ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
キトは胸元の傷より血を掬い、ペロリと舐めては楽しくて仕方がないと笑顔を深めた。
しかしその笑う感情とは裏腹に気配は鬼気迫る。勇者一行はやっと自分を害する敵であると認識されたのだ。
鋭い眼光から放たれる圧力は、それだけで呪いでも掛けたかのように手足を重くし呼吸を狭める。なんという存在感だ。奴から滾る魔力が熱を持ち、肌をヒリヒリと焼いている様にすら感じた。
或いはこれが生存本能か。鬼の剥き出しの敵意の前に、本能が頼むから逃げてくれよと警鐘を打っている。スタンピードを起こした魔獣の気持ちが良く分かった。これは逃げ狂いたくもなるものだ。
だからどうした。俺は黒剣を握りしめ、立ち向かうべく腰を落とす。こちとら魔王仕込みだ。恐怖なんてカカカと笑い飛ばせ。
「ま、待って。貴方達、本気でアレに挑もうと言うの?」
「ティア……」
死んでしまうわよと、黄色い瞳に涙を浮かべる雪女。腰が抜けたか力無く地面にしゃがみ込み、震える声で死地に向かう仲間を止めようとしていた。
「あんなの万全の状態でも勝てやしないのに、今はみんな立っているのが不思議なくらいなのよ……!!」
「ああ。けど五体は満足、心も燃えてる。なら今が絶好調だ。泣き言言っても相手は同情なんかしてくれねぇんだよ」
ヴァンは振り返りもせずに冷たく告げる。これは修羅場を潜った差なのだろう。シエルさんに出会い同じ様に震え固まった少年は、今度は逃げぬと両手から剣を手放さない。
俺は両方の気持ちが分かるので、せめて「負けないさ」と強がりを口にして振り向くのを最後にした。カノンさんからよく言ったと背中にビンタをされると同時、「来るよ」とフィーネちゃんの声が届く。
「あ、よいしょ、っとー!!」
鬼は勇者が切り崩した家々の上で相撲の四股の様な動作を取った。するとどうだ、強く大地を踏みしめた衝撃で瓦礫の山がブワリと浮いた。その中でやおらに拳を振りかぶるキト。まさかと思いそれは実行される。
「はは。ふざけた野郎だ」
拳の圧により瓦礫が礫となって飛んできた。魔法使いの面目丸潰れの物理魔法である。レンガが石が木材が。纏めて大砲に詰め込まれ放たれたかのような豪快な一撃。これを避けるのは大変そうだ。
だが、既に迎撃に走る赤い一閃。これが本当の魔法だとばかりに火砲が放たれ、火炎の渦が飛来物を蹴散らしながらに赤鬼を飲み込んだ。
「しょぼい火だぜ。こんなんじゃあ夏の日差しのほうが余程熱いな!」
「言いやがったな。よし、ぶっ殺す」
火力不足の指摘はイグニスの琴線に触れたようだ。背後からメラメラと熱い闘志を感じた。やる気があるのはいいが、せめて巻き込まないでくれと思いながら俺は駆け出す。
「おらぁ、その首叩き落としてやらぁ!!」
一番槍は勇者一行の切込み隊長ヴァン。出だしは全員同時だったにかかわらず風纏う脚は誰よりも早く戦場を駆け抜ける。打ち合いは勝てないと判断したのか、機動力を生かし一撃離脱戦法を取っていた。
幾度と打ち付ける刃。しかし自然体の時ですら斬れなかった剣は、戦闘モードに入った鬼人にはよそ風も同じか。
「っ!! ああ、コバエがうざってえなぁ」
やがて剣士が狙ったのは眼球である。足、腕、胴と刃に無防備に体を晒し打ち付けさせていた男が目に放たれたる突きには回避行動を取ったのだ。
キトは駆け回るヴァンにハエ叩きでも振り回すかの様に拳を振るう。一撃二撃となんとか避けては見せたが、雑ながらに素早い攻撃はとうとうヴァンを捉えようとして。
「相手は一人じゃないぞ、キト!」
「忘れちゃいねえさ、安心しろい」
勇者の斬撃が鬼の腕を払った。少年剣士は当たらなかった事に安堵を見せつつ、なんとか勇者に加勢しようと二刀を振るう。
凄いのはフィーネちゃんだ。防戦一方ながらにキトの攻撃に対応をしていた。絶界という体内で魔力を属性変化させる技術と、破限という身体強化で魔法を扱う技術の合わせ技。
その名も【破限・絶界】。水が刃に盾にと姿を変えて、迫る鬼の爪から身を守っているのである。
「すげえな」
鬼を倒すと啖呵を切っただけの事はある。技術もさる事ながら、感嘆するのはその戦いぶり。もはやロクに体力はあるまいに普段より動きに一層のキレを感じるのである。
優勢。そんな言葉が脳裏に過り自らに否定する。あれはどちらかと言えば蝋燭が見せる最後の煌めき。命を燃やし、全力を絞り出すからこその力だ。長続きなんてする訳が無い。
それが分かっているからこそ、俺達は勇者を守れと同じ様に魂燃やす。
「うおお!!」
フィーネちゃんに向かう攻撃を少しでも減らそうと剣を振るうが、本気になったキトはやはり堅い。こっちはもう闘気の出力で身体が自壊しそうだというのに、薄皮を切り裂くのがせいぜいである。
もはや生き物ではなく戦車とでも戦っている様な気持ちになった。それでも囲んで叩けば少しは鬱陶しいようで、ヴァンは宙で足を掴まれると、「やめ」と悲鳴空しく地面の瓦礫に叩き込まれた。
「ヴァン!!」
「ふぅ。やっと目障りなのが消えたな」
その一瞬の隙を付きカノンさんは敵の懐に飛び込む。右手は緑光に輝き、荒ぶる鬼とは正反対に心静かに拳を構えていた。
繰り出すのは意外にもシンプルな正拳突きだ。キトは圧倒的な身体能力の自分に無手で挑む僧侶を気に入ったのか、面白いと拳に拳を合わせた。
「くそっ。何をしやがったこの女」
一体何があったのか。カノンさんの打撃を上回ってみせた鬼は、勝れど気持ち悪いと彼女を蹴飛ばす。ぐしゃりと耳に障る音を残し、カノンさんは身体をくの字に曲げて吹き飛んだ。心配ではあるが、恐らく何かを残した。ならば無駄にしまいと俺が続く。
「暴力を――見せてやるよ!!」
生憎俺にはまだ必殺技が無いもので、限界以上に闘気に魔力を回しただ滅多打つ。時折黒剣は浅く傷を付けるも、こんなの猫に引掻かれた方がまだ効きそうか。
「そんなんで暴力なんて笑わせるんじゃねぇ!」
これが本当の暴力だと言わんばかりに爪が振るわれる。四指はさくりと、まるで豆腐でも相手にしているように俺の脇腹を抜けた。傷口からは炎が廻り、少し遅れて地獄の痛みに脳を支配される。
「だからどうしたー!!」
歯を食いしばり破れかぶれの一撃。それは偶然にもキトの左腕を大きく弾いた。俺の剣は警戒しないが、奴でも唯一勇者の剣だけは攻撃と認めており。俺の後ろには既にフィーネちゃんが。まるでダンスの様にクルリと立ち位置を逆転させると、鬼は初めてしまったと笑顔を崩す。
「鬼種の頑丈な体。超活性に至る身体強化。更には土属性の硬化ですか。確かに凄まじいですが、人間を少し舐めすぎです」
迎撃を打とうするキト。しかし、僧侶の一撃はやはり不調をもたらしたのか、僅かに反応の遅れる右腕。なるほど。浸透頸の様なものか。僧侶は先ほどの拳で内部に衝撃を叩き込んでいたのである。
凄いなと感嘆するばかりだ。思えば俺が苦戦してきたのは、いつも技術と知恵であった。それこそは人間が暴力に抗うために繋いできた術ではないか。
「いけ、フィーネちゃん!」
「うん。みんながくれた好機。この一撃で決める!」
そして恐らく勇者は壁を越えた。使命感か責任か。朽ちた体をなお動かそうと魔力を流す事で、剛活性から猛活性へと進化しているのである。
辿り着けば英雄とされるその領域。唯一キトの身体能力に食らいつき、致命の可能性を持つ刃。フィーネ・エントエンデは今、名実共に勇者になろうとしていて。
その渾身の一振りは首に僅かに刃を食い込ませるも、断ち切る事は到底に叶わなかった。
「舐めてるのはテメェ等だ! 俺は堕ちねえからこそ天を名乗る事を許されてるのよ!」
「……っ!!」
不屈の鬼は倒れない。