ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
世界樹が作ったというクレーターの上に建設された処刑場。
壁はすり鉢状だが急勾配。高さは20メートル程で、下から見上げるならば、もはやそそり立つ断崖だ。翼無き人類にはあまりに高く、小鳥の様に飛んで逃げ出す事は叶わない。
敷地もかなり広く、直径200メートルくらいはあるだろうか。地下には大穴が開いているのだが、石で固められた床は飛んでも跳ねてもピクリともしない頑強さだ。
例外があるとすれば中央付近。処刑場の四隅には大きな手動のクレーンがあり、そこから四本の厳ついワイヤーが垂れ下がっている。あれが地獄の蓋と呼ばれている、ジャバウォッくんの元へ繋がる稼働床だった。
きっと死体は餌として捨てられるのだろう。そう感じる程に、この空間には死臭が満ちている。足元には血痕がどす黒くこびり付き、体液の酸化した臭いが鼻を衝く。耳を澄ませば死者の慟哭さえ聞こえてきそうではないか。
人間である俺でさえそう感じるのだ。嗅覚の優れた獣人ならば、より敏感に感じ取る事だろう。或いはその結果、興奮しているからこそ、誰も彼もがこう叫ぶのだろうか。
「「殺せ、殺せー!!」」
まったく下品な連中だ。ここはまるで奴らの虫篭。無邪気で邪悪な子供は、安全地帯から中の様子を眺めていて。放り込まれた俺と熊は、生き延びる為に喰らい合う。
「「うぉあああ!!」」
互いに雄たけびを上げながら前に出る。まずは力比べだ。四つに組もうかと俺は熊に向かい一直線で進んだ。
「あり?」
けれども片思いだったらしい。最高速からのタックルは身軽にもヒョイと頭上に避けられてしまう。こうなると速度が仇だった。勢いを殺すべく一歩二歩と減速に費やす事に。その隙に容易に背後を取られ、熊はいきなり浴びせ蹴りの大技を繰り出す。
「ひゅー! いいぞブルアン!」
当たるかよ。前転して躱すのだが、観客は沸き、熊は得意げにドヤ顔を浮かべていた。
地獄に落とされる前にチラリとプロレスと似た事をしているのを見たが、やはりこの派手な戦い方がこちらの主流なのだろうか。
「そういえば道中の馬鹿な馬もそんな事してたな」
(カカカ。あの自爆は芸術点高かったのぅ)
お前さんもやるのかと魔王に期待の眼差しを向けられる。生憎と俺はプロレスに詳しくなかった。けれど黒豹さんには人気を取れと言われているのも事実で。どうするんだコレと、取り合えず見栄えの良さそうな飛び蹴りを放つ。
(おおっと、相手はここでベアハッグ。これぞ本物のベアハグだー!)
「ジグ、うるせーテメー!」
こっちは真剣なんだぞ。だが、その本気の蹴りはいとも簡単に受け止められてしまう。大活性を使っているので威力はあるはずなのだけど、体格と脂肪で耐えきったのだ。そしてジグルベインの解説通りにガシリと抱え込まれて。
「ぐへへ、チビの相手は楽だな」
「うっそだろ。やめぇ……!!」
投げ技。確かにこれも見栄えのする技である。熊は俺を抱え込んだまま、顔面が床に落ちるように倒れ込んだ。100キロを余裕で超える体重と、身体強化のパワーで思い切りだ。
視界が吸い込まれる様に地面に落ちていき、俺はこれが確かに殺し合いなのだと実感する。何せ足場はマットではなく固い石だ。単純な技巧も一気に殺意に満ちる。止めて、こんなの脳みそ飛び出ちゃうよ。
「き……効いたぁ」
「!?」
熊は起き上がる俺を見て、目を剥いた。実際死ぬかと思ったのだが、必死の纏鱗でなんとか凌げたらしい。けれど頭頂から流血が激しく、脳みそが揺れているのか平行感覚も怪しい。
「へへへ。やっぱ強いね獣人は」
こうでなくてはと噴き出る鼻血を腕で拭った。獣人は強い。知っている。なにせ獣の身体能力に人間の知能と技術が加わるのである。魔力の使えないウルガさんや喧嘩慣れしている程度のティグでさえ強敵だったものだ。
そして今日初めて戦う、本職の獣人の驚異の戦闘能力。騎士を軍人と言うならば、彼らはプロの格闘家。立派に人を殺める術に長けた闘士なのだった。
そんな熊男が突如グラリと揺れる。良かった効いたか。投げられる直前に、俺も膝で後頭部を叩いている。悪あがきだが、反撃により相手の技は不完全で終わっていた。
「……俺も闘士の端くれだ、動かなければ楽にしてやるぞ。お前は生きたまま始獣の餌にするのは勿体無い」
「面白い冗談だな。手負いの獣が一番怖いって知らないのか」
「そのようだな」
ガオーと両腕を持ち上げ構える姿は熊そのもの。掛かって来いという挑発と受け取り、拳を握りしめて前に出る。
出鼻を挫く様に、頬へ相手の拳がぶち当たった。リーチ。体格差により生まれる、どうしようもない残酷な長さ。首が捩じ切れそうな衝撃を、んぎぎと歯を食いしばり、魔力を込めて踏ん張って。
「オッラァ!」
「ぐぼぉ!?」
懐に潜り込み、今度は俺の拳が炸裂した。相手は大きな体をくの字にへし曲げて、それでも衰えぬ威力が両足を宙に浮かす。魔力を防御に使う纏鱗だが、攻撃に転じた時、これを
「うぉお必殺、
上級騎士は通常攻撃として放つが、まだ背中の見えぬ俺。今出来る事は少しでも剛活性に近づけと、魔力を目一杯に圧縮し密度を高めるのみだ。キトとの死闘を思いだせ。あの時は出来た。一撃毎に重く、速く、鋭く穿て。
「オラオラオラアラオラオラオラァ!!」
(オラオラ言ってるだけじゃないですか、やだー)
右、左、右。反撃を一切許すこと無く叩き込む。手応えはあった。相手は重い攻撃に意識を飛ばしたか、巨体はズシンと地に倒れ沈黙する。
俺はその姿を見下ろしながら、ゼイハアと肩で息をする。大ダメージの後の連打は負担が大きかった。膝なんてガクガクと暴れていて、早く休ませろと訴えてくる。
「……」
気づけば静まり返った会場に、どうだと勝ち名乗りを上げようとして。フシューと大きな呼吸音が聞こえた。床から俺を睨む眼光は野生の動物の様に鋭く、けれど動物には宿らぬ強い色を見せる。意地。痛かろうに辛かろうに、これしきで負けるものかと、戦士の矜持が安息を否定するのだ。
「まだ……だろ?」
「うん。まだだね」
なんと熊は起き上がってしまった。10カウント制ならばもう勝負はついているのだけど、審判も居ない戦いだ。俺は相手の挑戦を晴れ晴れしい気持ちで受け入れる。
「グルァア!!」
吠える熊は意地を魅せ最後の跳躍をした。ボディプレス。巨体で押し潰そうと、倒れこむ様に迫る。一見雑な攻撃に感じるのだけど、勘が危険だと告げる。
これは俺を捕まえに来たのだ。一度投げた経験から組み合えば負けないと確信があるのである。証拠に左右からは長い腕が逃げ場を奪う様に囲っていた。
「上、等!!」
逃げ場が無いなら前に出るのみ。俺は自分から奴の腹の下へと潜り込んだ。太く重そうな外見で威圧されるが、あってもせいぜい150キロくらいだろう。魔力使いならば片手だって持ち上がる重量だ。
「おおお!?」
(こ、これは!)
そして今度は俺が飛んだ。迅足を使い、熊を担ぎながら10メートル越えの大ジャンプである。良く覚えていないが、確かこんな感じだっただろう。相手を逆さまにし、両の足首を掴む。着地の衝撃で強制的に股裂きを行うのだ。
「こんな技を知ってるかい獣闘士。これが――ジグルバスターだ!!」
(カカカ。これなら儂も満足よ)
ドスンと地に足が着くと同時、野太い獣の咆哮が木霊する。これにて決着だ。ドヤんと勝利のVサインを掲げるのだが、返って来たのはブーイングだった。もうハッキリ言おう、俺コイツ等嫌いだよ。
「殺せよ。囚人との戦いはどちらかの命を始獣に捧げ終わるのだ」
「そういう事か」
俺が下手なのか獣人が柔らかいのか知らないが、熊は股を抑えながら声を出した。意外と元気そうな姿にびっくりである。けれどももう起き上がる力までは無いようで、死期を悟った様な満足気な顔で空を仰いでいた。だから俺は言う。
「俺は死ねと思って殴った。それでも生きてるんだから、儲けだね」
「はぁ……呆れた男だな。汝にウテリアの加護あれ」
観客は命のやりとりが無いと悟ったのだろう。またもやブーイングが上がるのだけど、こちらは元から悪役、気にしない。逆にうるせえと唾を飛ばしてやった。残念だねジャバくん、今日は君の餌抜きよ。
「まずは一勝」
俺を捕らえに来る兵士に大人しく捕まりながら不敵に見下ろす狼を睨みつけた。英雄様は、まるでご馳走を眺めるようにニンマリと笑っていた。