ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~   作:雨居神宮

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294 閑話 裸の魔女

 

 

「なんだかさ、二人きりで話すのも久しぶりだね」

 

「そうかい? タルグルント湖……ではヴァンも居たか。確かにそうかも」

 

 過去を探る様にイグニスは首を捻りました。事実久しぶりなんです。だって、私の方から少し避けていましたから。

 

 それでも、もう残り数日でシュルバの町に着きます。特異点を破壊すればツカサくんとイグニスの二人とは別れると決まっているのです。ちゃんと会話するならば今だろうと思いました。

 

 実は陛下にお願いして宿を草原の民の移動式住居に変えて貰ったんですよね。これなら個室では無く男女で分かれますから。でも結局男子と合流してしまって無駄になっちゃいました。遊戯大会は楽しかったのですが、お陰で計画は無茶苦茶だよもう。

 

 なので強引ですがお風呂に誘っちゃいました。ティアとカノンも入浴中ですのでこちらは蒸し風呂に。まだほんのり蒸気が漂う程度で、裸だと少し肌寒いかな。温度上げちゃお。

 

「……なにしてるの、イグニス」

 

「これは胸の大きくなる按摩だよ。君にも教えてあげようか?」

 

「大丈夫」

 

 何でも血行を良くしたり、脂肪を集めて定着させるのだとか。本人は居たって真剣なのですけど、残念ながらあまり説得力はありませんね。やっぱりカノンくらい大きくなってから言ってくれないと。

 

「さては信じて無いな。去年よりは確実に育ってる。これは数字で出ているんだ」

 

「そう……」

 

 騎士の情けとでもいいましょうか。それで育っているんだとは言いません。イグニスは母親は大きいから自分もきっとと、一縷の望みに賭け成長を諦めていないようでした。強い心ですね。

 

「ツカサの件だな」

 

 やがて脇から贅肉を前に集める女は表情だけをキリリとして言います。私は嘘やおおよその感情を読めますが、この子はどうして心や未来を覗く様に話すのです。私は言いました。分かってるなら真面目にやれと。

 

「一応真剣な話なんだけど」

 

「これは失礼。日課だったもので」

 

 長椅子に並んで座って居たイグニスは体を捻り正面を向いてくれました。シミ一つない未踏の雪原の様な肌。程よい肉付きが描くなだらかな曲線は見ているだけで柔らかさを想像させます。

 

 その女性的な美しさは同性として憧れる物がありました。騎士として鍛えた自分の身体は、筋肉質で手足が太く、腹筋も割れていて。いえ、恥じる気は無いのですが、男性はどう思うのだろうかと考えてしまうのは確かでした。特に最近は。

 

「それで。ツカサの事で本人に聞かず、私に聞くような事。さて、何だろうね」

 

「とぼけるのは止そうよ。分かってるんでしょ」

 

「…………」

 

 そう、イグニスには分かっていたはずでした。この少女ならば分からないはずがありませんでした。でも誘った者として核心を話さず、雰囲気で察してくれというのは卑怯ですね。なので私は言葉という剣を取って切り込みます。

 

「貴女がツカサくんに拘る理由。何か大きな秘密を隠しているよね。じゃないとイグニス・エルツィオーネが勇者より彼を優先するなんてあり得ないよ」

 

 彼女は歴史と伝統を胸に気高く生きる、貴族という生き物なのでした。例えばイグニスは誰かに恋心があろうと、親が婚約を決めれば文句を言わずに結婚をするでしょう。それが家の為ならばと、個人を殺し、家と血の存続を優先するのです。

 

 だってエルツィオーネ家は領主として大きな土地を持ち、そこには大勢の住人が住んでいるから。まるで倒れてはならぬのだと、自負と責任も持って立ち続ける一本の巨木。それが貴族で。

 

 だからこそ、イグニスが個人的感情でツカサくんを優先するのはあり得えません。彼の故郷に帰りたいという願望を叶えようと思っても、まずは勇者一行としての責務を果たすのが今までの彼女でした。

 

「貴女を信用してる。だから聞かない事も出来た。でもツカサくんももう大事な私の仲間なの」

 

 協力出来る事もあるんじゃないのか。そう口にすれば、赤い瞳は燃え盛る炎の様な熱さで私を睨んでいました。何処まで気付いているのか、何処まで話せるのか検討をしているのでしょう。

 

「まぁ、いいか。ツカサ本人はむしろ話したがっていたからね。情報を隠させていたのは私だよ」

 

「うん。だろうとは思ってた」

 

 そもそも私に隠し事をするのは難しいのです。特にツカサくんは表情にも出るし、口も滑りやすいですからね。それでも隠そうとするならば裏にはこの女が居るとは思いました。勝手に暴く行為に少し罪悪感を覚えながら、聞かせてとイグニスに続きを促します。

 

「そうだね。どこから話したものやら」

 

 顎を擦りながら口を動かし始めるイグニス。その内容に絶句し、嘘では無いと分かりながらも嘘だろうと思いました。嘘であって欲しいと思ってしまいました。

 

「ツカサくんの帰る場所は、この世界には無い?」

 

「そうだ。地球と呼ばれる星の日本という国から来たそうだ。何が違うかと言えば明確では無い。そもそも星が違うのか、或いは時間が違うのか。けれど地続きには辿り着けない事は確かで。彼の言葉を借りるならば異世界と呼称しようか」

 

「それは、なんて……」

 

 故郷に帰りたいというツカサくんの言葉が胸に重く響きました。あの人はなんて遠い旅をしているのだろう。それはまるで無人の荒野に一人置き去りにされ、帰る当ても無く彷徨う様で。彼は本当の意味で誰よりも冒険者なのだと理解します。

 

「でも、それだけじゃない。それは私と一緒に行けない理由にはならないもの」

 

「分かってるよ。ちゃんと聞きなさい。異世界人であるツカサが現れたのはデルグラッド。混沌の特異点からだ。今では領を救って貰った恩もあるがね、あの日私が君の誘いを蹴ってまで家出をしたのは魔王が関わっていると睨んだからさ。何か世界が大きく動き始めた様に感じたんだ」

 

 そして彼の登場から見え始めた深淵の影。不動を貫いてきた軍勢までが動きを見せていて、次にツカサくんが目指すのは勇者の始まりの地シェンロウ聖国。イグニスはもはや運命さえも感じるよと肩を竦めて見せました。

 

「それは確かに私と一緒だと出来ない事だね」

 

「フィーネ。君の力に成れないのはすまないと思っている。けれど私は彼の旅を見届けないといけない気がするんだ。言い訳をするならば、あの特異点の管理はエルツィオーネに課せられた義務だしね」

 

 ツカサくんの旅を邪魔したく無い。けれど勇者には勇者の責務がある。私の道を逸らさない為には一緒に行けないのだと。一応の理屈は理解しました。勇者一行の旅は公費で賄われる公務です。どうしてもツカサくん個人の旅を優先は出来ませんし、勘や噂だけで動くにも限度がありました。

 

 イグニスなりに世界の不穏な影を見て、大きな陰謀があるのではないかと追いかけている。そう言われては私は、こうとしか返せません。

 

「何かあれば、必ず私を頼って。私はイグニスもツカサくんも決して見捨てはしないから」

 

「分かってるよ、私の勇者様」

 

 こういうのを裸の付き合いとでも言うのでしょうね。衣服を脱ぎ捨て、心まで裸に本音を語ってくれました。そんな彼女の信頼を嬉しく思います。そもそも令嬢のイグニスやティアはみだりに肌を晒さないので、こうしてお風呂に付き合ってくれるだけでも信頼があるのですけど。

 

 蒸し風呂の温度も徐々上がり、肌にはジトリと汗が浮かびます。普通にお湯に浸かるより身体が芯から温まる気がしました。話がひと段落したので、出るならば今だろうかとチラリと扉を見ます。

 

 けれどせっかくのイグニスと二人きり。彼女がババンと服も恥じも脱ぎ捨てたならば、私も脱ぎ捨てるべきかとイグニスに向き直りました。

 

「……なにしてるの?」

 

「え、もうちょっと温まらないかなと」

 

 十分温かいわボケ。けれど赤い女は温石に水をガンガンと投入していました。ジュウと蒸気が立ち込めて室内の温度と湿度が一層に高まります。もはや温かいを超し熱いに突入した浴室で若干の後悔をしましたね。

 

「イグニスはさぁ、いいの? ツカサくんが故郷に帰るって事は、もう会えないって事なんじゃないの」

 

 私は寂しかった。人間なのでお別れはいつかあるのでしょう。たとえツカサくんの故郷がこの世界でも、遠い遠い場所ならば気軽に会いえないのは同じですからね。

 

 でも、可能性が0と1では違うじゃないですか。この世界から居なくなる。どんなに会いたいと恋焦がれても決して叶わないのであれば、それは死別のようなものだと思いませんか。その例えで言うならば、イグニスはツカサくんを殺そうとしていました。

 

「ごめんね、醜いね。でも私はツカサくんに帰って欲しくないよ。そんなのあんまりだよ」

 

 室内があまりに暑くて、頬から汗が流れ落ちました。どうしてこの子はツカサくんを帰す旅なんて続けられるのだろう。私ならば町が一つ進む毎に気が狂ってしまいそうで、いずれ脚に縋り帰らないでと泣き叫んでいたと思います。というよりも、今まさにそんな気分です。

 

「彼が帰りたがっている。私は帰すと言った。なら、どんな結果であれ全力を尽くすまでさ。それこそ自分が悲しいからなんて理由で、このイグニス・エルツィオーネが止まると思うのかい」

 

「止まらない……だろうねぇ」

 

 私が勇者として意地を張れるのは、少なからずこの友人の影響がありました。悪辣で陰険で狂暴で、敵とみなせば魔法の行使も躊躇わない。そんな物語に出てくる悪い魔女の様な存在イグニス。

 

 でも彼女は着飾らなくとも気高いのです。やると言ったら意地でもやり通す。まるで火が付いたら最後、焼き尽くすまで消えない炎の様な魂を持っているから私は彼女を信用するのでした。

 

「寂しい気持ちは私もあるんだ。でも、彼には笑顔のほうが似合うからさ。せめて別れるその日まで、楽しい思い出をいっぱい作るんだって決めているよ」

 

「そっか。で、なんでまだ水足してるの? 馬鹿なの?」

 

「この程度の温度だと汗が全然出なくて気持ち悪いんだ。熱に強いのも考えものだね」

 

「知るか!」

 

 人を蒸し殺す気かこの女は。私はイグニスに蹴りをくれ表の水風呂に駆け込みました。飛び込んだせいでカノンとティアを驚かせてしまいましたが、火照る身体にぬるい水が染みる様でした。

 

「でも、お別れかぁ」

 

 私もその時の事をちゃんと考えなければならないのでしょう。水に沈み息をブクブクと泡を立てながら、頭に浮かぶのは一つの顔。彼はまるで気まぐれ猫で。いつも目を放したらすぐに居なくなってしまうのでした。

 

 

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