ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
板張りの床の上をキイキイと揺り椅子が遊んでいた。その上には、頬杖を突きながら不機嫌そうな顔で俺達を眺める男性が座っている。
その人には左腕が無かった。顔にも大きな切り傷が走り、右目が潰れてしまっている。体に残る怪我がまるで歴戦の激しさを伝えて来るようだ。そう思うのは、相手が初老の男性だったからだと思う。
眼光こそ鋭さを残すも目尻や口元に浮かぶ深い皺。ナイスミドルではあるのだが、椅子に寛ぐ姿に覇気薄く、全盛期はとうに過ぎたという雰囲気である。
俺は少し面を食らった気分だった。シエルさんと言えば600歳を過ぎながら20代と言っても通用する程の若々しい肉体を維持しているからだ。息子さんと聞いていたので、もっと幼い姿を想像していたのだけど、これではどちらが親か分からないではないか。
呆けているとオイと脇腹を肘で突かれる。イグニスが挨拶くらいしろと赤い瞳を向けていた。俺はそうだねと気を取り直して、初めましてと名乗りを上げた。
「ソイツがそうなのか?」
「そういう事だ。まぁこればかりは言葉で説明しても納得しないだろうさ」
主語の無い会話に置いて行かれて首を捻る。すると魔女は前回はまともに会話も出来なかったのだと嘆き、すぐさまシシアさんから爆弾を仕掛けた奴がぬかすなと苦情が出た。
それでも今日に繋ぐのがイグニスという女の質の悪いところ。前回わざわざシシアさんが出向てくれたのは、直接聞きたい事があったのだろうと行動から真意を読み取ったのだ。そして俺が帰って来れば分かると説き伏せ、もう一度だけ機会を作ったのである。
「その聞きたかった事と言うのが、今になって何故シエルが動いたのかだ。それは実際に交渉した勇者一行しか知り得ない情報だものな」
「まぁ、森の奥に進めさせたくない意図もありはしたが……」
事実であると老エルフは認める。シエルさんならば、むしろ勇者に反発するはずと考え、その心変わりの理由を知りたがっていたのだ。流石は親子か、想像通りの対応をされた事を思い出し、俺は少し苦い顔になった。
シシアさんは、それでと、初めて俺の顔をまじまじと見つめてきた。一体何故俺なんかが【黒妖】の行動を決定付けたのかと不思議に思っているらしい。魔女の言う通り、これは言葉で説明しても伝わるまい。なので隣で感慨深げにしている幽霊に体を貸す事にする。
「おまっ、何をする、やめろ!?」
魔王は体を得た直後にイグニスに飛び掛かった。魔女は抵抗をする間も無く、首を抱えられて頭から床に叩きつけられた。ダメージは甚大で、少女は踏みつぶされたカエルのような恰好でピクピクと痙攣している。
(惨い)
「ふっ、これぞD・D・Tじゃ。儂をお友達感覚で使ってくれるな阿呆」
(それなんの略?)
「略は……
疑問形であった。嘘だと叫びたい気持ちだったが、プロレス技だとあながち嘘とも言いきれず正解が知りたく悶々とする。教えてグー●ル先生。ジグはさてととイグニスの死体を無視して、揺り椅子の上で固まる男性へと目を向けた。
「カカカ。本当はお前にかましてやろうと思ったのだが、ポックリ逝かれても困るでな。老けたのう、シシア」
「ああ、なんてこった。その滅茶苦茶ぶりは本物だ。ババアが重い腰を動かすのも納得だよ」
ジグルベインは珍しく、優しい声色でエルフの名を呼んだ。するとシシアさんは皺だらけの顔を笑顔で一層に皺深くするのだけど。それはどこか子供の様に無邪気なものであった。
「分かったか?」
「いや、何も分からねえ。一体どういう事だよ」
首を抑えながら復活したイグニスが話を進めようとする。しかし老エルフは謎が深まったとばかり額に手を当てていた。死んだはずの魔王との交代現象を理解しきれないのである。
(聞こえないから言うんだけどさ、シシアさんはなんであんなに年取っているの?)
「それだけ気苦労したという事じゃろや」
人間は背が伸びたり声が変わったり肉体が成長をすることで大人になっていく。けれど
だからエルフは子供が生まれると一本の木を植えるそうだ。肉体の変化が現れずらいので、共に成長する樹木を人生の定規にするらしい。俺はエルフの見た目は心の年齢と聞いてむむむと唸った。
(じゃあ……シエルさんは)
口ではさも年長のように語るが、その実気分は現役バリバリなのではないか。そりゃメイドを着込みまだまだいけると自画自賛するわけである。
「気づいてしまったか。そうじゃ。そろそろ誰かがキツイぞと言ってやらなければなるまいよ」
意地悪魔王はシシアさんに向けて、若作りの母親がメイド服を着てはしゃいでいるのだけど、気分はどうと聞く。息子は苦虫を噛み潰した様な顔で死にたいと告げていた。
「まぁ儂は一度死んだ身。別に命令をする気も無いのだが、良かったらツカサに手を貸してやってくれ」
長話をする気は無いと、あっけなく体を返して来た。魔女が話の続きは出来そうかいとエルフを煽ると、いいだろう席に着けと椅子に座る許可が出る。魔王軍の残党に魔王という名刺は効果抜群なのだった。
「この時期って事はあれか。キトの話が聞きたいんだな?」
「それもあるけどね。私にはどうにも貴方が読めない。今、どの立場で何を考えている」
「……」
イグニスが突きつけるのは、大森林というエルフの自治領の在り方だ。シュバール国の中に存在し、人間と交流を持つ。しかしベルモア国とも取引はする。けれどどちらも立ち入らせない。迷いの森の存在を考えると、確かに厳重過ぎる程に侵入を拒んでいた。
「少数の魔族や、精霊や妖精も住んでいると聞いた。だが本当にそれだけか?」
(げっ、この森に妖精も居るんか)
ジグが変な反応をしていたが、老エルフは深緑の隻眼に力を込めて言った。まるで言ってやったとばかりに清々した表情である。
「俺は混沌の魔王配下、シシア・ストレーガ。【黒妖】とは袂を分かったが、今でもそれだけは変わらねえのよ」
時代の敗北者であり、今や大森林の奥底に隠れる様に隠居する男。されど所属を問われれば、迷うことも恥じることもなく告げた。そして男は、言葉を武器にする様に、ならば勇者一行に問うと切り返す。
「俺らは世界をひっくり返そうとした大戦犯だ。だが、その覚悟に偽り無し」
(止めろ、シシア。それは言わなくていい!)
「お前らはどうだ。真実を知りどう生きる。仮に世界を上書きした存在が居たならば、人はそれを何と呼ぶ。神か、はたまた大魔王か?」
俺もイグニスも答えに詰まり絶句した。魔王の能力は世界の浸食。それはシュバールの止まない雨で嫌というほど理解をしている。そして男は、この世界が既に塗り潰されていると明言したのだ。
「それって、どうなるの?」
「どうもこうもあるか。常識がひっくり返るどころの話じゃない。混沌は、ジグルベインは、文字通りに世界を壊そうとしていやがった!」
赤髪の少女はキッと宙を睨みつけ、八つ当たり気味に拳を振った。奇遇だね、ちょうど魔王もシシアさんを蹴飛ばしている所だよ。
俺は難しい問題だなと思った。魔王の能力によりこの世界は何かが変えられているのだろうが、その何かが分からなれば善か悪かすらも判断出来ないではないか。例えば世界を正し魔力を失えば、魔力が支える人間社会はすぐさまに崩壊する事だろう。
「いや、待て。なんで今そんな話をした。もしかして、お前が隠すのはそんなに根深い問題なのか?」
「その様子じゃ聞いてないようだな。この森には世界樹がある。俺がずっと隠しながら育てて来たのさ。奇しくもお前の先祖、賢者フィアンマ・エルツィオーネが邪悪と判断した樹だぜ」
予想外の情報に赤い瞳を見開くイグニス。俺はその隣で口をやっべと噤んでいた。伝え忘れていた。ごめん、それ知ってたわー。