ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~   作:雨居神宮

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306 眠れぬ夜

 

 

「そろそろ包帯を取り替えるね」

 

 

 力なく横たわる少女から返答は無かった。思わず泣きたい心地になるのを下唇を噛みこんでグッと我慢する。一番辛いのはイグニスなのだ。彼女が動けぬ時こそ俺が頑張らなければ。

 

 

 ボコの背には木の枝と防水布で作った担架を括り付けていて。イグニスの横たわるそれをリュカの手を借りてゆっくりと地面へと下す。

 

 

「ボコも今日はお疲れ。頑張ってくれたな」

 

 

 愛鳥を労いながら餌と水の用意をする。逸る気持ちもあり今日は随分と遅くまで歩を進めてしまった。恐らく時刻はもう深夜。病人を背に乗せているせいで速度こそゆっくりであったが、普段の倍近い時間を歩かせてしまい反省をする。

 

 

 でもその甲斐あってと言うべきか。草原を抜けて再び森を歩く俺たちだが、無事に地図のルートに乗る事が出来た。進捗は一応順調だ。

 

 

「イグニス大丈夫かな……」

 

 

(そう心配ばかりしても治らんぞ。死んでないのだから何とかなるさ)

 

 

「うん、そうだね」

 

 

 ジグルベインもきっと傷付く俺をこんな感じで眺めているのだろう。苦しんでいる仲間が居るのに何も出来ないというのは無力感しか覚えない。

 

 

 とはいえ最悪で無いのも確かだった。アナフィラキシーショックというのは割と短時間で命を落とすと聞いた事がある。イグニスが蜂に刺され早半日、蜂毒と聞いた時には疑ったものだが、即死という事態は免れているのだ。

 

 

「すげえ根性だよな、そいつ」

 

 

「……だろう。イグニスはそういう奴なんだ」

 

 

 野営の準備をリュカに任せてイグニスの手当をしていると、調子はどうだと覗き込んできた少年が言った。

 

 

 俺は医者では無いので判断は出来ない。だから見た目だけの話をすると、相当に酷い。深く針が刺さった場所は、右腕と左わき腹、左太ももの三か所。それ以外も浅いが複数の針が当たったようだ。腕などは太さが二倍くらいに感じる程に腫れ上がってしまっている。

 

 

「うっ……」

 

 

 薬草を塗り替えるべく腕の包帯を解くと、そこにはまるで噴火寸前の火山の様に膿を蓄えた傷口があった。腫れ上がり、周囲が壊死し、黄ばんだ膿がダクダクと溢れて来る。

 

 

 思えば相手の蜂は拳を超える大きさだった。雀蜂と比べても3倍近い巨大さで魔虫なのだから、その分毒の量も多く強いと考えるべきか。

 

 

 しかし、酷いのは処置の間に合わない腕だけだった。わき腹と太ももは魔女の手自らにより、焼き焦がしてあったのだ。きっと蹲り悶えていたあの時。咄嗟に毒を理解し処置したのである。

 

 

 これを見た時は俺もリュカも唖然としたものだ。毒だからって自分の腹を焼くのは普通躊躇うだろう。だがそれを実行するのがイグニスという女なのであった。いや、理屈は分かる。回復魔法だ。毒は解毒出来なくても、火傷ならば治せるという見込みなのだと思う。それはそれとして覚悟が決まりすぎている。

 

 

「……終わったら薬貸せよ。お前にも塗ってやる」

 

 

「うん、ありがとう」

 

 

 少年は今朝のツンケンとした態度を何処へやら、同じ危険を乗り越えたからか少しばかり当たりが柔らかくなっていた。やはりあの獅子犬に追われているという状況が心理的に負担だったのだろう。イグニスに虫刺されと火傷の薬を塗り、包帯を巻いて。じゃあ頼むよと俺も上着を脱いで背中を晒す。

 

 

 どうやら逃げている最中に俺もやられたらしい。らしい、というのは自覚が無いのだった。だが結果として背中が痛痒く、虫刺されの様に若干赤んでいる。俺には蜂の針が刺さらなかったのだろうとジグが言う。つまりこれが戦士と魔法使いの防御力の差だった。

 

 

「インチキだよなぁ、魔力使いってやつはよ」

 

 

「あの蜂自体はそんなに強く無いんだろうね」

 

 

 針をマシンガンの様に撃ってくると聞くと怖いが、俺の魔力防御を抜けなかった。ならば矢も通さない皮を持つ魔獣には大した脅威ではあるまい。だからこそ毒を使うのである。

 

 

「そういえばリュカもありがとう。あの時に犬と戦っていたら、逃げるの遅れていたと思う」

 

 

「へへ、いいさ。オレも剣には助けられた。色々あったけど、この手で仕留められたしな」

 

 

 背中で薬を伸ばす小さな手の感触を味わっていると、後ろからは誇らしげな笑い声が聞こえた。死体を運ぶ時間は無かったけれど、倒した証拠として牙を持ち帰って来たそうだ。

 

 

「これで立派な戦士として認められれば、オレも魔力を貰えるかなぁ……」

 

 

「へぇリュカの両親は魔力使いなんだ」

 

 

「まぁな。親父には会った事ないんだけど、すげえ強い戦士だって母ちゃんから聞いてるぜ」

 

 

「そっか」

 

 

 彼は複雑な家庭環境を抱えている様で俺も深くは聞かなかった。ただ、一人で魔獣を倒す瞬間は確かにこの目で見た。きっと認めて貰えるさとリュカの勇気を称える。

 

 

(お前さん、見張りくらいは儂でも出来る。少しは目を瞑れ)

 

 

「ふふ、本当にジグは優しいね」

 

 

(お前さんにだけじゃがな)

 

 

 今日はリュカも疲れたのだろう。食後に目を擦り始めたかと思えば、いつの間にか夢の中である。毛布くらい使えとそっと布団を被せた。俺も眠いけれど火番をしなければ。こんな危険な場所で全員仲良く眠りこける訳には行かないのである。

 

 

(しかしそれでは)

 

 

「一日二日くらい寝なくても大丈夫さ」

 

 

 それに看病も意外とやる事はある。薬を使い終わったので新しく作り、膿に塗れた包帯を洗濯し。そうだ、魔女が起きた時に食べられる消化の良い物も用意しよう。ラメールで買った米を使って薬草粥でも作ろうか。ぶっちゃけイグニスが居ないと食材の調達が難しいんだよね。

 

 

「ツカサ……」

 

 

「あ、起きた?」

 

 

 匂いにでも誘われたか、粥を仕込んでいると赤髪の少女は普段からは想像も出来ない程に弱弱しい声で俺の名を呼んだ。すぐさまに駆け寄ると水が飲みたいと言うもので体を起こす手伝いをしながら、ハイとコップを口元に運ぶ。

 

 

「ぷはっ。はぁ……水が美味しい」

 

 

「それは良かった。体調はどう?」

 

 

「最悪だ。傷口は痛むし、熱のせいで頭がぼやけて吐き気も酷い」

 

 

 油断したーと盛大な溜息を溢す魔女。そんな彼女に生きていれば勝ちだよと返し、その耳触りの良い声を聴けて安心をした。

 

 

「今ちょうどお粥を作ったんだ。食べられるかな」

 

 

「正直あんまり食欲は無いんだけど、貰うよ」

 

 

 そうだろう。栄養の大事さを理解するイグニスならば、少量だろうと必ず口にすると思った。器に少量を取り分けて、俺もついでに夜食として食べようかなと自分の分も用意する。

 

 

 だが、いざ食事を始めようとすると、イグニスは食器も持たずに赤い瞳でジトーと俺を睨んでいた。言葉は無く、察しろとばかりの圧が酷い。そして理解をした。利き腕が腫れと痛みで動かないのでスプーンを持て無かったのだ。

 

 

「熱いから気を付けてね」

 

 

「面目ない」

 

 

 いつもお世話になっているからね。苦笑いをしながら食事の介護をした。とは言えイグニスが食べれたのはほんの数口だった。眩暈と吐き気が酷いそうだ。食べれなくて御免と謝る彼女に、ゆっくりお休みと声を掛ける。

 

 

「意識が虚ろで覚えてないんだけど、あれから少しは進めたのかい?」

 

 

「うん。迷いやすい場所は過ぎたのかな、ちゃんと地図通りに進めているよ」

 

 

 イグニスは横たわりながらも寝付けないようだった。なので隣に付き添って目を瞑る少女の会話の相手をする。遅くても明後日には町に着くだろうと言えば、目に見える程に安堵の表情を浮かべていた。

 

 

 俺としても聞きたい事があったので助かる。ズバリ処置だ。患部に薬を塗るくらいしか出来なかったので正しい手当の方法を知りたかったのだ。

 

 

「矢毒蜂の毒はね……」

 

 

 普段から話の長い女だが、熱に浮かされいるせいか、うわごとの様に毒の成分と影響を語っていた。いいから処置法を教えろと言うと、患部を冷やし今まで通り薬を塗ってくれとの事だ。それと痛み止めは持って無いけれど解熱剤は持っているらしい。先に言え。

 

 

「さて、俺も頑張るか」

 

 

 その後、トイレに行く一人で行くと暴れたり、裾を握ったまま寝られて身動き出来なくなったりと色々あった。けれど少しばかり顔色の良くなったイグニスの寝顔は俺に沢山の元気をくれた。二つの寝息を聞きながら、欠伸を噛み殺して朝日が昇るのを待って。

 

 

「くんくん。煙の匂いだ。何か焚いてるな。おい……多分この先に人が居るぜ」

 

 

「本当! うわぁやった。リュカ凄え!!」

 

 

 森を進んでいると狼少年は何かの匂いを感じ取ったらしい。人の気配を確信し、こっちだと道を示すリュカに抱き着き頬ずりをした。殴られた。

 

 

 

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