ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~   作:雨居神宮

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255 夜の終わりに

 

 

 レオーネ王女に直談判した事でドジ子さんの件は無事収まる。

 けれども王女は、こちらは許せぬとばかりにアナタ見苦しいわと宣った。俺は突然に浴びせらる罵倒に唖然としてしまう。

 

「君、自分の恰好を考えような」

 

「あ、ああ。そういう意味か」

 

 てっきり頭が高い的な意味かと思ったのだけどイグニスのフォローで察する。たぶん本当に見た目が不快なのだろう。

 

 それもこれも王女の執事が原因なのではあるが、今の俺は服が土に塗れてヨレヨレ、顔には青たんこぶまで作っている。とても舞踏会の様なフォーマルな場にはそぐわず、周囲からも何事かと視線を集めてしまっていた。

 

「ちょっと治療がてらツカサを着替えさせてくる」

 

「え、なんでイグニスなの。カノンさんを呼んでよ」

 

 さあいくぞと腕を引っ張る魔女に僧侶を呼んでおくれと頼むのだけど、このくらいなら自分で十分だと押し切られる。

 

 場に王女と残されるドジ子さんは、私はどうしたらいいのかと狼狽するも「貴方はなんか臭いわね」とコチラも追い払われていた。そんな恨みがましい目で見られても悪いのは俺じゃないんだなぁ。

 

 

 大使館と違い衣装室があるわけでもないので使用人用の予備の服を借りる事になった。せっかく気合を入れて真っ赤なロングコートを着て来たのに残念である。まぁ役目は果たしたし舞踏会もそろそろ終わりなので構わないが。

 

「しかし君は本当によく怪我をするね」

 

「俺も好きで痛い思いしてるわけじゃないんだけどね。だから熱いのはやめよ?」

 

「よし、希望通りに熱いの行っとこうか」

 

 魔女の右手が左頬をそっと撫でるとぼうと青白い炎が焚かれる。回復魔法のくせに炎属性を持っているこの魔法は患部を癒しつつ絶妙に熱まで伝えて来るのだ。イグニス渾身の嫌がらせに俺はあつつと身を捩った。

 

 狭い更衣室に女の子と二人きり。まるでフィーネちゃんの危惧していたイケナイ状況なのだけど全然嬉しくないのは何故だろう。

 

「他は怪我してないのかい?」

 

「お腹も殴られたんだけど、こっちはまぁ服で隠れるし」

 

 活性を使っていれば明日には治るだろうと治療を遠慮したら、見せなさいとチョップを食らう。それじゃ悪いねとシャツのボタンを外しお腹を曝け出した。

 

 一瞬僅かに息を呑む赤髪の少女。どうしたのかと怪我の様子を見ると、これが中々に痛々しい痕跡だった。へその辺りが拳大に黒く変色してしまっているのである。魔力防御の上からでも身悶えるはずだ。

 

「あのさ。レオーネがご褒美と言っていたけど、私も一応用意はしたんだ」

 

 腹の怪我を治療中、合間にイグニスがそう話を切り出した。俺としてはディオンの事やらを少し話たかったのだけど、とりあえず「ほう」と相槌を打つ。くれる物は貰わないとね。

 

 なんでも今度ドワーフの飲み会に参加させて貰うのだとか。なんでそれがご褒美なのだと疑問に思うが話には続きがあり。

 

「友達を誘う約束もした。だから国中の酒を集めとけって言ってやったよ」

 

「それって……」

 

(まさかの儂へのご褒美であるか。偶には良いことするな火炎娘! カカカのカ)

 

 カードゲームではジグルベインにも協力して貰ったからだろう。ちゃんと報酬を用意してくれたようだ。これは普段酒盛りを指を咥えて眺めているだけの魔王には嬉しくないはずがない。

 

 最高の気遣いにありがとうねとお礼を言うと、「ああうん」と素っ気ない返事が返ってきて。君にはと、すうっと仮面を付けた少女の顔が近づいてくる。

 

「?」

 

「……っ!!」

 

 吐息が掛かる距離にまで顔が近づくのだが、そこから魔女は微動だにしなかった。どういう意図なのだろうと首を傾げながら仮面の奥の瞳を覗き込む。

 

 赤い瞳は若干に潤んでいてルビーの様に煌めいている。そして覚悟を決めた様に、都合の悪い現実を見ない様に、赤は瞼に閉ざされて。察しろよとばかりに紅で彩られた唇が僅かに伸ばされた。

 

 これはそういう事なのだろうか。キスを、口付けをせがまれているというのだろうか

。イグニスが見せる突然の女に、男としての本能がぐつぐつと煮えたぎるのを感じる。

 

 これでも顔だけは良い女だ。そんな美人がさあと誘っていて。何よりも普段はお堅い彼女が俺にだけ隙を許してくれたのが嬉しくて。イグニスの細い腰を両手でぎゅっと抱きしめる。そして目を閉じ、いざと口元をタコの伸ばした。

 

 ふにょりと唇に柔らかいものが当たった。温かくて張りがある。それでも初キスでもハッキリと分かる違和感に目を開ければ、赤髪の少女は顔の前に手を差し込み遮る様に壁を作っていた。

 

「まぁ、こんな事だろうとは思った」

 

(奇遇よな。何故だか儂も絶対に成功しないという確信があったわ)

 

「……すまない。私はどうやら、ノリとか雰囲気でこういう事は出来ないようだ」

 

 貴族育ちの貞操観念というやつだろう。必要なのは勢いではなく手続きなのだ。イグニスを自分の物にするには然るべき手順で婚姻を申し込み了承を得る必要がある。お父さんに向かいお嬢さんを俺に下さいと言わなければいけない。……なんか簡単にいいよって言われそうだな。

 

 今はこれが精一杯だと、手の甲越しに唇を当てたイグニス。俺はちょっぴり残念な気持ちを残しながら、急にどうしたのと、らしくない行動の理由を問う。

 

「君は、たまに途轍もなく寂しそうに笑う。最近少し増えた気がした」

 

 イグニスが口にするのは俺の郷愁の思い。この国で米に出会い、スク水を見つけた。同じ日本人転移者すら居る可能性が見せた。それはとても良い事だけど言いながら、魔女は赤い眼で俺の眼を覗きながら告げた。

 

「帰れない可能性を考えた事はあるかい?」

 

「そりゃあ……あるよ……」

 

(お前さん……)

 

 俺があえて考えない様にしていた事だった。目を背け続けて来た事だった。一歩進んでいるのだ順調なのだと誤魔化し続けて来た事だった。

 

「そうだろうね。だからさ、安心して欲しかった。旅の果てに君の手が何も掴めなかろうと、私は最後まで隣に居るつもりだよって」

 

「暖かいね、イグニスは」

 

 俺は腰を抱く手に力を籠める。この少女はこの世界で俺の帰る場所になってくれようとしていたのだ。

 

 与えてくれた優しさに鼻頭がツンとする。日本に戻れたならばいい。戻れなくても、イグニスのところに帰ればいい。そう考えれば俺の冒険は失敗をする事が無くなる。だから心配せずに何処までも行けと応援してくれているのだ。

 

「まぁ、なんだ。君にその気があるのなら、駄目だった時は私の所に来なさい。それが今の私に出来る、精一杯だ」

 

「うん。ありがとう」

 

(エルツィオーネなんぞに言うのは悔しいが、良い友を持ったようだの)

 

 本当にその通りだ。イグニス相手だと俺は弱みを遠慮なく晒せるので、その無防備さが余計に心配を掛けていたという事なのだろう。

 

「ええい、そろそろ放しなさい。こんな所を誰かに見られたらどう言い訳をするんだ!」

 

「いや、風紀を乱そうとしたのはイグニスだからね」

 

「うるさい! 忘れろ!」

 

 結局ご褒美は受け取れなかったのだけど、世にも珍しいデレニスちゃんが見れた。これ以上を望むのは罰当たりというものだろう。

 

 

 更衣室からバーンと飛び出ると、ちょうど目の前を通りかかったメイドさんが警戒心を露わにずずりと半歩下がった。イグニスなんかは一緒に居たく無いと一人で先に会場に向かってしまったのだけど、もしかしてあれは照れ隠しではなく本心だったのだろうか。

 

「ねえジグ、そんなに変かな?」

 

(カカカ。紳士的ではあると思うぞ。変態紳士的な意味で)

 

 俺は今、ずた袋に目の位置だけ穴を開けて被っている。仮面を割られてしまったのだけど替えが無かったのだ。なので顔を隠せればいいのだろうとこの様な手段を取った。

 

 いや、鏡を見て自分でもちょっと無いかなとは思ったよ。だってどう見ても銀行強盗、あるいは20世紀なともだちだもん。

 

「まぁ旅の恥は掻き捨てというし」

 

 むしろ完全に顔を隠しているので、これなら勇者一行とて俺だと認識出来ない事だろう。正体がバレないというのはちょっとした無敵モードというか、蔑みの視線も痛くないものだ。

 

「そこの素敵なお嬢さん、どうか私と一曲踊っていただけませんか」

 

「いや、私はそういうのいいから」

 

「まぁまぁそう固い事言わないで」

 

「ちょっ、強引ねもう!」

 

 俺がターゲットに選んだのは壁を飾り続ける僧侶であった。ちょうど最後の曲だと言うし、無理やり手を取り舞台に上がる。カノンさーん、おどりましょー。

 

「私、踊れないわよ」

 

「大丈夫ですって」

 

 踊りは一応男性がリードするものだ。手を引いたりしてこっちに行きますよと、女性を誘導するのである。でなければ舞踏会の様に即興の組み合わせではまともに踊れない。俺もまだ下手っぴだけど、戸惑う僧侶をこっちこっちと振り回す。

 

 周囲からはヘタクソ同士が踊っていると思われるかもしれないが、それこそ仮面舞踏会の良いところ。顔を隠しているのだから、デビューするにはピッタリの舞台だろう。

 

「あ、終わっちゃった。ふふ、どうでした?」

 

「ふー。もうやんない。絶対やんない」

 

 でもありがとうねツカサとお礼を言われた。ありゃバレてたか。せっかくの舞踏会で見てるだけはつまらないもんね。相手が覆面で悪いが誘わせて頂きました。

 

 部屋に響く楽曲の余韻が消える頃、再びに拡声器を持った王女が終わりの挨拶を初めて。こうして楽しくも長い夜にようやく終わりを告げる。

 

 

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