ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「妙……なんだよなぁ」
俺の膝にすっぽりと収まるイグニスは地図を睨みつけながらに独りごちる。そのサラサラな赤髪に丹念に櫛を通しながら、愛想ばかりに何がさと相槌を打った。
「いやね、この森だよ。地図は正式な物だろう。なのに道を違えた場所まで戻って、また迷った」
まるで私が馬鹿みたいだと、なんとも反応に困る事を呟く魔女。確かに地図が間違っている事は無い。何せディオンが用意してくれたものだ。それはそれとして、大森林は複雑だからとガイドを用意してくれたのに断ったのもイグニスだった。
大森林を舐めたのが悪いと言えばそれまでなのだけど、迷ったのが余程に悔しいのだろう。打開策を考えながら同時に何故と考え続けている。その心のタフさは見習いたい所である。
「どのみちもう暗くて移動は出来ないし、ゆっくり考えておくれよ。はい、終わり」
「うん、ありがとう」
イグニスはそう言いながらも俺の膝に居座り火に当たっていた。ゆっくりをこの態勢でと受け取られたようだ。若干邪魔なのだけど、もう夕食も済んだし構うまい。
周囲はすっかり薄暗いが時刻で言えばまだ夕方。進むことを諦めた俺たちは道端に早々に野営の準備をしたのだった。遭難の最中だと消耗品の残量が怖いが、火も水も魔道具でどうにかなって。心配だった食料は張り切る魔女が森を歩きごっそりと食材を採ってきてくれた。
エルフが管理しているだけあり草以外にもキノコや果物と自然の恵みが豊富なようだ。ただ食べ終わった後で密採だから黙っていろと脅される。俺は絶句したね。
「ついでだしリュカもやろうか?」
「うるせえ、オレに触るな」
おいでよと手を伸ばしたら跳ね除けられてしまった。出会ったばかりで少し慣れ慣れしかったか。
髪を梳かしていたのは何もイチャイチャしていた訳ではなく、虱などの虫を付けない様にだ。野宿が多い身なので日頃から気を付けてはいる。だけど森の中では一層に注意を払う必要があるのである。なので互いに櫛を掛け合っていた。
「お前ら何者なんだ?」
「だから、ただの旅の者だって」
中性的な顔をした少年は俺たちと同じ火を囲むも一歩引いている。その立ち位置に彼の警戒心が見えるようだ。
それに関して責めはしまい。正直信用しきっていないのはこちらも同じ。荷物には現金も多くあるので、油断はしないようにと釘を刺されていた。勇者一行という身分も明かしていない。
「ただの人間があんな魔獣を倒せるかよ!」
「あんなのちょっと大きい蟷螂じゃんか」
(カカカ。すぐにジグーと泣き叫んでいた頃が懐かしいの)
そうだね。廃城に住んでいた頃がもう懐かしく感じる。毎日毎日殺されそうになっていたっけなぁ。遠い目。
「まぁ無理に信用しろとは言わないけど、あまり気を張っていると疲れるよ」
俺はこれを使いなと自分の毛布を彼に渡した。リュカは納得の行かない顔をしながらも、おずおずと受け取る。その手には蟷螂の腕を槍に加工した物を握っていて。夕食の後から何かしているとは思ったけど、そんなものを作っていたのね。
なお蟷螂に特に言う事は無い。道中に出会った魔獣。いや魔虫になるのだろうか。木に擬態して襲って来たので普通にぶった切った。どうでもいいけど緑色で二刀流なので俺はヴァンを思い出した。今度会ったらカマキリ野郎って呼んでやろう。
狼少年は俺たちの戦力を警戒をしているようだった。周囲は虫と食獣植物溢れる野生の園。同行者は自分を容易く捻じ伏せる見知らぬ人間。そんな環境で今になり心細くなって善意を疑い始めたらしい。
俺としては火の明かりに釣られて飛んでくる30センチくらいの蛾の方が余程怖いのだけどね。いやホント。どうか顔にだけは飛んで来ないで欲しい。
「オレだって、魔力が使えれば……」
吐き捨てる様に言う少年の言葉を聞き流す。道中で分かった事だが彼は魔力を使えないようだ。確かにそこには大きな壁があるけれど、これは別に同情する事では無いだろう。俺は魔力が使えなくても狩人として立派に魔獣と戦う人を知っていた。
(カッ、一人で狩りに出たというわりにはヘタレじゃな)
「言ってやるなよ。それでも武器を持つなら大したもんさ」
「……誰と喋ってるんだよ?」
ついジグルベインに返答してしまった俺。リュカはまだ仲間が居るのかと、鼻を鳴らしながら闇に包まれた森へと目を彷徨わせる。咄嗟に出た言い訳は脳内友達が居るんだという稚拙なもので、無言に聞いていたイグニスが思わず噴き出していた。
「その……生きてればきっと良いことあるからよ……」
「止めろ! そんな目を向けるんじゃねー!!」
(カカカ。どうも脳内友達です)
こいつ頭大丈夫なのかと哀れみの視線が注がれた。居るもん。ジグルベインは居るんだもん。なんなら魔王を解き放ってもいいのだぞ。
リュカはそんな俺に呆れたか、近づいたらぶっ飛ばすと言い残し、その場で毛布に包まりゴロリと横になってしまった。俺としてはもう少し会話がしたい。というか言い訳をさせて欲しかった。
「ツカサ、あまり構うなよ。状況が変わらないというのは、それなりに負担なものさ」
「そっか。それもあったか」
町まで送り届けると言って俺たちは迷子になったのだった。いつ帰れるのかという不安と騙されているのではという疑惑を感じても仕方ないのだろう。じゃあ明日は前進しないとねと、イグニスの肩に顎を置いて手元の地図を一緒に眺めた。
「道分かりそう?」
「一応仮説は出来たんだけど、打開策があるかと言われると慎重にとしか言えない」
イグニスは森の輪郭をさっさと指で線を引いた。西に人の町、北にベルモア。大森林をエルフの国とするのなら、この付近は国境なのだと。だから侵攻されない様にあえて複雑な作りにしているのではないかというのが魔女の予想だ。
「森が整い過ぎている。目印という目印が無い。魔力の反応が無い事を踏まえると、視覚から方向感覚を狂わせているのかな。単純だからこそ厄介だね」
俺はああと頷いた。思い返せばトイレでちょっと脇道に逸れたからと言って道を間違えるかという話だ。それは逆に考えるならば、間違ってしまう程に風景が似ていたとも言える。
木に囲まれた森の中で目印するのは、やはり木だ。自然に育ったものならば個性的で特徴的な成長もするけれど、それを管理されて、どれも似たような恰好にされていたならば。
もっと言えば、目印になりそうな物まで意図的に配置されていたとしたらどうだろう。何処を見ても、見た事があるような風景になってしまうのではないか。
「どうすんのさ、それ」
「だから注意するしか無いんだって」
幸いに手元には大雑把ではあるが正解の道筋が記されている。後はもうただ慎重に、現在位置を把握しながら、見え辛い分岐路だろうと見落とさずに歩を刻む。それだけさと、ややオーバーに肩を竦めたイグニス。
(のう、あのガキが本当に狼の獣人ならば、もう少し楽に進めるのではないか)
「なるほど、匂いか!」
リュカの見た目があまりに人間なので思い至らなかった。同じ狼の獣人であるウルガさんは森の中でも鹿の匂いを追い追跡していたではないか。道はあるのだから通る人の匂いを手繰ればと、一気に光明が見えた気がした。
「ああ、駄目駄目。ベルモアは獣人の国だぞ。この森が防壁代わりならとっくに対策はされているよ」
「そっかー」
(役立たずなガキじゃい)
匂いの強い木や花を時々見かけると首を横に振る魔女。せっかくの妙案だけに落胆をした。そりゃイグニスなら思い浮かばないわけないか。
「そういう事。火は私が見ているから先に休みなよ」
やはり地道に行くしか無いようで、明日は集中力を使うから早く寝ろと魔女は毛布を貸してくれる。ならお言葉に甘えてと横になった時の事だった。
「アホォーン!!」
森閑の夜空に木霊する獣の遠吠え。まだかなり遠いなと思っていると、飛び起きた少年が信じられないとばかりに叫んだ。
「嘘だろ。アイツ、オレをこんな所まで追って来やがったのか!?」