ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
赤鬼の拳が振りかぶられていた。対し俺は何故か手も足も動きはしない。
炎の羽衣をジェットの様に噴出させてキトが物凄い勢いで迫ってくる。その形相はまさに鬼そのもの。この一撃に魂を賭けていると言わんばかりの迫力だ。
怖い怖い怖い。俺はその拳の威力を知っていた。それは破壊の限りを尽くす暴力の化身だった。人体なんて豆腐の様に崩しぐちゃぐちゃにしてしまう。ヴァンもカノンさんもフィーネちゃんも、みんなアレにやられてしまったんだ。
恐ろしくてしょうがないのに身体は勝手に剣を構えた。暴力を見せてやる。威勢よくそう啖呵を切って。しかし俺の渾身の一撃はヒラリと躱されてしまって。
「うわぁあ!?」
頭を打ち砕かれた。そう思ったのだけど、なんだこれは。飛び起きれば目の前にはキトどころか誰も居なかった。どうやら自室のベッドに寝ていた様で、なんだ夢かと跳ねる心臓を押さえつける。
(お、おお)
「あれ、でもなぁ」
記憶が混濁している。そうだよ、最後に戦ったのは俺では無い。向かってくるキトはジグルベインが吹き飛ばしたではないか。それでアルスさんが直ぐに追いかけて、やがてイグニスが来て。記憶はそこで途切れているので俺に戻ってすぐに気絶してしまったのだろう。
「寝てる場合じゃねー! ジグ、あれからどうなった!?」
(お前さーん!!)
倒れている間の情報を聞こうとジグルベインを探した。彼女は頭上に浮遊していた様で、両手を広げながらコチラに落ちてくる。俺はその勢いに思わず受け止める姿勢を取るのだけど、霊体なので触れも出来ずに通り抜けてしまった。
なにやってるのさと戻ってくるのを待つと、俺の股座から顔を見せたジグは今にも泣きそうな顔で俺の無事を喜んでくれていた。魔王の威厳が台無しであるが、もしかしなくても俺は危険な状態だったのだろう。心配かけたねと微笑みかけた。
(おおん。本当に目覚めてくれて良かったぞ)
「ええ、そこまで? 気絶なんて過去に何度もあったじゃん」
(阿呆。自分がどれほど寝ていたと思っておるか。あの戦いからもう五日も経ったのだぞ)
「五日も!?」
ほえーと変な声が出た。それはまた随分と寝続けたものだ。どうりで身体は固いし軽く頭痛を覚えるわけである。つまり戦いなんてものはもうとっくに終わっていて、今は後処理の最中という所だろうか。
「うーん。とりあえず皆の顔が見たいなぁ」
(であるか。まぁ毎日見舞いに来ては煩くしとったし、顔を見せて安心させてやれい)
「そうするよ。ジグにも本当に心配を掛けたみたいだね」
部屋を見渡せば花瓶には沢山の花が飾られていた。起きて直ぐに食べられる配慮か果物や茶器も置いてある。きっとジグと一緒に早く起きろよと俺を見守っていてくれたのだろう。その気持ちだけで何だかとても胸が暖かくなった。
◆
俺の最後の記憶がキト戦の後だけに早く皆の無事な姿を見たいという気持ちはあった。しかし喉が渇き、腹も食い物をよこせとグーグーと泣き喚いた。なので五日も遅れたら少し遅れても大差はあるまいと、ベッドの縁に座りながらカートに置いてある果実へと手を伸ばす。
「これ頂きー」
手に取ったのは赤い果物。房になっていて外見上は少し葡萄に似ているのだけど、味や食感はサクランボに近い食べ物だ。
ポイと実を一つ口に放り込みその甘酸っぱさを堪能する。美味しい。けれどお腹は空いているのに思った以上に胃は食べ物を受け付け無かった。弱る身体に本当に寝続けていたのだとようやく実感が沸いてくる。
「入るぞー」
「もう、アンタはノックくらいしなさいよ」
もはや返事も期待されていなかったのだろう。若竹色の髪をした少年がズカズカと部屋に入り込んできた。その後ろを追うのは青髪ポニーテールのお姉さんだ。
いや、皆で行動をしていたようだ。俺を見て金糸雀色の瞳を真ん丸にする白藍髪の少女、真っ赤な瞳を潤ませる赤髪の少女も後ろに居た。そして最後尾には我らのリーダー勇者様が。
フィーネちゃんはお腹を貫かれ火炎で内から外からと焼かれる大怪我をしていた。彼女の飛び散った血が頬についた感触はまだ記憶に鮮明で、全員無事に揃っている様子を見て良かったと安堵が押し寄せてくる。
「おはよう。ツカサ・サガミ、なんとか生き残ったみたいです」
若干に気恥ずかしいので「てへへ」と照れ笑いを浮かべながら挨拶をした。すると止まっていた時間が動き出す様に皆が一斉に動き出し押し寄せてくる。中でも速かったのはヴァンだ。いの一番に飛び込んできた少年に押し倒されそうになるほど力強く両肩を掴まれた。
「おまえ……起きてくれて、良かったぁ……!!」
「……心配させたな、わりぃ」
あの強気で生意気な男が人目も憚らずにウワンウワンと子供の様に大泣きしていた。俺にすれば浦島太郎に近い状態なのだが、皆は今日も起きぬと不安を募らせる五日間だったのだろう。そっちも無事で良かったと、背中に手を回しヴァンが泣き止むのを待った。
「ねえヴァン。一番って普通私の役目じゃないかな。私代表だよね」
「フィーネが適任かは置いておいて、お前じゃないのは確かだな。一番付き合い長いのは私だし」
「う、うるせえ。いいだろ別に」
フィーネちゃんとイグニスはヴァンがあまりに号泣するものでむしろ涙が引いたようだ。ヴァンをネチネチと虐めていた。まったくと呆れた様子で三人を眺めるカノンさんの横顔に俺は目を取られる。
「ん? なあに?」
「いえ、顔の怪我が綺麗に治ってて良かったなって。顔面が大惨事になってましたから」
「うふふ、お陰様でね。けど、だから逆に心苦しいわ。無茶し過ぎなのよアンタは」
何が逆になのだろうと首を捻っているとティアがまだ気付いていないのねと手鏡を渡してくれた。顔に傷でも残ったのだろうかと覗き込む。はぁん、どうやら前髪の一部が白く変色してしまったようだ。
「似合いますかね?」
「反応薄いわね!?」
指でクルクルと弄びながら色々な角度から見てみる。まぁ変わってしまったものは仕方あるまい。禿げでも出来ていたらショックだったけど、これまで無個性だったので特徴が出来た程度に考えようじゃないか。
「貴方が無個性なら個性がある人間はただの変人になってしまうのだわ」
「俺って変人とのギリギリの境目にいたのか」
雪女からの知りたくない人物評であった。悪い意味では無いとフォローはしてくれたが後の祭りという奴だ。ベッドの上でシュンと縮こまっているとヴァン弄りが終わったのかイグニスがむっすりとした顔でやあと声を掛けてくる。
「イグニス、ありがとう。また助けられちゃったみたいだね」
記憶は朧気だけど俺を小さな背に背負い必死に運んでくれたのを微かに覚えている。いつも迷惑掛けるねえとニヘラと笑ってみせれば、オラァと全力のチョップが脳天に突き刺さった。痛い。
「今回は本当に駄目かと思ったんだぞ。少しは生きてる幸運に感謝をしなさい」
「ごめんって」
魔女はそれだけを言うと、後の言葉は全部飲み込んでフィーネちゃんへと席を譲った。勇者は俺の前に立つや、床にしゃがみこもうとして。何をしようとしたかを察した俺は腕を掴み、それだけはやめて欲しいと阻止をする。
「頭を下げて欲しくてやったんじゃないよ。俺はただ、みんなを失うのが怖かっただけなんだ」
「でも……。ううん、分かった。でもこれだけは言わせて。ツカサくん、みんなの命を救ってくれて本当にありがとうございます」
大袈裟だなとは思うのだけどお礼とは感謝の気持ち。俺ははいと受け入れて、改めて全員が無事で良かったと告げた。そんな、みんながみんな祝福を投げ合う和やかなムードだったのだけど、もう喋っていいなとばかりに前に出てくる赤髪の女。
「さて、君には聞きたい事も沢山あるのだけど、伝えなければならない事も沢山ある。何から始めたい?」
「じゃあキトの結末とかから聞かせてよ。アイツどうなったの?」
流石にジグとアルスさんの連携攻撃を食らわせたのだ。てっきり「ああ、無事に倒せたよ」と続くと思ったのだけど、イグニスは歯切れ悪く「じゃあそこから」と話しを切り出した。
「聞いた話を纏めると、どうやら倒せはしなかったらしい」
「えっ?」