「流石にちょっと疲れたのだわ」
「そうか。頑張ったもんなティアは」
帰りの馬車の中、これまで気丈に振舞って来たティアがポツリと溢した。労うくらしか出来ない俺はお疲れ様と声を掛け、ひと段落したのだし明日はゆっくりしようぜと持ち掛ける。
「ならヴァン君。久しぶりの休日は期待してしまってもいいのかしら」
「あ~そりゃまぁ」
黄色い瞳を悪戯猫の様に輝かせる少女。俺はその視線を受け、気恥ずかしさを感じながらも「どこでも行きたい所に連れてくよ」と逢引の約束を取り付けた。
ティアは知っていたとばかりにうふふと笑い肩に頭を置いてくる。顔が一気に熱くなる。まるで掌の上で弄ばれている様だと感じた。
けれどこれが惚れた弱みという奴か。彼女の体温と甘い香水の匂いに思考はすっかり溶かされて、喜んでくれるならばそれで良いと思ってしまう。
スティーリア・ウェントゥスとの出会いは貴族院の時代に遡る。
騎士団長である親父の期待を一身に受けた俺は剣に一筋で。正直恋愛なんかに現を抜かす輩を冷めた目でいた。
貴族院や社交界が出会いの場というのは分かるのだが、遊んでいて人の事を天才扱いは無いだろうと。俺はお前等の何倍も剣を振っている。せめて同じだけの努力をしろよと常々に思っていた。
まして俺の知る女はフィーネやイグニスの様に弱音も吐かず努力し続ける向上心の塊の様な奴らばかりだったからか。己の女を武器に甘えた声で近づいてくるか弱い女の子という生物がどうにも苦手だったのだ。
「どうだよ。ティアはイグニスと上手く付き合えそうか?」
「こんな時にあの子の名前を出さないで頂戴。一緒に行動して再認識したけれど、性格がとても悪いわ。最悪だわ」
「ああ、そりゃちげえねえ」
同時に手腕を認めるからこそティアは唇をつんと尖らせた。悔しさと負けん気に溢れる声である。俺はその声に薄っすらと唇が吊り上がる。
魔法科を主席で卒業した彼女は、つまり同学年では最高の魔法使いという事だ。
俺が入学した当初、あの赤髪の女が主席では無いという事にえらく驚愕したものだが、事情を知ればなんて事はない。アイツはそもそも魔法科でも無ければ、授業にすら碌に出席していなかった。
なのでイグニス・エルツィオーネの実力も知らず主席と威張るティアを見たときは滑稽とすら思ったものだ。それからもティアが天才と呼ばれるのを見た事は無い。人を寄せ付けぬ程の才能も、人には思いつかぬ奇抜な発想も彼女は持たない。
だが翌年も彼女は主席を取った。その翌年も、更に翌年も。結果として見れば在学中の5年間全てを最優で通して見せたのだ。
天才なにするものぞ。凡人には凡人なりの意地がある。努力だ継続だ。追う背がいくら遠かろうと、立ち止まった時点で差は開く一方ではないか。彼女は地道に勤勉にコツコツと努力を積み上げ続け、イグニスの座らぬ席に座り続けた。
俺はティアのその姿勢にすっかり惚れ込んだ。あるいはそれは自慰に近く、同学年で敵無しと言われながらフィーネに苦杯を喫する俺が、似たように大きな物に挑み続ける彼女に情を移しただけなのかも知れないけれど。
ともかく俺は努力を知り自分の出来る事に全力で取り組むスティーリアという少女をたまらなく好きになってしまった。勇者一行である内は結婚も出来ないので、旅立つ前に婚約は申し込んだのだが、今はその彼女も勇者一行とは分からないものである。
それに関しては、旅に出ている間に他の男に取られなくて良かったと前向きに考えるしかないだろう。
「でも今回はイグニスと殿下のおかげね。正直言ってあの二人は頭おかしいわ」
「ま、作戦はな。けどあの二人がティアにしか出来ないってぶん投げて、ちゃんと全うしたんだからティアも大したもんだと思うぜ」
俺たちの立場なんて所詮は少し良家の坊ちゃん嬢ちゃんだ。爵位を持つ貴族や、その家を任される婦人というのは当然に強かで、交渉や取引となれば大人というのは無駄に人生経験を積んでいないのだと思わされる。
そこで生きるのが勇者派という看板だった。これは勇者一行というただの腰巾着から勇者への、ランデレシア王国への窓口へと身分を偽る。そうなればティアはシュバール国と隣接するウェントゥス領の娘という剣を存分に振り回せるのだ。
それでも遠回しな嫌味や子供扱いの舐めた態度な奴は少なからず居るので俺もティアも疲弊をしている訳であるが。
「あとは土産も効いたか」
「そうね。魔王殺しなんて酒の実物があれば、ドワーフは無視出来るはずないものね」
そのルコールという果実をウェントゥス領で生産しているのも大きかった。まあ長期熟成が必要な果物の受注が増えた所で儲けるのは難しいだろう。木になる以上回転効率は最悪なので利益を出そうとしたら、一つで金貨が何枚も消える事になる。
「結局、果樹園作んのか?」
「多少増やしてと父さまにお願いはしてみるわ。ちょうど特異点の跡の土地が遊んでいるはずだし」
むしろ少数の方が価値が吊り上がるだろうと頭の中で計算機を弾く少女は、それこそイグニスの様に黒い笑みを浮かべた。
今回交渉役として選ばれたティアは、王家から潤沢な資金と交渉材料になるルコールや光の魔道具などの扱いを一任されている。更にはウェントゥスという家名を使い、シュバールで築き上げた人脈を最大限に活かしていた。
成果は上々と言った所か。気難しいと評判の職人気質なドワーフもイグニスが打ち解けた甲斐あり、拍子抜けするほどあっさり面会が叶った。商談に入ってしまえば、光苔の便利さに即落ちだ。
「遭難した経験というのも生きるものよね。絶対に欲しがると思ったのだわ」
「……」
言わないが目を付けたのはイグニスだし、量産体制を整えたのもイグニスだ。わざわざラウトゥーラの森底から採るのではなく、七色苔というのを魔力で染める方法があるのだとか。要するに光る苔を培養する事が出来るのだ。
「エルフ、草原の民、川の民に海の民。ほとんどの勢力と渡りは付けたわ。後はあの子の手腕を拝見といったところかしら」
「ああ。可哀そうなのは巻き込まれるツカサだが、まぁアイツはやる時はやる男さ」
「ふふ、ヴァン君には珍しく随分買ってるわよね。一緒に居ると良い人というのは分かるけれど」
ティアの台詞にはっと笑いが出る。確かにツカサは弱気で善良な一般市民代表みたいな男だけど、何度倒そうと次は負けないと立ち上がる不屈の心を持ち合わせている。今の俺はフィーネに勝つという目標の次に、ツカサに負けないという志が出来たおかげで一層に強くなれた気がする。絶対に本人には言わないが。
「まぁ頑張れとしか言えねぇよな」
イグニスはモア祭という催しを開催するつもりだった。なんでも英雄モアとかいう名前も顔も知らぬ英雄を称えるものの様で、言ってしまえば仮面舞踏会の様に被り物をしてその日は顔も名前も捨てるというのだ。
季節外れではあるが、なんていう妙案だろう。政権争いでピリピリしてる連中を一か所の会場に呼び込むにはこれしかないという最適解にすら思えた。
「誰があの性悪女の餌食になるかねぇ」
これならばあくまで勇者派の活動の範囲内。ナハル王子との政権争いの邪魔をしないという約束に違えない。こちらの目標は、その裏に居る奴を引きずり出す事だ。
居るらしい。国王すらも特異点の破壊を願う中で、特異点の存続を狙う勢力が。散々邪魔をしてくれたな。タルグルント湖でティア達を失った時の事を思い出し、ようやくお返しが出来そうだと手に力が入る。
「あら、着いたみたいね。はぁ今日はぐっすりと寝れそうだわ」
「そうするといいさ。さ、お手をどうぞ」
ありがとうと手を添えてくるティア。カカンと階段をややお転婆に早降りて、そのまま大使館まで付き添おうとした所で、「よう」と雑な挨拶をされた。疲れたと顔に書いてある弱気で善良な一般市民代表が居た。