ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「イグニス、居るー?」
「ツカサか。開いてるよ、どうぞ」
俺は暇だったのでイグニスの部屋を訪れた。刀匠のアントンさんからお土産に酒を貰ったのだが、魔王様に献上していいものか伺いに。
というのは建前だ。僧侶がアッスーストライクを喰らったと聞いたので、同行した魔女も苦しんでいるのではないかと思ったのだ。そんな彼女を見て笑ってやろうという気は無いのだけど、同じ被害にあった者としてドンマイと声を掛けてあげたかった。暇だったから。
しかしその宛ては外れる。イグニスは机に向かい大量に積み上げた書物を読み漁っていた。扉の前で立ち尽くす俺にどうしたと視線を寄越したので、元気そうだねと我ながら訳の分からぬ挨拶をした。
「ああ、簡単な事だよ。私とスティーリアは辛すぎて食べきれなかったんだ。だから被害は特に無い」
「なんだ、つまらん」
「つまらんって言ったか、おい?」
まぁ座りなさいよ。そう言い、椅子を引いてくれたので遠慮せずに腰を下ろした。何をしているのかと思い魔女の開く本を覗き込んでみる。シェンロウ聖国の地理やら歴史が書かれたものだと気付いた時、俺はバッと顔を上げ赤髪の少女を見ていた。
「なんだよ。君が行きたいと言ったんだろう。なら事前に調べるのは普通のことだ」
「申し訳ない」
イグニスはもう次の冒険を見越し動いていた。なんて頭の下がる思いだ。暇だ、ではない。自分で言い出したのだからコレは俺のやるべき事であった。勇者から療養を申しつけられた身だが、やる気さえあれば調べものくらいは出来たではないか。
「ごめんね、代わるよ。ちゃんと調べておく」
「ああ、いいって。私の場合はただの知識欲だ。本の出会いは時の運だからね、シュバールに居るうちに消化しているのさ。シェンロウの件はついでだよ」
私も暇なのさと再び文字の羅列を目で追う魔女。確かに勇者一行は時間を持て余している。特異点を壊す事が決まってもシュバール国が時期を計っているので動けないのだ。
新王の発表ともなれば貴族だけでなく国民やランデレシアからの関心も高いのでスケジュール調整を行っているのだった。
俺はそうと相槌を打ちながらイグニスの横顔を見つめる。真剣な顔つきに普段の邪悪さは微塵も無く、彼女はずっとこう生きてきたのだろうなと感じた。物知りなのは当然だった。皆が授業に使う五年間を、今の様にずっと知識を蓄える為だけに使って来たのだろうから。
集中しているイグニスを邪魔する気にもなれず、静かな部屋の中にはパラリパラリと紙を捲る音だけが響く。やがて俺の視線が気になったのかチロリと赤い瞳と目が合った。
「そんなに見つめられると微妙に集中出来ないんだが」
「おっと、ごめんよ。用事があるわけでもないし部屋に戻るわ」
「ふぅむ。ならその前にお茶でも淹れておくれよ。少し休憩する」
「分かった」
紅茶のリクエストだったので部屋に備えられている魔道具で茶を淹れてあげる。紅茶で大事なのは温度管理だ。温めたポットにお湯を入れてしっかりと茶葉を蒸らす。そうすれば湯気に香りが乗りなんとも美味しくなるのである。
カップに注ぐ紅色の匂いに一人で満足していると、様子を眺めていたイグニスはそれだと指を向けて来たので、どれだと首を捻った。
「君、何か簡単な魔道具を作ってみなよ。どうせ暇なんだろ」
「やれやれ、時間を持て余していると言って貰いたいね」
(それを暇と言うんじゃろが)
イグニスには今でも魔法を習っている。魔銃もその成果だった。その時の内容は魔力の射出。形状変化で覚えた光球を飛ばすというものだ。俺は光属性なのでジグから闇の魔力を借りたが、本来は火球の様な初級攻撃魔法を身に付けていたはずだ。
今日は一歩踏み込み魔法陣を覚えろとの事。いずれオリジナル魔法や展開陣を扱うのに役立つらしい。イグニスやティアが展開と叫び魔法陣を開く様子に密かに憧れていたのでやるやると尻尾を振り喜んだ。
「そっかぁ。いよいよ俺も【展開】する時が来たかぁ」
「それはまだ先。まずはちゃんと魔法陣の構造を理解する所からだ」
「はーい」
魔道具。魔法陣の刻まれた道具は、水を出したり火を出したりと日常生活でもとても便利な物だ。その前身には魔剣という魔法を宿す武器あり魔剣技や魔道具の原型になるそうだった。
そんな話をへぇと聞きながら、俺は何を作ろうかと思いを馳せて。あれしかあるまいとポンと手のひらを打った。そう、ウォ●ュレット。俺は日本人として異世界のトイレ事情を革命しよう。
「……そうか。それは何をするものなんだい?」
「お尻を洗浄するものだよ。小型の魔道具なら旅でも役立つはず」
(儂、オチが見えたんじゃが)
やる気が伝わらないのか、まぁ作ってみなよと呆れ顔のイグニスに魔道具制作キットを借りた。まずは魔法陣の作成から始める。書くのはカマボコの台座の様な木板で、インクは魔導墨という魔力が流れやすい物を使う。
これは試作用だ。本番では適当な小物に回路を掘りこむのである。携帯用ウォ●ュレットと考えたら何か小さな筒が良いだろうか。
「一応聞いておくけど、教科書はちゃんと読み込んでいるんだろうな」
「うん。ジグが興味あるみたいで一緒に見た」
「ならよし。じゃあ今日は成果を見ようか。小テストと行こう」
「とはいってもウォ●ュレットは水が出れば完成なんだよなぁ」
簡単さと俺は教科書に載る水の魔法陣を探し、これだとページを開いた。まずはこれをそのまま写してみるか。ジグと教科書を解読するに辺り一つのアドバイスを得た事がある。魔法と言うと不思議現象に聞こえるが、その実は魔法という名の化学であると。
異世界には異世界の法則がある。魔法もまたその一つ。力の扱い方で差は出るが、同じ工程と過程を辿ればしっかりと理屈と再現性があるのだ。
ならばと俺はイメージを変えた。魔力とは魔のエネルギーだ。そう考えれば電力と似たような発想を持てる。こちらの人間は誰しもが発電機を抱えていて、そのエネルギーを扱う方法が魔法なのである。
「ふふふ、たあいなし」
まずは円の大きさ。これが魔力のブレーカーと言った所か。魔法陣は円を満たした時に、その中の魔力を消費して動く。なので大きさがそのまま許容魔力と言い換えてもいいだろう。その為ランタンなど長時間使う道具は結構大きくて魔力が貯めこめる様になっていた。
円から内に向け線を引き回路を作る。使用する文字は魔法文字と言って、魔力が流れると様々な反応をするものだ。一つ一つの効果は強くは無いが、原始に魔法の原型を作った大事なものだとか。魔法には世代というものがあり、この魔法文字も世代を変えた一因である。
ちなみに今でも研究され常に新しく効率の良い文字が作られているとか。なので数が非常に膨大で座学で多くの人が躓く箇所だそうな。そして魔法文字を組み合わせて作られた魔法陣も世代を刻む要素になった。
今回の水の魔法陣に必要な要素は主に二つ。水属性の魔力を作る属性変化と、属性変化の指向性の決定。魔力を水属性に変えただけでは駄目だ。水の魔力を使い発現に至りようやく魔力は水になる。
「へぇ」
読書の傍らに俺の手元を覗き込んだ魔女が関心の声を上げた。まぁ殆ど教科書のまるパクリなのだけど、だからこそちゃんと水を作れる回路になっていると思えた。属性変化には魔石が必要なので、回路にコトリと置けば試作品の完成だった。
「ドヤァ!」
「うん、素晴らしい出来じゃないか。とても初めてとは思えないよ!」
(……)
あのイグニス先生がベタ褒めであった。俺はえへへと浮かれていると、早速試して来るといいと言われ、そうだねとトイレへ向かった。急な事なので便意は無いが取り合えず動作を確認するだけも十分だろう。
「どれどれ……ホァ!?」
てきの ウォ●ュレットの かんけつせん!
つかさの きゅうしょに あたった。 こうかは ばつぐんだ!
つかさは たおれた。
(カカカ。絶対こうなると思うたわ!)
油断して洗浄のボタンを押したら高圧洗浄機が噴出したくらいの衝撃であった。普段魔道具を使う時よりもギュンギュンと魔力が流れるのでおかしいとは思ったのだ。
魔道具は誰でも使える物と教わった記憶がある。その時は魔法が使えない人でも扱える物と思ったのだけど、今なら分かる。上ブレだ。きちんと出力制限し、魔力の強い人でも弱い人でも同じ様にという意味での“誰でも”だったのではないか。
「イグニース、知ってたろ!」
「アハハ! ここまで悲鳴が聞こえたよ。君が写していたのは普通の水魔法だ。当然そのままじゃ威力が強すぎるだろうね」
(儂も知ってた!)
教えてくれよと尻を抑えた。そしてイグニス先生から講評が入る。というか小言を貰う。
攻撃魔法というのは魔法という現象で相手を傷つけるだけ。いわば、出力さえ大きければ単純に火を出しただけでも脅威になりえる。
逆に魔道具はどうか。人を傷つけない為の魔法だ。その制御は攻撃魔法よりも、よほど繊細で完全で無ければいけないよと。
その後、魔女の協力の元、出力制御や超過魔力への安全回路を備えたものが出来上がる。
先の電気の例えでいうならば人間の持つ魔力は出力差が有りすぎる。だから道具の方で定格電圧を決めるのだ。
慣れた手付きでサラサラと魔法陣を書き上げるのは流石と言えるだろう。だけど出来た後で
こっちではシャワーも魔道具なので、なんとヘッドの部分だけでホースにも繋がらず利用出来る。当然に温水と冷水で切り替えも効いた。どう考えても上位互換だった。
俺は悔しいのでイグニスに泣き付き改良をお願いした。結果、温水洗浄機能と温風乾かし機能搭載の素敵物体が完成したよ。
なんていう物を作るんだという意見もあったけど、冒険中の過酷な環境なら有用なのではと正式な採用も検討されていたりする。