ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~   作:雨居神宮

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304 戦いに備えろ

 

 

 あふあふと大きな欠伸をするイグニスは、眠気覚ましに熱々の珈琲を飲んでいた。野営では短い睡眠を繰り返すので朝だと言うのに何とも冴えない表情である。

 

 対してリュカは充血させた真っ赤な目で、珈琲にフーフーと息を吹きかけ冷ましている。どうにも魔獣に追われていると分かり一睡も出来なかったようだ。俺が火番をしている時もずっと槍を抱えて落ち着かない様子だった。

 

「というかイグニスは鍛錬しなくていいの? カノンさんに会ったらまた怒られるよ」

 

「何を言うんだ、ちゃんと寝る前にしているだろう。だからカノンには頑張っていたって伝えて欲しい」

 

「まぁ判断はカノンさんが下すさ」

 

 有罪(ギルティ)だろうがね。俺が知るのは鍛錬というよりも軽い運動だもの。てっきり酒が飲めないから寝付きを良くする為に行っているのかと思っていた。

 

 こちらは起きてからずっと剣を振っていたので、目はとっくに冴えているし体の方も絶好調である。ちなみに火番の交代の目安はランタンの炎だ。魔力式ランタンは一度魔力を注げば1鐘分。約三時間持つので、それを時計代わりにしていた。

 

「さ、揃ったし朝ご飯にしようか。俺もうペコペコで」

 

「じゃあ私が作ろう。ふふふ、今日はボコが卵を産んでいたよ」

 

「本当、やったー」

 

 何を作ろうかねと考えながら汗を拭いっていると、ジャジャンと取り出される巨大卵。俺はやっほーいと小躍りしながら席に着く。

 

 気づけばボコが卵を産む日は定番の料理が決まっていた。その名もイグニスオムレツ。青汁の代わりに気まぐれで野草が放り込まれているが、同時にベーコンなどの肉も入っているので、これが非常に美味しい。

 

 旅の最中ではなんとも嬉しいタンパク源。鶏卵に比べ20倍以上ある量は一つでも食べ応え抜群だ。今日はキノコも加える様で、鼻歌交じりに溶き卵に投入されていく材料を腹を鳴らせて俺は眺めた。

 

「……なんでだ」

 

「うん? 野草の事なら、青汁を飲むのに比べたら大分ましだぞ」

 

 てっきり鍋に投入される具に文句があるのかと思ったのだけど、リュカは俺たちが変わらぬ生活をしている事に不満があるようだった。

 

 魔女は卵を焦がさないように、「よっ」「ほっ」と掛け声を挙げながら調理に夢中。なので俺が疑問に答えるべく少年と向き合う。

 

「昨日言った通りだよ。この森は迷いやすく作られているから、明るい時間に慎重に進もうって話をしたろ」

 

「聞いたよ。だから朝を待ってりゃ楽しく料理始めてんじゃん!?」

 

 分かんねーとばかりに頭を抱えるリュカ。俺たちは心持ちに大きな齟齬がありそうだった。こちらも別に警戒をしていない訳ではない。相手が追ってくると言うのなら、むしろ一番警戒をしていたのは夜襲だ。

 

 視覚が閉ざされた中、森という遮蔽物が多い場所で戦うのは最悪である。だから開けた場所で火を焚き続けた。そして、それを乗り越えたならば、次に行うのは一つ。

 

「ちゃんと飯を食って力付けな。寝てない、飯食ってない。そんな言い訳を胃袋の中でしても遅いよ」 

 

(で、あるな)

 

 備えだ。逃げられぬならば、迎え撃つ準備が要る。コンディションだってその一つ。

 

 戦う時に戦えないのは戦士失格だよと先輩風を吹かせたら、リュカは神妙な面持ちでコクリと頷き。はい出来たと皿に大量に盛り付けられるオムレツに、ガツリガツリと勢いよく食らいついた。

 

「うんまー。やっぱイグニスと言ったらこれだよね」

 

「っは、君がコレしか作らせないせいでコレだけは上手くなっただろう?」

 

 皮肉たっぷりに笑われた。だって野営の料理に期待していないイグニスは味より栄養を優先するんだもの。まずは青汁作りから始めなければこちらだって料理当番を任せたいものだ。

 

 

 そうして腹ごしらえも済ませ、俺達はエルフの町を目指して進みだした。

 昨日も歩いた森を通る馬車道。緑の中に伸びる茶色の絨毯の上を進む。所々に木漏れ日が入る樹木のトンネルの下だった。

 

 迷路の様に作られていると言われればなるほど、前を見ても後ろを見ても似た作り。森なのだから木が有って当然という心理を上手く利用されたようだ。

 

「随分と念入りだよね」

 

 タルグルント湖で迷い込んだドワーフの鉱山は、結果として迷路の様に入り込んでいた。しかしこちらはどうか。最初から人を惑わす前提で森を作っているではないか。そこまで町に近づけたくないのかと疑問に思う。

 

「そうだね。こりゃあ今通る道も怪しいかな。気づけば轍も無くなっているよ」

 

 言われ地面に注視をする。なるほど、薄暗いのであまり気にしなかったけれど地面が平坦だ。この道は馬車の通りが無いのである。少なくとも日常的に使われている事は無さそうだった。

 

「くそっ。鼻が使えりゃあな。この森は木や花の香りが強すぎて調子狂うぜ」

 

 土を犬の様にスンスンと嗅ぐリュカ。文句を言いながらも俺たち以外は暫く通って居ないとの事だった。真似て俺も匂いを嗅いでみるけれど、ふくよかな土と香ばし木、そして植物の青い匂いしか感じない。

 

「へえ、やっぱり分かるんだ」

 

「ああ、分かる。といってもオレは人間より少し鼻が利く程度だけどな」

 

 凄いじゃんと褒めると、少年は大した事じゃないと鼻を擦りながらそっぽを向いた。

 やはりイグニスの想像通りに匂い対策が施されているようだ。まぁそれは薄っすら予想がついた事だけどね。

 

 追ってくる獣の足が遅いのである。魔獣はやはり夜行性が多いので、昨日大して進めなかった事を考えれば夜に襲われる事を覚悟していた。それがまだ追いついて来ないという事は、相手もこの迷いの森にドハマりしているのだろう。

 

「こりゃあ昔聞いた噂話が信憑性を帯びてきたかな」

 

「へえ、迷子になったら出れないとか?」

 

 いや、と地図と方位磁石に忙しなく目を動かす魔女は答えた。この場所はシュバール国ではあるが、エルフが自治権を持つ区域で。所属は未だに【混沌】の魔王軍なのであると。

 

(お、まじか。本当なら誉めてやろうぞ。カカカ)

 

「それって何か得があるの?」

 

「得というか、シエルが生きているから抜けられないという話を聞いたよ」

 

 その肝心のシエルさんが長らく行方不明だったので本当に噂話らしい。事実としてエルフは人間と普通に交流をしているのだ。だが水没という緊急事態が発端だった為に、その辺が有耶無耶なのではという事である。

 

「でも、それならキトが此処に来た理由も頷けるね」

 

「だろう。少なくとも軍勢はこの場所がシエルの本拠地だと認識しているんだもんな」

 

「お前ら、何の話をしてるんだ?」

 

 真剣に進めと憤る少年だが、俺は薄っすらと背景を理解し始める。エルフは自衛目的ならば森を魔改造くらいはするだろう。何せシエルさんの作ったラウトゥーラの森も大概酷い環境だったもの。これは気合を入れるようかなと密かに褌を絞めて。

 

「おや」

 

 暫く歩いたらパアと急に視界が明るくなる。どうやら草原に抜け出たようだった。ふんだんな日差しが入るその場所は一面に短い草が生い茂っている。リュカが感じた花の匂いはここが発端なのか、赤や白の可愛らしい花弁がフワリと風に揺れていた。

 

「イグニス!」

 

「ああ、やったね。これは地図にも載っている場所だ。現在地の確認としては申し分ないよ」

 

 そう、これが欲しかったのだ。地図に書かれているのは大通りと局所的な目印だけで。迷い込んだ小道のせいで今何処に居るのかすら不明だったけれど、改めて自分たちの進捗を確認する事が出来たのだった。

 

 草原を駆け出し、へーいと魔女とハイタッチをすると、ボコまでもが嬉しいのかブエーブエーと鳴き始める。いや違う。これは警戒の鳴き声だ。

 

「お、オイオイ。大丈夫なのかよここ!」

 

 ブブーンと耳障りな羽音と共に頭上に沢山の影が落ちて来る。近くに蜂の巣でも有ったか、すっかり臨戦態勢の蜂がお出迎えしてくれた。

 

 上にばかり視線を向けていると、ズゴゴと地面が揺れて。そんな蜂の何匹かが鋭い触手の犠牲になった。地蜘蛛という奴か、土から飛び出した巨大蜘蛛がバリボリと捕食している。なんだこっちにも餌あるじゃんとばかりに多眼をこちらに向けて来た。

 

「アホォーン!!」

 

「選りに選って今かよ……」

 

(カカカ。千客万来であるな)

 

 後ろではやっと見つけたとばかりに獣の鳴き声。ライオンの様な鬣と牛の様な角を生やした大きな獅子犬が涎を垂らしご機嫌な顔で駆けて来る。

 

 どうするんだと少年の絶叫が聞こえた。やれやれ、飯食っておいて良かったろ。タフな仕事になりそうだと、俺はゾルゾルと黒剣を引き抜いた。

 

 

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