ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「体温良し、脈拍良し、呼吸良し。霊脈の流れも正常、ついでに瞳孔の動きも問題無しっと」
イグニスは一頻りツカサの体調を見ると、異常は無さそうだねと眠るツカサの額をペシリと叩いた。何叩いとるんじゃいと言う小言は置いておいて、儂はそういう話を聞きたかったのである。でかしたぞ。
「うふふ、ツカサってまじまじ見るとまつ毛長いのね。こうして寝顔見ていると随分幼く感じるわ」
それに比べこちらは何をしに来たのか。僧侶はツカサの鼻をツンツンと突いて遊んでいた。まぁ可愛いのは同意するし、勇者ほど激しいスキンシップでもないから見逃してやるかの。
「ツカサも神聖術はマーレ教の司教様に施して貰ったんでしょ。一人だけなぁーんで起きないのかしら」
「そういう君は顎が綺麗に治って良かったね。美人が台無しになる所だった」
イグニスは答えを誤魔化す様に僧侶の頬を撫でた。確か勇者は腹を貫かれた挙句に臓腑を焦がされ、こいつは腕が潰れて下顎が吹き飛んだのだったか。
マーレ教の司教クラスになればその様な重体であろうとご覧の通りだ。死人でもなければ救ってしまう神の御業だけに目覚めぬツカサには不安が募る。まだたった一晩なのだが、このまま起きなければどうしようと何度頭を過ったか分からなかった。
「ちゃんと答えなさいよ。コレとも関係があるの?」
そう言い青髪の女が持ち上げるコレ。ツカサの前髪の一房なのだが、カラスの濡れ羽の様な綺麗な黒髪は一部分が白く変色してしまっていた。ただの白髪というには艶があり、まるで儂の白銀の髪を移植したかの様だ。
やっと突っ込んでくれたかと思う反面、その答えはなんとなく理解出来ていた。儂の魔力を取り込み過ぎて存在が揺らいでいるのだろう。
交代という裏技の代償。相模司とジグルベインの境界が曖昧になり、完全な相模司に戻れ無かった。特に最近は儂の魔力で魔法まで使っていたので猶更かも知れぬ。起きたら相談しないといけない事の一つだ。
「髪の変色は意識とは関係無いはずだ。流石は司教様、千切れていた霊脈まで元通りだよ。なら肉体の修復は完璧だと考えて構わない」
「……そう」
納得いかなそうな僧侶に、原因があるとすればと前置きをしイグニスはそっとツカサの頭を撫でる。脳みそ。そればかりは形だけを取り繕ってもどうしようもないのだと。
「頭は怖いんだよ。強い衝撃があったのかもしれないし、当たりどころが悪かったのかもしれない。私が背負って移動させたのも悪手だ。せめて後遺症が出なければいいのだけど」
失ったら神聖術でも治らない物。記憶もその一つだよと語る赤髪の女。なるほどなと話を聞きながら、はてと今更に疑問に思った。霊体であるこの儂の記憶や人格は一体何処から来ているのだろうか。カカカ、どうでもよいな。
「よし。じゃあ私、祈願の1万本突きするわ。待つことしか出来ないならば、せめて祈ります」
(構わんが他所でやれ)
「気持ちは分かるけどここでは止めなさい」
制止も聞かずフェヌア教の小娘はその場で正拳突きを初めてしまった。奥歯を噛みしめ空に拳を打つ様は祈りというよりもまるで己の心を殴っているかのようだった。
儂は目が五月蠅いので視界から外す。するとこちらはこちらで赤髪の女が怪しげな薬品を取り出していた。なんの薬だという疑問は僧侶がそのままそっくり言葉にしてくれて。イグニスは歪んだ笑みを作りながら答える。
「ほら、起こすには刺激が手っ取り早いだろう。この際色々試してみようかなって。まずは手始めに味覚。これトローノって酸っぱい果実を更に煮詰めた超酸っぱい液体だ」
「そっちこそ止めなさいよ!」
(正体表しおったな! 儂の信頼を返せ!)
だが問答無用で始まる恐怖の実験。金的打った衝撃でも起きなかったぞと伝えられないのが何とももどかしい。そして当のイグニスの横顔は、ふざけているというにはあまりに
悲壮感があった。まるで早く起きないから悪いのだと八つ当たりをしている様だった。
「……イグニスも辛かったわよね。ツカサの頼みとは言え、私たちを救う為にツカサを置いていく選択をしたんでしょう」
「逃げなきゃ全滅だった。あれが最善だ。それにカノンだって、倒れてなければツカサと同じ事をしただろう?」
「流石幼馴染、良く分かっていらっしゃる。ヴァンが体力尽きた段階でみんなを逃がそうとは思ったわ。気付いたら見知らぬ天井を見ていた情けなさときたらもう。本当に不甲斐ない」
「みんな同じだよ。どいつもこいつも今は内心ぐちゃぐちゃさ。だからフィーネも一人で会いたいなんて言い出したんだろ」
涙の跡かななんて言いながらツカサの胸元をハンカチで拭くイグニス。残念だがそれ涎の可能性もあるんじゃよ。
負けた奴らの言い分なんてどれも同じだった。生きる喜び、死ぬ時に死ねぬ辛さ。己の弱さを悔い、ツカサの勇気を讃えた。敗者の言い分に興味は無いし関係無い。
(じゃが、お前さんにはあるだろう。みんな待っとるぞ)
今日はガキ共がうるさいと思ったが、それはつまりツカサの周りにはそれだけ友や仲間が増えたという証拠だった。
赤子の頃はいつもジグジグと儂だけを見てくれていた。こちらの世界に来てからも暫くは二人きりだった。だからもう儂だけのツカサでは無いのだなと少しばかりの寂しさを感じる。けれどそれでこの子の笑顔が増えるならば、それはきっと良い事なのだろう。
(ありがとうな)
向こうに聞こえたら絶対に言ってやらないのだけどな。誰もがツカサを心配し見舞いに来てくれたのが我が事の様に嬉しく感じた。だからつい、そろそろ行こうかと扉を開く少女の背に声を掛けてしまった。カカカ、なんて柄でもない事を。
◆
(そして、最後はお前か)
すっかり日が暮れ部屋を月明りがぼんやりと照らす。そんな中、明かりも持たずに一人の女が訪れて来た。軍服の上から軽鎧を付けた騎士の装いをした女だった。
「まだ起きていないと言うのは本当のようですね。しかしあの怪我で命があるのだから貴方も悪運が強い」
黄金の髪と瞳を持った騎士の名はアルス。儂は無意味と知りつつ、何の用だと警戒心を露わに立ち塞がった。
こいつにはツカサが儂と同じヴァニタスと闘気法を使う事を知られている。しかも共闘をする出汁に弟子だと仄めかせてしまっていた。儂に執着するあまりツカサに手を出すとまでは考えないが、どう動くかも分からない。
「詳しい話は起きてからとして、意識が無いのも都合が良い。ツカサくんはやはり獣殿と繋がりがあった様ですね」
知っていたとばかりにクスリと笑った女は、シャランと無造作に剣を抜き放っていた。幾千という修練の果てに身に着けた技術。少しの前兆も無しに鞘から走る刃は無駄なく速く美しかった。
(偶然か?)
「…………」
答えは無いがコイツは以前に儂の殺気を感じ取った事があった。その鋭さがこの偶然を生み出したのだろう。剣を向けた先は天に輝く月だった。しかし同時に儂の喉元に切っ先を突き立てている。
「ごめんなさいねツカサくん。今回は状況も状況なのでやむを得ず共闘しましたが、もう敵とか味方とかどうでもいい気分です。次に出会えば私はあの美しい獣を殺すでしょう」
(カカカ)
先ほどまでのおっとり顔は何処へやら。アルスは黄金の瞳を鋭くギラつかせ宣言をした。例えお前の大事な人でも私は殺すだろうと。
それはどちらが上かを競いたい武人の性か。はたまた二度もお預けを食らった獣の性根か。どちらにせよ可愛らしくいじらしいものだ。
「強い者ならばこの飢えを満たせるかと思ったのに、不思議と三大天でもあまり唆らなかった。我が牙を我が全力を受け止めてくれるのは、うふふ。あの人だけ」
傷物にされた責任を取って貰うのだと、うっとりと儂の貫いた胸を撫でる女騎士。
(消化不良はこちらも同じだ。機会があれば、いずれ、な)
次は首を貰うと手刀を放った。どれだけ研ぎ澄まされた感性をしているのか、アルスは隙間風かしらとコチラを振り向き首筋を抑えていた。儂は思わず満面の笑みを浮かべてしまった。