ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「今考えれば恐ろしい」
「何がだい?」
「お姫様だよ。勇者が力を使うなら最大利益を確保するって言ってたじゃん。その通りになったなって」
「ああ、それか。まったくの偶然だよ。計画ではディオンを虐めて泣かす予定だった」
さらりと恐ろしい事を言うイグニス。思い通りにはならないものだねと舌を出すが、こんなに邪悪なテヘペロが存在していいのだろうか。新王に成れて良かったねとディオンくんの無事に安堵した。
レオーネ王女はシュバール国が勇者の扱いで揉める事を理解していたのだ。なのでどうせ力を使うのならばと引っ掻き回す計画を立てる。彼女曰く、シュバール狂騒曲。
予想の通りに色んな勢力が動き回り暗躍し。こちらも勇者派なんて作って掻き混ぜて。色々あった。振り回し、振り回された。それでもいまや全てが丸く収まり、未来が勇者に託される。こんなに嬉しい事があるだろうか。
「さあ、みんな。そろそろ行こう。止まない雨を止めに」
「了解!」
朝食を摂り野営地の片づけをした所で、いよいよフィーネちゃんから号令が掛かる。俺達は頷き、雨除けのポンチョを被って騎乗した。俺と魔女だけは自前だけど他の皆もレンタル品を着用している。雨が降り続けていると分かっている場所に行くのだから当然の用意だ。
「あら、結構暖かいのねこれ」
「防水布だから若干蒸れますけどね」
お洒落に興味の無いカノンさんもやはり女性か。髪色と良く似合う青いポンチョを身に付け楽し気で。どうよ、と感想を求めて来たので勿論似合いますと返す。
「よし、じゃあ最後尾は任されるから先行きなさい」
「はーい」
草原では横に広がり走っていたけれど、ここから先は山岳地帯。通れる道が限られてくるので一列になり進む事になった。剣士を先頭に勇者が続き、魔女と雪女の魔法使い組、そして俺に僧侶という順番だ。
目指すのはヘメロス山の残骸で、いまや切り立った断崖に成り果てた場所。雨の届かない所で野営をしたので残りは山二つ分くらいか。すで傾斜が付き始めているので道のりはなかなかに険しそうである。
「ツカサ、てめえは特異点初めてだろう。住んでる魔獣が強いから油断すんじゃねえぞ」
「イグニスとティアも初めてなのになんで俺に言った?」
(カカカ。そりゃお前さんだからだろ)
若干腑に落ちない所もあるが、キャンプ地を出てからというもの空気は一気に引き締まる。タルグルント湖での油断は教訓になった。冒険では警戒をしてもし足りないのだと。取り分け先頭を行く剣士は、仲間を危険に晒すものかと鋭い視線でギラギラと周囲を睨んでいた。
「もっとずぶ濡れになる覚悟をしてきたんだけど、思った程じゃないね」
暫く進んでみた感想をフィーネちゃんが言う。確かにと俺は同意をする。
すでに特異点の範囲に入ったのか雨がシトシトと降り出していた。それでも土砂降りには遠い。もう秋の入り口だけに薄っすら寒さは覚えるが、天気が良い事もあり雨粒はあまり気にはならなかった。
「それよりも、この雨なんか変だな」
(お前さんも魔力を分かって来たという事よ。霊体の儂でも雨に打たれている心地じゃい)
これが魔力が豊富という意味なのだろうか。言われればウィンデーネの飛沫に濡れた時も似たような感じはあった。肌は確かに水の冷たさを覚えるのだけど、霊脈は魔力を熱いと思うので不思議な感覚である。
「くそう、やっぱりこうなるのか!」
「夜に移動しないで正解だったね!」
ヘメロス山に近づくにつれて雨脚は強まった。乾いていた地面が徐々に緩み、水溜まりが見え始め、今や道は上方からダクダクと水が流れてくる。斜面なので水が溜まる事は無いけれど、足首までを水に浸し靴はすでにびしょ濡れだ。
足元が見えず足場も悪い。こんな悪天候では速度を出して移動する事も出来ず、俺たちは馬鳥を降りてロープで繋がりながら登山を続けた。そんな中でも魔獣は容赦無く襲ってくるのだけど、これが本当に手強い。
詳細は省くが環境に適応した生物達なのである。俺たちがぬかるむ地面と豪雨に戸惑う中で実に生き生きと襲撃してきた。水鉄砲連射してくる蛙、水と同化し近づいてくる大山椒魚、三又槍の腕を持つザリガニ、足の生えた鮫。いっぱい居た。
それでも勇者一行は負けずにめげず、一歩一歩進み続けて。今までの雨は所詮風で流れる余波だったのだと思い知る。
「なんじゃこりゃー!?」
ヘメロス山の麓に辿り着き、止まない雨の正体を見た。そして俺はここが特異点と呼ばれる理由を知る。疑問に思うべきであった。止まない雨は雲も無いのに何処から雨が降るのだろうかと。漠然と天気雨の様に空から滴だけが落ちるのだと思っていた。しかしどうだ。
「何も無い所から滲み出してる……!!」
その様、まさに魔王の爪痕。空気に黒い亀裂が罅割れに走り、そこから水が溢れ出していた。規模の大きさから、まるで世界に蛇口でも付いているようだ。子供の頃にこの光景を目にしていれば海はここから出来たのだと信じた事だろう。
「この特異点を作ったのは【沈水】の魔王。雨を降らせるのでは無く、無尽の水を生み出す能力だったそうだね」
水が降り続け、すっかり抉れた山を覗き込んでいるとイグニスが教えてくれた。結果雨の様に降り続けるけれど本来は瞬時に水という領域を広げる、歩く津波の様な恐ろしい力だったそうだ。
「十分恐ろしいのだわ」
「そうだね。雨だけでここまで地形が変わっちゃうんだもんね」
俺と同じ様に下を覗き込むティアとフィーネちゃんが呟いていた。下のあり様はそれだけ酷いものだった。波紋で波打つ水面がバシャバシャと高波を打ち、グルグルと幾つも渦を作り。ここに船でも浮かべようものなら、いくら川の民だろうと瞬時に転覆する事だろう。
渦があるという事は水流の流れがあるという事で、さながら風呂の栓でも抜く様に、ここから零れ出た雨水が大瀑布を作り出す。更には低く低くと下り、やがて海に辿り着いたというわけか。一国を沈めた水源を見て、改めて魔王という存在の埒外を理解した。
「でも、それも今日までさ」
そう。俺たちはこの壊れた蛇口を閉めに来た。水浸しになったこの国もいずれ乾き土地を取り戻す事だろう。勇者はそうだねと強く頷き、スッと立ち上がる。
「行ってくるよ」
フィーネちゃんはポンチョを脱ぎ捨て、金色の髪を雨に晒した。まるでもう使う必要は無いだろうと言わんばかりだ。
聖剣を抜き放ち、せりあがる崖に歩いていく少女の背を俺たちは見守る。これから勇者を行う邪魔はさせぬと、鼠の一匹も近づけさせない様に。
「いまこそ新王の祈りを果たそう。古き時代の幕よ終われ。
透明な刀身から眩い光が放たれた。何の因果か、雨に近づき見えなくなっていた虹だが、その光によりポウと七色の円環が勇者の前に現れる。
俺はその光景を見て、一人の人物を思い出していた。モア。虹はその男の象徴だった。魔王を倒した英雄で。しかし残ってしまった魔王の爪痕。天空に輝く大橋はシュバールにとって忌々しくも誇らしいものだった。
「
フィーネちゃんは英雄の先輩を超えて行くとばかりに雄叫びを上げる。勇者の魔力は無限大。絶対無敵の最強能力。しかしそれを扱う人間は、出力に焼かれ身を焦がす。
振りかぶられる聖剣。立ち込める七色の魔力は山を飲み込む特異点を一撃の下に両断する為に、光の刃はそれ以上の、天をも切り裂くばかりに激しく輝いて。
「
豪雨に打たれながらも瞬き一つせずにその雄姿を見届ける。頑張れと両の手を握りこむ。フィーネちゃんは体中の穴という穴から血を噴き出していた。俺なんかは10倍の魔力が流れただけで五日も意識が不明だったというのに、今の彼女にはどれだけ負荷が掛かっているやら。
その慟哭を聞いた事がある。辛いよ、痛いよ、苦しいよ。それでも自分が勇者だからと栄光という名の茨の道を行く少女。責務を果たすと立ち上がる姿に、俺は真の勇者の姿を見る。
「うぁあああああ!」
虹と虹が強くぶつかる。生まれる衝撃波は空気を巻き込み、雨粒が凶器と思えるほどの速度で飛び散った。拮抗。威力が足りないのだ。たとえ数万の魔獣を薙ぎ払おうと、世界の理をも塗りつぶす魔王の力はそれ程に強大だった。
勇者の立つ足場はやはり脆くなっていたのか衝撃に耐えきれなかった。崖はガラガラと崩れ、フィーネちゃんはおっとと慌てて後退をする。その際に流れる水に足を取られ膝をついてしまって。俺は気づけば、その背を支える為に飛び出していた。
「後もう少しだよ。頑張って」
我ながらなんて残酷な言葉を掛けるのだろう。それこそ血反吐を吐きながら剣を振るう少女に、もっと出力を上げろと言った。しかしフィーネちゃんは、勇気100倍だと微笑すら浮かべながらに聖剣をより輝かせる。
「「「「いっけー!!」」」」
後ろからは皆の声援もあり、激しい拮抗の末にとうとう勇者の剣は魔王の爪痕に打ち勝つ。空間に出来ていた黒いひび割れを、バリンと。まるで世界そのものを壊してしまったかの様に、跡形も無く消し飛ばす。
「ああ」
反動で俺たちは後ろに転倒した。おかげで背中はずぶ濡れだけど、フィーネちゃんが濡れなかったなら良いや。それよりも、寝転ぶ事で空を見上げていた。勇者の力で空気を舞う水は全部吹き飛んだ様で、額に落ちてくる雨はもう一滴も無い。
「フィーネ、大丈夫!?」
「おい、ヴァン。前の特異点もこのくらい頑丈だったのか?」
「そうだな。前のはフィーネの根性が足りなくて実は3回振り直してる」
全てを見届け駆け付けてくる仲間。フィーネちゃんはカノンさんに神聖術で癒されながら、裏話を暴露したヴァンをぶっ殺すぞと睨んでいる。俺はイグニスに引き起こされながら文句を言われた。
「まったく君は。少しはフィーネを信じなさい」
「大丈夫だって分かってても心配なものは心配なんだよ」
「嬉しいんだけど、今はちょっと見ないで欲しいかな」
勇者は目や鼻からも血を溢していて、赤く汚した顔面を照れ臭そうに逸らした。気遣い出来なくてごめんと目を逸らせば、魔女は俺を引き起こしながら「おや」と空を見る。どうしたのかと思えば、ティアまでも今何かと耳を澄ませていた。
(カカカ。聞こえんかや)
「フィーネちゃん、聞こえる?」
ジグルベインに言われて俺もその正体に気付いた。鐘だ。遠くより、カランカランと音が響き渡る。きっと、そう。これは祝福の音色。上空の水分が吹き飛んだ事で遠くにある町からも虹が消失した事が分かったのだろう。
「ふふっ、聞こえる。時鐘って三教が管理してるのに、こんなみだりに鳴らしていいのかな」
「いいんじゃない? 三教は勇者の味方だし、こんなにおめでたい日なら私だって鳴らしまくるわ」
それはもう乱れ打ち。きっと一つだけの街では無いのだろう。ヘルロス山に居る俺たちにどうか届けと言わんばかりに鐘が打ち鳴らされていた。それをこの音叉の様な独特な形状の山が拾ってくれたのである。
「おめでとうフィーネちゃん」
「うん。じゃあみんな、帰りましょう。凱旋だ」
町に見えるかなと山頂から無邪気に聖剣を光らせる勇者を見ながら、いつか街の英雄像にこの少女の姿も並ぶのだろうかと思いを馳せる。ともあれ、ディオン政権の最初の1ページが今刻まれたのは確実で。
「シュバール狂騒曲、ここに終曲。なんてね」
第2部、完!