ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「ガゥルァ!」
腹部に突き刺さる拳は魔力防御の上からだと言うのに膝から崩れ落ちそうなほど強烈なものだった。
実際に一度負けている。不意打ち気味であったが、ただの一撃で意識を飛ばしかけたのだ。だが耐えろ。歯を食いしばれ。痛くない。今度は戦うのだという明確な意思があり。
「うぁああ!」
口から涎をダラダラと垂らしながら俺は負けずと拳を振るう。これではどちらが獣か。やぶれかぶれに振るった腕であったが狼は避ける事は無かった。さながら格の違いを見せつける様に堂々と受け、そして当然の様に立つ。
「良い拳だ。皮肉だなぁ。人狼より人間の方が、よほど餓えた眼をしていやがるぜ」
「うるせぇ、俺はテメェとお喋りがしてえんじゃねえんだよ!」
足場はグラグラと揺れる稼働床の上。周囲は火が囲み、槍を地面に打ち付ける音色がもっとやれと囃し立てる。最強の狼との闘いは、そうして月と獣に見守られながら始まった。
痛みに揺れる頭の中で、どうしてこんな大事になったのだと疑問に思うばかりである。一発、いや十発くらいぶん殴れれば満足だったんだけどな。
◆
「喧嘩は買った。場所を移そう」
そう言うや狼男は俺の首根っこを掴み跳躍した。一体何処へ行こうというのか、折角到達した出口がグングン小さくなって。後ろを黒豹さんが必死の形相で追って来るのが見えた。
「ココは……」
ジャバくんの死体が横たわる、稼働床の上であった。何故こんな場所にと考えているうちにも、ヴォルフガングは首のもげた始獣の体を舞台から降ろし始めている。
「頭は燃やさなければな。この具合だと蘇生までに蝋燭1本も掛からないか。まぁ十分だろう」
流石はお役目としてアリスを殺し続ける男。損傷の程度から回復の時間を逆算出来るらしい。俺はごめんなさいと静かに遺体に手を合わせる。不死とは言え、俺の身勝手で命を弄んだ事は変わらなかった。
「変わった奴だ。もう何度も殺しておいて」
「状況が違うだろうがよ」
一度は処刑獣として襲われた。二度目は手に負えないくらいまで進化していた。戦わなければならない状況であったのだ。そしてふと思う。この狼はその進化したジャバウォックを瞬殺したのだよな、と。
(……お前さん、アレを見てくれ)
「ぶふっ」
ジグルベインが発見した変異に噴き出してしまった。投げられた始獣の体はグデンとちょうど仰向けに倒れるのだけど。尻尾の付け根、ちょうど排泄孔がある部分が、やたらと強固な鱗で閉じられているのだった。
(尻穴進化しとるー!)
ゲラゲラと笑い転げる魔王。コイツはまたジャバくんに変なトラウマを植え付けていたのである。恐らくは魔銃を習得する時に鎧を失ったので苦肉の策でソコだけ固めたのだろう。
「おい小僧。リュカを無事に逃がしてくれたようだな、ありがとう。だが、退かなくていいのか。今が逃げ時だぞ」
「あ、親分。ご無事で何より」
「なぁに。余裕よ余裕」
巨猫はちょっと一休みといった態で地面に座り込んでいる。伸びるブルドックとの戦いは激しかったようで、軽い言葉とは裏腹に肩で深い息をしていた。
人には退けと言う彼だが、自身はまだ腰を上げる様子が無い。ボスとして子分が無事に退却するのを見守っているのだ。俺はそんな流れに逆らうように、敵陣の真ん中へと戻って来てしまっていた。
「ゴルベ、お前も何とか言ってやってくれ。彼はヴォルフガングと一騎打ちをするつもりだ!」
「ガハハ。そりゃ景気が良い話だ。どれ、じゃあワシが見届けるとしようかのう」
「ゴルベ~!!」
親分は騒ぐ黒豹さんの頭を叩いて黙らせる。お前も獣人ならば感じ入る事は無いのかと。
黒豹さんは、脱出作戦の協力者である猫の言葉だからか。不安の入り混じる円らな瞳で俺を見ていた。
「お前らはこの無謀を勇気を呼ぶのか」
「応。小僧は最強に挑むのだ。無謀結構じゃあねえかよう。理由無く、理屈無く、それでも強大な敵と戦うというのならば。ワシゃそれをアパムゥと呼ぶね」
存分に戦れと太鼓判を押された。そして懐かしき獣の言葉は、俺の尊敬する狩人を思い出し。頑張れと、背にそっと手を当てられた心地となる。
「さて、準備は出来たな。おい、起きろバスガス。舞台を上げさせるんだ」
「はっ! ……ヴォルフガングか。あの糞猫はどうした。今どうなっている?」
俺のご指名を受け入れた狼男は、しかしブルドッグを叩き起こしに向かった。猫親分に伸されていた犬の王。彼は目覚めた途端に騒ぎの結末を問い質す。
「人狼は取り逃がした」
「お前が居たのにか」
「見ての通りだ。人狼には逃げられ、お前は倒れた。追う戦力はもうここには居ない」
狼はつまりは敗北だと説き伏せて周囲を見せる。勢力が入り乱れ、混沌を極めていた舞台だが、今はヴォルフガングの鶴の一声により一応の落ち着きを見せていた。
ジャバウォックの無差別ビームは多大な被害を及ぼしていた。王国側の兵士はほぼ壊滅。猫族一派も被害が大きく撤退をしている。
何より獣闘士は人狼を追う者、始獣を狙う者、俺達の助っ人が混ざり合い。もはや何が目的かも不明になって大乱闘をしていた始末だった。
王は嘆かわしいと頭を抱える。倒れたのは処刑場の常備兵だけだろうが、これから部隊を編成しリュカを追うのでは少し時間が掛かるだろう。その内に出来る限り遠くに逃げて欲しいものである。
「それで?」
ブルドックの皺くちゃな顔が最後に見るのは俺だ。いや、俺たちか。今回の騒ぎの元凶となった黒豹さんと親分の三人が揃っていた。あ、お爺ちゃん入れたら4人か。
バスガスの疑問は、どの面下げてここに居るのかというものだろう。俺としても喧嘩なんて勢いでドカーンとやってしまいたかったのだけど、狼はそれを許してはくれなかったのだ。
「バスガスよ。全部ヴォルフガングに話しちゃった。めんご」
「なにー!? この老いぼれ、あの時アリスに食われておけば良かったのに!」
ベルモア国は人狼を受けれている。獣闘士の英雄ヴォルフガングすらその一人であり、だからこそ旗頭に成り得る、変身が出来るほど血の濃い人狼の出現を恐れていた。
犬は秘密が明らかになり、やべえと表情を歪める。対して狼は涼やかに己の血の源流を受け入れている様であった。
「血など俺には関係が無い事だ。ただ役割を果たすのみ。今日は月夜祭、人狼に代わり最強の獣がアリスと踊る日だ。違うか?」
リュカを見逃した心変わりはそれか。血を振り返り、関係無いと言い切るのであれば、誰が罪を犯していない少女を咎められよう。
バスガスは怒りの矛先が自分に向かわない事に安堵し、やっと冷静に状況を把握する気になったらしい。つまる所、最強への挑戦者の登場を知る。
「いや、しかし人間って」
「挑戦権は誰にでもある。そうだな」
「むむむ……」
この国では既に百獣の王は獅子に非ず。狼である。欲しければ戦え、奪い取れ。強さが正義というシンプルな掟を、国王が認めない訳に行かず。
「聞けーい! 数年ぶりに最強の闘士に挑む者が現れた! 誰ぞ舞台を上げよ。アリスに相応しき英傑を決めるぞ!」
もはや観客席にも人は居ない。騒ぐ元気があるのは獣闘士達くらいのものであった。だが、戦士の矜持を持つ彼らだからこそ、闘争を許容し、無謀を喝采をする。
「なんか大事になっちゃったなぁ……」
(カカカ。気張っていけよ!)
ガラガラと音を立てて稼働床が引きあがっていく。普段は地獄に降りる舞台だが、獣闘士の戦いでは観客席に近くなるように上に行くのだ。
足場は4本の内の一本が切れて不安定だった。床の傾きに眉をしかめていると、狼男はふざけた事にもう一本切ってバランスを取ろうとする。確かに足場は水平になった。しかし左右に揺れてもっと安定を失う。
「何してんだ、馬鹿野郎!」
「こっちの方が面白いだろ。それより覚悟をしておけ、俺だって多少はむしゃくしゃしているんだ」
「……上等だ」
カッとなって売った喧嘩。鉄は熱いうちに打てと言うが、時間を置いて気持ちが少し冷め始めていた。特大の殺意を当てられて体は嫌でも熱を思い出し。そして奴は稲妻にでもなったかの様に駆け出した。
◆
「げほっ」
下の処刑場では、始獣の死体を燃やしているのかメラメラと豪快な炎が上がり視界を朱に染める。まるで火事場にでも放り込まれた気分だが、熱さは実はそれほどでも無い。
むしろ体感では獣の放つ熱気の方が炎よりも凄かった。熱狂のままに槍を打ち鳴らし、金属音と打音が刻むは戦の奏。戦士を鼓舞せよと咆哮が幾重に反響しては鼓膜を揺らす。
「「ウオォオオオオオ!!」」
全ては俺と狼の二匹の獣に向けられた